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 鈴森雅弘(男子8番)はこれまで、感情に任せて行動した事がほとんどなかった。口が達者だとか

世渡り上手だとか周りからは色々と言われているが、その根底にあるものは、これまでの人生の中

で彼が培ってきた、感情のコントロール方法が大きく関係しているのかもしれない。



 幼い頃から暴力沙汰は苦手だった。争い事も苦手だった。単純に痛い目を見るのが嫌だった。

できればそういった事から回避して生きていきたかったが、長い人生はそう上手くはいかない。

どこかで誰かと拳を向け合う、対峙し合う時は、必ず訪れる。

 幼いながらに、雅弘は考えた。どうすれば、そのような事態を回避することができるだろうか。

どうすれば、拳を向け合わずに解決することができるのだろうか。



 やがて導き出された答えは、争いごとに巻き込まれないようにする事。仮に巻き込まれたとして

も、嘘でも何でもいいからとにかく言葉を重ねてその場から逃れる事、だった。

 最初は相手をうまく言い包められなかったが、慣れていけばさほど難しい事ではなかった。よう

は自分の言葉に筋道を立て、説得力を持たせればいい。自分の言葉が何よりも正しい正論なん

だと、それこそ王様のような過剰な自信を持って相手に臨めばいい。殴り合いの喧嘩と同じで、

口喧嘩も相手に弱みを見せたり怯んだりしたら負けだ。まあ、もっとも、あえて弱みを見せておく

という場面も時にはあったが――。



 雅弘が静海中学校に進学してから、そのスタンスはより顕著なものになった。

 静海中学校は市内でも悪評高い、問題児ばかりが集まっている荒れている学校だった。自宅

近辺に他に中学がないというどうしようもない理由がなければ、こんな学校には通うどころか近

寄りさえしなかっただろう。



 そんな環境の中で自らの身を守り、できる限り安全な学校生活を送るため、雅弘は以前にも

増して上手に立ち振る舞うようになっていた。渡良瀬道流(男子18番) と仲良くなったおかげで

真神野威(男子15番) ら以外の不良からは絡まれることは滅多にないし、その威たちを相手に

する時も、相手の感情の機微を読んで怒らせない事を前提としたやり取りをしている。



 それらを実践するには、まず自分が感情的にならないことが大前提だった。感情的になって

相手に刺激を与えてしまっては、そこで全ては終わりだ。自分ではもう、どうにもならない領域

の話になってくる。殴り合いなんていう野蛮なものは専門外なのだから。 

  自身の感情を抑え、直情的な言動を取らないというのは、無意識のうちに行えるようになって

いた。もしそれができなくなったら、自分に不利な領域で過ごす事になるという、ある種の恐怖が

あった。






 青から徐々に白みを帯びていき、そして再び青く染まった空が、木立を透かして見えていた。

様々な種類の木々の梢が織り成す網目模様から、眩しいほどの陽光が差し込んでいた。この

時間帯でこれだから、日中はもっと暑くなりそうだ。

 こういう日はそう――アイスが食べたい。バニラアイスもいいし、チョコアイスもいい。今の季節

ならば氷菓系のアイスが出揃っている頃だろう。それらの鮮やかな色を楽しみつつ、口の中に

