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 洸が発した言葉は、このプログラムのルールから考えればおかしな言葉ではなかった。

 だがこの場にいる人物の交友関係を考えれば、その言葉が洸の口から出るのはあま

りに不自然だった。酷く場違いで、真実味を帯びない響きが洸たちのいる空間に溶け込

んでいく。

 

 ちょうど春日井洸と対峙する体勢にいる鏑木大悟は、彼の口から出た言葉の意味を理

解できずにいた。自分に言いたいことがあると言い、そして一拍置いた次の瞬間に聞こ

えてきた、あの言葉の意味を。

「な……何言ってんだよ、洸」

「言ったとおりだ」

 戸惑い立ち尽くす大悟を前に、洸は自分に支給された小太刀を握り締めてゆっくりと歩

み寄ってくる。鞘の中から抜き身の刀身が現れると、大悟の表情も強張った。

 春香と潤はその空気に呑まれ、二人に声をかけられなかった。戸惑いと肌を刺すような

ピリピリとした空気に圧され、息苦しそうにその顔を歪めている。

 

「俺と戦ってくれ、大悟。俺とお前、お互いの命を懸けて」

 つい先程言った言葉を、より力を込めて繰り返す。

 大悟は全身をわなわなと震わせ、「嘘、だろ……」と呟いた。その目は大きく見開かれ、

洸の瞳を見つめている。そこには何一つ変わったもののない、自分がよく知っている春

日井洸という一人の少年の目があった。

 

 嘘も気負いもない瞳を見て、大悟の身体に地鳴りにも似た鈍い衝撃が走った。その衝

撃は全身に伝わり、不快な感覚だけを残す。

 ようやく――ようやく意味を理解した。

 彼は、洸は自分と戦ってくれと言っている。

 殺し合いをしてくれと、言っている。

 

 ――なんでだ? なんで、洸が?

 事態を理解した時に、大悟の頭に浮かんできた疑問符がそれだった。

 口数は多いほうではなく、日頃から何を考えているのか分からないところもあった。それ

でも、進んで誰かを傷つけようとしたり、自己の利益の為に他人を犠牲にしたりするような

奴ではなかった。

 性格が似ているとか、息が合うとか、そういったものではないと思うけれど、それでも洸

と自分は親友だったはずだ。中学校に入ってから知り合ったからそれほど長い付き合い

ではないけれど、それは今までもこれからも、ずっと変わらずに続くと思っていた。

 

「どうしちまったんだよ……お前、そんなこと言うような奴じゃなかっただろ」

 理由が分からなかった。洸が誰かを――それも自分を殺そうとする理由なんて、考えて

も思いつかなかった。もしも正解の選択肢が頭に浮かんだとしても、大悟はきっと納得な

んてしなかっただろう。

「はっきりさせておきたかったんだ」

「……なんだって?」

「このプログラムはたった一人しか生き残れない。それが俺になるのか、お前になるのか、

それとも他の誰かになるのか……。いずれにしても、このプログラムを最後に俺とお前は

会えなくなるだろう」

「それがどうして、俺たちが殺し合う理由になるんだよ」

 大悟は眉を寄せ、納得のいかない面持ちを浮べた。プログラムという状況下に置かれな

がらも、このままゲームが進行すれば見知ったクラスメイト達とは二度と会えなくなるという

事実を受け入れたくないのだろう。

 

 もうどうしようもない現実を突きつけられても、それを認めようとせず抗う姿勢を見せてい

る大悟に洸の決心が一瞬緩んだが、すぐにそれを引き締め直した。

「お前と決着をつけたいんだ。これが俺たちが共に過ごす最後の時間になるのだとしたら、

白黒はっきりさせておきたいと思った。ただそれだけだ」

 僅かな沈黙の後、大悟は自分の感情を包み隠さず、ストレートにぶつける。

「ふざけんな! てめえ、そんなんが殺し合いをする理由になるとでも思ってんのかよ!」

 握り締めた拳を振り上げていてもおかしくない剣幕を見せる大悟だったが、洸の手の中

にある小太刀を警戒してか、洸の胸倉を掴むまでには至らなかった。

「つーかな、俺はどんな理由があっても殺しをするなんて絶対に許せねえ。こんなクソみて

えな状況でもな。殺しあわなきゃいけないっつったって、そんなんに俺たちを巻き込んだの

はのは政府の連中じゃねえか! お前、それに納得してんのか?」

 それまで抑えていた大悟の感情が、一気に爆発した。目を細め、暗闇の中で対峙する

洸を鋭く睨みつけている。洸を貫き、串刺しにするような鋭い眼差しだった。

 

