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 桐島潤(男子6番)は、手にした小さな機械の液晶画面の左端に赤い四角形が現れたのを

見て、ぴたりと歩みを止めた。その液晶画面をよく見てみれば、画面の他の場所にも同じよ

うな赤い四角形がいくつも表示されているのが分かる。

 

 潤は現在、会場の左端となっているD−01エリアにいた。そのすぐ側にはE−01があり、

つい一時間ほど前に行われた定時放送で一時から禁止エリアの指定を受けている。そして

潤が持っている時計の長針は、午前一時をほんのわずかに経過していた。

 彼に支給された武器は政府の連中が言うところのハズレ武器には属さないだろうが、それ

が武器と呼べるのかどうかと聞かれたら、使用者である潤本人も”NO”と答えるだろう。しか

し考え方を変えれば、これは銃よりもずっと実用性のある武器だった。

 

 潤は自身の支給武器である高性能ナビを片手に、周囲の禁止エリアを確認しながら、慎

重な足取りで真夜中の森の中を進んでいた。高性能ナビには会場の地図と所持者の現在

位置が表示されるようになっており、禁止エリアの状況もリアルタイムで反映される。先程

画面に表示された赤い四角形は、画面に表示されていたエリアの一つが禁止エリアになっ

たことを告げるものだった。

 

 

 

 額に浮かんだ汗を拭いながらペットボトルを取り出し、水を口に含む。一気に飲み干した

い衝動を抑えながら少しずつ飲んできたが、残量は既に半分をきっていた。

 プログラム開始から一日が経過している。その間、潤はほとんど休憩を取らずに会場の

中を歩き回っていた。真夏の太陽は潤の細い体から容赦なく体力を奪い、疲労感を蓄積

させていく。昼間に歩き回ったせいか、頭にもやがかかったようで思考がおぼつかない。

いくら時間が惜しいとは言っても、適度な休憩は取っておくべきだったと、潤は今更ながらに

後悔していた。

 

 動けば動くほど危険性が増すプログラムで、渡良瀬道流(男子18番)のような強さも持ち

合わせていない潤が武器らしい武器も持たずに移動する理由。他人が聞けば馬鹿らしいと

笑うかもしれない。こんな状況で? と呆れられるかもしれない。もっと他にやらなければい

けないことだってあったはずなのに、こうすることしか頭に浮かばなかった。

 

 その結果、潤はプログラム開始から琴乃宮涼音(女子4番)を探し続けている。スタート地

点で彼女が自分の誘いを断り、離れ離れになってしまってから、まだ一度も彼女の姿を確

認できていない。姿はおろか、どの場所で見た、という情報すら掴めなかった。

 一日をかけて散々会場の中を歩き回った潤だが、その間で遭遇した人物はほんの二、三

人だった。やる気になっていた奴、自分を助けてくれた奴、何もしていなかった奴。それぞれ

がそれぞれの生き方を選択していた。学校にいたときと同じ顔をしている奴もいれば、そう

でない奴もいた。姿かたちは自分が知っている人のものなのに、何だか別の人と接している

ような感覚を覚える。危機的状況に陥ると人は変わると言うけれど、多分そういうことなの

だろう。

 

 自分はどうなんだろう。他の人から見ればいつもの桐島潤と変わらないのだろうか。それ

とも自分がそう感じたように、別人のような印象を与えてしまっているのだろうか。

 涼音は、どうなのだろう。自分と二人きりでいる時ですら滅多に表情を崩さないくらいだか

ら、そう簡単に変わるとは思えない。けれどもしかしたら、まるで子犬のようにぶるぶると震

えているのかも。不謹慎ながら、その姿を想像したら少し見たくなってしまった。

 

 涼音にだけは何が何でも会っておきたいが、他の友人たちの事は置いておいて、という

わけではない。常に行動を共にしていた主流派グループの安否は気になっていたし、特に

交流の深かった渡良瀬道流、黛真理(女子13番)村崎薫(女子15番)の三人の行方が

気掛かりだった。プログラム中に出会った鏑木大悟(男子5番)佐伯法子(女子6番)

今も無事でいるだろうか。法子はともかく、大悟は感情に身を任せる傾向があるので厄介

な事に巻き込まれていないか心配だった。現に彼はスタート直後、自分の身を囮にして潤

のことを救っていた。

 

