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 ついさっきまで当たり前のように見ていたものが、ふとしたきっかけでしばらく目にする

ことができなくなった。その見れなかった期間が長期に及んだ場合、人は次にそれを見

た時、充実感と感動――そして、僅かながらの違和感を体験する。本人すらも意識して

いない、疑惑にも似たほんの些細な違和感。

 当然のように見ていたものが見れなくなったとき、その物体の姿形は想像で思い浮か

べるしかない。だかしかし人の想像力というものは、ほとんどが過剰な表現になるかそ

の逆になるかで、平等でそれ以上でも以下でもない、なんてことになる例は意外に少な

い。美化されたイメージだけが先行され、いざ現物を目にしたと気に不思議な違和感を

覚えてしまうのだ。

 

 鏑木大悟(男子5番)は今、それと似た感情を抱いていた。今しがた大悟の前に現れ

春日井洸(男子4番)はクラスの中だけでなく、自分の交友関係の中では最も親しく

している友人だった。家族を除けば、一番良く顔を合わせていたかもしれない。

 プログラムが始まってから三十時間目にしての再会。最も信頼に足る友人とこうして

無事に出会えたというのに、大悟も洸も無言のままだった。

 いつもは綺麗に真ん中で分けられている髪はやや乱れているし、きちんと着こなされ

た制服は所々に汚れがあり、お世辞にも綺麗とは言えない有様だった。



 それでも彼が春日井洸その人である事に変わりは無い。機嫌が悪そう――というより

は何を考えているのか読めない顔も、自分が知っている洸のそれだった。

 何を迷っているのだろうか。いつものように話しかければいいだけのことなのに。

 手を上げて「よう」か、「無事だったんだな」か、再会の抱擁、というオーバーな選択を

して驚かせてやるのもいいかもしれない。

 

「話をするときは」

 沈黙を破ったのは、意外にも洸の方からだった。

「もっと小さい声で話した方がいい。周りの人間に自分の居場所を教えているようなも

のだからな。こんな状況下なんだ、それくらいの危機意識は持っていた方がいいんじゃ

ないか?」

「……お前、いきなりそういうこと言うか? 普通」

 大悟が呆れた風に首を傾げると、その顔を見た洸は口元にシニカルな笑みを浮か

べて手を前に差し出した。

「無事だったみたいだな」

「そりゃこっちの台詞だ、馬鹿」

 大悟は差し出された手に自分の手を重ね、握り締めた。再会の握手――ということ

だろうか。洸が自らこういった行動を取るとは思っていなかったので少々面食らったが、

悪い感じはしない。

 

「潤も無事だったんだな」

 洸から少し後ろに下がった所に立っていた桐島潤(男子6番)は、顔を綻ばせながら

大悟のもとへ近寄っていった。

「大悟の方こそ、無事で安心したよ。あの時はいきなり自分が囮になって……あれから

どうなったのか、だいぶ心配したんだから」

「悪ぃ悪ぃ。あの時は無我夢中だったからさ。気が付いたら身体が動いてたってやつ」

 大悟と潤はスタート地点のホテルを出た直後に、一度合流している。大悟はその時、

襲ってきた逆瀬川明菜(女子7番)から潤を逃がすため、単身囮になり銃を持っていた

明菜に立ち向かっていった。

 

 二人はそこで別れたため、お互いにあれからどうなったのか、傷を負っているのかど

うかも知らないままだった。特に潤は逃がしてもらったという立場にあるため、もし大悟

が死んでいたら――という、強い不安と自責の念に駆られていた。

 それ故に、潤は大悟との再会に喜びだけではなく、大きな安心感を抱いていた。

 危機的な状況下とは言え、自分を助けるために友人が死んでしまっていたら。

 それこそ、死にも等しい、心が裂けるような痛みだろう。

 

 

 

「急に出てきちゃってごめん。やっぱり、びっくりしたよね」

 潤のその言葉は大悟に向けられたものではなく、三人の輪から一歩離れた所にいる

宴町春香(女子2番)に向けられたものだった。

「う、ううん。そんなことないよ」

「ほんとに?」

「…………少し、びっくりした」

 声を小さくして言う春香を見て、潤は頬を緩めた。

「やっぱりそうだよね。今は周りの人が全部、敵に見えても仕方がないし」

「ち、違うの。私は別にそういう意味で言ったんじゃ――」

 慌てて首を振り、否定する。しかし実際には、潤の言葉は見事に春香の図星を突いて

いた。大悟は日頃から交流があるが、春香は二人とそれほど親しい関係ではない。もと

もと積極的な人間関係を築くのが苦手な部分もあってか、春香は二人の合流を簡単に

受け入れられなかった。

 

 潤は、そんな春香の心の中を見透かしたかのように話しかけてきた。プログラムとい

う、いつ命を落としてもおかしくない状況。自分以外の人間は全て敵と言っていい状況

で、他人の心情を察する事が出来ている。

 プログラムが始まってから今まで、その思考のほとんどを保身の為に費やしてきた

春香は大きなショックを受けた。

 潤も、そして自分を助けてくれた大悟も、自己の保身だけではなく他人への気遣いや

優しさと言った、春香が忘れかけていた思いやりの心を持っている。プログラムという

絶望的な状況に置かれても、その心を失わずに保っている。

 深い暗闇の中に、一条の光が差し込んできた瞬間だった。プログラムから解放される

手段が見つかったわけでも、助けが来てくれると知らされたわけでもない。

 