「俺だって、こんな事が間違ってるって分かってるんだよ。何で俺よりもずっと頭の良いお

前が、間違ってるって分からねえんだよ!」

 大悟は涙を流していた。

 洸の口から発せられた、殺人を肯定する言葉に怒り、嘆き、哀しんでいた。肩を震わせ

て、心の底から思いのたけをぶちまける。

 驚いて目を瞬かせる洸に、ゆっくりと歩み寄る。涙を手の甲で拭い、怒りの表情をそのま

まにしながら。

 

 戸惑いながらも説得しようと二人の間に入ろうとしていた潤。予想もしなかった展開に、

ただただ二人のやり取りを見ているしかなかった春香。そんな二人の身を竦ませて生唾を

呑ませるほど、激怒した大悟から発せられた気迫は凄まじかった。

 

「俺のやることが間違っている、か……。確かにな。一般的に見たらそうだろう。だが、今

俺たちがやっているのはプログラムだ。現実のルールが全て通用するわけじゃない」

 大悟がこれまでに見せた怒りの姿を、一つずつ脳裏に巡らせていく。

「仮に殺し合いを止めることができたとして――それからどうする? この首輪がある以上

俺たちは軍の監視下に置かれているしかない。それにタイムリミットの問題だってある。

それらはどう解決するつもりだ? 何か有力な作戦でもあるのか?」

 試合中に負けていた時は、攻めのパターンを検討する際に意見が合わなくて大口論に

なった。期末テストの合計点で競い合った時は、ほとんどむせび泣きに近いような捨て台

詞を吐いていた。大悟が好きだと言っていた歌手を批判した時には、間髪を入れずに拳

が飛んできた。

 

「人を殺すことが正しい。今俺たちがいるのは、そういう場所なんだ」

 

 巡らせて、その中から来るであろう、自分への反応を待つ。

 拳で訴えてくるか、先程のように感情をそのまま言葉としてぶつけてくるか、それとも、

侮蔑の眼差しを向けるか。

 どうなるにせよ、もう後戻りは出来ない。

 プログラムが始まってから、悩みに悩んだ末の結論だった。

 洸に大悟への明確な殺意があるのかと言うと、それは少し違っていた。

 自分が優勝するにしても、しないにしても、今まで何かにつけて争ってきたこの友人に対

して、はっきりとした答えを出さないまま別れたくなかった。

 白黒はっきり付けるのならば他の方法もあるのだろうけれど、自分の命が懸かっている

となれば手を抜けない全力での勝負ができる。

 

 それに、洸は思っていた。

 大悟が殺されるのであればそれは自分の役目で、自分が殺されるのであれば、それは

大悟の役目であってほしい、と。

 もちろん、大悟がそんな風に思っているわけはない。だからこれは、単なる自己満足だ。

どんな理由を掲げようと、それを隠す後付けの理屈に過ぎない。

 

 

 

「それに――お前にはその気がなくても、俺にはその気がある」

 口ではそう言ったが、本当のところではそういった展開になる事は出来るだけ避けたか

った。自分が望んでいるのはあくまでも”殺し合い”という過程で、”殺した”という結果では

ない。

「ふざけんじゃねえ! 何がその気があるだ、馬鹿野郎ッ!」

 罵声と共に飛び掛ろうとした大悟を見て、洸は小太刀を胸の前に構えた。横でそれを見

ていた潤は目を見張り、大悟の飛び出して彼の行く手を塞いだ。

 

