89






 真神野威(男子15番)は、回想する。

 自分には手の届かない、どうしようもないものが、そんな存在が――この世にはあるのだと、初めて

認識した、その時の事を。


 あの頃は、信じていた。

 自分の力を。自分の可能性を。自分の未来を。

 更に昔に味わった決定的な敗北をきっかけに、力を手に入れた。数という力を、レギオンというチーム

を作り上げた。この数があれば、この戦力が育っていけば、頂からの景色を――いや、それ以上の、

空にさえ手が届くような、星々を掴み取れるような、そんな淡い幻想を抱いていた。


 しかし――幻想はあくまで幻想であって、現実にはなりえない。脆くも儚く、打ち砕かれる。

 打ち砕いたのは、本物の『力』だった。


 そう――あの時も。


 あの時、威は丸腰だったが、周囲にはチームのメンバーと、チームの中でも実力は威に次ぐ淳志や

浩之や竜也といった、レギオン結成時からのメンバーもいた。人数もそれなりに揃えたはず、だった。

 武器がなかったとか、相手を脅す目的での人数ではなく、相手を――チーム規模の敵を、完全に

殲滅する単位での人数を揃えていなかったということなど、何の言い訳にもならないだろう。こちらには

最高戦力の四人がいて――それで、相手は自分と同年代の少年がたった一人だけという状態で、

威は、威のチーム、レギオンは、完膚なきまでに敗北した。



「あー、うっぜー……つーか、流石にこの人数相手での喧嘩はきついか。初めてやったけど、こういうの

はやるもんじゃねえな」



 その声は、未だに脳裏に焼きついている。

 実力の差なんて、簡単な言葉で片付けられるものではない。

 相手は、いる次元が完全に違っていた。どうしようもないもの、だった。

 相手はダメージこそ受けているが、平然と立っている。


「俺はさぁ、別に喧嘩がすげー好きってわけでもないんだよ。そりゃあ、できれば俺だって、痛い目に遭う

のはゴメンこうむりたいしな」

「…………?」

「だけどよぉ、てめーらが今回みたいに、俺の友達にちょっかいかけたり、下手に何かしたりしたら、ただ

じゃおかねえ。俺がどうとか、そんなんは二の次だ。まずはそんな事した奴らを真っ先にぶん殴る」

「――ぐっ、ううう……」


 言葉が、返せなかった。

 目の前のこいつに、何を言っても、自分の言葉は何の意味も持たないと。それほどまでの圧力が

あった。


 直後、淳志から、そいつは渡良瀬道流(男子18番) という名前で、曰く、この街にいる最強の少年で

あるということを聞かされた。




 最強――。

 その言葉が、ありふれたその単語が、威の心に圧し掛かる。

 あいつが最強ならば、自分の上にいるのならば、どんな手を使ってでも、勝たなければいけない。

そう、どんな手を、使ってでも――。






「――く、は、は、は、はは! あははははははははははははは!!」

 歓喜の咆哮を上げる威と、それとは対照的に、無様に床に這い蹲る道流の姿が、そこにはあった。

かの最強と呼ばれていた少年は顔に痣を作り、鼻や口の端から血を流し、ぜぇぜぇと荒く乱れた息を

しながら、地に伏している。それでもなお、彼から肌を刺すような尖ったオーラが出ていたのは、彼が

ただならぬ憎悪を込めて、威を見ていたからだろう。


「真神野、てめぇは……てめぇ、だけは……!!」

「おいおい、誰が喋っていいといった? お前はただ黙って、俺に殴られていればいい」


 身体を起こして立ち上がろうとする道流を、威は容赦なく蹴り飛ばす。顎を蹴り飛ばされた道流は

そのまま壁際まで転がっていき、口から血を吐き出した。蹴られたときの衝撃や、ここにきてから殴られ

続けたために、口の中がズタズタになっている。歯も何本か折れているようで、彼が吐き出した血液の

中には、小さな白い塊も見受けられた。


 その光景には、違和感があった。道流を知るものならばすぐに気がつく、違和感が。

