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 黛真理(女子13番)は部屋から飛び出していった安川聡美(女子17番)を追いかけようとしたが、

鈴森雅弘(男子8番) が発した「追わなくてもいい」という言葉にその足を止めた。

「向こうは別に戦う気じゃないんだ。無理して追いかけなくてもいいだろ」

「けど、あいつはやる気になってるのよ? ここで捕まえないと、またどこかで誰かを殺すかもしれ

ないじゃない!」

 真理は、未だ巡り合えていない友人たちの事が気がかりになっていた。彼らの事だから、そう

簡単には死ぬはずはない。自分が生きてさえいればどこかで会うことができる、と思っていた。



 しかし先程の放送で、鏑木大悟(男子5番)がその名前を呼ばれていた。村崎薫(女子15番)

渡良瀬道流(男子18番)桐嶋潤(男子6番)琴乃宮涼音(女子4番) ――みんな頼りがいが

あって、一緒にいて退屈しない友人たちだ。彼らに限って、と思っていたが、それは自分の思い

違いだという事に気付かされた。

 みんな自分と同じ人間なのだ。ナイフで切られれば傷つく。銃で撃たれたら死ぬ。永遠の存在

ではありはしない。

 他者に対して殺意を向けられる相手を野放しにすることで、友人たちの命が危険に晒されて

しまう。そうなるのは、防ぐべきだ。何かあってしまってからでは、後悔をしてからでは遅いのだ

から。



「捕まえて、どうする? 安川さんを殺すのか?」

 雅弘が言うと、真理は小さく頭を振るった。

「殺さない。私はそんな事、絶対にしない」

 真理は唇を噛み、じっと雅弘を睨み付けて、警棒を握り締めたまま部屋から飛び出した。

名産品館は外から中の様子が見えないように全ての窓のカーテンが閉められており、外から

差し込まれる朝日は薄っすらとしか入ってこず、中は薄暗かった。

 けれどもそれは、はっきりと真理の目に飛び込んできた。事務室を出てすぐ右手側にある玄関、

その向こうに仰向けに倒れている安川聡美の姿。そして、悠然とした態度で建物の中に脚を踏み

入れている、麻生竜也(男子1番)糸屋浩之(男子2番)萩原淳志(男子13番)、そして――

真神野威(男子15番) の姿が。



「黛真理、か。ここにいるのはお前ひとりか?」

 彼ら4人の姿を見た瞬間、真理の心音が一瞬停止した。それは比喩表現ではなく、脈がほんの

一拍分、確かに彼女の時間から消え去っていた。

 状況をすぐには読み取れず、急速に自分の心が冷え込んでいく事だけを感じ取る。

 いや、冷え込むどころではない。全身の細胞が凍り付いてしまいそうな勢いだ。

 何が起きているのか理解できていないわけではない。現に、身体と本能は嫌と言うほどに状況

を理解し、それを脳に伝えようとしている。ただ、その脳が、これが現実なのだと容易に受け入れ

ることを拒んでいた。それほどまでに、真理にとって今の状況は最悪だった。



「……だったら、何?」

 数秒のせめぎ合いの後、真理は何とかその言葉だけを口にした。ここにはまだ雅弘がいるが、

それを素直に口に出すほど馬鹿ではない。

 真理のいる場所と雅弘のいる事務室は、扉一枚で隔てられている。今は向こうの部屋の状況

が見えないが、この会話を聞いて事態を察した雅弘が、威たちに気付かれずにこの建物から

逃げてくれる事を祈った。

 ただ、自分はどうなるのか分からないが。

「いや、何ていう事はない。ただの事実確認さ。他に何人かいるのであれば少し面倒な目に遭う

ところだったが、お前ひとりだけならば好都合だ」



 真神野威。静海市内最大の不良チーム『レギオン』のリーダーで、道流と並ぶ実力者。

 プログラムで、一番会いたくない人物が彼だった。やる気になっているであろう事は明確だった

し、道流以外に威が倒される姿なんて想像できない。自分が生き延びれば生き延びるほど、威と

相対する可能性は上がっていくという事は分かっていたが。

 状況としては最悪だった。逃げ場の限られた屋内。自分の武器は手の中の警棒と、使い所の

分からないクロロホルム。対して向こうはレギオンのメンバーが揃っている。武器にしたって、銃

を持っている可能性は充分にあるだろう。






 真理は視線を威たちに向けたまま、一歩、また一歩とゆっくり後ずさる。しかしそれを見逃す威

たちでもない。真理が一歩退いたら、威が一歩前に進んだ。結果として、二人の距離はほとんど

変化していなかった。



「単刀直入に言う。俺たちと一緒に来い」

 威の口から発せられたのは、真理が予想もしていなかった言葉だった。とはいえそれは自分を

仲間として歓迎しようとしているというよりも、都合の良い駒が見つかった、という響きが含まれて

いた。

「何で私があんたたたちと一緒に行かなきゃいけないのよ。意味わかんない」

「具体的な説明が欲しいか? 少し頭を働かせば、分かるようなものだが」

 他人を馬鹿にした、見下した口調。その質問には正直迷うところがあるが、今、この時点で真理

が考えていること――というより、望んでいることはたった一つだけ。



 こいつらと関わりたくない。

 どうにかして、ここから逃げ出したい。

 そのために、どうにか隙を作ろうとして会話を引き伸ばせてはみたものの、やはり四人の隙を

ついて逃げ出す、というのは至難の業だった。


 
  警棒を握る手に力が入る。戦って、活路を見出すしかないのだろうか。だがしかし、力の差は

歴然だ。

 無謀と勇気は違う。浅慮と勇敢は違う。勝機のないギャンブルに手を出す必要はない。

 ただしそれが、背水の陣でなければ。

 後には退けぬ、前に進むことしか選択できない、危険の中に身を挺さなければならない状況なら

ば、幾分かの勝機を無視して足を止めることこそが、最も愚かしい行為だ。



「お前は餌だ。渡良瀬をおびき寄せるためのな」

 その一言で、真理は威の思惑を全て理解した。同時に、彼に対する恐怖心よりも、単純な嫌悪

感が湧き上がってきた。

「私を人質にして、あいつが来たら私を盾にでもして戦うつもり?」

 威の思惑に対する嫌悪感を隠そうともせず、真理は眉根を寄せて言った。

「最低ね。女の子ひとり人質にしないとろくに喧嘩もできないなんて、あんたたちそれでも男なの?

