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 春日井洸(男子4番)と出会った当初は、蓄積した疲労や二階堂平哉(男子12番)に襲撃

されたショックで見るからに顔色が悪かった桐島潤(男子6番)も、洸の後について歩いてい

るうちに徐々に落ち着きを取り戻していた。体力こそまだ全快というわけではないが、少な

くとも追ってくる誰かから逃げる心配はしなくてもよさそうだ。

 

 樹や藪がまばらに点在する平地を、できるだけ遮蔽物で身を隠しながら歩いていく。洸は

時折立ち止まっては、闇夜の静寂の中に耳を澄ませていた。人の動く音が無いことを確認

すると、再び歩き始める。死と隣り合わせのプログラムだというのに自分を見失っていない、

実に落ち着いた立ち振る舞いだった。潤がそれを見てそんなに驚かなかったのは、普段の

洸が常日頃からそういった行動を見せていたからだろう。

 どうやら洸はこの辺りの地形に詳しいようで、一度も地図を広げることなく、迷いを見せず

に歩いていた。

 

 しばらくすると視界が開け、ほのかに水と緑の匂いがした。地図にも記されている大きな

湖が洸と潤の前に広がっていた。大きすぎるからだろうか、それとも今が夜だからだろうか。

 潤の目に映る湖は、向こう岸がまるで見えなかった。湖面は月明かりを反射し、キラキラと

まるで宝石のような輝きを見せている。昼間に来れば湖面の様子も確認できただろうが、

真夜中の今では黒いカーテンが揺らめいているようにしか見えなかった。

 

 二人はそのまま湖岸沿いを歩いていった。洸がどこを目指しているのか分からないが、

とにかく付いていく事を承諾した以上、今更「やっぱり止める」などとは言えない。

 これはプログラムなんだから、ひょっとしたら自分を安心させておいて、隙を見せたところ

で殺すつもりなんじゃないか――とか考えていないとおかしいのかもしれない。けれど潤は

不思議と、そんなことは一片も思い浮かばなかった。普段から交流があるにしても少しくら

い疑った方がいいのかもしれないが、先を行く彼の背中を見ているうちに、潤は何となくそう

感じていた。

 

 しばらく歩いていると、桟橋と廃屋のようなものがある場所に辿り付いた。桟橋に数台の

手漕ぎボートが置いてあるところを見ると、廃屋にしか見えないあの小屋は、どうやら管理

場所とか倉庫とか、そういった使用目的がある場所らしい。

 

 

 

 早速小屋の中へ入ろうと足を進めた潤だったが、先を行く洸は小屋の中へ入らず、小屋

の脇に移動して壁に背を預け、そのまま腰を下ろしてしまった。

 不審に思った潤がその理由を尋ねてみると、洸は顔色一つ変えず「中で人が死んでいる」

とだけ答えた。

「人が死んでる、って……」

 洸の言葉は素っ気無い。事実を事実のまま口にしているだけだ。そんな彼の顔を見て、

潤はわずかに眉を寄せる。

「そんな不満そうな顔をするなよ。俺も別に、何とも思っていないってわけじゃないさ」

 見抜かれていた。暗いからわずかな表情の変化は分からないだろうと思っていたが、

あまりにも簡単に潤が抱いている不満を指摘した。ひょっとしたら、初めから潤がこういう

反応をすると分かっていたのかもしれない。

 

「死んでいるのは小林だ。全身を撃たれている。俺も本当は中に入ろうとしたんだが、中の

状態が状態だからな」

 小林良枝は割りと早い段階で名前を呼ばれていた。少なくとも、死後半日以上は経過して

いるだろう。真夏の小屋の中で放置された死体がどうなっているのか。そんな事、考えたく

も無い。

 洸の言うとおり、確かに小屋の中へは入れそうになかった。良枝に失礼かな、と思って、

少しだけ胸が痛んだ。

 

 

 