 あの渡良瀬道流が攻撃を受けている――ということはない。道流も一人の人間なのだから怪我くらい

することはあるし、肌を切られたら血だって流す。




 決定的な違和感――それは、道流が一切反撃をしていないという事だった。ましてや相手はあの真神

野威である。道流とは犬猿の仲を通り越して、火と爆薬のような関係で知られている二人。接触したら

ただで済むはずがない。それほどまでに、二人の関係は劣悪だった。

 それなのに、道流は威にいいように殴られていた。殴られ、蹴られ、罵倒され――それでも、彼は何も

しなかった。いや、できなかったのだ。


 威の後ろに、威を除けば今やレギオン唯一のチームメンバーとなった萩原淳志(男子13番) の姿が

あった。もちろん彼も威も、その事実はまだ知る由もなかったが。

 淳志の右手にはブローニングハイパワーが握られており、その銃口の先には、淳志の左手で抱き

抱えられている形でようやく立っている、黛真理(女子13番) がいた。顔と右腕が血で赤く染まり、制服

は身に着けておらず、全裸だった。まだ死んではいないようだったが、それだけだった。幼馴染である

道流が駆けつけたというのに、真理は声を上げるどころか、何の反応も見せなかった。ただ、そこに

いる――人形のような存在になっていた。


  話は単純だった。ただ、黛真理を痛めつけ、人質として道流との戦いに使っただけ。ただそれだけの

事だった。それが、威にとって想像以上の効果を生み出していた。




 威はゆっくりと脚を上げ、靴の裏と壁とで道流の頭を挟み込む。

「どうした? そんなに悔しそうな顔をして。我慢できなくなったら、いつものように俺を殴っていいんだぞ」

 道流の反応をニヤニヤと眺めながら、威は後ろにいる真理を一瞥し、楽しげに声を荒げて言い放つ。

「まあ、そんな事をしたら――あいつがどうなるかは明白だがな」

「てめぇ……っ」

「何だ、そんな赤い顔をして。ああ、あいつの裸でも見て照れているのか? 死ぬ前に一回くらい、使わ

せてやってもいいぞ。俺たちが散々使った中古でも良ければな」

「殺す……! てめぇは、殺してやる……!!」

「ははははっ! お前にそんな事は出来ないだろう、渡良瀬道流! そんな事をしたらお前も、お前の

妹を殺したあの殺人犯と同じになってしまうからな」

 唇を震わせながら呟く道流に対し、威はトドメと言ってもいい言葉を紡ぎ出した。


「だが――俺は、お前を殺せるぞ。殺人犯? 上等じゃないか。俺はとっくに殺人犯だ。どうせこのプロ

グラムで勝つには、誰かを殺すほかに術がない。早いか遅いだけかの問題だ」

 そう――そうなのだ。このプログラムで優勝するには、最終的に誰かを殺すしかない。誰も殺さずに

優勝する事も可能かもしれないが、それは確率だけで言ったら非常に低いものだろう。


「無様だな、渡良瀬。今のこの状況だって、お前が招いたようなものだ」

「何、ふざけた事言ってやがる……! どう考えても悪いのはてめぇらだろうが!」

「やってる事がいちいち甘いと言っているんだ。お前がふざけた信念を持たずに、前に俺たちと戦った

時に俺たちを殺していれば、こんな事にはならなかったんじゃないのか?」

「何だと……!?」

「結局お前は、お前が掲げていた下らないプライドのせいで周りの人間を犠牲にしたという事だ。村崎も

春日井も、今頃どうなっているだろうな? ククク……自業自得なんだよ、渡良瀬。これは全部、お前が

生み出した状況なのさ」




 威は口元に手を当て、露骨に笑いを堪える動作をしてみせる。そしてゆっくりと歩き出し、今いる場所

から移動した。まるで劇のラストシーン、舞台の上で堂々と自分の推理を口にする名探偵さながらだっ

た。身体の正面を道流に向けたままという配慮は怠らないが、攻撃できるものならやってみろ、という

余裕も窺えた。


「俺が生み出した状況だと……? ふざけんじゃねえぞ! 誰かどう考えても悪いのはてめえらだろう!

