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憔悴した表情で俯いていた村崎薫(女子15番)が、突如顔を上げて、落ち着きなく視線を彷徨わせ

はじめた。まるで、自分の名前を呼んだ誰かを探しているかのように。

「どうかしたか?」

 怪訝に思った渡良瀬道流(男子18番) は声をかけたが、薫はそれに反応を示さず、何もない森の

奥を見つめていた。何かに反応しているのか、小さく頷く動きを見せている。



「おい、薫――」

「誰かが、ここにくる」

 薫の言葉に、道流は疑う様子も見せず素早く反応した。周囲を注意深く見つめ、わずかな気配に

も反応できるように全神経を集中させる。先程の三千院零司のように、敵がその姿を見せる前に攻撃

を行ってくるという事は十分に考えられる。

「どこから来るか、分かるか?」

「えっと……あっち、かな」

 道流は、薫が指差した方向に視線を向ける。まだ相手の姿は見えない。こちらから攻撃を仕掛ける

べきだろうか、とも思ったが、相手の正体が誰なのか分からない以上、下手な行動には移れない。



 ふいに、隣にいる薫の肩がびくりと跳ねた。どうしたのかと尋ねようとした次の瞬間、茂みの奥から、

木の枝を踏むバキッという音がした。人の足音だ。

 道流は警戒した面持ちで音のした方を睨む。そこでふと、不思議に思った。薫は何故、あんなにも

早く接近してくる相手の存在に気付く事ができたのか。気配なんて全くなかったし、話し声はおろか、

今しがた聞こえた足音ですら、今この瞬間まで聞こえてこなかった。

 変なところで勘の鋭い奴だとは思っていたけど、それとはまた違う。上手く言葉には言い表せない

が――およそ説明の付かない、超能力のようなものを感じた。まさか予知能力だとでもいうのだろう

か。馬鹿馬鹿しい。



 木の枝を踏んで音を立てた事がまずいと思ったのか、物音らしきものは、それきり聞こえてこなか

った。しかし少なくとも、すぐそこに誰かがいる事は事実だ。

 道流は薫の前に腕を伸ばし、彼女を前に出さないようにする形を取った。逃げるか、戦うか。息を

潜めて相手の出方を待っているのも、そろそろ限界だった。



 張り詰めた緊張の糸を切ったのは、茂みの向こうから聞こえてきた声だった。



「――そこに、誰かいるのか?」

 それは聞き覚えのある声だった。この会場にいるのは同じクラスの人間だけなのだからそれは当

然なのだが、その声は少なくとも、身構えて出迎える必要がない人物の声だった。



「俺は春日井だ。そこに誰かいるのなら、返事をしてくれ」



 それは、クラスの中でも交流の多かった人物の一人、春日井洸(男子4番) の声だった。洸は運動

だけではなく勉強にも秀でていて、落ち着いた物腰で中学生とは思えない物事の捉え方をする事が

ある。薫が、道流とはまた違って意味で頼りになると思っていた友人だ。

 道流は、薫と顔を見合わせた。彼女も安堵の表情を見せていた。

「洸くん、私よ。村崎薫。あと、みっちゃんも一緒にいるの」

「村崎に――道流もいるのか。無事なのか?」

「うん。私はいろいろ怪我してるけど、とりあえず大丈夫」






 直後に、茂みを割って二人の前に姿を現したその姿は、紛れもなくあの、春日井洸のものだった。

一見すると細身に見えるが、ちゃんと筋肉の付いている身体。耳に被るくらいの長さの髪は中央で

分けられていて、見るからに優等生という雰囲気を感じさせる。ベルトに、日本刀を短くしたような物

を挿しているのが確認できた。彼の支給武器なのだろうか。



 薫も、道流も、およそ一日ぶりとなる洸との再会だったが、彼の顔を見て、その変化に驚きを隠せ

なかった。洸の顔は薫と同じ――いや、それ以上に酷い殴打の痕があった。特に鼻の辺りを中心に

血の痕がまだ、くっきりと残っている。

「洸くん、それ……」

「気にしないでくれ。今はもう、そんなに痛みはしない」

「ちょ、何言ってるのよ! 気にしないでくれって方が無茶だってば!」

「それを言ったら、今のお前の顔もなかなかのものだと思うけどな」

 それが可笑しかったのか、二人のやり取りを聞いていた道流がクスッと笑った。直後に薫に睨み付

けられて、真顔に戻る事になったのだが。



「誰かにやられたのか?」

「真神野とかと会っちゃって、その時に。私がみっちゃんと合流したのも、その時だったんだけどね」

「真神野たちと会ったのか?」

 道流と威の仲の悪さは、同じクラスだけではなく、学校全体までに知れ渡っている程だ。水と油、

