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 事務室から出て行く槍崎隆宏と黛真理を見送った後、安川聡美は自分のデイバックに拳を

下ろして怒りを露にした。

「何よ、何なのよ……! 後から来たくせに、何であんなにデカい顔するわけ? ほんと、信じら

んない! 槍崎の奴もそうよ、あいつが来てから露骨に態度を変えて、ベタベタしちゃってさ!」

 聡美は乱暴な動作で髪をぐしゃぐしゃとかき回した。後ろで二つに結ってある茶色の髪が左右に

揺れ、動物の尻尾のような不規則な動きを見せる。



 黛真理が名産品館に訪れてから、聡美の感情は不安定なものになっていた。メンバーの中では

一番話しやすかった永倉歩美がこの場を去ってしまい、気軽に悩みを口にできる相手がいなくなっ

てしまったという事もあるが、真理の存在と、その真理に対して好意を持った態度で接する隆弘は、

腫れ物を針でつつくように、少しずつ少しずつ、聡美の神経を刺激していく。



 嫉妬から生じる見苦しい苛立ちだとは、自分でも分かっていた。

 男子生徒と並んでも見劣りしない、すらりと伸びた均整の取れた身体。誰にでも気兼ねなく話しか

る気さくな性格と、面倒見の良さ。

 顔、性格、成績――どれを取っても、自分が真理に勝てるものなんてなかった。一人の女性として

も人間としても、聡美は真理の遥か下のランクに位置していた。



 普段の生活ならば、そんな事は思い付きもしなかっただろう。勉強ができなくてもそれほど困りは

しなかったし、男子からの人気が無くても、気にはならなかった。宴町春香や逆瀬川明菜といった

テニス部の面々と遊んでいたほうが楽しかったし、自分と誰かをステータス化して比較した事など、

一度も無い。

 だがプログラムに選ばれ、少しずつだが確実に増していく死者の名を聞いていくうちに、聡美の

思考は普段のそれとは異なる動きをするようになった。誰かと話をするとき、何かを見るときに、

まず疑いを持ってかかるようになってしまった。聡美にその自覚症状はないのだが、彼女と親しい

者が見れば、それは一目瞭然だっただろう。



 3年1組の女子の中では薫に次いで能天気な性格と称されている聡美だったが、今やその面影

はほとんどなくなっている。六時間ごとの定時放送で親しかったテニス部のメンバーが次々と呼ば

れていき、先程の放送では宴町春香が名前を呼ばれていた。これで、1組のテニス部メンバーは

ついに聡美だけになってしまった。

 中学三年生の女子生徒に、友達が次々と死んでいく中でまともな神経を保てと言う方が無茶な

注文である。歩美がいなくなり、真理が新たにここのメンバーとして参入してから、聡美は誰かと

話をするよりも、自分ひとりで考え込むことの方が多くなっていた。



「気に入らない、気に入らない、気に入らない……」

 膝を両手で抱え込み、顔を埋めて呪文のように呟き続ける。

 自分を見下ろしている真理も、その真理に良い態度をする隆弘も、このふざけた状況も、全てが

気に入らなかった。
 


 みんな、どこかへ行ってしまえばいい。そうすれば、自分もこんな思いをしなくて済むのに。



 そう思った瞬間、すうっと胸の内が冷たくなるのが分かった。

 聡美はゆっくりと、膝に埋めていた顔を上げた。そこには先程までの憔悴しきったものではなく、

勝利を確信したような、晴れやかな笑みが浮かんでいた。

 そうだ、みんながいなくなればいい。どうせみんな、死んでしまうんだ。だったら私以外のみんなが

死んで、ここには私一人が残ればいい。



 聡美はスカートのポケットに手を入れ、そこに入っていた物をぎゅっと握りしめる。そして、取り出し

たそれ――シアン化カリウム、青酸カリが入った小瓶を取り出し、まじまじと見つめた。

 周囲に人の気配はない。目撃者がいない限り、この先、自分の行った行動が怪しまれる事はない

はずだ。



 乾いた唇を舐める。――これは、チャンスだ。



 聡美は息を飲み込むと、水の入ったペットボトルを持って事務室の奥にある給湯室に向かい、シン

クの下の棚を開けて中から麦茶のパックを取りだした。使い古されたヤカンを手に取り、麦茶のパック

と、自分に支給された水を惜しげもなくその中に入れていく。

