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 プログラム会場の端、木々が立ち並び分厚い緑に覆われていた場所の一角で、辺見

順子(女子12番)は深い溜息をついた。日が沈んでからは睡魔に襲われウトウトしてい

たが、つい先程流れた三千院零司の定時放送が彼女の意識を覚醒させた。その時の

放送では高槻彰吾、本庄猛、桧山有紗の三名が新たに死んでいる事が分かった。夕方

の放送で名前を呼ばれた篠崎健太郎と同じ野球部の二人が、健太郎の死からそれほど

間を空けずに命を落としている。もしかしたら三人は一緒に行動していたのだろうか。

それとも別々の場所で、それぞれ違う死に方をしたのだろうか。いくら考えたところで答

えは出てこないが、ともかくこれで野球部三人組は全員プログラムから退場してしまった

ことになる。

 

 それよりも、直後に流れた禁止エリアの通知のほうが順子にとって重要な深刻な問題

だった。零司によれば一時からE−の01、三時からG−03、そして五時からはB−09

が新たな禁止エリアとして追加される。地図を見て進んでいたわけではないので正確に

は分からないが、順子は自分のいるエリアがだいたいE−01付近ではないか、と見当

をつけていた。午前一時まであと一時間を切っている。ここはE−01じゃないだろうと

安心しきってここにいて、時間になったら首輪がドカン、ということになったら洒落になら

ない。死ぬつもりは無いけれど、もし死ぬんだとしたらもっと自分に相応しい優雅な死に

方がいいな。ドラマなどでよくある、恋人に看取られながら静かに息を引き取っていくヒ

ロイン。できればああいう死に方が理想だ。

 

 縁起でもない考えはお終いにして、順子は隠れていた木の陰から姿を現し、会場の西

へ向けて歩き出した。北や南と違い、そちらはまだ禁止エリアにヒットする確立が少ない。

西には野球場や湖などがあるため、到着すればすぐに分かるだろう。

 

 動けば動くほど危険性が高まるこの状況だが、さすがに禁止エリアだけは例外だ。動

かなければ自分が死ぬことになってしまう。少しくらい危険なんて気にしてはいられない。

 禁止エリアも重要だが、順子に移動を決意させた理由はもう一つある。それはただ単

に、何の設備も整っていない夜の山で再び一夜を明かさなければならない、という状況

に我慢することができなかったからだ。

 

 

 

 矢井田千尋(女子16番)のグループで周囲からは不良娘との認識を持たれている順

子であったが、肌の手入れや化粧など、自分を着飾り美しさを維持するための努力を

欠かしたことはなかった。

 

 順子の自慢はバランスの取れたプロポーションだった。その手足はすらりと伸び、茜ヶ

崎恭子(女子1番)とは異なるタイプの大人びた雰囲気を醸し出している。肩口まで伸び

た髪は軽くパーマがかかっており、持ち主の美貌を引き立てるリングやブレスレットなど

は過剰ではないレベルで身に付けられていた。アクセサリ類は山ほど持っているが、そ

れらを付けられるだけ付けるなんていう馬鹿な真似はしない。その時の服装、その時の

状況に合ったコーディネイトをして、常に違った美しさを演出するのが順子のこだわりだ。

同じグループで既に死んでしまった片桐裕子はとりあえず綺麗なものを片っ端から身に

つけていたが、あれはアクセサリの正しい使い方ではない。まあ、自分よりも美しさに劣

る連中は、そうする事でしか美を演出できないのかもしれないが。

 

「クラスでもトップクラスの美人」と評されている順子にとって、他の女子生徒たちは遥か

に下の存在でしかなかった。女性にとって美しさはなくてはならないものだし、美しくない

女性にはそれほど価値が無い、と思っていた。このクラスで自分に対抗できそうな生徒

といえば琴乃宮涼音(女子4番)桧山有紗(女子11番)、それに夕村琉衣(女子18番)

くらいなものだろう。

 

 そのうちの一人、桧山有紗は先程の放送で名前を呼ばれていた。これで涼音と琉衣が

死んでくれたら、このクラスで――いや、学校で私に敵うものはいなくなる。美という名の

フィールドで自分がトップに立った時の事を想像し、思わず順子の顔が綻んだ。こんな

状況であろうと、嬉しいものは嬉しい。

 

 常に自分を着飾り、美しさを第一として考えている順子にとって、真夏の山中で行われ

るプログラムは悪夢そのものだった。日焼け止めや化粧水、乳液などといった化粧品は

バックの中に入っているが、それらが入ったバックは学校に置いてきてしまっている。

 順子たちは給食に睡眠薬を混入されて拉致されたため、事前にプログラムに選ばれる

ことを知っていない限りそれらを持ってくることは不可能だった。

 

