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 時刻は午前三時。一日のうちで最も人気がなくなるこの時間帯で、東に位置する森林地帯

の近くを進む人影があった。いや、それは”進む”というより”うろついている”と形容した方

が正しいだろう。落ち着くなく周囲を見回しては先に進み、かと思えば来た道を引き返したり

もしている。行動に統一性が無く、これが山の中ではなく街中であれば間違いなく職務質問

の対象になっているだろう。

 

 彼は先程出会ったクラスメイトを仕留め損ねてしまい、まだ近くにいないだろうかと探してい

るところだった。逃げられたクラスメイトの名前は桐島潤(男子6番)。体育の成績も悪い方

だし、拳銃を所持している自分なら高確率で勝てる相手だった。だから何としても彼を探し

出して仕留め、武器と経験値を稼いでおく必要があった。

 出会った敵は倒し、アイテムと経験値を入手して来るべきボス戦へと備える。これはどの

ゲームにも共通して言える鉄則だ。

 

「くっそ、全然敵が出てこねぇ。エンカウント率低すぎだろコレ」

 彼――二階堂平哉(男子12番)は溜息混じりに大きな愚痴をこぼした。桐島潤に向けた

言葉とは違う、明らかな苛立ちが含まれた声だった。

「クソゲー掴まされたかなぁ……いやまだ序盤だし、そう判断するのは早いか。とりあえず

一度クリアしてみないと何とも言えない。ヒロインとのフラグ立てて攻略して……全員分の

エンディングを見るとなるとかなりの時間が必要か。まさか全員鬱エンドってことはないよな。

自分の住んでいるアパートが燃えたりヒロインと一緒に学校の屋上から飛び降りたり……」

 他の誰かが聞いたら、彼の言葉は訳の分からない狂言だと思われるだろう。しかし平哉

にとっては現状把握と今後の行動方針の決定、そして予想される展開を口に出して確認し

ているだけだ。

 

 平哉にとっては珍しくもないごく一般的なものなのだけれど、彼は他のクラスメイト達とは

違う別の世界に浸っていた。二階堂平哉という人間の中から生まれた世界が、平哉本人を

呑み込んでしまっているのだ。プログラムという極限状況への参加を脳が認めようとせず、

現実から目を背けるために選ばれた最終的な手段。それが、彼が日頃から慣れ親しんで

いるバーチャルな世界への逃避。

 平哉本人はその事に気が付いていない。自分が少しずつ、確実に狂っていることも。そし

てもう二度と元の状態へは戻れないかもしれないという事も。

 額に浮かんだ汗をハンカチで拭きながら、未舗装の大地をあてもなく歩き回る。平哉たち

が参加しているプログラムの会場は山の中のホテル周辺ということもあり、ほとんどが人の

手の行き届いていない場所だ。地図上では分からないがかなりの高低差がある場所があっ

たり、森林地帯に面していない場所でも岩が顔を出していたりと、移動しやすいとは言えない

環境である。

 

 その趣味嗜好からは想像できないが、平哉は卓球部で日々真面目に練習に取り組んで

いるので見かけによらず基礎体力はある。とは言え、その平哉でもさすがに疲労は隠せな

かった。

 疲れているときに誰かに襲われたら、という懸念はあるが、平哉はそれほど深刻に捉え

てはいなかった。どこかで一眠りすれば自分のヒットポイントは完全に回復する。ゲームと

はそういうものだ。

 

 平哉の右手には、支給された武器であるUSSR トカレフ(TT33)が握られていた。平哉の

唯一の友人と言ってもいい弓削進(男子17番)から銃器類の話は何回か聞かされていて、

その中でこのトカレフに関する事も挙がっていたのだけれど、会話の内容はあまり覚えて

いなかった。確かトカレフには安全装置がないとか言っていた気もするけれど、そんなのを

気にする必要はないだろう。暴発なんて滅多に起こらないだろうし。

 大切なのは、これが敵を殺すことの出来る道具なのかどうか、ということだ。そしてこの銃

はその条件を満たしている。数時間前に一人、女子生徒を始末(あれは誰だったっけ?)

