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 時間が戻ればいいのに、と思う時がある。

 それはよく耳にする、『人生をやり直せるなら、どの時点からやり直したい?』という問いだ。

 模範解答はないだろうし、人によって答えは様々だろう。


 しかし――と、黛真理(女子13番) は思う。

 希望の時間軸に戻ったとして、果たしてそれで上手くいくのだろうか、と。

 真理は思う。やり直せるのならばやり直したいが、それが自分の望んだ形に戻るとは限らないと。

それならばいっそ、やり直さなくてもいいのではないだろうか。


 仮に、渡良瀬道流(男子18番) の妹が殺される前に戻ったところで、あの事件そのものが回避

できるとは限らない。回避できたとしても、もしかしたら別の形で死んでしまうのではないだろうか。

 そうだとしても、真理はあの事件を回避するように働きかけるだろう。例え運命というものが決まっ

ていたとしても。


 真理は痛々しくて見ていられなかった。今の道流は、自分を投げ打っている。あんな悲劇が起き

ないようにと、何かあったら周りを救えるように振舞ってはいるのだが、その結果として、道流自身

が犠牲になっていた。

 クラスの中では、彼との付き合いは一番長い。どんな奴だったかなんて、子供の頃から知って

いる。




 それ故に、思う。道流は、誰かのために働きすぎている。自分を省みないというよりは、自分の

幸福を破棄しているような気がする。

 真理はそんな道流を見ているのが辛かった。だが、彼の生き様に対して横から偉そうな口を聞け

るほど自分の立場を見誤ってはいない。”あんな事”があった人間に、どういう台詞を言えばいい?

 単純な気持ちだった。真理は、道流に幸せになって欲しいと思っていた。世界中の誰よりもとか、

そんなスケールの話ではない。周りの人よりもちょっと幸せで、道流が笑ってられるような、そんな

些細な幸せでいい。


 そうだ、話は単純なのだ。道流には幸せになって欲しい。生きていて欲しい。

 だから――。






 真神野威(男子15番 が道流に銃を向けたのを認識した瞬間、真理はもう、動いていた。考えて

の行動ではない。身体がもう、動いていた。自分を拘束している萩原淳志(男子13番 の腕を思い

切り噛み、腕にこめられている力が僅かに緩んだ瞬間、全力で彼の手を振り払った。まともに走れ

るほどの体力がないのは分かっていたから、真理は最短距離を進んだ。




 拳銃と、道流との間の、最短距離に向かって。




 撃ち出された銃弾が真理の頭部を貫通し、彼女の意識が失われていくまでの間に、視界に映っ

た道流と、その背後に立つ友人の村崎薫(女子15番) の顔を真理が認識できたかどうかは、誰に

も分からない。

 ただ――彼女の口は、最後に何かを言い残したかったのか、僅かに開かれたままだった。




「え…………?」

 道流が上げたその声は、恐らくこの場にいる人間一同の総意の声だっただろう。

「あ、う……」

 道流は口元を抑え、叫びたくなる衝動と、胃の中から湧き上がってくる吐き気を堪えた。

 先程まで威に殴られ続け、停滞していた思考回路が一気にクリアになる。――いや、クリアにな

りすぎて、現実なのか夢なのか、それすらも分からない。


 現実……なのか? これが? 夢じゃ……ないのか?

 死体を見た事がないわけじゃない。プログラム開始時、ホテルの中で片桐裕子が殺されるのを

見ていたし、佐伯法子の死体も、目にしている。


 けれど、これは――何だ? ”あれ”は、誰の死体だ?