もうちょっと度胸がある奴らだと思ってたけど、小学生並じゃない」

「挑発のつもりで言っているのならば合格点はくれてやれないな。まあ、この状況で口答えができる

度胸は褒めてやってもいいが」

 口の端を歪める、どこか陰惨な感じのする暗い笑みを浮かべながら、威は更に間合いを一歩、

詰める。



「勝利のためなら手段を選ぶな。古い言葉だが勝負の鉄則だ。信念、矜持、プライド、意地――

言い方は様々あれど、勝利に結びつかないのであれば無駄極まりない。お前は人質という概念に

対して嫌悪感を抱いているようだが、俺からすればそのクソのような物の考え方が命取りだ。確実

に勝利に結びつく手段があるのならば、是が非でも使うべきなんだよ。勝負において最も重要な事

はただ一つ。勝利して、相手を見下ろすという事だ。そのためには、過程や方法なぞどうでもいい!」



 威は両手を広げ、まるで壇上で自分の意見を主張する指導者のように、悠然とした態度で言い放

った。悪びれず、誇りを持ち、それこそが正義だと言わんばかりの姿勢は、見るものを惹きつける、

ある種の畏れのようなものがあった。





「あいつと親しい奴を見つけられたら、とは思っていたが……まさか黛、お前に出会えるとはな。

ククク、俺は実に運がいい! あいつと幼馴染だというお前なら、あいつと戦う時の餌としてはこれ

以上ない存在だ!」



 威の考えている事が読み取れる。知りたくもない考えを、理解してしまう。

 単純な戦闘能力だけで言えばクラスの中でも文字通り次元が違う存在の道流に弱点があるとすれ

ば、それは今の強さを構築するきっかけとなった過去の出来事、妹を殺された事件にある。

 道流はまた妹の時のような事が起きないよう、誰かを守れるために力を身に付けていた。そんな

道流に人質を用いるという事は、これ以上なく効果的な手段だった。



 それが分かるからこそ、真理はどうにかしてこの場を離脱しなくては、と考えていた。自らの身に

降りかかる危険もそうだが、ここで自分が威たちの人質になってしまっては、恐らく道流はもう、威

たちに勝てない。威たちを倒す事ができるのは道流くらいしかいないのだから、ここで彼の足を引っ

張ってしまうような事になるのだけは、避けたかった。



「一人で勝手に話を進めないでくれる? そもそも私、あんたたちの人質になりたいなんて思って

ないし、なるつもりもないんだけれど」

「おいおい、勘違いするなよ黛真理。俺は何もお願いをしているわけじゃないんだ。これは――」

 そう言って真神野威は、右手をすっ、と頭の高さまで上げた。

「命令だ」

 言い終え、上げていた手を振りおろす。その瞬間、彼の後ろに控えていた竜也、浩之、淳志の

三人が、同時に――しかしそれぞれ別々の意図をもって動き出した。





 真理は警棒を抜き出して臨戦態勢を取り――それがいかに愚かな行為なのかという事に気付か

される事になる。正面からは淳志が、左側からは竜也が、右側からは浩之が迫ってくる。それも同じ

タイミングではなく、若干のズレを持って。確か、時間差攻撃とかいうやつだ。



 はじめは正面から迫ってくる淳志に対して警棒を構えた真理だったが、一撃目を当てようが避け

られようがどちらにしても、続いて襲いかかる竜也、浩之の攻撃を受けてしまう事を悟り、臨戦態勢

を解いて進路変更、先程飛び出してきた事務室めがけて駆け出した。喧嘩の腕ならともかく、脚力

や体力で彼らに負けているとは思っていない。全力で走れば、煙草を吸っている不良なんか簡単に

振り切れるはず――。



 と、そこで。

 そう思って、事務室の扉を開けた瞬間。



 真理の右脚が、銃弾に貫かれた。





「――――ッ!!」

 右脚に込めていた力が消失し、全力疾走の勢いをそのままに、頭から床へ滑りこむ。野球経験

のない素人が見様見真似で行ったヘッドスライディングのようだった。