 燦々と照りつける太陽、狂ったように泣いているセミ、長時間外に放置されたため、

すっかり泥と埃まみれになってしまった制服。自分を取り巻く環境が全て悪意を持って

いるかのように感じられ、順子は非常に不快な思いをしていた。

 今なんかまだいい。夕方近くにはムカデのような気味の悪い虫が足元を這いまわって

いた。順子はあまりの恐怖と衝撃で悲鳴も上げられず、ただただ石のように硬直してい

るばかりだった。

 

 できることなら、今すぐ声を張り上げて泣き叫びたい気分だった。何で自分がこんな目

に遭わなければならないのだろう。悪い事をしていないと言えば嘘になるが、それでも

こんな目に遭わなければいけないほどの悪さはしていないはずだ。万引きとか、大人の

相手とか、大人しそうな子をちょっと脅したりとか。悪い事だが、まだ許される範囲内の

ことだと思う。真神野威(男子15番)なんかと比べたら、随分マシだろうし。

 

 プログラムをやるんだったらどこかの巨大な施設とか、ビルを丸ごと貸しきってやれば

いいのに。何で山の中で、それもよりによって七月にやらなければいけないのか――。

 もちろんプログラムをやらないという事が一番良いのだが、怒りの矛先はこの悪質な

環境と、その中でのプログラム実施を決定した政府に向けられていた。何の設備も整っ

ていない山の中。土。埃。草木。鳥や虫の鳴き声。考えるだけでゾッとする。順子が日々

目指している”美しさ”とは対極に位置する環境だった。

 

 私にこんな場所は相応しくない。だってそうでしょう? 綺麗なドレスを着たシンデレラが

お城ではなく山の中にいたら、それはもう場違いを通り越して滑稽だもの。

 

 化粧をすることができないというのもそうだが、順子にとって一番耐えられない事は体

を洗うことができない、ということだった。真夏の山の中で一日を過ごせば、順子でなくて

もシャワーを浴びたくなる。しかしプログラムでは会場内のガス、水道、電気全てが止め

られており、シャワーを浴びるという願いは到底叶いそうもなかった。

 

 これは順子にとって精神的な死刑宣告のようなものだった。汗を流した体を洗えない

なんて、そんなの――。

 

 意識的にそのことを忘れようとしていたが、制服の下で肌が生地に擦れる度、忌々しい

その現実が浮かび上がってくる。体に悪寒が走り、喉の奥から吐き気が込み上げてき

た。ああ、私が汚れていく。美しさが失われていく。今まで積み上げてきたものがぼろぼ

ろと崩れていくような気がして、自分がもう元の自分には戻れない気がして、どうすれば

いいのか分からなくなってきた。そのうち涙が溢れてきて、順子は声が外に漏れないよ

う、喉の奥で声を押し殺しながら泣いた。

 

 

 

 西へ向かって歩いているうちに、”体を洗いたい”という順子の願望は爆発的なまでに

膨れ上がっていた。プログラムなんてどうでもいい。もうその事しか考えられなかった。

 順子は地図を広げ、進行方向に何があるのかを再度確認する。このまま真っ直ぐ西

へ歩いていけば湖が見えてくる。そこにいけば、夜の今なら、人目に付くことなく体を洗う

ことができるかもしれない。湖の水なんて何が入っているのか分かったものではないが、

それでも体を洗えないという事よりは何百倍もマシだった。とりあえず汗を流して、体を

綺麗にして、家に帰ったらそこで念入りに体を洗おう。半日くらい――いや、一日かけて

失われた美しさをを取り戻さなきゃ。

 

 手元の腕時計の針は、夜中の零時五十分を差している。日差しは月明かりに変わっ

ているが、気温は決して低いとはいえない。それでも行動する分には、昼間よりも随分と

楽に動く事ができた。

 順子は右手に園芸用スコップを持ちながら、歩き慣れていない山道を一歩ずつ先を確

認するようにゆっくり進んでいた。時々木の根っこなどが飛び出していて地面が不安定

な上に、今は夜中の一時近くのため全くと言っていいほど先が見えなかった。疲労は蓄

積していくにが、なかなか距離は縮まない。苛々は募るばかりだが、ここは地道に進ん

でいくしかなかった。

 

