76
夜、眠るのが怖かった。
目を瞑るたび、目の前で連れ去られていく妹の姿が蘇ってくる。
忘れたくても忘れられない過去。過ぎてしまったが故に、もうどうする事もできない現実。
真っ暗な部屋でただひたすら天井を見つめながら、自然と眠るのを待つしかなかった。眠れても、あの時の事を夢に見て
しまうこともある。
強くなりたいと思った。強く生きたいと願った。
あの時に比べたら、今の自分は確かに強くなっていると思う。
けれどまだ、足りない。
あの時に望んだ強さには、まだ――。
木々を超えてもうすっかり高いところまで昇ってしまった太陽を目にし、渡良瀬道流(男子18番)
は眠たそうにあくびをし
た。夜とはいえ7月の気温はそれほど低くならず、汗が染み込んだワイシャツはべたついて不快なままだ。
村崎薫(女子15番)、佐伯法子(女子6番)
の2人が隠れている横穴に目を移して以上がない事を確認すると、道流はポ
ケットから煙草を取り出した。口に咥え、ライターで火をつけて深く息を吸う。トレードマークである水色のサングラスをつけ、
朝の空気に混じっていく煙を見つめた。
薫と法子の両名と行動している道流は、2人が隠れている横穴の見張りを行っていたため、昨夜は一睡もしていなかっ
た。交代制にしようと薫が申し出てきたが、怪我人である彼女をそんな役目に就かせるわけにはいかないし、何かあった時
に対処ができると言って、自分がその役目をかって出た。
「みっちゃん、ずっと起きてたの?」
ぼさぼさの髪を手で整えながら、薫が横穴の中から顔を見せてきた。
「心配すんな。ちょっとは寝てる」
「もうすぐ放送でしょ? 私が聞いているから、中で休んでなよ」
「平気だって。俺もちょっとは休ませてもらったからよ」
そう言って道流は手を振り、薫に横穴の中へ戻るよう促した。道流としては怪我人である薫に無理をさせたくなかっただけ
なのだが、薫は不機嫌そうに顔をしかめ、道流の横に腰を下ろした。
「おい、中で休んでろよ」
「大丈夫。おかげさまでぐっすり寝れたから」
「怪我してんだろうが」
「治った」
「……頭沸いてんのか」
溜息混じりに、煙草の煙を吐き出す。赤く腫れた顔でそんな台詞を言っても説得力がないだとか、そんな簡単に治るかと
か色々とツッコミたいことはあったが、それ以上何も言わなかった。言ったとしても、今の薫が自分の言う事を素直に聞くと
は思えない。
「しかしまあ、ひっでえ顔になったもんだ」
「ちょっとー、女の子にその台詞はないんじゃない? みっちゃん、デリカシーゼロだね」
「女の子ねえ」
道流は肩を揺らして笑った。
「そういうのはせめて恭子さんとか、有紗くらいになってから言えよ」
「う……。あの二人を比較に出されるときついんだけど……っていうかやっぱり胸か! 胸なのか!」
「んなギャーギャー怒るなって。お前だってほら、その……十年後に期待って感じでいいじゃん」
「それ褒めてもないし慰めているにしてもきつい!」
プログラム中とは思えない、賑やかな会話。まるでここに日常が戻ってきているようだった。
そう、日常そのものだった。薫が笑い、八重歯をむき出しにして怒り、自分につっかかってくる。プログラムでも、道流が
知っている村崎薫という友人はまだ変わらずに、そこにいた。
口で言う以上に、道流は薫のことを気にしていた。クラスの中で仲の良い友人は他にもたくさんいるが、一番気がかりだっ
たのは薫のことだった。
薫は周りに影響を与えやすく、また自身も周りから影響を受けやすい。嬉しい事があれば人一倍喜び、悲しいことがあれ
ば誰よりも深く肩を落とす。感情的という点では自分も薫と同じだが、彼女のそれはさらに突出している。
色で表すならば白だった。他者を惹きつけ、他の色に染まりやすい色。
「俺がこんなことを言うのもおかしいけど、あんまり自分のせいだって思ってんじゃねーぞ。実際、お前はよくやってるよ。
もっと胸を張ってもいいんじゃねえかな」
プログラムが開始され、既に一日が経過している。クラスメイトの死や殺意を向けてくるクラスメイトを前に、薫が何の影響
も受けていないはずがなかった。表にこそ出してはいないが、内側で溜め込んでいるのだろう。
「でも私は、もっと上手くできたんじゃないかって思う。もっと上手くやれば、助けることができた人だってきっといた。私に
もっと力があったら、死なずにすんだ人だっていたはずだよ」
真摯な瞳でそう言う薫を見るのは、複雑な気分だった。
他人を見ている気がしない。自分を見ている気がする。昔の、まだ小さかった自分を。
「私もみっちゃんみたいに強ければいいんだけどね」
「――お前が思っているより、俺は強くねえよ」
少なくとも、自分があの時に思い描いた強さには、まだ程遠い。
人によって意味や定義が違う強さという概念を貪欲に追い求める自分は、果たして本当に強くなっているのか。
