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 不快な粘着感と、鉄錆の味が広がる口腔。吐く息の熱さと、身体の中で警鐘のように鳴って

いる心臓。つい先程まで自由に動かせていた身体は、今では指先を動かすのでさえ億劫だ。

まるで、鉛でできた服を着ているかのように。

 堪らなく鬱陶しい感覚。しかし何故だろうか。朦朧とする意識は途切れず、震えを通り越し、

もはや力の入らなくなった足で、鏑木大悟(男子5番)は立っている。

 体を横一直線に斬られ、左腕は皮一枚の状態で繋がっている。着ている服は流れ出た血

で斑模様になっていた。

 

 しかしそれらの感覚は、もはや大悟の意識の切り離された所にあった。――いや、切り離し

たと言ったほうが正しいだろうか。

 大悟の意識は今、霧がかかったようにぼんやりとした視界の中に立っている、春日井洸(男

子4番)に集中していた。

 

「正直なところ、微妙な心境だ」

 小太刀を拾って向き直った洸が、やはり落ち着いた声で言ってくる。

「お前が立ち向かってきてくれるのは嬉しい。けれど、お前がそんな状態になっているのは嬉

しくないな」

「人をぶった斬っておいて、勝手な事言ってんなよ」

 言葉を発した瞬間、両足から一気に力が抜けて体ががくん、と揺れた。崩れ落ちそうになっ

たが両足に力を入れ、必死に今の姿勢を保持する。

 立っているどころか、会話をするのでさえやっとだ。今の自分の状態をまざまざと実感し、洸

があんな事を言うのも分かる気がするなと、心の中で苦笑した。

 

「俺は、何とかなるって思ってたんだよ」

 大悟はひとりごちるように、ぽつりと呟く。

「プログラムでも、皆で力を合わせれば何とかなるんじゃないかって。けれど、もしかしたら誰

かが――俺の良く知っている誰かがやる気になるんじゃないかって、それもちょっとだけ、思

ってた」

 今から考えれば、それは甘い判断だったのかもしれない。危険の只中にいる以上、それを

排除しようとするのは当然の事だ。希望にすがって危険から目を逸らした結果、今こうして

命を失おうとしている。

「ほんと、馬鹿らしいよな。俺がもうちょっと考えてれば、こんなふうになってなかったのかも

しれないってのに」

 大悟は洸を正面からしっかり見据え、身体を襲う倦怠感と痛みに耐えながら、しっかりとし

た口調で言った。

 

「もしお前らがやる気になってたら、その時は俺が説得する。口で言ってダメだったら、ぶん

殴ってでもとめる。そうやれば大丈夫だ、あいつらならきっと分かってくれる。そう思ってた」

 洸の手に握られていた小太刀が、ぴくりと揺れた。

「けど、なかなか上手くいかねぇなあ。変な考え起こしてる馬鹿の目を覚ましてやる事だけで

一苦労だ」

 洸の眉が中央に寄り、唇が引き結ばれる。本人の自覚はないだろうが、表情にも変化が表

れていた。怒りや苛立ちなどではなく、それははっきりとした動揺だった。

「命を懸けて戦えっていうお前の要求は呑んでやる。その代わり――」

 プログラムに乗ったとはいえ、積極的に他のクラスメイトを手にかけようというわけでもなけ

れば、憎んでいるというわけでもない。洸は今この瞬間でも、大悟の事を大切な友人だと思っ

ている。

 

「俺が勝ったら、お前も俺の要求を呑め」

 

 大切な友人だからこそ、他の誰かの手にはかかってほしくない。

 出来れば最期を看取りたいと思っていたし、もし自分が優勝できなかったら、彼に優勝して

ほしいと思った。彼が他の誰かに殺されるくらいなら、自分がそれを行う。

 歪んだ形だと言われるかもしれない。しかしそれは紛れもなく、洸の大悟に対する友情の形

だった。

 