広がる甘さと涼味を堪能するのは、この季節ならではの至高の贅沢だ。

 森林の中を半ば早足で歩きながら、雅弘はそんな事を考えていた。この状況でそんな呑気

な事を感がえられる余裕があるのか、と思うかもしれないが、逆だった。



 彼には今、全く、余裕がなかった。



 心臓はかつてないほど早く脈打ち、呼吸は乱れ、暑さのせいではない変な汗が額に浮かんで

いた。手と足は小刻みに震えている。

 自身の誇りでもあった制御された感情は、そこにはなかった。

 そこにあるのは、パニック寸前に陥っている、一人の男子中学生の姿だった。

 余裕がないからこそ雅弘は、正常な思考回路を取り戻すために、とりとめのない日常的な事、

下らない事を考え、己を落ち着かせるように務めていた。 こんな姿をクラスの誰かに見られたら

笑いものになるだろう。普段はカッコつけている自分が、みっともない表情を浮かべて焦っている。

何人もの女子を相手に楽しそうに会話をしている自分を快く思っていない男子もいるだろうから、

そいつらからしてみればいい気味だ、なんて思われるだろうか。



 どれくらい歩いたのだろうか。雅弘は両膝に手を置いて身体を屈め、ぜいぜいと荒い息をして

いた。こんなに動いたのは久しぶりだった。運動は苦手ではないが、疲れるのは嫌いだった。

 呼吸を整えつつ、自分が歩いてきた方向を見つめる。先程まで自分がいた場所、名産品館は

もう、彼の視界には映っていなかった。



 雅弘は逃げてきた。槍崎隆宏が死に、あの真神野威たちがやってきた建物から。

 隆宏を殺したであろう聡美が逃げて、それを追いかけていった黛真理が誰かと話している声が

したので、扉を開けようとした。開けようとした瞬間、その声が真神野威のものだと分かった。

それが何を意味するのか――理解するよりも早く、彼の身体は動いていた。窓を開け、なるべく

物音を立てずに、自分が今まで立て篭もっていた名産品館から逃げ出した。まだそこに残って

いる、真理のことは考えもせずに。



 雅弘は掌に浮かんだ汗をズボンで拭った。――分かっていたけど、俺って結構臆病だな。

こんなにビビっちまってる。

 普段から割りと親しくしている真理を見捨ててしまった事にたいする罪悪感とか、威たちと

接近してしまった事に対する恐怖もあるが、今の雅弘の心を支配していたのは、間接的とは

いえ人を殺してしまったという事実。その重みだった。



 どのような形になるか分からなかったが、雅弘は名産品館にいた他のメンバーが不仲になる

ように働きかけた。次第に空気が悪くなっていって、残り人数が少なくなったところでお互いに

殺しあってくれるのが理想だったが――まさか、あんなに早く事が進むとは。



 雅弘は、殺人への禁忌を持っている。人を殺すなんてゴメンだった。

 けれども、自分の代わりに、誰かが手を下せば話は別だ。

 自分は確かにそういった方向へ聡美たちを誘導したかもしれない。けれど、悪いのは実際に

事に及んだ聡美だ。自分は別に、何も悪くない。ただ、そういう方向性もあるよとほのめかした

だけなのだから。

 だが殺人に関与したという事実は、雅弘が思っていた以上に、自身の心へ大きなダメージを

与えていた。



 俺が関わったせいで人が死んだ。仮に優勝したとして、その罪を背負って以前のような日常

生活を送れるのか?