自分のやった事を他人になすりつけようとしてんじゃねえ!」

「なすりつける――というのは少し違うな。俺は少なくとも、自分がやった事くらいは自覚しているつもり

だ。そしてそれが善行と呼べる代物ではないということも。俺が言っているのは、だ――この事が起こっ

た発端の一つとして、お前の行動にも原因はあるんじゃないか。そう言いたいんだよ、渡良瀬道流!」






 声が、聞こえる。

 知っている声――昔からよく聞いている、よく通るくせにやたらと大きくて耳障りな声。

 ああ、そうだ。あいつだ。あいつが――道流がここにいるんだ。

 少しだけ、視線を上げた。道流と――ついさっきまで、私の身体を触っていた奴が、大きな声で何か

を話している。何だろう。何を話しているんだろう。


 別に、何でもいいか。

 何でもいいし、どうでもいい――。

 笑い出したい衝動に駆られた。同時に、死にたい衝動に駆られた。


 ああ、こんなものか――と思う。

 生きるとか、死ぬとか、助けるとか、殺すとか。

 あんなに生きたいと、助かりたいと思っていたのに、今はもう、どうでもいい。

 自分でも驚くほど素直に、死を受け入れられるだろう。


 滑稽だ。そんなものにしがみ付いていた自分が。こんな事を考えている自分が。

 道流が、高笑いしている威に殴られていた。二発、三発――まさにやりたい放題といった様子だ。


 道流――殺してよ。そいつを、殺して。

 そいつを殺して、私も殺して。


 もう、どうでもいいの。全部どうでもいい。生きるとか死ぬとか、私はこんなんになっちゃったから、どう

でもいいの。

 だから、殺してよ、道流。私のことなんか気にしないで。そいつを、殺してよ。ねえ――。






 道流は固まって動けなかった。もう何度も何度も威に対する殺意が濁流となって押し寄せてきていた

が、直後に幼い頃の恐怖が――妹の死体が、フラッシュバックしてきた。逃げることすら出来ない。

あの日のトラウマは、道流が思っていたよりも遥かに大きく、彼の心を蝕んでいた。


「黛はいい女だったぞ? 犯した時のあいつの表情、カメラがあったら撮っておけば良かったな。まあ、

今のお前の表情も、あの時のと同じくらい楽しめるぞ。泣いて、叫んで、暴れてみろ! ははははっ!