「断るとか言うなよ。つーか言わせねえ。最後の頼みくらい聞けよな」

 そして恐らく、大悟も洸と同じ感情を抱いているのだろう。その中心となる部分は違えど、

血塗れとなってまで自分を正そうとして向かってくるその姿は、友を想う精神そのものだった。

「――……分かった」

 洸は、はじめに自分が望んだ通りの展開になった事に僅かな喜びを抱きつつ、こうして大悟

と言葉を交わす事もあと少ししかないという事に愁いを感じていた。

 

 ――今更、何を思っている。はじめに決めたはずだ。俺は、こうすると。

 

 生きて帰ると決めた。大悟との決着を付けると決めた。罵られる事も軽蔑される事も分かっ

ていた。こうなるという事も、分かっていた。

 それでも大悟との決着は付けたかった。そうしなければ、例え生きて帰ったとしても、それ

から先の人生でずっと後悔していくだろうから。

 

「好きにすればいい。俺はお前には、負けない」

 小太刀を構えて戦闘体勢をとる洸を前に、大悟はくっくっくっと笑った。

「落ち着いている割には、大事な場面で頭に血が上って考え方が狭くなる。変わんねーな、

そういうとこは」

 その言葉を言い終えた直後、無事な右手にありったけの力を込め、大悟は洸目掛けて走り

出した。

 

 

 

 左手から血が噴出し、大悟が走った後に赤い軌跡を作る。

 生暖かい夏の夜の空気。土を踏みしめた感触。静寂に包まれた夜の森の気配。今、自分

が駆けている環境の全てが、身体に伝わってきた。

 人間は、体内を流れている血液の半分を失うと失血死になるという。大悟に残された時間

は、もう残り僅かしかなかった。

 洸はそれを見て取り、しかし当然のように小太刀を構え、振りかぶった。捨て身で突進して

くる大悟に、カウンターを合わせて討ち取るつもりだった。

 対峙する双方にとっては永遠にも感じられた時間。しかし現実には一瞬のうちに、二人の

間合いが詰められる。

 

 先に動いたのは大悟だった。だらりと垂れ下がっていた右腕が、洸の顎目掛けて斜め下

から突き上げられた。アッパーとフックの中間の軌道を持つパンチ。ボクシングで言う、スマ

ッシュと呼ばれるパンチの形だった。

 洸はそこに正面から飛び込み、左下から伸びてくる拳をかわしざま、肩口から小太刀の

切っ先を撃ち込んだ。それは大悟のこめかみを掠め、空を切る。

 大悟は小太刀を振り切った状態の洸に追撃を仕掛けた。振り抜かれた拳に再び力が込め

られ、裏拳となって頭上から急襲した。大悟の拳が、猛禽類の爪の如く洸の頭部に狙いを定

める。

 

 拳は空を切り、空裂音のみを残した。

 横転して逃れた洸は、地を這うような一撃を放つ。真一文字に降り抜かれた小太刀は大悟

の右足を切り裂いた。

 大悟の身体ががくん、と沈む。だが立て続けの斬撃は容赦なく迫っていた。大悟は転がり

回るようにしてその場から離れ、何とか立ち上がろうと足に力を入れつつ、自分のデイバック

で小太刀を防ごうとした。

 それを見るなり、洸の攻撃は小太刀から爪先によるものへと変化した。デイバックごと大悟

を蹴飛ばし、近くに立っている木へと叩きつける。防げなかったわけではないが、突き抜けた

衝撃は満身創痍の大悟にとって多大なダメージをもたらしていた。

 

 吐血し、それでも諦めずに前を見据えようとする大悟を、洸の小太刀が捕らえる。

 横薙ぎの斬撃が、血の飛沫を左右に飛び散らせた。

 声の代わりに血を吐き、声も無く倒れこむまさにその刹那。

 大悟の右手ががっしりと、洸のシャツの衿を掴んでいた。

 