 立ち上がろうとしたが、右脚に力が入らない。焼けた棒を押しつけられているような灼熱感と、

電流を流されているような激痛が右脚を支配している。恐る恐る視線を移すと、アキレス腱の少し

上あたりから、赤い液体が流れ出していた。



「正々堂々と正面から戦うとでも、思っていたのか?」

 声が、近づいてくる。



「俺は手を出さないとでも、思っていたのか?」

 ぎしっ、ぎしっという床を踏みしめる足音と共に、愉悦を押し殺した、悪魔のような声が近づいてくる。



「銃は持っていない、とでも、思っていたのか? まさか本当に寄ってたかって女子生徒一人を相手

になんかするはずがないとでも、思っていたのか? 人質にするんだから傷つけたりはしないはず、

とでも思っていたのか?」

 足音が、顔の横で止まった。



 真理はゆっくりと顔を上げた。苦痛に歪むその顔で、自分を見下ろしている男、真神野威を。

 威の手には拳銃が握られていた。かつて二階堂平哉のものだった、USSRトカレフ。その銃口から

は白い煙がうっすらと立ち昇っている。初めて嗅ぐ硝煙の臭いが、真理の鼻腔を刺激した。



「答えは全てNO、だ」

 そう言って足を浮かし、爪先を一瞬、天高く掲げる。

 そしてそのまま、真理の頭目掛け、勢いよく足を下ろした。

「がっ…………!!」
 
 視界が白く染まる。踏みつけられた衝撃からか、今自分が何をしているのか、どういう状況に置か

れているのか、何もかもが分からなくなった。

 白く靄のかかった視界の中、流星群のように光がキラキラと輝いている。脚の激痛は緩むことなく、

頭に鈍い痛みが植えつけられていた。種類の違う痛みが二つ、真理の身体を蝕んでいく。



 文字通りの二重苦に直面しながらも、真理は未だ回復していない視力で部屋の中を見回した。

見れる範囲は限られていたが、そこには先程まで部屋にいた鈴森雅弘の姿はなかった。

 恐らく、先程の威との僅かなやりとりに気付き、真理がここに来るまでに、威たちに気付かれずに

窓から逃げ出すことができたのだろう。威たち四人は全員、真理の前にいた。他に仲間がいなけれ

ば、威たちは雅弘がいたという事すら、気付いてはいないはずだ。

 こんな状態だというのに他人の身を案じるなんて、と、真理は心中で苦笑する。






「どうだ? 小学生並み、と言った相手に足蹴にされる気分は」

 床に這いつくばっている真理を蹴り飛ばして無理矢理天を仰がせると、威は彼女の腹部に片足を

乗せ、ゆっくりと体重をかけていった。 

「大切なのは結果だ。勝利したという結果だけだ。正しいか正しくないかなんて関係ない。勝てばそれ

こそが正義となるのだからな! これが俺たちのやり方だ。俺が――俺たちが、レギオンだ!」



 真理を踏んでいる足に思い切り力を込めた瞬間、真理の胴体から嫌な音が響いた。

「あ、ぎ、ああああああああああああ!!」

 彼女は大きく目を見開き、聞くに堪えない悲鳴を上げた。

 その光景が嬉しくて嬉しくて、威は何度も足を踏み下ろした。どこか、心の奥底にある虚しさを隠す

ために。



 真理は嗚咽に震えている。無理もなかった。脚を銃で撃ち抜かれ、頭を思い切り踏みつけられ、

更には肋骨を折られているのだから。痛みにある程度の耐性がある人間――例えば格闘家だった

ら悲鳴を押し殺すことくらいはできたかもしれないが、真理は正真正銘、ただの女子中学生なのだ。

殺し合いを強いられているとはいえ、これほどの激痛を味わうのは生まれて初めてだった。



 そんな真理を見下ろしている威の眉が、一瞬、ひそめられる。



「はは……あははは……」

 よく見れば、真理は、笑っていた。笑いに肩を震わせていた。

「あははは……はははははっ!」

「――何がおかしい」

「何がおかしいかって……そりゃあ、あんた達の事に決まってんじゃない」