犬猿の仲。表現方法は数あれど、そういったものでは到底言い表せないほど、二人の関係は極めて

劣悪かつ危険なものだ。

 道流も、レギオンのメンバーも、まだ誰も放送で名前を呼ばれていない。道流と威たちが出会って

いて犠牲者が出なかったという事に、洸は驚きを隠せない様子だった。



「まあな。つーかあんな奴らの話なんてどうだっていいじゃねえか。胸クソ悪ぃ。つーかよ、お前の方

こそその怪我、どうしたんだよ。どこかですっ転びましたってわけじゃねえんだろ?」

 道流がそう尋ねた瞬間、洸の顔色がほんの一瞬だけ変わった事に、薫は気が付いた。微かに引き

攣ったような、心の底から上がる悲鳴を抑えているような表情だった。



「これは……大悟が死んだときに、ついた傷だ」

 洸との再会で忘れてしまっていたが、薫と道流はその一言で、洸の親友である鏑木大悟が先程の

放送で名前を呼ばれていた事を思い出した。



 大悟と洸は単純に仲が良い友人同士と言うわけではなく、お互いの力を認め合い、競い合っている

ライバル同士という表現の方が正しい感じだった。バスケ部が次に当るチームの研究をしている時、

試合中にどういった動きをするかで喧嘩のような議論をしていたのを見た事もある。そういった険悪

になるシーンはたびたび見受けられたが、二人がコンビを組んで何かをすると、非常に息の合った

動きを見せていた。



 そんな二人だからこそ、プログラム中でも一緒にいるのではと思っていた。だが、大悟は既に命を

としている。そして今の洸の台詞から察するに、彼は大悟の今わの際に立ち会ったのだろうか。

「気になってたんだけど、洸くんって大悟と一緒にいたの?」

「いや――途中で会ったから、最初から一緒だったわけじゃないな」

「大悟を殺したのは誰なんだ?」

 洸は何かを言おうとして口を開きかけたが、何も言うことなく、口をつぐんだ。視線を落とし、首を左右

に振って「すまない……今は、言えない」と、消え入りそうな声で呟いた。



「けれど、後で必ず言う。信じてくれ」

「……分かった。よく分からねえけど、そっちにも何か事情があるんだろ?あんまり詮索はしねーよ」

 とは言え、洸の身に何が起きたのか、道流も気になっている様子だった。態度こそ表に出していない

ものの、その目には先程まではなかった、疑いの光が微かに宿っていた。






「大悟が最後に言ったんだ。お前たちや、潤や琴乃宮や黛たちの力になってくれって。だから、ここで

お前たちに会えてよかったよ」

「大悟、そんな事を言ったの?」

「……ああ」

 その時の光景を思い出しているのか、洸の声のトーンが低くなった。大悟がどんな最期を迎えたの

か、薫たちは知らない。けれど、そういう言葉を遺すということは、少なくとも苦しみながら死んでいった

というわけではないのだろう。死ぬ事への恐怖も、もちろんあったに違いない。それでも大悟は最期に

自分たちに向けての言葉を託した。大悟は命が尽きるその瞬間まで、薫たちが知っている、鏑木大悟

という人間のままだったのだろう。



「洸くん、他の誰かに会わなかった? 潤くんとか、真理ちゃんとか、恭子さんとか」

「今、生きている人間の中で俺が会った事があるのは潤だけだな」

「潤くんと会ったの? どこで?」

「最初に会ったのは湖の近くだな。ボート乗り場のあたりだったか……よく覚えていないが、その辺りで

間違いない。途中で別れたが、琴乃宮を捜していると言っていたな」



「涼音ちゃんを?」

 薫は聞き返した。琴乃宮涼音――物静かで自己主張の控えめな、薫とは反対のタイプの人間。それ

でも不思議と相性が合うというか、知り合ってから今までずっと、良好な交友関係を築けてきた。彼女は

薫の、最も親しい友人と言っても過言ではない。



「どこかで見ていないか?」

「私も捜してるんだけど、まだ会えてないんだ。ねえ、みっちゃんはどう?」

 薫が道流のほうへ顔を向けると、首を振って「俺も見てないな」と言った。

「お前と会うまではほとんど誰にも会っていねえし。会ったっていえば琉衣ちゃんぐらいだけど、今は何

してんだか」



 あの時、彼女はプログラムに乗る事を宣言していた。だとすれば、これまで放送で呼ばれたクラスメイ

トの中には、琉衣の手にかかり命を落としたものもいるのだろうか。

 次に会った時は容赦はしないと言ったが、果たしてそれを実行に移すことができるのか疑問だった。

刀堂武人や真神野威といった連中を相手にするときは躊躇なく拳をふるう事ができたが、日常的に親し

くしていた、ましてや女の子を相手に、それと同じ事ができるだろうか?