 全裸で、左半身を下にして床に倒れているあれは――頭から血と、あと何か良くわからないもの

を流しているあれは、紛れもなく、黛真理だった。

 自分が良く知っている少女。幼い頃からの付き合いがあって、ついこの間まで、普通に会話を

していた――。


 道流の後ろから、悲鳴が聞こえた。薫が大声を上げ、泣きながら真理の身体を揺すっている。

その時に少しだけ真理の顔が見えた。苦痛に歪んでいるという風でも、穏やかという風でもない、

強いて言うならば、無表情。




「ま、真理……?」

 道流はつけていた水色のサングラスを外し、よろよろと立ち上がった。

 唐突過ぎる。理解が追いつかない。

 一歩、二歩、三歩と、真理の死体に近付いていった。落ち着け、落ち着けと呪文のように、自分

に言い聞かせる。

 死んでいる、真理の顔を見た。僅かに開かれた目と、視線が合った。




「――――!!」

 フラッシュバック、なんていうものじゃない。あの時の光景が――妹の死体を見た時の光景、

感情、その全てが、道流の中に蘇った。心の奥に仕舞い込んでいた恐怖も、絶望も、その全てが

再び、感情の濁流となって心の中から溢れてきた。


「あ、、あああ、あああああああああああああああ!!!!」

 あの時のような事が起きないように――もし起きたとしても、今度は自分が助けられるくらいに

強くなる。道流の抱いていた想い、願いは無残にも砕け散った。






 ぎくり、とした。

 威は、自分が聞いているのが本当に人間の声なのかと疑った。それはまるで、爆発音だった。

地下に溜まったガスなどに引火して発生した爆発音なのかと。だが違った。それは人の喉から

出ている音だった。渡良瀬道流の慟哭だった。その音はあらゆるものにびりびりと反響していき、

そして――ピタリと止む。


 静寂が落ちる。

 頭上を仰ぎ見ていた道流の身体がぐらぐらと左右に不安定に揺れ、ゆっくりとした動作で威の方

を向いた。

 道流の眼が、威を見る。人形にはまっている作り物の眼のような、感情が欠落した眼。心の中に

なにもない、というわけではない。むしろ逆だった。凄まじい勢いの感情の奔流により、道流の制御

能力が追いついていなかった。ようするに滅茶苦茶の――パニック状態の眼だった。


「威! 早く撃て!」

 こいつはヤバイ、と威が危険を察知するのと、淳志がそれを口にしたのはほぼ同時だった。

 しかし、はっと思った時にはもう、道流はすぐ近くにまで迫ってきていた。


「ああああああああああああッ!!」

 それは叫び声と言うよりも、悲鳴に近かった。道流の拳が眼前に迫る――。威は咄嗟にその軌

道を逸らそうと左手の甲を道流の腕に合わせようとしたが、道流の拳はそんなものではどうしよう

もできないくらいの勢いだった。威の手を木の葉のように軽く跳ね除け、威に右拳を叩き込んで

いた。


 それはもはや、パンチや正拳突きなどという生易しいものではなかった。まるで大砲が射出され

たかのような威力。道流の拳を腹に食らっただけで、威の身体は吹き飛ばされ、そのまま窓ガラス

を割り、建物の外へと放り出されていった。

 宙を舞った威は、当然のように地面に落下する。一回、二回と地面の上を跳ね、勢いが収まった

頃にはもう、威の意識は既に刈り取られていた。口から血や胃の内容物といった様々なものを吐き

出し、まるで電気ショックにでもかけられているかのように、その身体はビクンビクンと痙攣を繰り

返している。


「威ッ!!」

 ひとり残された淳志は、建物の中から外に放り出された威の様子を窺ったが、ここからでは生き

ているのか、死んでいるのかすらも分からなかった。

 出来る事なら、今すぐにでも安否の確認をしたいが――今、彼の目の前には、その威を一撃で

倒した道流がいた。彼に対する警戒を解いたら最後、自分も威と同じようになってしまうのでは

ないだろうか――と、淳志は仲間への意識と保身との間で揺れ動いていた。




 圧倒的だった。防御に関しては威の方が道流よりも数段上だと思っていたが、その防御自体が

まるで意味を成さなかった。腕で受ければ腕が吹き飛び、脚で受ければ脚が吹き飛ぶ。勢いを殺

す事もいなすことも出来ない、砲弾のような拳。


 道流は何もするわけでもなく、ただ、荒い息遣いで淳志を見ている。そこにはあの突き刺すような

暴力的な視線はなかった。それだけに、逆に恐ろしかった。身体中の毛穴から汗が噴き出す。

動悸が早くなり、顎が震えて歯の鳴る音が聞こえてくる。蛇に睨まれた蛙とはこの事を言うのだろ

うか。


 淳志の手にはブローニングが握られていたが、使う気にはならなかった。あんなに心強かった

はずの拳銃が今は、とても頼りなく感じられる。それに――自分のちょっとした行動がきっかけで、

道流のスイッチを入れてしまうような気がしたので。




 どれだけの間、そうしていただろうか――道流は淳志から眼を逸らすと、ぼろぼろと涙を零しな

がら座り込み、人目をはばからずに泣き始めた。淳志はもちろん、それなりに付き合いの長い薫

でも初めて目にする、渡良瀬道流の涙だった。


「俺は……っ、また……俺は……また、助け……」

 嗚咽に交じり、道流が何か呟いているのが聞こえてくる。淳志は汗を拭おうともせずによろよろと

後退り、威が吹き飛ばされていった窓から身を乗り出して建物の外に出て行った。






 そして――その場所には、道流と、薫と、彼女に付いている、深山真冬だけが残された。

 真冬はもう死んでいるので、この名産品館の中で生きている人間は二人だけだった。

 あとは全部、死体だけだ。全員――死んでしまった。死屍累々という言葉は、きっとこの場所の

ような所を指して言うのだろう。


「みっちゃん」

 薫は、道流に呼びかけた。両膝を突き、子供のように延々と泣きじゃくっている少年に向けて。

その背中は最強と呼ばれた少年のものからは考えられないくらいに小さく、自分と同じ年齢の、

ただの中学生の小さな背中だった。


「みっちゃん……」

 何も出来なかった。名前を呼ぶことしか、出来なかった。

 自分に何が出来る? 今、この場で、道流に何をしてやることが出来る?

 躊躇いながらも、道流に一歩足を踏み入れる。けれど、距離が縮まった気がしなかった。

 道流は薫を見ようともせず、俯きながら、真理の死体の元へと行き、それを抱きかかえる。部屋

の中に、静寂が重く圧し掛かっていた。


 受け入れたくも、認めたくもない。けれど、そうするしかなかった。これを現実だと受け入れ、認め

る他になかった。


 ――自分が知っている渡良瀬道流はもう、どこにもいないのだと。




女子13番 黛真理  死亡

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