 未だ涙交じりの声ながらも、真理は正面から威を見据えて言った。



「勝つためには手段を選ばない。だから大勢で戦う。偉そうに言ってるけど、あんたそれって、自分

ひとりじゃ誰にも勝てない弱い奴だって、自分で言っているようなものじゃない。あんたは自分ひとり

じゃどうしようもないから、他の誰かと一緒にいるんでしょ? 負けるのが怖いから、大勢でいるんで

しょ? そうよね、大勢でいれば気が楽よね。もし負けたって自分の弱さを認めなくてもいいもんね。

レギオンって言ったって、一人じゃろくに喧嘩もできない、ただの臆病者の集まりじゃない!」



 威に踏みつけられたままで、状況は彼女にとって好転しているわけでもないのにも関わらず、真理

は真下から、自分を見ろす臆病者を強く睨み付け、怒鳴った。

「だからあんたは、道流に勝つ事ができないのよ!!」



 それが――決定打となった。

 真理にとっても、威にとっても、その一言が、どうしようもなく致命的なものとなった。



「黙れッ!!」

 威の足が、再び真理の腹部に振り下ろされる。ただし今回は足の裏ではなく、踵を思い切り叩き

つけるという、いたぶると言うよりはより痛みを与える目的の攻撃だった。

 腹部に凄まじい衝撃が走り、真理は胸の多くから吐き気が波のように突き上げてくるのを感じた。

我慢しようとしたが堪えきれず、吐寫物を撒き散らした。食べ物らしい食べ物はあまり口にしていな

かったので、胃液が持つ独特の、鼻につく酸っぱい臭いが周囲に広がった。



「図に乗りやがって……! お前には死んだほうが楽だと思わせてやる! 渡良瀬を殺したら次は

お前の番だ! じわじわと嬲り殺しにしてやる!!」

 威は真理の制服に手をかけ、彼女のワイシャツを一気に引き裂いた。その下から現れた純白の

ブラジャーも、力任せに引きちぎる。



「いやぁっ!」

 真理は腕で胸を隠そうとしたが、威がまたも足を踏み下ろした。今度は頭でも腹部でもなく、真理の

顔に。一度ではなく二度、三度と踏みつけられ、真理の顔の下半分は鼻血で赤く染まっていた。涙を

ぼろぼろと零し、呼吸音とも呻き声とも取れる音を漏らしている。意識を失いかけているのか、目の

焦点が定まっていなかった。



「威、いくら何でもやりすぎじゃないのか?」

 真理の脇に立って事態を眺めていた萩原淳志が、声をかけてきた。

「……何か文句がありそうだな」

「文句と言うほどじゃない。ここまでする必要はないだろ、と言ったんだ。あんたがこいつをどう扱おうが

勝手かもしれないが、必要以上に痛めつけたら移動をするときに支障が出る。両手両足をへし折られ

た黛を俺たちが担いで会場内を歩く、なんて事になるのは御免だからな」

「そこまではしない。犯すだけだ」

「威、お前――」

「渡良瀬と戦うときの材料に使って、渡良瀬を殺したらこいつは用済みだ。どうせ死ぬ奴をどう扱おうが

ここでは誰も文句は言わん。それに、このクソ暑い中ずっと歩き通しだったんだ。これくらいの労いは

あってもいいだろう」



 威たちの眼下には、輝くように白い少女の肌が晒されていた。真理は剣道部に所属しているからか、

他の運動部の生徒に比べると日焼けの後が少ない。クラスメイトの女子の半裸姿を前にしてか、威

以外の三人は半ば落ち着かない様子で真理に視線を向けていた。それに含まれているものは動揺

が半分と、本能と欲望に染まった脂ぎった感情が、半分。



 これから自分がどうなるのか、想像するに難しくはない。抵抗することはできるが、したところで、

また威に痛めつけられてしまうだろう。

 もう――どうしようもなかった。真理は、自分の力ではどうする事もできない状況に陥っている事を

悟った。

  

 


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