したばかりだ。

 

 撃てば死ぬ。撃たれれば死ぬ。それは相手にも言えることだし、自分にも言えることだ。

それは当然のように平哉も理解していたし、殺人に対する禁忌も抱いていた。

 けれど今は状況が違う。人を殺しちゃいけないというのは現実での話。これは現実から

かけ離れた世界、プログラム。

 プログラムは現実じゃない。ゲームだ。そう、プログラムはゲームなのだ。だから銃を撃っ

ていい。人を殺したっていい。何をしても最終的に主人公である自分に都合の良い結末が

訪れる素晴らしい世界。

 

 

 

 平哉が気に入っているゲームの一つに、『ガンスリンガー・プリンセス』というものがある。

 現実世界から異世界に飛ばされた主人公がとある国のお姫様と出会い、他国の侵略から

姫のいる国を守るために戦う、というストーリーだ。ゲームのタイトルは、本編に登場する何

人もの姫たちが銃を武器として扱っていることに由来している。ストーリーの進め方次第で

様々なヒロインとのエンディングが迎えられる、いわゆるマルチエンディングシステムがユー

ザーに好評で、平哉が熱中している要因もそれが大きかった。

 

 あのゲームの主人公は平穏とはかけ離れている異世界に飛ばされて、偶然拾った銃を手

に取り、戦っていき、そしてヒロインと出会った。

 自分も同じだ。プログラムという異世界に飛ばされ、そして銃を手に戦っている。

 なら、いつかどこかでヒロインが現れるはずだ。自分に相応しいヒロインが。隣に立ち、共

に戦って死地をくぐり抜け、そして想いを寄せ合うことのできるヒロインが。

 

 ああ――俺のヒロインは誰だろう。誰が俺の前に現れてくれるんだろう。バイオリンを弾く

ことが好きで妹のようなアンリエッタか、世間知らずで何を見ても驚いているリタか、大人び

ているけどぬいぐるみが好きという可愛らしい一面もあるサリエラか……。ああ、考えるだ

けでワクワクする。誰がメインヒロインでも、俺は彼女たちのことを愛する事ができる。この

プログラムで優勝して、グッドエンドを飾ってやろう。

 

 平哉はそのゲームに関する全てのグッズを購入し、アンソロジー本まで完璧に揃えている

ほど熱を入れている。今まで何度かハマったゲームや漫画はあったが、ここまで入れ込む

のは初めてだった。

 このような趣味のせいか、平哉はクラスメイトたちから好意的な印象を持たれていない。

社交的な性格ならばまだしも、平哉はそういった性格とは対照的なものだった。人見知りが

激しく、暗くて気持ち悪いオタク。それがクラスメイトたちが抱いている基本的な人物像だっ

たが、平哉自身は自分がどう思われていようが気にならなかった。

 自分を嫌っている人間が自分をどう思っていようが関係ない。、あいつらが俺のことを嫌

っているように、俺もあいつらの事を嫌っている。俺にとっての全ては、二次元の世界だけ

なのだから。

 

 恋愛の対象も、もちろん三次元ではなく二次元の世界へと向けられている。三次元の女

性なんて好きになるに値しない。というよりも自分の恋愛対象から大きく逸脱している。

 素直で優しく従順な女の子が多い二次元の方が素敵だ。単純に可愛い子が多いというの

に、何故みんなそれを分かろうとしないのか。この熱い思いを弓削進に話したときも、彼は

自分の話を聞き流していた。「俺は嫌だし。自分の彼女に触れないの嫌だし」なんて言って

いたけれど、そんなことを言っているようじゃまだまだ半人前だ。俺たちに肉体なんて必要

ない。脳内で補完するんだ。肉体という既存の概念を超越した脳内で行われる全く新しい

恋愛こそが人類として高みに位置する(略

 

 

 

 平哉は額に浮かんだ汗を拭い、ワイシャツの襟を扇いで服の中に風を送った。冷房設備

のないこの環境は平哉にとって酷なものだったが、不思議と辛くはなかった。これも全ては

憧れのヒロインとエンディングを迎えるため。そう考えれば、この程度の暑さなどどうという

事はない。愛の力の前に敵はいないのだ。

 平哉は深呼吸をして心を落ち着かせ、天を仰いでニヤリと不敵な笑みを浮べる。自分では

カッコいいと思っているその動作も客観的に見ればただの不審者にしか見えないのだが、

あいにくその事実を指摘することのできる人間はこの場にいなかった。

 

