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 静海中学校三年一組のプログラム会場である須川原ホテル周辺は、その場所のほとんどが

山、森といった大自然で構成されている。ホテルの設備や道路など人の手が及んだ部分は

見られるが、自然との触れあいを売りにしているホテルの経営方針からなのか、過度の開発

事業は行われていなかった。

 

 そんな状態の場所で向かえる夜は、自分の聴力がおかしくなってしまったのかと錯覚するく

らい音が大きく聞こえる。川のせせらぎ、虫の鳴き声、葉の擦れる音。それらは本来訪れた

人の心を癒すものだが、プログラムという死と隣り合わせの状況においてはそんなものの効果

など雀の涙ほどにも満たなかった。

 音が伝わりやすい。それはこのプログラムに参加している生徒たちにとって、明らかに悪い

方向へと働いていた。

 

 自分のたてた物音が、どこかにいる相手に伝わる。

 どこかで鳴った銃声が聞こえてくる度、恐怖と不安が増していく。

 極限状態に陥り、感覚が研ぎ澄まされて鋭敏化してしまった生徒たちにとって、発生源の分

からない音は心労以外の何者でもなかった。張り詰めた糸――というものが具現化していた

とすれば、それの表面を薄く薄く削っていくようなものだ。

 

 銃声は風に乗り、会場にいる生徒たちのもとへ伝わっていく。D−03エリアにある橋の下と

斜面の間に隠れている鏑木大悟(男子5番)も、どこかで鳴り響いている銃声を聞くたびに冷

や汗を流していた。

 座ったまま視線を動かし、誰かに見つからないよう注意深く外の様子を覗く。

「ほんと、びっくりするほど何もないとこだよな」

 視界に広がるのはくぬぎなどの木が生い茂った雑木林、月光を受けて眩く輝いている川の

水面。絵に描いたような、のどかな田舎の風景だった。街灯も何もない夜は自分たちが住ん

でいた街の夜よりもずっと暗くて冷たくて静かだ。けれど月から降り注いでいる光は意外に

明るく、暗くて歩けないというほどではない。

 

 橋の下のスペースはそれなりに広かったが、月明かりが直接当たらず、また懐中電灯も

点けられなかったため、外と比較するとかなり暗かった。

 手入れなどされていない、生え放題の雑草。所々むき出しになっている地面。誰かが投げ

捨てたのであろう空き缶。そんな環境の中で、宴町春香(女子2番)は両足を抱えながらじっと

座っていた。

 大悟は気絶している春香を抱えてここまでやってきたのだが、目を覚ました春香は友人の

惨殺死体を見ていたため極度のパニック症状に陥っていた。その後は大悟が介抱して何とか

落ち着きを取り戻させたが、彼女の心が不安定なものである事には変わりは無い。

 

「何で……」

 その呟きは、大悟に言っているというよりも独り言に近い音量だった。

「何で私、こんな所にいるんだろう……明菜も葉子も有紗も死んで、私、何でこんな……」

 土や埃で汚れた白いワイシャツの肩口が、小さく震えていた。春香の顔色が悪く見えるのは

もとから肌が白かっただけではないだろう。良く顔が真っ白だとはいうが、今の彼女は白を通

り越して蒼白になりつつある。人形を思わせる可愛らしい顔は、すっかりやつれていた。

 

 彼女が疲弊しきっているのは目に見えて明らかだった。友人の死体を目の当たりにした事

によるショック、いつやってくるとも知れない死の恐怖、慣れない山での移動、様々なストレス。

その原因を挙げていけばきりがない。

「放送まではまだ時間があるし、横になっていてもいいぞ」

 疲れた表情の春香に、大悟は優しく声をかけた。ここに隠れ始めた当初は警戒心から会話

がなかったが、今では短くてもちゃんとした会話が成立するようになっている。

「ありがとう。でも、さっき少し寝たから平気」

「それでも二時間くらいだろ? いろいろあったんだから、あまり無理すんなって」

「そうなんだけど、なかなか眠れなくて……」

 気まずそうな苦笑いを浮べる春香。気が張ってなかなか寝付けなかったのは自分も同じだ、

と大悟は気が付き、「夜に寝ろって決まりがあるわけじゃないし。眠たくなった時に寝ればいい

さ」と咄嗟のフォローを入れた。

「うん。眠たくなったら、またその時に言うから」

 

 

 

 ――やっぱり、警戒されてんのかな。

 疲れているんだから寝たらどうだ、という提案を断られた時、大悟はふとそう思った。

 彼女と出会ってからおよそ半日。それなりの信頼関係は育まれているが、それでもやはり、

完全に信頼されているというわけではないのだろう。本音では「眠ったら殺されてしまうのでは

ないか」と考えているに違いなかった。

 