自分はまだ、強くない。敗北を繰り返して、今こうしてここにいる。
「そんなことないよ。さっきだって、私を助けてくれたじゃん」
「そういう意味じゃないんだよ。なんつーか……俺が思ってる、理想みたいなもんだな。それにはまだ程遠い」
「……妹さんのこと、だよね」
とても言いにくそうに、道流の顔色を窺いながら薫はその言葉を口にした。
「まあな」
これに道流は一言だけで答えた。道流はそれ以上語ろうとせず、薫もこれ以上聞こうとしない。
道流の家に起きた事件のことは、静海中学校のみならず、その一帯に暮らしている人間ならば誰もが知っていた。
平和な――とまではいかないが、大東亜のどこにでもある地方の街に起きた猟奇殺人。こういったものは大都市にしか
起こり得ないもの、対岸の火事だと思っていた住民たちにとって大きな衝撃を与えた。
衝撃と恐怖、そして好奇心。
初めのうちは事件に対して好奇の眼差しを向けるもの、野次馬根性で寄ってくるものなどが珍しくはなかった。しかし、
時間の経過と共に事件について口にするものは少なくなり、今ではもう、事件そのものがなかったかのような状況になっ
ている。
事件発生から時が経ち、人々場落ち着きを取り戻すにつれ、”これは触れてはいけないものだ”という認識が浸透して
いった。事件そのものをタブーとすることで、自分たちの街はそういった事と無縁なんだという自己催眠のような思い込み
を自らに課し、安心感を取り戻していた。
誰もが知っているが、誰もが口にしようとしない事件。その当事者である道流に、滅多な事など聞けはしない。
「情けないと思うか? いい男がもう何年も前の事をグダグダと引きずって、ろくでもない生き方をしている」
「そんな事……」
「たまに、これでいいのかって思うときはあるよ。けれどこうでもしないと、妹と正面きって向き合えない気がするんだ」
サングラスの奥で眼を細めながら、道流は静かに呟いた。
「強くなるって言っても地球最強になるとかそんなとんでもない事は考えてないさ。ただ俺は、もしまたあんな事が起きたら
その時はちゃんと救うことができるような、それぐらいの力が欲しいんだよ。それがどれくらいの強さなのかは分からない
けど、今の力じゃあ、俺はまだ自分で納得できない」
自分の掌に目を落とし、道流は寂しげに言葉を紡いだ。薫はただひたすら沈黙し、道流の言葉を聞いていた。彼の語る
正直な気持ちを、心に染み込ませるように。
「現に今だってそうだ。俺にあの時望んだくらいの力があれば、最初のホテルのときに政府の連中を全員ぶっ飛ばして
プログラムなんかぶっ潰すくらいの事はできたはずなんだ。いくら周りから強い強いって言われていても、結局俺は昔と何
も変わってないんじゃないのか――あの時みたいな事があってもまた何もできないんじゃないのかって、そう思っちまうん
だよ」
渡良瀬道流は、どんな相手でも負けない最強の存在。自分たちとは違う人間。そういうイメージが、道流にはあった。
だけど違った。道流も自分たちと同じように悩み、苦しみ、涙する、普通の中学生――自分たちと変わらない、十代の
少年なのだ。確かに他人とかけ離れている点はあるにしても、基盤になっている部分は同じだった。
「悪い。愚痴っちまった」
そう言って薄っすらと笑う道流を見る限りでは、年相応の男子中学生にしか見えない。
「ううん、気にしてない。というか、何か嬉しいかも。みっちゃんとはそれなりの付き合いだけど、あまり自分の事とか喋らな
かったから……だから、みっちゃんの事を知れたのも嬉しいけど、私に話してくれたってのも嬉しい」
「恥ずかしい事言ってんじゃねーよ、馬鹿」
道流は薫から顔を背け、彼女の肩を軽く小突いた。
「ねえ、もしも……もしもだよ。私とみっちゃんが最後の二人になったら……みっちゃんは私を殺すの?」
「殺さねえよ」
迷いなく道流は答える。その声には、若干の怒りも含まれていた。
「俺は殺さない。お前も、誰も殺すつもりはない。真神野みてえにぶっ殺したい野郎もいるが……けどまあ殺しはしねえだろ
うな。動けなくなるくらい叩きのめすだけだ。つーかお前、俺がお前をどこかで殺すとでも思ってたのかよ」
「ううん、違うよ。みっちゃんの事を疑っているとか、そういう事じゃないの」
薫としてもそんなつもりはなかった。道流にはプログラムの中でもそうだが、日常の中でも数えきれないくらい助けてもらっ
ている。クラスメイトの中で誰と行動を共にしたいかと聞かれたら、道流か琴乃宮涼音(女子4番)
の名前を挙げるだろう。
至る所で迷惑をかけてしまったが、道流は文句を言いつつも自分の側にいてくれた。だからこそここで聞いて、彼の真意
をはっきりさせておきたかった。
「みっちゃんは優勝しようと思えばこのプログラムで優勝できると思う。けど、みっちゃんはそれをしようとしないでしょ?