「私たち結構動いていると思うんだけど、なかなか皆に会えないんだよね」

「もしかしたら、俺たちと同じ考えで動いている奴が多いのかもな。洸の話を聞くと潤も動きまわってる

みたいだし、すれ違いになっているんじゃないか?」

「それだったら、余計にどこかで会っていてもおかしくないんだけどねー。うーん、ただ単に運が悪いの

かなぁ」



 実際、薫は運が悪いのかもしれない。彼女がこれまでに出会ってきた人物はやる気になっているか、

目の前で命を落としてしまうかのどちらかの確率が高かった。偶然と言ってしまえばそれまでだが、報

われていないことは確かだ。





「――もしかしたら、ここに集まっているのかもしれないな」

 洸は地図を広げて、その中のとある場所を指差した。

「名産品館。地図には名前だけしか書かれていないが、恐らくそれなりの規模の建物だろう。戦う気が

なくて身を隠したかったら、ここに行くんじゃないか?」

「それは俺も考えたよ。だけど逆に、ここはやる気になってる連中に狙われやすいんじゃねえか? この

プログラム会場はほとんどが森の中だ。建物なんてスタート地点のホテルか、他に数えるくらいしかない

だろ。隠れたい奴がここに逃げるってのは、やる気になってる奴らは真っ先に考えると思うぜ」



 道流の予想は当たっていた。洸が潤と合流した時、近くにあった湖畔の小屋の中には小林良枝の死

体があった。詳細は分からないままだが、戦闘を避けるために小屋の中に隠れていた良枝を何者かが

襲撃したというのは最も妥当な考え方だろう。



「だが、まだ行っていないのなら行ってみる価値はある。もし誰もいないなら、それはそれで一つの収穫

になるだろう」

「……まあ、そりゃそうだけどよ」

 仲間を集めるという考えがある以上、洸の提案は非常に理にかなっていた。しかし――。



「大人数で動けば目立ちやすいし、薫もお前も怪我人じゃねえか。本当に大丈夫か?」

 道流にしては珍しく弱気な――と言うよりも、慎重な発言だった。ただ、何かあったときに二人を守る

自信がないというわけではなく、その”何か”が起きないよう、危険性は極力回避しておきたいという事

を、道流は考えていた。



「もし不安なら、俺だけ先に確認してきて、またどこかで落ち合うっていう事もできるけど」

「ねえねえ、私なら平気だよ? 自分の身くらい、自分で守れるし! みっちゃんと会うまでだって、色々

と頑張ってきたんだからね」

 洸は口の端で笑うと、方位磁石を取り出して方角を確認し始めた。直線距離だけで見れば、目的の

名産品館まではそれほど離れていない。しかし周りに潜んでいるかもしれないやる気の人間や、禁止

エリアの影響を考えると、それほど単純な話ではなくなってくる。



「しゃーねえな。ちょっと面倒だが、お散歩がてらに行くとしようかね」

 道流は防刃グローブをつけなおし、人差し指でサングラスを上げた。台詞だけ見れば洸の意見に折

れたといった感じだが、その言葉の内に含まれている感情からは、喜びのようなものも含まれていた。

 疑いたくなる部分があったとしても、単純に嬉しいのだろう。親しかった友人と、こうして再び、敵対

せずに出会う事ができたのだから。



「とりあえずよ、歩きながら出いいから詳しく情報交換をしようぜ。何時ごろ、どこで誰に会ったとか」

「ああ、構わない。俺もそれと同じ事を言うつもりだった」

「うー……私、最初の頃の事とか自信ないかも」

「あー、知ってる。記憶力がザルだからな」

「な、何よ失礼な! そんな風に言わなくたっていいでしょー!」

「……どうでもいいけど、声が大きいぞ」 




 薫も、道流も、洸も、まだ知らなかった。

 名産品館に誰がいるのか。そこで、何が行われているのか。




【残り15人】



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