 もしもこの時、彼が正常な思考を保っていたとしたら――背後から迫っている人間の気配

に気付く事ができただろうか。

 数メートル先も見えない暗闇の中、背後から迫ってくる人間の気配と僅かな足音に、妄想

の世界へ入り込んでいる平哉は最後まで気付く事ができなかった。

 

 結局彼が襲撃者の存在に気付いたのは、右足へ叩きつけられたマチェットが肉を裂き骨

を断ち切って、流れ出た血潮が足元の地面へと吸い込まれ始めた時だった。

 

 

 

 それは平哉にとって致命的な一撃となったが、彼はまだ自分の身に何が起きたのか正確

に把握していなかった。右足へ細い板のようなものが叩きつけられた衝撃が走り、それから

一拍置いて、激痛と灼熱感がやってきた。

 足に力が入らなくて、立っていられなくなった。攻撃を受けた部分に目を移すと、自分の

右太腿が大きく裂けて千切れかけている光景が目に飛び込んできた。断面が魚の口のよう

に開閉し、太陽の下で見たら濃いピンク色をしているであろう肉と、噴水のように湧き出して

くる血の中に骨らしき白い円柱状のものが見えた。

 

「うっ……うわああああああああああ!!」

 平哉はそこで初めて、自分の身に起きた現実を認識した。敵が現れたんだ! と、やはり

どこかズレた解釈の仕方をしながらも、握っていたトカレフを襲撃者へと向けた。

 

 銃口の先に立っていたのは、真神野威(男子15番)だった。暗くて姿がはっきりと見えなく

ても分かる。自分とは住んでいる世界が違う人間が持っている空気が、ひしひしと伝わって

きた。全身に圧し掛かるようなものではない、足の先からゆっくりと這い上がってくるような、

静かで不気味な威圧感があった。

 

「……ハズレか」

 体温をあまり感じさせない端整な顔立ち。平哉を見下ろすその目は無機質で、感情を窺

わせなかった。

「う、ううううう」

 平哉は湧き上がった怒りと恐怖で唇を震わせた。

 自分はこの物語の主人公だ。その自分が何故、こんな目に遭わなければならない。主人

公はどんな敵にも勝つ、無敵の象徴。お前みたいなボスでもない雑魚敵が敵うはずなんて

ないんだ。

 

 それなのに。それなのに――。

 

「お、俺を、俺を見下ろすな! 俺は主人公だ、強いんだ! こんな所でお前なんかにやら

れるもんか! 最後に勝つのは、俺なんだ!」

 平哉が握る拳銃、トカレフが轟音と共に火を噴いた。しかし平哉が銃を発砲するよりもわ

ずかに早く、威のものではない誰かの足が平哉の手を薙ぎ払うように蹴っていた。発射され

た銃弾は威から大きく逸れ、闇の中へと消えていった。

 

 唖然としている平哉の視界に、暗闇から次々と人間の輪郭が浮かび上がってきた。浮か

び上がってきた人の形は全部で三つ。自分を取り囲むように立っている。

 麻生竜也(男子1番)糸屋浩之(男子2番)、そして萩原淳志(男子13番)。威をリーダー

とする不良グループ、レギオンのメンバーたちだった。

 

 四対一という絶望的な状況。しかも自分は足に大怪我をしている。片足が千切れかけた

状態では、逃げられそうもない。いや、もし最初の一撃をかわしていたとして、体が万全だ

ったとしても逃げ切れるだろうか。

 そう思った直後、平哉の眼前に威の爪先が迫った。平哉はそれを避けることができず、

顔の中心で受け止めてしまった。凄まじい衝撃と、鼻骨が潰れるぐしゃり、という音が脳に

伝わってきた。

 

 あまりの痛みに先程のそれとは比べ物にならない絶叫を上げ、地面の上をのた打ち回

った。痛みが涙腺を刺激し、堰を切ったように流れ出した鼻血が大粒の滴となって雑草の

上に零れ落ちた。逆流した鼻血は口腔へ溜まり、鉄錆の味と生温かい不快感を残す。

 それを皮切りに、竜也、浩之、淳志の三人が容赦の無い攻撃を加え始めた。鼻を押さえ

て悶絶していた平哉の顔に再び爪先蹴りが叩き込まれ、前歯が何本か折れた。平哉は呻

き声を上げながらその場から逃げようとしたが、四つん這いになったところで腹部を下から

蹴り上げられた。胃の中から逆流したものは口腔に溜まっていた血液と混ざり、そのまま

一気に吐き出された。吐瀉物の臭いと血の臭いが、辺り一帯に蔓延した。

 