私もそうだけど、人を殺すなんて絶対に嫌だから。だけど自分の命か他人の命か、どちらかを選ばないといけない場面は
きっとくると思う。そしたらみっちゃんは、どうするの?」
返答によってはこの関係が崩れかねない、自分の命にも関わってくる質問だった。
無意識のうちに考えないようにしていた。それに触れてしまったら道流との関係が崩れてしまい、目の前の人物を自分が
知っている渡良瀬道流として認識できなくなってしまうのではないか。
道流の事を疑い、恐れ、そして敵意を向ける自分が生まれる事が怖かった。
けれどそれは、いつかどこかで直面しなくてはいけない事だった。知りたくなくても、いつか知ってしまう時が来る。逃げて
はいられなくなる時が来る。
ならばせめて、彼の口から直接聞きこう。例えそれが嘘だったとしても、彼の口から直接、その気持ちを聞くべきだ。
しばらくの沈黙の後、道流は煙草を咥え、考え込むように俯いた。そして顔を上げ、煙を吐いて答える。
「分かんねえんだ……どうしたらいいのか、どうすればいいのか……」
まるで許しを請うように、躊躇いがちに言葉を零している。道流のこんな姿を、薫は初めて見た。
「プログラムが始まってからずっと考えてた。あのとき妹を助けられなかったのなら、俺はここで誰かを助けていこうって。
けど全員を助けたくても助けられないし、俺が助けた奴が他の誰かを殺す可能性だってある。そしてお前が言った通り、
俺はどこかで自分と相手、どちらかの命を選択しなきゃいけない時がくるんじゃねえかって。その時にどうすればいいのか、
俺はどうするのか……ずっと考えてた。でも、答えは出てこないんだ。答えを出すのが怖いんだ。結局俺も人を殺しちまうの
かって、誰かを助けるなんて事を言っていても結局は自分の命が一番大切なんじゃないのかって……今まで見ようとして
こなかったもの、逃げてきたものを見なくちゃいけないようで、すげー怖くなるんだ」
言い終えて、道流は溜息をついた。何だか、物凄く自分らしくない事を言ってしまった気がする。自分のことを強いと思って
頼ってくれている奴の前で弱音を吐くなんて。それもよりによって、薫の前でだ。
「みっちゃんは逃げてなんかいないよ。私が知っている誰よりも、ちゃんと立ち向かって生きていると思う」
気分が落ちている影響か、薫の言葉に少しだけ苛立ちを覚えた。知ったような口を――と言おうとしたところで、薫が先に
言葉を続けた。
「誰だって傷つくのは怖いし、逃げちゃう時だってあると思う。でもみっちゃんはそれをどうにかしようとしてるでしょ? もう
ダメだって完全に諦めないで、いつかはどうにかしなきゃって思ってる。それって、すっごい事だと思うよ。私はそういうみっ
ちゃんが好きだし、これからも、そういうみっちゃんでいてほしいな」
年相応の子供っぽい笑みを浮かべながら、薫が言った。道流を励まそうとしているのだろう、精一杯の元気を出して笑っ
ているのが分かった。
目の奥が熱くなる感覚がした。――泣こうとしているのか、俺は。ははっ、冗談にもならねぇ。
心が動かされるとは、こういう事を言うのだろう。肩の力が抜けて、身体が軽くなって、視界がクリアになり、胸が熱くなって
いた。
あの時望んだ強さには、まだ辿り着けていない。けれどこれから、辿り着ける気がする。その強さがどういうものなのかは
まだ分からないが、道流はそれに少しだけ、近付けたような気がした。
しかし――どういう気があるか知らないが、男に面と向かって”好き”とか言うか? フツー。
考え込むふりをして顔を俯ける。薫を直視したら意識してしまいそうだ。
「……さっきの答えだけど、今は言えねえ。つーかさ、自分でもどうするのか決められてねえんだ」
「うん」
「けど決めたら、その時はすぐに言う。約束する。だからお前の事を裏切るだとか油断しているところを殺そうとするだとか、
そういうのは絶対しねえ」
「うん、分かった」
「さっきも言ったけど、愚痴っちまって悪いな」
「遠慮しないでよ。私とみっちゃんの仲じゃん!」