 けれど大悟や潤の優しさは、そういったものとは別の救いだった。

 人と触れ合うことの温かさ。

 心を通わせる、信頼するという事の温もり。

 ここにきて、この場所で過ごしているうちに忘れていた、人間としての大切な何か。

 失われかけていたそれを、二人が取り戻してくれた。二人のおかげで、留まる事が

できた。

 自分たちの置かれた状況が変化したわけではない。それでも、こんなに穏やかな気

持ちになったのはプログラムが開始されてから初めてだった。

 

 

 

「心配になるのももっともだ。だけど、どう見ても潤はやる気になんて見えないだろう?」

 洸のその言葉に、春香は思わず小さく吹き出した。確かに、潤がやる気になっている

姿はひどくシュールな光景だ。

「なあ洸。お前、ここに来るまでにやる気になってる奴を誰か見たのか?

「俺が見たのは二階堂だ。潤も二階堂に追われていた」

 大悟の顔が強張るのが分かった。大悟の様子を知ってか知らずか、洸はそのまま話

を続ける。

 

「潤と合流したのはその時だな。ほんのついさっきだ。潤から話を聞いた限り、二階堂

には気をつけた方がいい」

 大悟が頷いた。彼はデイパックから地図を取り出し、自分たちのいるD-3エリアを指し

示した。

「俺は潤と別れた後に、ここで篠崎と会った。あいつは話をしてすぐに行っちまったんだ

けど、高槻と本庄を捜しているって言ってた」

 三人の名前を出した瞬間、その場に沈痛な空気が流れた。その三人はもう、放送で

名前を呼ばれてしまったのだから。

 

「それと――――」

 大悟は、口に出そうとした言葉を呑み込んだ。

 篠崎健太郎が言っていた。沖田剛の死体があった現場に、村崎薫がいたと。

 この事はまだ、誰にも言っていない。情報提供者の健太郎が死んだ今、知っているの

は自分だけだ。

 

 この事を、三人に言うべきだろうか。

 健太郎の話では薫がいたという事だけで、詳細は何一つ分かっていない。剛を殺した

のかどうかさえも、事実かどうか定かではない。

 悩んだ末、大悟はこの事を胸に秘めておくことにした。確証のない事を下手に口に出

して、みんなを不安にさせる必要はないだろう。

 

「――俺が知っている中で役立ちそうなのって言えば、こんなところだな。お前らの他に

は、ほとんど誰とも会っていないし。潤はどうだ? あそこで俺と別れてから、誰かに会

ったか?」

「佐伯さんと……あと、萩原に会ったよ」

 そう言って、潤は大悟だけではなく、洸と春香にも緊迫した表情を向けた。

「萩原は、やる気になっていた。それとこの目で見たわけじゃないんだけど、真神野も

一緒にいたと思う」

「そう思う根拠はあるのか」

 間を置かず、洸が訊いてきた。

「根拠って言う程じゃないんだけど……。もし俺が萩原だったら、スタートの時に真神野

が出てくるのを待っていて、一緒に行動しているだろうなって思ったから」

 洸はその意見に納得したのか、それ以上何も言わなかった。

 

 スタート地点であるホテルの外には、人間一人が身を隠せる場所はいくつもあった。

もちろんそれは危険な事――潤は身を持って体験している――なのだけれど、しかし

淳志にとって真神野威(男子15番)と合流するという事は、その危険を冒すほどの大き

なメリットがあるに違いなかった。

 このゲームは個人よりも複数で行動した方が有利だし、それに何より、一緒にいるの

があの真神野威なら、敵に襲われた時の不安も少ないだろう。

 そういった実益云々を除いても、威の忠実な参謀役である彼ならば、我が身を危険に

晒してでも威と共に行動する事を選ぶはずだ。

 

「それから……琴乃宮さんを、見なかった?」

「琴乃宮を?」

 大悟は聞き返した。そういえば潤は、スタート地点で一度合流した時に彼女を待つと

言っていた。

「いや、見てないけど……」

 洸と春香の方へ顔を向けるが、二人とも見ていないらしく、首を横に振った。

「つーかお前、琴乃宮と合流できたんじゃないのか? 何で一緒にいないんだよ」

「ごめんって……一緒に行く事はできないって言って、走って行った」

「走って行ったってお前、追いかけなかったのかよ」

「…………ごめん」

「いや、別に俺に謝らなくても……」

 潤と大悟は同時に黙り込んだ。潤はその時のことを思い出しているらしく、ひどく気落

ちしている。涼音を待っていた理由とか、他にも色々訊きたいことはあったが、どうやら

今訊ける雰囲気ではない。

 

「――そういえば、洸は大悟を捜していたんだよね。お互い、自分が捜している相手を

見つけるまで一緒にいるって言う約束だったけど……せっかく会えたんだし、これから

もみんなで一緒にいようよ」

 重くなった空気を察してか、潤は話題転換とばかりに洸へ話しかけた。

「そうだな……丁度いいか」

「丁度いいって、お前そういう言い方はないだろ」

「……大悟、お前に言いたいことがある」

 洸はそう言って、厳しい顔で大悟に向き直った。

 

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