 せっかく敵意の無いクラスメイトと合流できたというのにこんな事を考えてしまうなんて。だが

まあ無理もない。元々春香とは付き合いが薄かったし、良く喋る間柄というわけでもなかった。

お互いがお互いの事を良く知らないとなれば、手探りで相手の性格、考え方を把握していか

なければならない。それにこれはプログラムだ。必要以上に他人を警戒し、慎重になるのも

当たり前だろう。

 仲の良い友人がこの場にいれば、彼女の緊張や負担も少しは和らぐだろうか。

 

「宴町さんは、誰か会いたい人とかいる?」

「私は……」

 春香は伏し目がちに大悟の事を見つめ、少し言葉を詰まらせながら答えた。

「できるなら……聡美ちゃんに、会いたい」

 春香が挙げた人物、安川聡美(女子17番)は同じテニス部に所属している仲間で、そして

今では唯一生き残っているテニス部仲間だった。

 部内で居場所がなかった春香にも気さくに話しかけてきたり、休日の練習にもわざわざ付き

合ってくれた聡美は、春香にとって恩人のような存在――いや、恩人そのものだった。

 既に何人もの友人が逝ってしまった現在、聡美の生存は春香にとって大きな心の支えにな

っていた。彼女と再会できても、この状況に変化が訪れるとは思えない。それでも会いたかっ

た。会って、話をして、無事を確かめ合う。それを思うだけでも、張り詰めていた心が少し安ら

いだ。

 

「鏑木くんは会いたい人とかいるの? やっぱり、春日井くんとか?」

「んー、まあそうだなぁ。やっぱ、普段仲良くしていた連中にはみんな会いたいよ。でもそれが

できるかどうか――」

 そこまで言いかけたところで、自分の発言が迂闊だという事に気付く。

「できるかどうか分かんないけど、何もしないよりはよっぽどマシだよな。向こうもこっちを探し

ているかもしれないし」

 不自然な間が空いてしまったが、春香は気にしていない様子だった。自分が神経質になり

すぎていたかもしれない。

 

「桐島くんには会ったって言ってたよね」

「出発した直後に会って別れて、それきりだったけどな」

 あの時、出発したばかりの逆瀬川明菜(女子7番)に銃を向けられた事は、春香に話してい

ない。話さないでいても問題は無かったし、できれば話したくない事だった。自分にとっても、

春香にとっても。

 桐島潤(男子6番)とはそこで別れたきりだ。あれから丸一日が経過したが、まだ潤には会

えていない。放送に名前を呼ばれていないから無事なのだろうけど、情報が何も入ってこない

ため不安は増すばかりだ。

 

「桐島くんもだけど……やっぱり、他のみんなのことも心配だよね」

「ああ、そりゃあな。道流なんかは大丈夫だろうけど」

 道流が出た瞬間、春香が視線を下に落とした。ほんの少しだけ、彼女の雰囲気が変わって

いた。大悟が彼女と出会ってからは、身の回りのもの全てに怯えているような立ち振る舞い

だったのに、今はそこまで怯えた様子を見せていない。怖がっている――というより、何かに

悩んでいる感じだった。

 

 

 

「渡良瀬くんは、凄いよね」

「え?」

「ケンカとかも凄いけど、何があっても迷ったり背を向けたりしないで、自分の持てる力を全部

振り絞ってぶつかっていって……。言葉に出すと簡単かもしれないけど、実際にああいう風に

している人って、なかなかいないよね」

 目の前の敵に、障害に、全力でぶつかっていく。無茶だろうと無謀だろうと、それを乗り越え

ようと抗う。立ち向かう。

 それは絶対的な腕力とは違う、別の種類の強さ。自身の願いや理想にすることはできるけ

ど、それを持続させ己の心とすることは難しい。

 

 人は失敗を恐れ、保身を重視する。それは自分が大切だから。傷つきたくないから。

 だから、道流のような姿勢を取れる人間は非常に稀だ。そのために道流のような生き方に

憧れを持つ。真似をすることはできても会得する事はできないから、その人物に憧れる。

 だが大悟も、その道流の強さが弱さと紙一重のものであることを知らなかった。喪失する事

への異常とも言える恐れが意志の強さと相成り、春香が語った道流の姿勢を形成していると

いう事を。

 