 つまづかないよう足元に細心の注意を払いながら進んでいるうち、周りの空間の大部

分を占めていた木々の数が徐々に少なくなってきた。視界が開け始め、やがて道の先

がややなだらかな斜面になっている事が確認できた。木立が切れていて、昼間ならば

遠くの景色も見えるであろう見晴らしの良さそうな場所だった。そこに立った順子は、深

い闇の中でそこだけキラキラと光り輝く場所を見た。いくつものプラチナに似た色が、ま

るで生き物のようにゆらゆらとゆらめいている。その光景に目を奪われているうちに、

光り輝くものの正体が月明かりを反射させている湖面だという事に気が付いた。

 

 ――ああ、なんて綺麗なんだろう。ここはこんなに酷い所なのに、綺麗なものは何も変

わることなく、綺麗なものであり続けている。

 

 街の中では見ることができない幻想的な光景を目にし、精も根も尽き果てようとしてい

た自分の体の中からわずかな力が湧き上がってきたことを実感した。清潔かどうか分

からない湖で体を洗うことに抵抗を感じていたが、今この光景を目にしたらそんなことは

完全に頭の中からなくなっていた。

 

 もう少しであそこに行く事が出来る。頑張ろう。あそこに着くまで、頑張ろう。

 

 呼吸を整えて斜面を下っていこうとした瞬間、順子は背中に鋭い痛みを感じた。冷た

い、とても冷たい何かが体の中に潜り込んでいく。鋭い痛みはやがて熱さを持った痛み

へと変化し、汗とは違う、汗よりももっと不快な感触を伴った液体が順子の肌の上を伝

っていった。

 

 

 

 前のめりに倒れた衝撃で、ごろごろと斜面を転がっていく。十メートルほど転がった所

でようやく止まった。順子は無様に地面の上に投げ出された形となった。

「ううっ……」

 視界の中で夜の黒と雑草の緑がぐるぐると回り、君の悪い渦巻きの色を作っていた。

両手を支えに立ち上がろうとしたが、蓄積した疲労やたった今の衝撃が災いし、思うよう

に体を動かす事ができなかった。

 

 汚れた。汚れてしまった。私の体が、綺麗な私の体が!!

 

 緩慢なものになっていた肉体の動きとは対照的に、順子の思考は感情の波が押し寄

せていて正常な思考ができないくらい滅茶苦茶な事になっていた。

 背中を刺されたこと。血で体が汚れたこと。この私が無様に、汚らしい地面の上を何回

も何回も転がってしまった事。汚さないよう細心の注意を払っていた制服が、土によって

見るも無残なデコレーションを受けてしまった事。順子の性格から考えれば、怒りで発狂

してもおかしくないレベルの仕打ちだった。

 

「久しぶりね、順子」

 聞き覚えのある声が、聞こえた。足音がゆっくり近づいてくる。聞き覚えのある声。プロ

グラムでは聞きたくなかった声。

 

「それとも、さよならと言うべきかしら」

 順子が見てきた男たちの中には、あからさまに媚を売っているその猫撫で声を可愛い

と言っている連中もいた。同姓の順子はそんなものなのかな、程度にしか思わなかった

が、今は違う。やはり男たちの感性は理解できない。この女の――矢井田千尋(女子16

番)の声を聞くだけで、怒りのボルテージがぐんぐん上昇していった。

 

 千尋は真っ赤なルージュ(塗りすぎだ、と順子は常に思っている)を塗った唇の端をつ

り上げ、小悪魔のような笑みを浮べた。

 

「やぁねえ。順子ったら、泥だらけじゃない。せっかくいつも馬鹿みたいに化粧しているの

に、全部台無し」

 くすくす、くすくすと。

 目先にいる友人を、まるでもがき苦しむ虫を見下ろすかのように嘲け笑う。

「あんたいつも言ってたよねぇ。綺麗じゃない女に生きている価値なんて無いって。だか

ら私が、さっくりと殺してあげるよ。そんな姿じゃもう、生きている価値なんてないでしょ」

 

 千尋の放った殺すという単語は、混乱の極みにあった順子の思考の中にあっさりと入

り込んでいった。その言葉は順子を落ち着かせると同時に、底知れない恐怖を彼女に

与える事となった。

 順子は千尋とずっと付き合っていたし、彼女がどんな人間なのかも嫌というほどよく分

かっていた。だからこそ、彼女にはプログラムの中で出会いたくなかったのだ。敵に回

った千尋がどんなに嫌な女なのか、何度も何度もこの目で見てきたから。

 

 一の不満を抱いたら、その不満を十倍にして相手に返す。図書館で騒いでいた彼女に

注意をしたことで恨みを買い、散々苛められた挙句自殺未遂までした少女もいる。千尋

はそれを見て、「死んじゃえば面白かったのにねぇ」と平気な顔をして言える人間だ。

 もし千尋と行動を共にしていたら、彼女の良いように使われ、最後には見捨てられるか

殺されるかのどらかが待っている。そんな未来が容易に想像できたため、順子は千尋と

合流するのを控えていた。

 順子は今になって、自分のその判断が正解だったと思い知る事になった。千尋に殺さ

れそうになっているという、何とも皮肉な展開によって。

 