 潤も同じように小屋の壁に背を預け、洸の隣に座った。デイパックからミネラルウォーター

を取り出し、一気に飲み干したい衝動に駆られながらも、二口ほど飲んでキャップを閉じた。

 洸も同じように自分のミネラルウォーターを口に含むと、横に座っている潤に視線を向け

た。その黒い瞳から、潤は反射的に目を逸らす。彼と視線が合うと、何だか怒られるような

気がして落ち着かない。

 

「これからどうするつもりだ?」

「どうするって……」

「やる気になっていないと言う事は、何かしら他の目的があるということだろう」

 洸はそれだけ言うと、ミネラルウォーターをデイパックの中に戻し、潤の方へ向き直った。

「俺にも目的がある。お互いの利害が一致しているのなら、組んで行動しても損は無いだ

ろう?」

 

 ようするに、自分と一緒に行動しないか、と勧めているらしい。

 これは潤にとって非常に魅力的な申し出だった。涼音を見つめるために一日中会場を移

動したが、情報どころが話を聞ける人物に会うこと自体が稀だった。このままの調子では

いつ涼音に会えるか分からないし、第一に自分の体力が持つかどうか心配だった。この

疲労を引きずったまま二日目に入ったとして、自分が無事でいられる保障はどこにもない

のだから。

 

 しかし、それをすぐさま受諾するほど潤も馬鹿ではない。

 

「……何で、俺にそんな話をするんだ? 俺が裏切るかも、とか、考えてないの?」

 それが疑問だった。洸とは仲の良い方だし付き合いもあったが、それでも彼はどちらか

というと、鏑木大悟(男子5番)とか黛真理(女子13番)といった、運動部系の人物と接して

いる機会が多かった。

 

 出会って間もないばかりの自分に、何故そう簡単に勧誘の話を持ちかけるのか。

 自分を信用する理由は何なのか。

 疑心暗鬼になってしまっているな、と自覚していても、聞かずにはいられない疑問だ。

 

「考えてないね」

 潤の思いとは裏腹に、返ってきた答えは非常にあっさりとしたものだった。

「普段のお前を見ていれば、信用できるかできないかってことくらいすぐに分かる」

「けど、今はプログラムじゃないか。普段の事なんて……」

「まあ、そうなんだけどな。けどさっき会ったお前は、学校で見ているときとあまり変わらな

かったから。だから俺は、お前は信用できるなって思っただけさ」

 

 学校で見ているときと、あまり変わらない。

 自分は自分の姿を見ることはできないから、他人にどう見られているのか、どう思われて

いるのかは分からない。

 だから今の洸の言葉を聞いたとき、潤は少し嬉しかった。それは通常感じるものとは違う

安堵にも似た嬉しさだった。

 

 プログラムという非日常の世界に足を踏み入れ、良く知っているつもりだったクラスメイト

の変貌を目の当たりにしたことにより、潤の中で積み上げられてきた日常という名の土台

は非常に脆く、少し叩いただけで崩れてしまいそうになっていた。自分の知っている人が

赤の他人になってしまっている。それと同様に、みんなの目から自分がどう映っているのか

気になっていた。

 

 普段仲の良かった人物から信用されない。それは自分自身というものを丸ごと否定され

ているような気がした。

 信じてもらえないのなら――自分たちが過ごしてきたあの毎日は何だったのだろう、と。

 全幅の信頼を寄せていた涼音に同行を断られた事により、潤のその思いは強迫観念に

も似た状態になっていた。

 自分が桐島潤という一人の人間なのかどうか。そんな当たり前の事すらも、見失ってしま

いそうだった。

 

 そんな潤に、洸は先程の言葉をかけてくれた。

 学校で見ているときと、あまり変わらなかったから。

 なんてことのない、たったそれだけの言葉だけれど、潤は救われたような気がしていた。

 俺は俺なんだ。俺はまだ、俺でいられるんだ。そんな当たり前の事が、ひどく嬉しかった。

 

 

 

「洸はさっき、”お互いの利害が一致しているなら”って言ってたけど、何か目的があって行

動しているの?」

 洸ほどの人物が何の行動目的も無しに、ただ無意味に時を過ごすとは思えなかった。もし

かしたらこの状況を打開するような、自分では思いつかない凄い作戦を考えているのかと思

ったが、洸の返事は潤が期待していたものとは全く別のものだった。

 

