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 黛真理(女子13番はテーブルに腰を下ろし、カーテンの隙間から窓の外を見ていた。ほんの数時間前までは黒

一色の景色しか見えなかったが、今ではこの建物を守る城壁のように立っている雑木林が確認できる。空はすっかり

と明るくなり、腕時計の針は午前7時を回ったところだった。



 いつもならあっという間に過ぎ去ってしまう夜が、永遠に続くのではないかと感じられた。明けない夜はなく、覚めな

い悪夢はないように、このプログラムも何かの間違えであったのならばどんなに幸せだっただろう。

 暖かい陽光が差す雑木林の中から、鳥のさえずりの音が聞こえてきた。木の葉が揺れていないから、風は吹いて

いないのだろう。どうやら今日も暑くなりそうだった。

 冷房の効かない名産品館の中はぬるま湯のような篭った空気が漂っている。もうそろそろ夏本番という時期だ。冷

房がない状況下で風が吹いてこないという事は、自分たちにとって死活問題になりかねない。

 真理は制服の白いワイシャツのボタンを一つ外し、手を扇いで胸元に空気を送った。頭がぼんやりし、何だか気分

も優れない。といっても気分が優れない理由は、暑さ意外にもあるのだが。



「よう、随分早起きじゃないか」

 ふと、聞き覚えのある若干低めの声が耳に届いてきた。真理がワイシャツのボタンをとめて振り向くと、片手に水が

入ったペットボトルを持ち、片手にはいつものように煙草を持っている鈴森雅弘(男子8番) の姿がそこにあった。

 真理の目は、雅弘が持っている政府支給のペットボトルに向けられる。

「それ、ちょうだい」

「自分のがあるだろ」

「一口だけでいいから。ね、お願い」

「おいおい、勘弁してくれよ。俺のだって残り少ないんだから」

「一口くらいいいじゃん」

「自分のを取りにいけよ」

 そう言いつつ、雅弘はペットボトルを真理に差し出した。それを受け取り、約束どおり一口だけ水を口に含む。冷蔵

庫でキンキンに冷えた水ではないけれど、嚥下した瞬間に、自分の体の中に水分が染み渡っていく感覚がした。思わ

ずふぅ、と息をつく。「ありがと」と言ってペットボトルを雅弘に返した。



「間接キス」

 そう言ってやると、雅弘は一気に顔を赤くして、視線を落ち着きなく宙に彷徨わせる。

「いや、俺は別にそんなつもりじゃ」

「分かってるわよ。あんた、変なところでウブだよね」

 普段は饒舌なくせに、この手の話になると雅弘は決まってこういう反応を見せた。首から上に関しては自信がある

とか変なことを言うくせに、今時生娘でも見せない純情な反応をしてみせる。鏑木大悟(男子5番) が、「道流につい

て行ってナンパでもしたら鍛えられるんじゃないか?」なんて言ってからかっていたっけ。



 その大悟も、先程の放送で名前を呼ばれていた。親しい付き合いをしていた友人の名前が呼ばれたのは始めて

だったのに、思ったよりもショックを受けていない自分がいた。彼が死んという事が現実味を帯びていないのか、

それとも人の死に慣れてしまったのか。できることなら、前者であってほしい。