 出来ることならみんなと合流したいが、親しいメンバーどころか人間の姿すらはっきりと

確認できていないこの状況で、全員を探し出すというのは非常に困難だろう。もしも誰かが

自分と同じように、特定の人物を見つけるために奔走していればその確率も上がるが、け

れどそれは少し、希望にすがり過ぎている。

 

 潤は手頃な大きさの倒木に腰を下ろし、ぐっと体を反らした。視界いっぱいに、真夏の夜

空が広がった。ちらちらと小さな星がいくつも瞬いている。風が吹き、周囲の草木と共に潤

の前髪を揺らしていった。もう夏だし、だいぶ伸びているから切ろうかなと思っていた。思い

切って短くしてしまおうかとも考えていた。涼音に聞いてみようとしていたけれど、いきなり髪

を切って彼女を驚かすのもアリだなと思い、結局何も言っていないままだ。

 

 プログラムが始まってから、その恐怖と絶望感に何度も何度も押し潰されそうになった。

だけど涼音の事を考えると、少しだけ気分が楽になった。まだ自分は頑張れる。先へ歩い

ていける。そんな気分になれた。

 彼女はいつだって自分に弱みを見せなかった。面白い事があったら柔らかく微笑んでくれ

れるし、納得のいかないことがあれば静かな声でそれを口に出す。けれど愚痴とか悩みと

か、自身の弱さとなっている面をさらけ出そうとはしなかった。いくら落ち着いているとは言

っても、彼女もまた人間だ。気に入らない事もあれば、誰かに相談したい事だってある。

 

 だが涼音はそういったものを、自身が持つ退廃的な雰囲気の裏側へしまい込んでいた。

何かあればすぐに気持ちを直接表へ出してしまう潤には、そんな涼音の姿が美しく、輝いた

ものに見えた。

 けれど、心配事はある。自身の気持ちを押し殺しすぎて、涼音は疲れきってはいないだろ

うか。他の人に弱みを見せなくても、自分の前では素直になって欲しい。涼音だけが重い

荷物を背負う必要は無いのだから。

 

 自分ではまだ、役不足なのだろうか。彼女が背負っているものを請け負い、二人で一緒に

進んでいくには、自分ではまだ。

 

 

 

 そこまで考え、潤は一旦思考を別の所へと切り替えた。座っていた倒木から離れ、中腰の

まま闇の中をじっと見つめる。それほど大きくはないが、しかしはっきりとした人の足音を潤

は聞いたのだ。

 黒く染まった空間から浮かび上がってきた姿は、二階堂平哉(男子12番)のものだった。

何かに対して警戒しているような素振りは見せておらず、いたって普通の歩調で歩いている

のが逆に不気味だ。

 

「桐島くん……だよね」

 潤を見つけた平哉はニヤッ、と口の端を吊り上げ、潤を見据えたままマイペースな歩調で

歩み寄ってくる。その視線は潤を睨んでいるわけでも観察しているわけでもなく、本当にただ

見ているだけ、という感じだった。

 

 平哉は表情の豊かな方ではないが、今の彼はどこかが――何かがおかしかった。潤は言

いようのない不安を感じ、悟られないようにゆっくりと後退りをする。

「ああ、良かったぁ。強い人じゃなさそうで。俺はまだそんなに経験積んでないし、武器も揃

ってないから今の段階で強敵と戦うとキツイんだよね。今の装備で倒せるだけ敵を倒して、

その過程でどんどん強い武器を集めていかなくちゃ」

 

 ぞっ、と背筋に悪寒が走った。

 潤はそれと同時に、先程自分が感じた、あの言いようのない不安の正体を知る。

 

 彼は、平哉は現実のものを現実として見ていない気がする。ドラッグでハイになった状態

というか、まるで夢遊病患者のような言い回し。確かに普段の平哉はよくアニメやゲームの

話をしていたが、架空と現実の区別くらいついていたはずだ。

 