道流が照れたように笑い、もう一度口を開きかけたところで、どこからかスイッチの入る機械音が聞こえてきた。
『あー、あー……それではこれから、定時放送を始める。プログラムも今日から二日目に突入だ。各自、今まで以上に気を
引き締めて臨むように』
拡声器を通じて聞こえてきた声は、これまで放送を行ってきた三千院零司のものではなかった。彼よりも語気が弱く、
緊張しているのではないかと感じさせる義務的な声だった。
『なお、三千院教官は現在不在のため、代わりに私が定時放送を行う。放送は一度しか流さないから、各自しっかりと聞い
ておくように』
「不在って、何かあったのかな?」
「さあな。見当もつかねえけど……プログラムの進行にかかわる放送を他の奴に任せるって事は、他にそれなりに重要な
仕事が入ったってことじゃねえか?」
道流はデイパックから地図と名簿を取り出し、放送を聞く準備をしていた。向こうにどんな事情があるのかは知らないが、
あの高圧的な声を聞かなくて済むのは嬉しい事だ。
『まずはこの六時間で死亡した生徒の名前を発表する。男子は5番の鏑木大悟、12番の二階堂平哉。女子は2番の宴町
春香、12番の辺見順子、16番の矢井田千尋。以上の5名だ』
え……?
本来ならば聞くのも躊躇われるはずだった放送なのに、その一部分だけが、やけに鮮明に薫の耳に残っていた。
ぜんまい仕掛けの機械のようにゆっくりと道流の方を向く。道流もまた薫の方を向いていて、二人の視線がぶつかった。
「今……大悟の名前、呼ばれなかった?」
放送は禁止エリアの発表に入ろうとしていたが、二人は視線を硬直させ、動けずにいた。正面にいるはずの道流の姿が
ぼやける。輪郭が揺れ、視界が揺れてくる。頭の中は、パニック状態だった。
「ねえ、今の、嘘だよね? 大悟が――大悟の名前が、呼ばれたなんて……」
「呼ばれたよ……あいつの、名前」
「だって、だって……大悟だよ? 学校にいた時あんなに元気だったし、あいつあれでも、結構頼りになったし……私だって
何度か助けられたことあったし、それに――!」
「落ち着け、薫」
道流はうわ言のように繰り返す薫の肩を両手で掴み、彼女の顔を間近からしっかりと見つめた。
「大悟の名前は呼ばれた。あいつは、死んだんだ」
「そんな……そんなの、嘘だよ……何で、何であいつが死ななきゃいけないの? 私まだ、あいつに会ってないんだよ?
言いたかった事だって、まだ、たくさん――」
道流の服を掴み、彼の胸に顔を埋めた。喋っているうちに感情が込み上げてきて、堪えきれなくなった。
流れ出た涙は薫の頬を、道流の服を濡らしていく。頭上から禁止エリアを告げている放送の声が聞こえていたが、道流
は黙って薫の身体を引き寄せ、茶色に染められた髪を優しく撫でた。
大悟は、春日井洸(男子4番)
と仲が良かった。同じバスケ部だし、親友というよりは良きライバルといった感じではあっ
たが、根底的な部分では互いに信頼し合っていた気がする。
出発の順番こそかなり離れているものの、あの二人は共に行動しているものだと思っていた。だが先程の放送では、洸
の名前は呼ばれなかった。行動を共にはしていなかったのか、一緒にはいたが何らかの理由で大悟だけが命を落とした
のか。あるいはもっと別の、出来ることなら考えたくない理由なのかもしれなかった。
心のどこかで、皆は大丈夫だと思っていたのかもしれない。薫が親しくしているクラスメイトは一癖も二癖もある連中ばか
りで、そう簡単には名前を呼ばれたりしない。ひょっとしたらばったりと再会することができるのではないかと、楽観的に考
えていた部分があった。
プログラムは日常ではない。自分が今まで生きてきた世界の考え方や常識が通用するようなところではないと、この目で
見てきたはずだったのに。
「みっちゃん」
放送のノイズが消え、元の静けさが戻った空気に嗚咽交じりの声が乗る。
「私、みんなを捜しに行く」
「どこにいるのか分かんのか?」
「分かんない。けど、ここでじっとしているのは嫌。会えないうちにみんなが死んじゃうのは、もっと嫌」
自分以外の全てが敵と言ってもいいプログラムにおいてこの発言は、聞く者が聞いたら失笑を禁じ得ないものだろう。