「冗談でもそういう事言われると反応に困るんだって」

 雅弘は苦笑しつつ、ポケットの中から煙草を取り出して口に咥えた。ヘヴン・スター。煙草の銘柄にはそれほど詳

しくない真理でも知っている、ワイルドセブンと並んで大東亜の煙草の代名詞と言える煙草だ。

 雅弘がライターを探している間、真理はその灰色のパッケージをじっと見ていた。真理にとって煙草といえば

道流が吸っているメタリックブルーのパッケージの印象が強いので、こういったいかにも煙草です、といったパッケ

ージをまじまじと見るのは新鮮な体験だった。



「あ、悪い。今は吸わないほうがいいか?」

「え? 何で?」

「いや、だって窓閉め切ってるじゃん。空気淀みそうだし」

  当たり前のことだが、真理たちが立て篭っている名産品館は全ての窓、扉がきっちりと施錠されている。カーテン

もかけられており、外からこちらの様子は一切分からないようになっていた。

 頻繁に窓を開けれないという事はつまり、換気を行う機会が限られてくる、ということだ。クーラーも扇風機も使え

ない7月の気温の中、密閉状態のここは蒸し風呂に近い状態になっていた。

 さすがに何回か窓を開けて換気を行ってはいるが、名産品館の中は生ぬるい空気が漂っていた。こんな中で

煙草を吸えばその煙が空気中に残り、臭いが苦手な人はあっという間に体調を崩してしまうだろう。



「だから、いつもよりも煙草吸ってなかったんだ」

「まあな。本数が少ないからってのもあるけど」

 食料や水とは違い、煙草は政府から支給されない。各人が持っていたものがそのまま使われるわけだが、新品

を持っているというものはいないだろう。喫煙者にしてみたら、煙草も水や食料と同じくらい大切なものに違いない。

 雅弘は煙草を口に咥え、ライターで火を着けた。まだ幼さなさが残る顔立ちの道流と違い、雅弘のその動作は

結構サマになっていた。将来、そういう商売をしたら案外似合いそうな気もする。年上の人からの指名が多かった

りして。



「ねえ、私にも一本ちょうだい」

「はあ? お前、煙草なんか吸ってないだろ」

「だから試しに吸ってみたいんじゃん。前からちょっと気になってたのよね。あんたとか道流とか美味しそうに吸って

るけど、どんな味するのかなー、とか」

 普段の真理だったら、興味本位で煙草を吸いたいなんて絶対に言わなかっただろう。ようやく実力がついてきた

剣道の練習の妨げにもなるし、いくら周りで吸っている人がいるとはいえ、自分はまだ未成年だからという、おきま

りの理由もある。

 そう、以前の真理なら、こうは思わなかった。自分の命があとどれだけの続くのか分からないから、していなかった

事は今のうちにやっておきたかったのかもしれない。



 雅弘は何かを言おうとして口を開いたが、しばらくの沈黙の後、黙って自分の煙草を差し出した。賢しい雅弘の

ことだ、もしかしたら、真理が無意識のうちに思っていたことを察したのかもしれない。

「ありがと」

「吸い方は知ってるか?」

「うん。前に道流に聞いたことあるから」

「じゃあ、特別サービス」

 雅弘はそう言って、火の点ったライターを真理の前に差し出した。


 ――うわ、マジでこういう事すんの?