「とりあえず敵倒してレベル上げて武器手に入れて、それからヒロインとのフラグを立てない

と。うーん……誰にしようかなあ。こういうシステムのゲームってエンディングとかイベントが

変化して面白いしやり応えもあるんだけど、こういう時に困るんだよね。まあそれも二周目を

攻略する時のお楽しみっていうか、モチベーションを保たせるようなものなんだけどさ」

 平哉は口元に手を当て、何やらぶつぶつと呟き始める。潤の耳にはその言葉の端々が届

いてくるが、先程の台詞と同じく何を言っているのかさっぱり分からない。

 

「さっき倒した奴は弱っちくてさぁ。ほんと、手応えも何もあったもんじゃないよ」

 幻想の世界へどっぷりと身を浸している平哉の台詞は非常に曖昧なものであったが、そ

れでも潤は、彼が言う”敵を倒した”ということは、クラスメイトの誰かを殺したということなの

ではないかと確信に近い推測を抱いていた。

 もう一度注意深く目を凝らし、平哉の全身をくまなく観察した潤は、彼が右手に拳銃を持

っていることに気付いた。以前に遭遇した萩原淳志(男子13番)が持っていたものとは違う

オートマチックタイプの拳銃だった。

 

「桐島くんは――どうなのかな。俺に経験値、くれる?」

 その台詞を言い終えた直後、平哉は実に自然な動きで銃を構え、潤に向けて照準を合わ

せると同時に何の躊躇いもなく引き金を引いた。

 銃声と共に撃ち出された弾丸が空を切り裂き、鼓膜が破裂するような轟音を残して潤の

頬を掠め、闇の中へと消えていった。

 

 平哉が前へ一歩を踏み出すのと同時に、潤は身を翻して東に向けて走り出した。ここは

西の果てに位置するエリアで、更につい先程、すぐ南にあるE−01が禁止エリアとなってし

まっている。東に向けて走るしか、逃げる道がなかった。

 話し合いをしようという選択もあったが、それを実行する事はほぼ不可能だ。見た限り、

平哉は正常な思考能力を失ってしまっている。ひょっとしたら会話が成り立たないかもしれ

ない。考え方の違いならまだしも、意思疎通が不可能な相手に対して説得を試みるほど潤

は自分の力を過信していなかった。その相手がやる気になっている、というのなら尚更だ。

 

「あはははっ、どこへ行こうっていうんだよぉ」

 潤が背を向けて走り出した直後、平哉の手に握られているトカレフが再び火を吹いた。

その弾丸は運良く潤の右腕を掠めただけで済んだが、潤の顔は蒼白になり、その顎は小

刻みに震えてカチカチと音を鳴らしていた。

 

 ――ほ、本当に撃ってきた! あいつ、本気で俺を殺すつもりなんだ!

 やる気になっている人物と出会うのも、拳銃を向けられて発砲されるのもこれが初めてと

いうわけではない。けれども銃弾によって傷を付けられたのは、今回が初めてだった。

 口頭でのものとは違う、はっきりとした殺意の塊。右腕の痛みとそこから滴る生温かい液

体のせいで、『死』が今まで以上にリアルなものとして感じられた。

 

 ――俺、このまま死ぬのか? ここで撃たれて、殺されるのか?

 ゾッとした。自分の周りだけ一気に温度が下がって、無限に広がる暗闇がじっと自分の事

を見ているように感じられた。次第に身体が重くなり、思うように足が動かなくなってきた。

潤はお世辞にも運動神経がいいとは言えない。自分が先にスタートしたから逃げ切れると

思っていたが、舗装されていない山中を疲れきった身体で全力疾走するのは、潤が予想し

ていた以上に体力を奪っていたらしい。

 

 息が乱れ、ヒューヒューという呼吸音が口から漏れ始めた。脇腹がズキズキと痛み、つい

には意識が朦朧とし始めた。このまま走り続けたら倒れるのも時間の問題だろう。

 気になって後ろを振り返ってみる。平哉の姿は見えなかったが、すぐ近くから発砲音が聞

こえてきた。潤が撃たれた時に聞こえた銃声と同じ音。あいつは、平哉はまだ自分を探して

いる。

 

 恐怖感と共に浮かび上がってきたのは、涼音の顔だった。

 涼音に会いたい。だけどここで俺が死んだら、涼音に会えなくなる。

 ここで死んだら会えなくなる。なら死ななければ――あいつを殺せば、俺は涼音に会える

のか。さっきみたいに、涼音を探すことができるのか。

 