 聡美は息を呑み、青酸カリが入った小瓶の蓋を開けた。陽光に当たっていなかったせいか、瓶は

ひんやりとした感触を指先に伝えてきた。

 あの三人が口から血を吐き、悶え苦しみながら死んでいく姿が思い浮かんだ。

 自分の背中を伝う汗が暑さのせいだけではないことに、聡美はとうに気付いていた。



 今更、何を躊躇っているんだろう。やると決めたんだ。もう、後戻りはできない。どうせみんな死ん

じゃうんだから、ここで一人死のうが二人死のうが、一緒じゃないか。

 銃で撃たれ、身体中に醜い穴を穿かれた死体。

 首を切り裂かれ、その傷口から光沢をもったピンク色の切断面を見せている死体。

 石にこびりついた数本の毛髪と、そのすぐ脇に転がる、熟した果実を潰したかのような頭になって

いる死体。



 喉元に吐き気がせり上がった。……そんな死に方をするよりは、毒で殺された方がよっぽどマシだ。

最初はちょっと苦しいかもしれないけど、死体はそんなに、醜くはならないはずだから。

 私、優しいでしょ? こんなに相手の事を想った殺し方をしてあげるんだから。私に殺される事に、

感謝してよね。



 聡美はそっと、小瓶を傾けた。中に入っている粉末状の結晶体が、ぱらぱらとヤカンの中へ落ちて

いく。






「おーっす、お待たせー」

 扉が開かれる音と同時に、槍崎隆弘の声が聞こえてきた。

「ちょっと、ノックくらいしてよね」

「そんな事、いちいち気にするなよ。別に着替えてたわけじゃないんだろ?」

 先程のやり取りもあってか、二人の間には険悪な雰囲気が流れていた。その雰囲気を察したのか、

隆弘の後ろにいる真理と雅弘はそれぞれ眉根を寄せた。



 部屋の隅、壁に寄り掛かるようにして聡美は座っていた。彼女は事務室へと戻ってきた隆弘、真理、

雅弘の顔をそれぞれ確認すると、すっ、とテーブルの上を指差す。

「それ、良かったら飲んで。麦茶あったから、作ってみた。さすがに冷え冷えってわけにはいかないけど

麦茶には変わりないし」

「えっ、マジで!?」

 麦茶、という単語を聞いて、隆弘はテーブルの上に乗っているヤカンの蓋を開けた。そこには確かに、

嗅ぎ慣れている――けれども随分懐かしい匂いのする、茶色の液体があった。

「これ……水は、どうしたの?」

「私の水を使ったの。水ならまだ余ってるから、気にしないで」

 肩が小刻みに震えているのを悟られないよう、聡美は懸命に平静を装っていた。自然な態度で、と

意識すればするほど、何をやっても不自然な形になってしまっている気がした。




「けど、いくらなんでも安川さんに悪いわよ。言ってくれれば、私たちも水を分けたのに」

 聡美は内心で舌打ちをした。つべこべ言わないで、早くそれを飲みなさいよ。喉が渇いているんじゃ

ないの? ほら、早く――。

「真理の言うとおり、これじゃ安川さんに悪いな。俺もちょっと水を足すよ」

 雅弘がデイパックを開けて、取り出したペットボトルの中身をヤカンに注いだ。雅弘は好意のつもりで

行ったのかもしれないが、この行為は聡美を一気に狼狽させた。彼女は、真理たちが麦茶をすぐに

飲むものだと思っていたのだが、その思惑とは裏腹に、用意していたコップにすら手を伸ばす気配が

ない。

「べ、別にそんな事気にしないでよ。それよりも喉、渇いているんじゃない? ほら、早く飲んでよ」

「それなら余計に俺たちが水を分けたほうがいいじゃないか。皆で飲むんだし、量は多い方がいい」

 雅弘の言う事はもっともだった。これにはさすがに反論できず、聡美は口をつぐんでしまう。



 まずい、どうしよう――。



 聡美の思惑では、三人は用意していた麦茶をすぐに飲む事になっていた。そうならなければ、

いけなかった。

 誰か一人だけが麦茶を飲んで死んでしまったら、殺人者の疑惑は当然、麦茶を用意した聡美に

向けられる。であれば当然、持ち物を調べられてしまうだろう。青酸カリの入った小瓶はまだ、彼女

のポケットの中に入っていた。持ち物まで調べられてしまったら、自分はもう終わりだ。

 よくよく考えれば穴だらけの企てだという事に気付きそうなものなのだが、思いついた事を衝動的

に実行してしまっただけなので、今更何をどうしようと、もう後戻りはできない。