 テレビとか漫画とかではよく見る光景だが、実際に自分がやることになるとは思っていなかった。やる立場になって

分かったが、これは思っていたよりも、恥ずかしい。

 躊躇っていて恥ずかしがっていると思われるのも嫌なので、真理は思い切ってライターの火に煙草を近づけた。

煙草の先端が赤く点り、白い巻紙がじりじりと焦げていく。





「……………………がはっ! げほっ、ごほっ!!」

「あーあ……ほら、だから言わんこっちゃない」

 予想通りの反応だったのか、雅弘は用意していたペットボトルを真理に差し出した。真理はそれをひったくるように

掴み取り、先程のような遠慮は見せずに一気に水を嚥下した。

「な、なに、これ! 死ぬかと思った!」

「いや、そりゃ大げさだろ」

「あんたたちバカよバカ! もう大バカ! 信じらんない、こんなもん吸ってるだなんて!」

 よほど煙草が合わなかったのか、真理は吸い込んだ煙を全て吐き出すように、ごほごほと大きな音を立てて咳を

した。



「吸ってみたいって言ったのはお前なんだけどな――っていうかさ」

 途中で少し言葉を切って、雅弘は吸っていた煙草の煙を吐いた。もちろん、真理には向けずに。

「道流にそういうの頼んだこと、ないの?」

「……まあ、吸ってみたいなって思ったことは何度かあるけど……あいつには、言いたくなかったのよ」

 真理はそれだけ言って、口を閉ざした。その様子を見て雅弘は眉を寄せる。道流と真理の二人は幼馴染らしいし、

普段から親しげに話をしている。道流は女性に対しては割りと軽い性格だが、そういうのを抜きにしたら、 村崎薫

(女子15番) か真理といるところを目にする機会が多い。



 これはやっぱり、そういう事――なのだろうか。幼い頃から一緒にいる男女が、やがて思春期になり相手を意識

するようになる。少々ベタすぎる展開ではあるが、起こりえる可能性は充分にあるだろう。

 他人の恋愛事情なんてそれほど興味もなかったし、ましてや男勝りな真理にそういった対象がいるとは思えなかった

ので、今まで真面目に考えようとはしなかったが――。

 しかし、かといって追求する気にはならなかった。憶測の域を過ぎないし、言ったところで本当の事を口にするか

なんて分からない。それに、もっとも可能性が高いのは言葉ではなく拳が飛んでくることだから、勝率の低い賭け事に

手を出す気にはならなかった。勝って得られるものが好奇心の答えでは割が合わなすぎる。



「うー……まだ口の中が変な味がする。ちょっと口をゆすいでくる」

 雅弘が差し出したペットボトルを再び彼へ返し、真理は荷物が置いてある事務室へ向かって歩いていった。

「――まあ、気をつけてな」

 真理を見送る雅弘の目は、言葉とは裏腹にひどく冷め切った目をしていた。






 自分のデイバックが置いてある事務室の中へ入ると、「おはよっ」という元気のいい声が真理を出迎えてくれた。

「黛さん、ちょっとは寝れた?」

 部屋の中では声の主である槍崎隆宏(男子16番) が、床の上でストレッチのようなものを行っていた。

「うん、おかげさまで」

 本当は全然寝ていないのだが、正直に言って彼らに心配をかけるのも気が引ける。

「っていうか槍崎くんや安川さんの方こそちゃんと休んだ? 私が言うのもなんだけど、寝れる時に寝ておかない

と、後々キツくなるよ」

「寝たいのは山々なんだけど、なかなか寝付けなくて。あーあ、こんな事になるなら自分の枕を持ってきておけば

良かった」

「枕? 何で?」

「いや俺、枕が変わると寝れなくて……ってこんな事わざわざ説明させないでよ。恥ずかしいじゃん。そもそも

冗談なんだし」

 それで、少しだけ和やかな空気が流れた。しかし隆弘とは普段の学校生活においてほとんど接点がなかった

ため、談笑するまでには至らない。すぐにまた、部屋の中に沈黙が舞い降りた。



 真理がこの名産品館に来てからしばらく経つが、これといった進展は見られない。皆で今後の事を話し合った

りもしたが、結局、この状況を打開する名案は浮かばなかった。とりあえず皆がちゃんと休めるように、交代で

見張りを立てておこう、という話を雅弘が持ち出し、その意見を取り入れることにはなったのだが。

 自分でこれだから、プログラム開始間もないころからいる他の人はもっと疲弊しているんだろうなと、真理は

部屋の隅で膝を抱えて座っている安川聡美(女子17番)を見て思った。彼女は時折自分の事を見たりするが、

それ以外の時は虚空を見つめている。たまにその目元が、怒りに震えているかのようにぴくぴくと動く時があった。



 ――何か企んでいるかもしれない。というより、やる気になっているかもな。



 数時間前に、雅弘が言った言葉が脳内に蘇った。

 やる気になっている? この二人が?