「やっと……捕まえた」

 力が失われ、掠れて不明瞭になっているはずなのに、何故だか洸には、大悟がはっきりと

そう言ったように聞こえた。

 大悟の口の端が、僅かにつり上がる。視線を洸に向けられないほど衰弱しきった身体だと

いうのに、大悟は笑っていた。

 喜びでも、楽しさでもない。ずっと遠くに行ってしまった友人を、またこの手で掴むことができ

たという安心感。

 彼がそれを理解していたかどうかは分からないが、この時の感情を言い表すのならば、

それが一番適切な表現だった。

 

 そして大悟は思い切り、洸の鼻っ柱目掛けて自らの額を叩きつけた。

 

 二度、三度――まるで機械人形のように、同じ動きを繰り返す。そのうち額に洸の血であろ

う、ぬるりといた感覚が生じたが、気にも留めなかった。

 何度繰り返したのか分からない頭突きの後、大悟は衿を掴んだまま足払いをかけ、洸を頭

から思い切り地面に叩きつけた。そしてその時の勢いで自分もまた、地面に倒れこむ。

 死闘を演じた両者は、そのどちらもが地に伏しているという形になった。

 

 

 

「よう……聞こえるかよ、洸」

「――ああ」

 喉に血が溜まっているのか、洸の返事はだいぶくぐもったものだった。

「俺の勝ち……だな」

 死相がくっきりと浮かび上がる顔の中で、それでもまだ光を宿している双眸が、洸の横顔を

見つめる。

「さあな」

 洸は、自分が勝者だという事を主張しなかった。彼自身も分かっているのだろう、勝者と呼

べるに相応しい勝者など、どこにもいないと。

 

「薫とか、潤とか、涼音さんとか恭子さんとか……みんなを、頼むわ」

「何を言っている」

「勝ったらって、約束だろうが」

「……要求の事か」

 戦う直前、大悟が言っていた。この戦いを受け入れる代わりに、自分が勝ったら要求を呑

んでほしい、と。

 まだ生きている、自分たちの大切な友人の力になってほしい。

 要求の内容は分かりやすく、しかし洸にとっては理解に苦しむものだった。

 

「馬鹿なことを言うな」

 うわごとの様な大悟の言葉に、洸は真横に倒れている大悟の方を向いた。かつての親友

の姿が――自分が血塗れにした親友の姿が、そこにあった。

 大悟は血の泡を吹き出しながら、続ける。

「俺、もうできないから。だからお前が俺の代わりに、やってくれ」

 洸は拒否しようとしたが、それを見透かしているかのごとく、大悟は言葉を重ねる。

 

「俺との勝負が終わったんなら、プログラムでやること、ないだろ。だから、頼む」

「…………」 

 答えを沈黙で返す洸に、大悟は苦笑した。

「あー……なんか、寒いんだか暑いんだか、分からねぇや」

 その声は、どこからか聞こえてくる鳥の鳴き声や虫の音にかき消されそうなほど、弱々しい

声だった。

 

「さっきの話……頼む。お前に任せたから」

 

 自分の命を奪った相手にこんな事を言うなんて、どうかしている。

 それは大悟自身も分かっていた。分かっていたが、それと同時に、自分を殺めてしまった

ことで目を覚ましてくれるんじゃないか、とも思っていた。

 自分は結局、洸を説得する事は出来なかったけれど、洸がこの後、人を殺すという事の過

ちに気付いてくれたとしたら――。

 

 もちろん、そんな上手い話が起こり得るかどうかは分からない。洸は優勝するつもりでいる

のだから、この後もプログラムを続ける可能性だって高いだろう。

 だけど自分は、彼を信じたい。

 クラスで、部活で、共に過ごした長い時間の中で育まれた交友関係。その中で見せた顔が

嘘ではないと信じたい。

 まさかそのために、自分がこんな事になるなんて、思いもしなかったけど。

 

 ――お人好しっていうか……ほんと、馬鹿だよなぁ、俺。

 

 その数分後、鏑木大悟は眠るようにして息を引き取った。

 最後まで親友である春日井洸を見据え、そして最後まで彼のことを、信じながら。

 

男子5番 鏑木大悟 死亡

【残り19人】

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