「人を捜しているんだ」

 洸の目的が自分と同じ特定の誰かを見つけることだと知り、潤は少し驚いた。こう言って

は失礼だが、何だか彼には人捜しをするようなイメージがない。

「大悟を捜している。どこかで見なかったか?」

 その名前を聞いて、潤は思わず「大悟を?」と聞き返した。今自分の顔を鏡で見れば、

きっと目を丸くしているに違いない。

 

「大悟なら、プログラムが始まってすぐに会ったよ」

「何だって? なら今、あいつはどこに――」

「それは……」

 これから先の事は少し言いにくかったが、しかし言わないわけにもいかないので、潤は

そのまま話を続けた。

「ゴメン。今大悟がどこにいるのか、どうしているのかまでは俺にもわからないんだ。あいつ

と合流してすぐに逆瀬川さんがきて彼女に襲われたんだけど、その時に大悟が自分を囮に

して、俺だけ逃がしてくれたから……」

「……そうか」

 洸の声には、相変わらずあまり感情が篭っていなかった。けれど小さな溜息が聞こえてき

たので、落胆しているということだけは分かる。

 その様子から察するに、自分が涼音に会いたいのと同じくらい、彼も大悟に会いたいと思

っているようだ。

 

 洸と大悟は共にバスケ部に所属しており、一年生の頃から部の中で活躍していた。スポー

ツにはそれほど興味のない潤でも、知り合う前に何度か二人の名前を聞いた事がある。

同学年に凄くバスケが上手な二人がいる、と。

 部の中でも良きコンビとして知られている二人は、学校生活の中でも一緒にいる時が多

かった。物静かな洸と、みんなの中心に立っている事が多い大悟。印象を見れば正反対

だが、言い争いとかケンカをしているところはほとんどなかった。

 タイプは正反対だけど、いつも一緒にいる。まるで磁石のS極とN極のような関係。

 

「プログラムの中でも他人の事を気遣うか。あいつらしい」

「そう言う洸だって、俺を助けてくれたじゃないか」

「俺は自分の利益を考えて行動したまでだ。向こう見ずなあいつの行動と一緒にしないで

くれ」

「はぁ……」

「それに無謀だな。無謀で単純で短絡的」

「…………」

 そこまで言われてしまう大悟が可哀想に思えてくる。

「それでも、大悟の事を心配してるんでしょ?」

「心配というか……落ち着きの無い犬を散歩している飼い主の気分だ」

 洸は呆れたように嘆息する。どことなく洸には似合わない仕草だった。

「あいつと村崎が一緒に行動していると最悪だな。スーパーに売っている商品を片っ端から

カゴの中に入れていく子供を見ている気分だ。騒いでいる本人たちはいい気分だろうけど、

後で処理をするのは俺だし」

「何か変にリアルな例えだね……」

 

 

 

 それから二人は話し合いの末、正式にチームを組む事を決定した。潤は涼音を、洸は

大悟を見つけるまでという約束だった。いずれかの捜し人を発見した後もこのチームを続

けるのか、ということに関しては、まだ答えが出ていなかったが。

 二人は雑談を交えてお互いが持っている情報を交換したが、潤にとって有益となる情報を

得る事はできなかった。洸はプログラムが始まってからほとんど誰とも遭遇しておらず、姿

を見た事があるのは刀堂武人だけだった。その武人も、今は死亡者の中に名を連ねてし

まっている。

 

 洸に支給された武器は小振りの刀で、俗に言う小太刀というものらしい。洸いわく、まだ

一度も使ったことが無いそうだ。

 やる気にはなっていないという洸の言葉は、嘘ではないと思う。二階堂平哉に追いかけら

れていた自分を助けてくれた時や、会話をしていた時の雰囲気を見てもそれはまず間違い

ないだろう。

 

 それに、潤は洸の事を信じたかった。例えこのチームがわずかな間のものだとしても、

彼のことは疑いたくない。疑い続けたら、それこそキリが無い気がした。

 

【残り22人】

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