 雅弘からそれを聞いたときに真っ先に浮かんできたのは、恐怖や混乱よりも疑問だった。何故? という、

ごくごく単純な感情。何故、二人がやる気になっているんだろうと、この状況下では考えるのも馬鹿らしいくらい

に当り前なことを、疑問に感じてしまった。



 生き残りたいから。死にたくないから。



 それは真理も同じだった。けれど、だからといってクラスメイトを手に掛けようとまでは思わなかった。

以前に中山博史(男子11番)と戦った時は相手の事が憎かったし倒したいとも思ったが、殺そうとまでは

考えなかった。

「安川さん、具合とか大丈夫?」

「……うん、平気」

 会話はそれ以上続かなかった。場の空気を変えようと明るく振る舞った真理の態度も、この状態では逆に

浮いてしまう形となった。



 ――まあ、雅弘の勘違いって事もあるかもしれないしね。

 少しずつだが、腹の中でふつふつと湧き上がってくる苛立ちを、ポジティブな思考で封じ込めようとした。

しかし意識すればするほど、彼女は自分を殺そうと何か画策しているのではないか、と勘ぐってしまう。

 明らかに好意的ではない、何か黒い感情を孕んだ眼差し。隆宏に見せる、少し高圧的な態度。しまいに

は声のトーンなどという普段は気にもしないところまで。彼女の見せる言動全てに、何か裏があるのでは

ないかと思ってしまう。



 これは真理の勝手な推測なのだが、聡美はここにいる全員を敵視しているというわけではなく、何故か

自分ひとりを激しく敵視しているような気がした。隆宏には高圧的な態度こそ見せるにしろ、自分から話

かけに行く光景も見られるし、雅弘においては、会話の端々に微笑みまで見せるほどだ。

 何か、聡美に嫌われる事でもしてしまったのだろうか? 彼女たちと合流してからの自分の言動を振り

返ってみるが、ここまで嫌悪される理由が思いつかない。

 

 真理は口をゆすぐために自分のデイパックからペットボトルを取り出す。その横で隆宏が欠伸をしなが

ら、大きく伸びをした。

「朝になったし、そろそろ何か食べようかな」

 そう言って隆宏は立ち上がり、雅弘がいるエントランスホール(商品売り場のようなものだ)へ向かおう

とする。

「え? ここって何か食べられるものでもあるの?」

「一応、名産品館って事になってるから、地元の名物がいろいろと置いてるみたいでさ。冷蔵庫が使えない

から生物はみんなダメになってるけど、煎餅とか乾物とか、まだ食べれるものはいくつかあるよ」

「えーっ、何それ! 行く行く、私も何か食べる!」

 プログラムが始まってからというもの、口にしたのは政府支給の水とパンだけだった。それ以外の食べ物

を口に出来ると知り、真理のテンションは一気に上がる。



「あまり期待しないでよ。そんなにいい物はないんだし」

「――槍崎くん、真理ちゃんが来てから元気いいよね」

 誰に言うわけでもなく、独りごちるような、張りのなく暗い調子の声が、唐突に聞こえてきた。

 真理と隆宏の二人が声の主である聡美へ視線を移すと、自虐的なような、嘲け笑っているような、そんな

複雑な笑みを浮かべた聡美がそこにいた。



「別に、そんな事ないだろ」

「ふーん、そっかぁ。槍崎くん、私や歩美ちゃんの前じゃあそんな嬉しそうにしている事なかったから、てっきり

何かあるのかと思ったんだけど……。ごめんねー、私の勘違いだったみたい」

 両膝を抱えて、いかにもわざとらしい抑揚のない声で応える。

「何だよ、その言い方。俺が何かしたってのかよ」

 隆宏は一瞬怯んだ様子を見せたものの、強い口調で反論した。怒りか、はたまた別の感情からなのか、

彼の顔には赤みが帯びている。



「したっていうか、態度があからさまじゃない。私が気付かないとでも思ってんの?」

「ほんと、何言ってんだよお前。訳の分からない事を次から次へとさ。――行こうぜ、黛さん。こんな奴と

話していても時間の無駄だ」

「え? でも――」

「いいんだよ、しばらく放っておこう。安川だって疲れてるんだ、一人にしておいたほうがいいさ」

 二人はしばらく無言で睨み合った後、隆宏は「それじゃ」とだけ言って聡美に背を向けた。まだ興奮に

こわばった動きで、エントランスホールへと歩き出す。



「何よ、都合が悪くなると逃げるの? 本当のことじゃんか!」

 聡美の声が後から追いかけてきたが、隆宏はあえて無視をした。勢い任せにドアを開け、部屋から

出て行く。真理は聡美に声をかけるかどうかで悩んでいたが、結局何も言わずに、隆宏に続いて部屋

を後にした。


【残り18人】


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