 淳志たちはそれで顔をしかめたが、それが攻撃を止める理由にはならなかった。相手が

弱みを見せたら、一気に畳み掛けろ。これは淳志たちが生きている世界では常識的な事

だし、何よりもリーダーである威からの”指導”でそう言ったことは嫌というほど教えられてき

た。相手が隙を見せているときほど、相手を屈服させるチャンスが大きい。

 勝つか負けるか。単純な、二極化された世界のルール。情に流されて中途半端な同情を

見せてしまえば、次にやられるのは自分かもしれない。淳志たちは常に、そういった危機感

に晒されながら生きてきた。

 

 平哉は地面にうずくまり、もう逃げようとする様子も見せていなかった。淳志たちは休む

事なく、うずくまった平哉に執拗な暴力を与え続ける。信念も計画性もあったものじゃない。

相手を痛めつける、純粋な意味での暴力。群れて数の力で敵を蹂躙、殲滅する。彼らの

チーム名、レギオンの真骨頂とも言える戦闘方法。

 

「さっきお前は、『最後に勝つのは俺だ』とか言ったな」

 頭上から威の声が聞こえてきて、平哉の心は一気に恐怖で支配された。そして平哉は

ここで初めて、自分が向かい合っている相手が通常のエンカウントバトルによるモンスター

ではなく、イベント戦闘のみにしか現れない敵、いわゆる”ボスキャラ”なのだという事を理

解した。

 

 けれども平哉は、この絶体絶命の窮地に陥ってもなお、”死”という概念に対して希薄な

イメージしか抱けなかった。何故ならばこれは自分が良く知っているゲームの世界で、そし

て自分が主人公なのだから、絶対に負けることはないと信じきっていた。

 例え戦闘で負けてもコンティニューすればまた再開できる。一度負けた敵でも、経験値を

稼いでレベルを上げて挑めば良い。いくら負けても勝つまで続ける事が出来るんだ。諦め

ない限り、主人公である自分の負けは絶対に訪れない。この痛みも苦しみも、所詮は今だ

けのものなんだから。

 

「その時がきても、お前が勝つことは永遠に無い。最後がきたら、お前はもう生きてはいな

いからな」

 威は右手に握っているマチェットを両手で掴み直し、それを天高く振り上げた。既に平哉

の血を吸って赤いまだら模様を描いている刀身に、暗闇の空から差し込む月明かりが反射

する。それはまるで、威の狂気が顕現しているかのようだった。

 

 

 

 平哉は、真っ青になった唇を振るわせ続けていた。コンティニューしたら、コンティニュー

してレベルを上げたら、必ずお前を倒してやる。俺にこんな事をしたことを後悔させてやる。

 とりあえず、”今”の自分は死んでしまうらしい。悔しいけれど、これは避けることができな

いみたいだ。なら今やらなければいけないことは、一つ。

 

 何か――何か名言を残さないと。

 

 漫画でもアニメでもゲームでも、重要な登場人物が死ぬ時は何か言い残していた。そして

それが名言となり、読者の間で語り継がれていく。自分も何か言わないと。時間はもう残り

少ない。早く、早くしないと――。

 

 平哉の口から最後の言葉が発せられる事は無かった。彼の口がわずかに開いた瞬間、

勢い良く振り下ろされたマチェットが彼の頭蓋骨ごと脳を断ち砕いた。脳漿が飛沫となって

飛び散り、辺りに流れ出ていた平哉の血液と混じり合った。

 威は平哉が死んだ事を確認すると、脇に座り込んで彼のデイパックとトカレフに手を伸ば

した。

 

 敵を一人倒したというのに、彼の心の中には晴れることの無い霧があった。憔悴、敗北、

苛立ち、悔しさ、憤怒。様々な感情が入り混じる心の霧は、晴れるどころかその濃さを増し

ていく。

「渡良瀬、道流……」

 誰に言うでもなくそう呟くと、威は奥歯を噛み締め、拾い上げたトカレフのグリップを強く

握り締めた。

 

男子12番 二階堂平哉 死亡

【残り21人】

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