 考えれば考えるほど、憂鬱になる。とりあえず今は、心も身体も落ち着けなくては。考えもなし

に歩いてきたから、ここがどの辺りのエリアなのかすら分からない。雅弘はデイバッグから地図

を取り出そうとして――がさっと茂みが揺れる音がして、顔を上げた。






 自分の体ほどのある幹を持った木々の間、膝くらいの高さの茂みの隙間から、 永倉歩美(女子

10番)
が、立っていた。目の前に誰かがいたという事で若干引きつった顔をしていたが、

それが雅弘だと分かった途端、この場に不釣合いな微笑を浮かべた。

「こんにちは。また会ったわね」

 学校帰りのコンビニで偶然出会ったような、軽い口調で話しかけてきた。

「鈴森くん、一人なの? あそこにいた、他の皆は?」

 柔和な態度で接してきている歩美は、本来ならば警戒を解くべき相手なのだろう。けれどそれ

はきっと、自分以外の他の誰かが、歩美とこうして向かい合っていたらだ。

 雅弘は違った。止まりかけていた冷や汗がドッと流れだした。震えこそは起きなかったものの、

高い緊張感に包まれた。ぴんと張った細い糸が今にも切れそうな、目の離せない緊張感に。



「……お前には関係ないだろ。そんな事聞いて、どうするつもりなんだよ」

「別に。ただ気になったから、聞いてみただけ」

 柄になく、口調が乱暴になってしまった。けれどそんな事は気にしていられないし、向こうもそん

な事は気にも留めていないようだ。

 歩美は相変わらず、一定の距離を保ったまま、人の良さそうな微笑を浮かべている。だがしかし

彼女の”本性”を知る雅弘には、魔女の微笑にしか見えなかった。




 ――クソッ、最悪だ……こんな、頭が回らないときに、よりによってこいつと。




 永倉歩美とは、一時的にではあるが名産品館で立て篭もっていた仲間だった。 昨日のうちに

歩美は一人、グループから離脱したのだが……その別れ際の会話で、雅弘は歩美の素顔を見た。

 彼女は自分と同じ、言葉を使って他人を欺く術に長けた人間だった。 ごまかすためと騙すため

という違いこそあれど、雅弘と歩美は、同じタイプの人間だった。



「私、鈴森くんとはまた会える気がしていたの。だからこうしてまた会うことができて、嬉しいな」

「心にも無いこと言うなよ。嬉しがってる顔には見えないぞ」

「あら、そう? 本当に嬉しいんだけど、伝わらなかったかしら」

 その嬉しいは世間一般に広まっている言葉の意味とは違い、いじめっ子がいいからかい相手を

見つけたときのような、暗い意味を孕んだ『嬉しい』という言葉のような気がした。



「鈴森くん、ひょっとして……あそこにいた皆を殺しちゃったんじゃないの?」

「――違う。殺してなんか、いない」

「本当に?」

「誰が殺人なんかするか。そういうのをしそうなのは真神野とかだろう」

 言ってから、過去に歩美が、自分は嘘をついているかどうか分かる、と言った事を思い出した。

あの時はそれがその場しのぎの嘘だと歩美本人が言ったが、何故今になって、こうしてあの時の

言葉を思い出してしまったのだろうか。本当に嘘なら、気にしなくてもいいはずなのに。



「ふーん。なら、いいんだけど」

 歩美は笑みの上にまた笑みを貼り付けると、ゆっくりと雅弘に近づいていった。

「鈴森くん――まさか、勘違いしてないわよね。殺人は、直接手を下した人もそうだけど、本当に

悪いのは、原因を作った誰かなのよ」

「…………何を、言ってるんだ」

「だってそうじゃない? 単純に考えてもみてよ。誰かがその原因を作りさえしなければ、加害者は

その手を血で染めることもなかったし、被害者は命を落とさずに済んだ。自分は直接関わっていな

いからって無実だと主張するのは、認識能力が欠落している残念な人間の言う事よねぇ。原因を

作ったのが偶発的ならまだしも、意図してそれを起こしたのだとしたら――原因を作った誰かは、

罪を背負う覚悟も、殺人に関係してしまうという度胸もないくせに、そんなことをするべきではなかっ

たのよ。ねえ、鈴森くんもそう思わない?」

 

 雅弘は唾液を喉に落とした。あまりに大きな音だったので、もしかしたら歩美にも聞こえてしまった

かもしれない。

「――何で俺に、そんな事を話す?」

「ううん、本当に、大して意味はないの。ただこれから先、生き残っていくんだったら、どこかで殺人

に関係してしまうことはあると思うの。そういう時に覚悟ができていないで偉そうな態度を取るのは

ちょっと滑稽よね、と思っただけだから」



 こいつ――本当に、嘘かどうか分かっているんじゃないのか?

 もしかしたら、全て見透かしているんじゃないのか?



「ねえ、鈴森くん。本当に人を殺したりはしていないのよね? 自分が手を下したわけじゃなくて、

そういう風になるように煽ったり、とか。聡美ちゃんとか槍崎くんとか、単純そうだからそういうのに

すぐ引っかかっちゃいそうよね」



「――うるっせえんだよ!」

 雅弘は自ら歩美に近寄り、乱暴に胸倉を掴んだ。



「人の事を知ったように喋ってんじゃねえよ! お前が俺の何を知ってるってんだ! 勝手な思い

込みでああだこうだ言われるこっちの身にもなれよ! 適当な事言って俺が慌ててるの見て楽し

んでるのか? それだったら別に俺じゃなくてもいいだろうが! 誰か他の奴にやれよ!」



 雅弘は、感情を剝き出しにして怒鳴った。後先考えず、なりふり構わず、何も考えずに、気持ち

の赴くままに怒鳴った。

 いつ以来だろうか。こんな風に、直情的な行動を取るのは。あったとしても、思い出せないくらい

昔の事なのかもしれない。



「俺の心を見透かしているみたいに好き勝手言いやがって……そういうのが一番頭にくるんだよ!