 そして事態は、聡美にとって最悪の方向へと進み始める。



「ぐっ…………がはっ!」

 くぐもった声を出し、体をくの字に曲げて咳き込む隆宏に全員の視線が注目した。隆宏は喉を

押さえ、顔を歪めながら咳き込んでいる。

「ひっ――」

 気管に麦茶が入ったのだろうか、と思っていたのであろう真理の顔が、隆宏の口から吐き出された

真っ赤な液体を見て、一気に引き攣ったものになった。

 口と喉を手で押さえ、隆宏は一歩、二歩と歩き出した。口を押さえた指の間から、赤い雫がぽた

ぽたと垂れてきて、床に不気味な水玉模様を作り出していた。何歩目かを踏み出した瞬間、隆宏

は最後に大きく、一度だけ咳き込んだ。彼の口から放たれた血の飛沫は、まるで花火のようにパァッ、

と宙を彩る。大きく見開かれた隆宏の目がぐりん、と白目をむき、そのまま横様に倒れこんだ。



「や……槍崎、くん……?」

 真理が声をかけるが、無駄だった。槍崎隆宏はもう、死んでいた。体を丸めるような体勢で床の

上に転がっている隆宏は、正視に堪えない顔をしていた。双眸は大きく見開かれ、赤く充血した眼球

が不気味に宙を見つめている。口の端からは今もなお血が溢れ続け、小さな赤い水たまりを作って

いた。倒れた直後はびくびくと小刻みな痙攣をしていたが、今はもう、痙攣すらしていなかった。



 聡美は心臓の辺りを手でぎゅっと押さえながら、青ざめていた。手が、足が、全身が震えていた。

呼吸が不規則になり、両目は涙で滲んでいた。

 分かっていたはずだった。こうなるのは、分かっていたはずだった。毒を口にした人間がどうなるの

かくらい、そしてそれが、何を意味するのかくらいは。

 けれどそれは、”分かっている”というだけに過ぎなかったのだ。人を殺すという事。ましてやそれが

学校生活を共に過ごしているクラスメイトで、しかも目の前で死ぬ姿を見る、という事。






「あんたが……」

 真理の声に、聡美は大きく身を震わせて反応した。

「あんたが、やったの?」

 大きく見開かれた目。感情の篭っていない、無機質な表情。

 それは、聡美が初めて見る、真理の表情だった。

「ち、違う! 私じゃ――私は、私は、そんなつもりじゃ――」

 プログラムは進み、生存人数もクラスの半分程度にまで減ってしまった。その中には生き残るため

にクラスメイトを手にかけたものも少なくはない。

 聡美もまたその一人なのだが、彼女は他の者たちと違い、人を殺したという事を自分の心が許容

しきれなかった。



 衝動的な殺人行為。予期していなかった事態。目の前で苦しみ、死んでいったクラスメイトの姿。

 聡美の心は、殺人と言う大きすぎるモノを収めるには、まだその器の強度が不十分だった。

 人を殺すという事がどういう事なのか。それを糾弾されるという事は、どういう事なのか。

 彼女は、あまりにも甘く見ていた。殺人者になるという事を。



「何が違うんだ、この人殺し!」
 
 怒りというよりも、今にも泣き出しそうな悲痛な声で真理が叫んだ。彼女は背中に手を回し、中山

博史(男子11番 から奪い取った警棒を抜き出し、構える。

「雅弘の言うとおりだった。やっぱりあんた、やる気になっていたんじゃない! 私たちを毒で殺そうと

していたんでしょ!」

「違う! 違う、違う、違う! 私は、私は――!」

 言いながら、聡美は今の真理の発言に、何か引っかかるものを感じた。



 ――”雅弘の言うとおり?”



 聡美は、真理の後ろにいる雅弘の顔を見た。彼もまた青ざめた顔で聡美を見ているが、聡美に見ら

れているという事が分かった瞬間、その唇をニイッ、と歪めた。

「あ、あああ…………」
 
 氷のように冷たいものが、聡美の体を駆け巡っていった。

 聡美は確かに、真理を殺そうとした。隆宏を殺そうとした。真理にだけに良い顔をしている隆宏が憎か

ったから。自分に棘のある態度で接してくる真理が憎かったから。

 けれど何故、真理はそんな態度をしていたのだろう。学校生活では接点はあまりなかった。だからこそ

特別仲が良い言うわけでもなければ、仲が悪いというわけでもなかった。それはきっと、真理も同じはず

だろう。



 何か理由がなければ、あんな態度を取る必要はないんじゃないか? 