「ダメだ大悟、やめるんだ!」

「潤……だけど、こいつは!」

「分かってる。そんなの……俺だって分かってるよ」

 潤はゆっくりと振り返り、洸に向き直った。その白く小さな手を握り締め、潤は言った。

「洸……君の言いたいことは分かったよ。けど君は大悟と勝負をして自分か大悟のどちら

かが死んで本当に満足なのか? 死んだらもうその人には会えなくなる。触れなくなる。

喋る事だってできなくなるんだ。そんな事になって、洸はそれで本当に満足するのか?」

 その言葉に一瞬、洸の顔が曇った。だが洸はそれを振りきり、冷たい視線を潤に返す。

「俺の考えが変わったとしても、プログラムという檻の中に入る限り俺たちはいずれ死ぬ

んだ。だったら少しでも自分の得になる事をしておいたほうがいいだろう」

「今生きている人がみんなやる気だとは限らないじゃないか。仲間を作って話し合いをす

れば、ここから脱出する方法だって見つかるかもしれない」

「プログラムは最後の一人になるまで殺し合うというルールだ。そんな中で話し合いなんて

無意味じゃないか?」

 

 乾いたその声に怒りを刺激されたのか、潤の眉がつり上がり視線が鋭くなった。

「……俺は、洸みたいに相手を殺して、それで全ての可能性を奪うよりはマシだと思うよ」

 だが潤の表情は単純に怒っているというものではなかった。怒り、驚愕、動揺、嘆傷。

浮かび上がってきた様々な想いがパレットの上の絵の具のように入り混じり、潤の心の

キャンパスに混濁した色彩を描いていた。

「……そうか。あくまで戦うつもりはないと言うんだな」

 洸は横手を眺める川を一瞥し、溜息を一つついた。そしてその視線が、一歩離れた場所

でこのやり取りを静観している春香へと向けられた。

 

 洸が春香の方へ向き直ったかと思うと、その時にはもう地面を蹴って駆け出していた。

持ち前の俊敏さで春香へと肉薄した洸は、何の躊躇いも見せずに握っていた小太刀を

振りかぶった。

 大悟と潤がほぼ同時に洸の名前を叫んだが、もう遅かった。春香の首――プログラムを

受けている生徒全員に付けられている、あの忌々しい首輪のちょうど上あたりの皮膚が

裂け、春香の肌に赤い血玉が浮かんだ。そしてその血玉は瞬きほどの時間の後、血液の

奔流となって地面の上に降り注いだ。

 

「あっ……ああ……」

 春香は傷口を押さえ、一歩、二歩と後ずさりをした。ぱくぱくと開かれている小さな口から

は、空気の漏れる音にも似た掠れた呻き声が聞こえてくる。

 やがて彼女の視線が宙を仰ぎ、頭ががくん、と垂れ下がった。その勢いで春香の身体は

頭から地面に倒れこんだ。

 

 

 

 大悟も、潤も、何が起きたのかすぐには理解できなかった。血の海に沈んだ春香を、ただ

ただ眺めている。

 大悟ははっ、と我に返り、急いで春香に駆け寄った。

「宴町さん?」

 春香の身体を揺すってみたが、返事はなかった。春香の制服についた血が自分の手に

も付き、ぬるりとした感触が伝わってくる。

「宴町……さん……」

 何度揺すっても、何度声をかけても、春香は何の反応も返してくれなかった。光を失いつ

つある濁ったビー玉のような眼が、自分をじっと見つめている。

 

「あ……あああ……」

 死んだ。彼女は――宴町春香は死んでしまった。

 自分が助けたのに。倒れている所を見つけて、一緒に過ごして……普段はそんなに仲が

良いわけじゃなかったけど、お互いに分かり合えて、大切な仲間としてやっていけるんじゃ

ないかって思っていたのに。

 なのに、彼女は死んでしまった。何もできないまま、何もしてやれないまま、目の前で殺さ

れてしまった。

 

「あああああああああ――――!!」

 心臓を鷲掴みされたような感覚に襲われる中、大悟はもう動かなくなった春香の身体に

しがみついて絶叫した。

 何で、彼女が死ななくちゃいけない?

 彼女は死ぬ理由なんかなかったはずだ。こんな目に遭って殺される理由なんてなかった

はずだ。

 大悟は、自分の中で何かがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。

 怒りとも憎しみとも違う。もっと黒く、どろどろとしたものを。

 ぎり、と唇を噛み締め、顔を上げた。視線を動かしたその先には、血を滴らせている小太

刀を握った洸が変わらぬ表情で立っていた。

 

「洸……お前、は……」

 大悟は春香の遺体から手を放し、すくっと立ち上がった。

 自分の中で湧き上がった何かが、どんどん大きくなっていく。大悟は、これがきっと殺意

なんだろうと感じていた。

 

女子2番 宴町春香 死亡

【残り20人】

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