しかし道流は笑いも反対もせず、短く「そっか」とだけ言い、薫の頭をぽん、と軽くはたいた。
「ならとっとと支度しな。あと佐伯も呼んできて、すぐにでも行くぞ」
「へっ?」
「あれもしたい、これもしたいって我侭なお子様には保護者の同伴が必要だろ?」
短くなった煙草を地面に押しつけて消し、 荷物をデイバッグにまとめて佐伯法子がいる横穴へ向かおうとした。
「私ならもう、準備できてるよ」
横穴に入ろうとした道流の前に、まるでこの時を見計らっていたかのようなタイミングで法子が姿を現した。その手には自
分のものと、薫の分のデイバッグが提げられている。
「何だ、お前ももう起きてたのかよ」
「んー……というよりは薫ちゃんと同じくらいには起きていたんだけどね。二人が仲良さそうにしていたから、お邪魔かなと
思って出なかった」
「「はぁ!?」」
薫と道流の声が、ぴったりと重なった。
「ど、どこから見てたのっ!?」
「最初から。放送、私がちゃんと聞いておいたから安心してね」
そう言って、会場の地図を二人に見せつけるようにして広がる。確かに自分たちの地図には記されていない、A−02、B
−01、D−02エリアが、それぞれこれから正午の放送までに追加される禁止エリアとして書かれていた。
「ほんと? ありがとう! ……じゃなくて! お願いだからさっき見たことは忘れてー!」
「別に気にしなくてもいいのに。私はそんなに気にしていないんだし」
「法子ちゃんが気にしなくても私は気にするんだけど!」
成り行きとはいえ道流に抱き寄せられたことを思い出し、頬を赤らめる。あの場面を見られたという事もそうだが、同年齢
の異性と体を密着させたという事がとてつもなく恥ずかしかった。
その相手である道流も頬を赤らめ、バツが悪そうな表情で俯いていた。弁解をしようとして言葉を選んでいるが、上手く
言葉が出てこないという感じだった。
「ちょっと、みっちゃんも黙ってないで何か言ってよ!」
「うるせえ馬鹿! 俺を巻き込むな! だいたい、勝手にピーピー泣き出したのはお前だろうが!」
「ピーピーって何よー!」
「ピーピー泣いてただろうが実際によぉ!」
「そんな事言ったらみっちゃんだって弓削くんみたいにダウナーオーラ全開で愚痴ってたじゃん!」
「てめえそれ以上言ったらぶっ飛ばすぞコラァ!」
ここがプログラム会場と言う事も忘れ、二人は感情を剥き出しに声を張り上げる。道流は何かあっても自分でどうにかでき
る自信があるが、薫に至っては完全に後先を考えずの行動だった。
学校生活で日常的に見ている光景をプログラムにおいてこうして再び見れるとは思っていなかった法子は、このまま傍観
者の立場を貫こうとしていた。止めてよと言えば止めるし、何も言われなければ何もしない。基本的に、自分から選ぶという
事はしないのが佐伯法子だった。
そして、この場に生じた異変にいち早く気がついたのも法子だった。
いち早く気づきはしたが、気付いたところでどうする事も出来なかった。
針の穴を通すような正確さで投擲されたスローイングナイフは口喧嘩をしている薫と道流の間を銀色の軌跡を残して通り
抜け、その先にいた法子の顔と首に突き刺さった。
一歩、二歩とたたらを踏み、頭ががくんと垂れ下がったのを合図に膝から地面へ崩れ落ちる。身体が小刻みにピクピクと
痙攣しているが、立ち上がることはおろか声を出すことすらなかった。
「え…………?」
薫はまだ事態を呑み込めないでいた。視界に入った銀色の閃光。連続して聞こえた、がつっ、という鈍い音。顔や首から
銀色の棒を生やして、電池の切れたロボットのように倒れた法子。
耳元で深山真冬の声が聞こえる。薫、右だ。あの男が来ているぞ、と。
「作戦会議をするのは構わないが、もう少し声を落とした方がいい。まあ、おかげで多少手間は省けたが」
視線の先にいたのは、担当教官の三千院零司だった。
女子6番 佐伯法子
死亡
【残り18人】
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