――いや、しかしお前と一緒に来た村崎と春日井も馬鹿だな。俺に歯向かったところで死ぬだけだって

いうのに」


 麻痺しかかった精神に、嘲弄を含んだ声が迫ってくる。威の声は次第に笑い声になり、哄笑になって

こだまする。

「ははっ、ははは、あっははははははははは! どうだ? これが俺の、レギオンの力だ!」

 衝撃が砕けるような重圧でぶつかってきた。威に蹴られたのだろうか。意識が一瞬だけ飛び、道流は

床の上を転がる。道流は立ち上がることも出来ないまま、横倒しになって、床に流れる自分の血を呆然

と眺めていた。


 道流はぼやけた視界の中、どうにかして真理を助ける方法を――薫と洸を逃がす方法を考えていた。

こいつの狙いは自分だ。あいつらを逃がしても自分がここにいれば、逃げていった奴らの事は追って

いかないはず。


「……反応が薄いな」

 威が動きを止め、言った。先程までとは打って変わった、冷え切った声音だ。

「いいように殴ってはみたが、こうも反応が薄いとつまらんな。人質という手段自体は成功だったが、

効果が大きすぎるのも考えものか」


「――威、もうそろそろいいだろう。そいつを下手に生き延びさせておくと、何をしてくるか分からないぞ」

 威の暴挙を静観していた萩原淳志が、ついにここで口を開いた。表情から読み取れるものは少ない

が、彼は威の行動をあまり快く思っているわけではないようで、事態を収束させるように提案してきた。






 と、その時である。バン、という大きな音を立てて、静海中学の制服を着た少女が文字通り、部屋に

飛び込んできた。よほど慌てていたのか、何もないのに躓いて転び、すぐさま起き上がるその様子は

なかなか滑稽だった。もっとも、この場では誰も笑わなかったが。


「み、みっちゃん! 無事!?」

 それは、道流と同じくらい顔を赤く腫らしている村崎薫だった。

 その事実に、まず威が驚愕する。あいつは確か、竜也が相手をしていたはずだ。ここに薫がやってき

たという事は、もうその時点で、竜也の運命は既に確定してしまったようなものだ。


 どういう理屈があれば、喧嘩の経験なんて片手で数える程度しかないであろう、自分よりも小さく非力

な少女に敗北するというのだろう。その理由が全くの不明だったし、何より、レギオンというチームを

作り上げてから長くを共にしてきた竜也が敗北――最悪、死んでいるという事態に、威はわずかの間、

身体を硬直させた。




 部屋に入ってきた薫はまず道流の無事を確認し、そして淳志と真理を見て瞳孔を開き、最後に威を

見て、鬼のような形相を浮かべた。

「あんたが……あんたがやったのか!!!」

「お前がここにいるという事は、竜也はやられたのか……。あの馬鹿め。村崎なんぞにやられるとは、

レギオンの面汚しよ」

「黙れ! あんたはもう喋るな!」

 つい先程まで薫にあった、普段のおちゃらけたような、少しいい加減な雰囲気が、今はもうどこにも

なかった。今にも泣き出しそうに歪んでいるその顔からは、はっきりとした殺意を感じ取ることができる。

ほう、と威は内心で頷いた。なるほど、これなら竜也がやられたのも少しは分かる、と。




「薫……お前、何でここに来てんだよ!」

 冷静でなかったのは威の方ではなく、道流のほうだった。

「何で逃げなかった!」

 道流らしからぬ狼狽ぶりだったが、その狼狽の理由は、実に道流らしいものだった。


「だって、逃げる理由なんて、ないから」

「お前、何言ってんだよ……」

「逃げてるくらいなら、最初からみっちゃんについて行かないよ。それに私、みっちゃんも真理ちゃんも

放っておくなんてこと、できないもん」

 その言葉に道流は言葉を失って、吹き出すように失笑した。

「……余計なお世話だよ、馬鹿」




「――いい加減にしろよ、お前ら!」

 そんな二人のやり取りを見ていた淳志が力の限り地面を踏み付け、怒鳴った。

「自分の置かれた状況を理解してから喋れ! こっちには人質がいるんだ。お前らの命は、俺たちが

握っているようなものなんだよ!」


 そうだ。薫がこの場に乱入したところで、双方の置かれた立場に変更は一切生じなかった。つまり、

依然として有利なのはレギオン陣営。薫と道流、両方にとって親しい真理という人質がいる以上、威と

淳志が主導権を握っている事に変わりはない。


「威、すぐにでも渡良瀬を殺したほうがいい。確証はないが、相手が二人いると厄介な事になりかねな

いぞ」

「……それもそうだな」

 そう、有利な事に変わりはないのだが、薫の登場により、何だか釈然としない不安が生まれた事も

また事実だ。威は淳志からの言葉を受けて少し考えはしたが、結論は最初のまま、変わらなかった。

「まあ、そういう事だ。悪く思うなよ、渡良瀬」


 威はベルトに挿していた拳銃、トカレフを引き抜き、銃口を道流の頭に合わせた、そして何の躊躇も

なく、彼はその引き金を引いた。


【残り12人】



                     戻る  トップ  進む




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送