「なかなかっていうか、滅多にいないだろうな。俺たちって自分でも気付いていないとこで、ブレ

ーキかけちまってるだろうから」

 道流の事を羨ましく見ていたのは春香だけではない。大悟も同じだった。脇から見ていても

爽快なほどの、純粋な力。それが羨ましくて、憧れていて――たまに、悔しかった。

 ああ、なんだろうこの気持ちは。心がかさつく。道流の事は凄い奴だと認めている一方で、

自分はあいつのようにはなれない、という僻みのような気持ちもあった。

 

 春香に目を移すと、彼女は橋の下で揺れる川面を見つめていた。風のせいで先程よりも大

きく揺れている。月明かりを映し、散らし、ゆらゆらと揺れている。

「ねえ、鏑木くん」

 春香はそのまま川面を見ながら、言った。

「私も渡良瀬くんのようになれると思う?」

 冗談ではなく、真剣に訊ねてきた事が分かった。大悟はすぐに「なれるさ」と言おうとしたけれ

ど、言葉が出てこなかった。

 大悟はどうするかしばらく悩んでいた。春香が喋る様子はなく、大悟の返答を待っているよう

だった。慎重に言葉を選ぶが、なかなか理想的な返答は完成されない。そうこうしている間に

も沈黙は重く二人の間に圧し掛かり、耐え切れなくなった大悟は正直に言うことにした。

 

「俺は…………できるって言おうとしたよ。でも、それってやっぱり白々しすぎるかなって……

だからこれは俺個人の意見なんだけど、どっちかって言えばできない確率の方が――」

 言いながら、何ていい訳くさいんだ、と大悟は自分をぶん殴りたい衝動に駆られた。いくら

沈黙がキツイからって、この返答はないだろう。

 自分だって今年で十五歳。大人ではないけれど、それなりに自分の力量を知っている。もし

かするとこの後急成長を遂げて、道流にも負けない人間になっていたかもしれない。

 けれど、自分自身って言うのはそんな簡単に変わるものではない。自分がいくら道流を羨

み、彼を目指そうとしても、渡良瀬道流にはなれない。自分に与えられた器で、納得のいくよ

うなものを生み出さなければいけないのだ。

 

「ゴメン、ちょっと意地悪な事聞いちゃったかな」

「あ、いや、俺は……」

「いくら誰かに憧れても、それだけじゃあダメなんだよね。憧れて、その人の良い所を見て、

それで自分をどうにかしていかなくちゃ」

 春香は何かを悟ったような――というより、どこか吹っ切れた顔をしていた。

 

 恐らく彼女も、自分と同じような事を考えていたのだろう。

 

 人は人。自分は自分。

 分かってはいる事だけど、だからといって納得できるものかといえば、それはまた別問題だ。

住む世界が違うという言葉があるけど、そういう考えは卑屈で自分の負けを認めるような気が

して、受け入れなくなかった。

 

 けれど、そういったものがあるのもまた事実だ。現実としてそこにある。目を背けることはで

きても、存在するという事は変わらない。

 春香は、自分の器というものを受け入れたのだろうか。だからこそ吹っ切れたような表情を

浮べている。自分と道流は別物だと、割り切っている。

 

 

 

「ゴメンなさい、何か話が脱線しちゃったね」

 春香はバツが悪そうに、苦笑いをしていた。

「あー……言われてみればそうだな。俺ら、どんな話してたっけ?」

「えっと、確か――鏑木くんは会いたい人がいるのかなって話、だったと思う」

 会いたい奴――そうだ、そんな話をしていたっけ。

 大悟はその言葉を頭の中で反芻させていたが、特定の誰かの姿は浮かんでこなかった。

強いて言えば普段仲良くしていた連中――例えば潤だとか鈴森雅弘(男子8番)などだが、

「みんなに会いたい」と答えて良いのか複雑な心境だった。

 

 ふと、考えた。

 

 そういえば、あいつはどうしているだろう。プログラムが始まる前は互いに競い合いつつも

一緒にいることが多く、プログラムが始まってからは一度も目にしていない人物。

 誰に会いたい? と聞かれたら全員に会いたい。しかし今は、彼の動向が気になっていた。

彼ならば自分よりもしっかり行動しているだろうけど、無事なのかどうかくらい、知りたかった。

 

「俺は……会えるんだったらみんなに会いたいけど、今は洸がどうしてんのか、ちょっと気に

なってる。あいつの事だから俺みたいに変なヘマしないで上手くやっていってるんだろうけど、

それでもやっぱどうしてんのかは、気になる」

 言いつつ、大悟は何気なく視線を泳がせた。月明かりがわずかに差し込むだけの橋の下、

輝き、揺らめく川面を見つめていた大悟は、自分でも気が付かないうちに注意力を緩めて

いた。

 大悟がその気配に気付いた時にはもう、その人物は彼の前に姿を現していた。

 

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