 あいつを殺しさえすれば。

 

 嫌だ。怖い。怖い。殺すのも、殺されるのも。

 何でみんなそう簡単に誰かを傷つけられるんだ。俺はダメだ。できない。そんなことでき

ないよ。そんなこと、俺には――。

 

 

 

 撃たれた右腕を押さえながら森から出ると、木や藪といった遮蔽物が多い場所を選んで

走り続ける。この辺りは開けているので木々や茂みが少なく、銃弾を防いでくれる自然の

バリケードには期待できない。どれだけ相手のとの距離を空けることができるか、それが

生命線となっていた。

 このまま走り続ければ、やがては左手側に湖が見えてくるはずだ。湖が見えてきたら水の

中に入って、あいつをやり過ごそう。

 

 そんなことで本当に平哉の追跡から逃れられるのか。不安は拭いきれなかったが、この

まま走り続けていたら確実にこちらがやられる。ならばどこかでやり過ごすしかなかった。

 スピードこそだいぶ落ちたものの、それでも一心不乱に走り続けた潤は、もう目の前に湖

が見えるまでの距離にきていた。後ろを確認してみるが平哉の姿も、銃声も確認できない。

 

 ――逃げ切った……のか?

 その思考に答えるようなタイミングで、潤の右肩に何かが食い込んだ。その感触、大きさ、

形状。こんなもの、人の手以外に考えられない。

 

「うわああああああっ!!」

 まさか、追いつかれた?

 あまりの恐怖で悲鳴を上げた潤は手にしているデイパックを振り回そうとしたが、それより

も早く潤の口が何者かの手によって塞がれた。

 潤は自らの死を覚悟した。だがいつまで経っても、痛みも衝撃もやってこない。不思議に

思った潤は、閉じていた目を恐る恐る開けてみた。

 

 潤の視界に真っ先に入ってきたのは、自分と同じ白いワイシャツと黒いズボンをはいた

男子生徒の姿だった。耳が被るくらいの長さの黒髪は中央で分けられており、やや線の細

い体躯をしているが、よく見るとちゃんと筋肉がついていることが見て取れる。吊り上がった

眉も目もやや細めで、この闇の中でも彼の落ち着いた面持ちを確認することができた。

 

「大声を出すな。敵に気付かれる」

 春日井洸(男子4番)は潤の耳元で小さく囁き、彼の口を塞いでいた手をゆっくりと離した。

「誰かに追われているのか?」

「え? う、うん。さっきからずっと二階堂に追われていて、ここまで走ってきたんだ」

 潤は後ろを振り向き、自分がやってきた方向を指差した。

「なるほど。じゃあさっきから聞こえていた銃声はお前たちだったのか」

 洸はそれほど驚いていないらしく、表情を変化させる事なく淡々と現状を確認していた。

「やる気になっている……というわけではなさそうだな。その様子を見ると」

 殺意があるのかどうかを確認してくる時点で、潤は洸が自分を殺すつもりではないという

ことを認識した。もし最初からやる気なら、こんな会話の機会をわざわざ設けたりしないだ

ろうし。

 

「洸も、やる気にはなってないみたいだね」

「まあな」

 潤と洸はクラスの中でも主流派と称されているグループに属していたが、お互いに直接的

な接点はあまりなかった。けれど仲が良いか悪いかと言われたら良い方だし、それなりに親

交もあったので過度な疑心暗鬼を抱く心配は無さそうだった。

 

「驚かせてすまない。お前の事だからないと思っていたが、念のため危険かどうか確かめて

おきたかった」

「ううん、別に気にしていないよ。俺も多分、同じ事していたと思うし」

「だいぶ疲れているみたいだが、立てるか?」

「大丈夫だと思うけど、走るのはちょっと無理かも」

 荒い呼吸を繰り返しながら、潤は紅潮した顔のまま不甲斐なさそうに答えた。

 そんな潤の様子を眺めていた洸は再び潤の腕を掴み、自分の肩へ回した。

「とりあえず、別の場所へ行こう。ここは少し人目につきすぎる」

 

【残り22人】

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