プログラムだからって何やってもいいと思ってんのか? 自分がそんなに好き勝手やってんなら、

逆に自分が色々と言われる覚悟はできてんのかよ! お前、何様のつもりなんだ!」



 怒りが雅弘を支配する。

 歩美の物言いに、言葉では言い表せないほど苛立っていた。

 何でそうなっているのかは、分かっている。



 まるで――自分自身を見ているような気がするからだ。



 鏡に映っている自分を見るような、自分を自分だと認識したくない、そんな不快感。

 自分はこんな人間じゃない。こんな腐った人間じゃない。違うはずだ、俺とこいつは。

 そんな理由から、歩美をズタズタにしてやりたいという、雅弘には似つかわしくない気持ちが生ま

れているのだろう。何発か殴って、生意気な口を利くことができないようにしてやろうか。



 ああ、もう――何がなんだか、分からない。
 
 自分はどうすればいいんだろう。

 分からない。分からない。

 歩美が何を考えているのか分からない。感情の機微が読み取れない。自分が何をすればいい

のか、分からない。

 誰か教えてくれ。誰か――。




 その時。雅弘の右脇腹に、突然鋭い痛みが突き刺さった。




「――――え?」

 焼け付くような、深い痛み。疑問符を零した後、ゆっくりと頭を下ろして、脇腹を見る。細くて長い

刃物――よく見ると包丁のようなものが、右脇腹に深々と突き刺さっていた。

 歩美が、目を丸くして雅弘を見ていた。よくよく注意するとそれは雅弘ではなく、雅弘のすぐ後ろ

に向けられていた。



 首をゆっくり後ろに回すと、まるで幽霊のようにぴったりと雅弘の背後に張り付いている 茜ヶ崎

恭子(女子1番)
がいた。その右手には柳刃包丁が握られていて、その刃は、雅弘の体内に潜り

こんで半分以上が見えなくなっている。



「恭子……さん?」

 背中にかかる、軽くウェーブのかかった黒髪。細いフレームの眼鏡。すらりと伸びた長い手足。

それらの特徴は、確かに雅弘がよく知る茜ヶ崎恭子のものだった。

 ただ、違っているところも、いくつかあった。白いワイシャツの所々に赤黒い斑点のような模様が

付いており、いつもは柔和な笑みを湛えていた口元は、まるで別人のように引きつっていた。

眼鏡の奥に見える瞳はどこか虚ろで、何かに取り憑かれているようにも見える。



「……ごめんなさい」

 刺し込まれていた包丁が抜かれ、傷口と雅弘の口から、大量の血液が吐き出された。ガクガクと

震え始めた足には、もはや自分の体重を支える力は残っていない。

 湧き出る疑問。何故、彼女が? 少なくとも恭子は、進んで誰かを傷つけたりだとかする人間で

はなかったし、ましてや人を殺そうとするなんて――。



 そこまで考えて、雅弘は自分がとても馬鹿馬鹿しい事を考えているという事に気付く。簡単な事

だった。これはプログラム。最後の一人になるまで、殺しあわなければならないゲーム。理由が

なくても、どこかで誰かを、殺さなくてはいけない。生きるためには。



 回り、歪んでいく視界。地面に足が沈んでいくような感覚を覚え、雅弘はそのままうつ伏せに倒れ

た。まだ五感は残っており、大地の生暖かい温度と、自分の血の熱さ。そして、今まさに背中に突

き立てらた柳刃包丁の感覚が、雅弘の脳を支配していた。



 ああ――やっぱり、あんな事、するんじゃなかった。

 悪い事をしようだなんて、考えるもんじゃ、ない。



 意識が闇に落ちる直前――雅弘は、歩美の顔を見ようとして目を動かした。自分に似た彼女。

似て非なる存在。彼女はこれからどうなるのだろう。死にゆく自分を、どう思っているのだろう。



 それを知ることは叶わぬまま、鈴森雅弘は静かに息絶えた。






 雅弘の最期を看取るや否や、恭子は歩美の方へ振り返り、鋭い目つきで歩美を睨め付けた。

その手には、小型のオートマチック拳銃――ワルサーPPKが握られていた。

「今見たことは忘れるから見逃して……って言っても、聞いてくれなさそうね」

 心臓の鼓動が早まる。自分でもそれなりに度胸はあると思っていた歩美だったが、こうして銃