 何か、理由がなければ。



 ――雅弘の言うとおりだった。と、真理は言った。

 それは、つまり。



 「うわあああああああああっ!!」

 答えに辿り着いた瞬間、聡美の混乱は極致に到達した。その小さな体のどこからそんな声が出るの

だというくらいの大声を上げ、近くにあったコップや椅子、自分のデイバックを真理と雅弘に向けて投げ

つけた。

「私じゃない! 私じゃない! お前が、お前がやったんだ! お前が!!」

 荒い息を上げ、さながら法廷の一場面のように雅弘を指差した。

「何、馬鹿な事を言ってるんだ! その麦茶を用意したのはお前だろう。お前がやったんじゃないか!」

 雅弘の言うとおり、青酸カリを入れた麦茶を用意したのは聡美だった。衝動的なものとはいえ、確かに

殺意を持ってしまった。



 けれど、そうなるように――そこに辿り着くように誘導した奴がいる。そいつが、直接手を下さなかった

からといってのうのうとしているという事が、腹立たしくて仕方がなかった。

 恐怖からではなく、今度は憤りでその身を震わせた。奥歯を噛み締め、雅弘に掴みかかろうとしたが

警棒を持った真理が聡美と雅弘の間に割って入ったため、聡美はその場を動くことができなかった。

 真理の視線が突き刺さる。力の入った鋭い視線。人を殺めた自分を軽蔑している視線。言葉を聞か

ずとも、真理の思っていることが聡美に伝わってきた。



「…………っ!」

 真理の重圧に押されたのか、聡美は真理たちとは正反対の方向、事務室の外へと通じる扉に向けて

駆け出した。勢いよく扉を開け、そのまま名産品館の入り口へと走っていく。

 逃げてどうにかなるわけでもなかった。だが、もうここにはいられなかった。人を憎み、人を殺してしま

った自分が何を言っても、真理は聞き入れてくれないに違いない。

 そう、今重要なのは、ここから逃げ出すことだ。逃げて、他の誰を捜して、鈴森雅弘の危険性を伝え

なければ。その誰かから真理に話をつけてもらえば、自分が罠にはめられたという事も分かってもらえ

る。槍崎隆宏を殺してしまった罪も、少しは軽くなるに違いない。






 ぜいぜいと息を切らしながら、聡美は名産品館の入り口に辿り着いた。震える手で鍵を開け、脇目も

振らずに建物の外へと飛び出した。

 瞬間、聡美の視界が回った。それは比喩でも何でもなく、文字通り、ぐるりと横に一回転したのだ。

まるで自分が風車にでもなったかのような、奇妙な感覚だった。

 聡美は体の横から地面に叩き付けられた。回転の勢いがあったため、強い痛みと衝撃が彼女の体を

襲っていた。呼吸が上手くできず、目の焦点も定まらない。



 一体、何が? そう思って顔を上げた聡美が見たものは、ナイフを大きくしたようなもの――マチェット

を振り下ろそうとしている、真神野威(男子15番)の姿だった。扉から出てきた瞬間に投げ飛ばされた

のだが、冷静な判断能力が失われている聡美は、そこまで理解することができなかった。



「そちらから開けてくれるとは好都合だ。礼をやろう、受け取れ」



 ひ、という悲鳴にも似た短い呼吸音が聡美の口から出た直後、彼女の顔にマチェットの刃が深く食い

込んだ。少量の血飛沫が上がり、聡美の体が一度だけ、びくんと跳ねる。

 聡美は、鼻の少し上から顔を横一文字に断ち割られた。完全に両断こそされてはいないものの、その

風貌はまるで、腹話術士が使っている口が大きく裂けた人形のようだった。






「……まだ、中に誰かいるようだな」
 
 威はマチェットの柄を握り締め、聡美の体を勢いよく蹴飛ばした。聡美の顔に食い込んでいたマチェット

は取れたが、その時の衝撃で、聡美の顔は真ん中より少し上の裂け目から左右に大きくずれてしまった。

「全員は殺すな。とりあえず、一人は生かしておくんだ。いいな」

 威は自分の背後に控えるレギオンのメンバー、麻生竜也(男子1番)糸屋浩之(男子2番) 萩原淳志

(男子13番)
に向けて言い放った。



男子16番 槍崎隆宏

女子17番 安川聡美   死亡


【残り16人】



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