を突きつけられたのは生まれてはじめてだ。出会い頭ならまだしも、相手はたった今、目の前

で人を殺して見せた。脅しだろうか、なんて考えを念頭に置いておく余裕はなかった。



「動かないで。永倉さん、あなたは誰かを殺すつもりでいるの?」

「今のところはそういうつもりはないわ。人殺しなんて、できればしたくないし。その時がきたら、

仕方なくやるかも……だけどね」

 恭子の襲撃に動揺はしたが、歩美はすかさず冷静さを取り戻し、いつもの立ち振舞いに戻って

いた。



「それより茜ヶ崎さん、あなたって、簡単に人を殺しちゃう人だったのね。鈴森くんをいきなり後ろ

からグサッ、だなんて。それなりに仲、良かったんでしょ? 良心の呵責とか、そういったのは何

もなかったのかしら」

 ただ、歩美の心にいつもほどの余裕がないのは事実だった。自分の言葉が相手にとって挑発

になるのか動揺になるのか。分の悪い賭けはしない主義だが、危機を脱するためにはやむを

得ないと腹を括り、恭子と向かい合うことを決意する。とは言え、隙があったらすかさず逃げ出す

つもりではいるが。



「……無いわけ、ないじゃない。私は自分が正しい事をやっているだなんて、思っていないわ。

けれど私は、死ぬわけにはいかないの。生きて帰らないといけないから……そのためだったら、

間違ったこともしてみせる」

 恭子は数泊の沈黙を置いた後に、ゆっくりと自分の言葉を切り出した。

「許してほしいとは思っていない。恨んでくれて構わない。それでも私は、生きたい」

 抑揚を抑えた声だったが、その言葉の端々には、殺人を犯すことに対する覚悟が明確に篭め

られていた。嘘偽りのない、自身の心をそのまま吐露した言葉だった。



 何かを言おうと口を開きかけた歩美。その動作と火薬の炸裂音が重なり、歩美の後ろに立って

いる木の幹に、小さな弾痕が穿たれた。
 
 恭子が握っている拳銃の銃口から、硝煙が立ち昇っていた。単純にして明確な殺意表明に、

歩美は背筋を冷や汗で濡らした。



 威嚇射撃なのか、それとも当てるつもりだったのか分からない。分からないが――これ以上

ここにいても、自分にとって不利益なことしか起こらないだろう。それに、恭子の意思を崩すの

は簡単なことではなさそうだ。



 そう判断した歩美は恭子に背を向けて、先程自分が現れた茂みの向こうへ逃げ出した。

 恭子は再びワルサーを構えた。両手でしっかりと握り、狙いを定めて、パン、パン、パンと3発

撃った。しかしどれも歩美には当たっていなかったようで、歩美は速度を緩めることなく、森の奥

へと消えていった。






 歩美がいなくなってからもしばらく、恭子は銃を構えたままだった。やがて思い出したかのような

動きで銃を下ろすと、何度か深呼吸をした。

 桧山有紗の物だった拳銃、ワルサーPPK。小型の銃だし、反動も思ったより小さかった。だが

やはり、ぶっつけ本番で撃っても当てることは容易ではなさそうだ。ましてやそれが、動く相手が

標的だったらなおの事だろう。



 恭子は背中に柳刃包丁が刺さったままの、鈴森雅弘の死体に目を移す。銃が手に入って多少

は楽になるかと思ったが、銃に頼りきり、というのもダメなようだ。不意打ちに限って言えば、扱い

やすい武器の方がいいのかもしれない。

 ワルサーをしまって、雅弘の背中から柳刃包丁を抜こうとした恭子は、自分の手の平を見つめ

た。そこにはまだ、有紗を殺したときの感触も、雅弘を殺したときの感触も、しっかりと残っていた。

 これが、生きるための代償。これをこの先も背負っていかなければならないのだろうか。それは

自分には重過ぎる。耐えられるかどうか、分からない。



 それでも、生きて帰るためには、もう後戻りは出来なかった。恭子は泣き出したい気持ちを必死

に抑え、包丁の柄に手をかけた。



男子8番 鈴森雅弘   死亡

【残り15人】




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