 千尋はだらりと下げていた右手を、順子に見せ付けるようにして前に出した。その手に

握られているものは鋭く銀色の光沢を持っていて、赤い液体が――順子の血液が、それ

にこびり付いていた。

 自身の支給武器であるバタフライナイフをかざし、千尋はゆっくりと歩み寄ってくる。

 それはさながら死神の姿だった。ゆっくりゆっくりと歩み寄ってくる死の影。怯え、竦み、

泣きそうになっている自分の姿を見て、彼女は高笑いを浮べるのだろう。

 

「ふざけんじゃないわよ……」

 園芸用スコップとバタフライナイフ。勝負が成立するかどうかも分からない図式だが、

それでも怪我をしている順子が不利だということに変わりは無い。

 無意識のうちに出た台詞が、順子の導火線に火をつけた。怒りのボルテージが高まり

わずかな力が湧き上がってくる。地面についた両手と右足に力を込め、体ごとぶつかっ

ていく形で前へと飛び込んだ。千尋は順子が攻撃してきた事に驚きよけようとするが、

それよりも速く順子の渾身のタックルが千尋の体を押し倒す。

 

「あんたなんかに殺されてたまるか! 顔も、性格も、何もかもみんな醜いあんたなんか

に!」

 

 

 

 順子が千尋に覆い被さる。千尋は懸命に起き上がろうとしていたが、両手首をしっか

りと掴まれた上、全体重をかけられて圧し掛かられているので体を自由に動かせない。

状況が反転、千尋にとって絶体絶命の窮地となる。

「なにすんだ! 離せ、離せよっ!」

 眼下でじたばたともがいている千尋を見て、順子は言った。

「あんただって、私を殺すつもりだったんでしょ? お互い様じゃない」

「このっ……!」

 体をくねらせ、足をばたつかせ、必死に脱出を試みようとする千尋。先程まで自分の

ことを散々罵っていた相手が、こんなにも醜い姿を晒している。そう思ったらもう抵抗は

なかった。汚い奴に生きている価値なんて無い。綺麗な私が、生き残るべきなんだ!

 

 千尋の手首を掴んでいた順子は、その手を力づくで彼女の喉元へと近づけていく。そ

の手には、バタフライナイフが握られたままだった。

「いやっ! やめて、やめてよ!」

「ふふふ、いい気味。ブスはブスらしく汚い顔で泣き叫んでいるのがお似合いだわ!」

 ゆっくりと迫ってくるバタフライナイフの刃を見て、恐怖に慄いた。たまらずナイフを離

そうとしたが、離そうと瞬間に順子の掌が千尋の手を包み込み、ナイフを離す事を許さ

なかった。

 逃げ出せず、ナイフを離すこともできない。それでもどうにかしようと全力で体を揺さぶ

り続ける千尋だが、ナイフの切っ先は無常にも千尋の首筋へ突き刺さろうとしていた。

 

「い、いやっ! いやよ、こんなの! 誰か助けて! 助けてぇえええええ!!」

 

 千尋が声にならない悲鳴を上げた次の瞬間、首筋に突き刺さったバタフライナイフは

そのままずぶずぶと喉の奥へ潜り込んでいった。あれほど暴れ狂っていた千尋の体が、

びくんと大きく痙攣した後に停止する。傷口から迸った鮮血は、千尋の手を押さえつけ

ていた順子の顔へシャワーのように降り注いだ。

 

 千尋の視線は宙を泳ぎ、陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクと動かしていた。

ひどく掠れ、今にも消えてしまいそうな呼吸音が彼女の口から漏れている。

 順子は手を緩めようとせず、バタフライナイフを更に奥へと押し込んだ。千尋の口から

大量の血が溢れ出し、真っ白だったシャツの襟元を赤一色に染め上げる。

 

 突き立てたナイフを横に捻り、ありったけの力を込めてナイフを真横にスライドさせた。

人の肉を切り裂く感触がナイフを通じて自分の手に伝わってくる。大きく広げられた傷口

から血液が噴水のように飛び出し、赤いシャワーとなって血液を撒き散らした。

 

 千尋はもうぴくりとも動かなかった。先程まで悪態を放っていた口からは大量の血液を

吐き出し、焦点の失った濁った瞳がぼんやりと虚空を眺めている。

 順子はぜぇぜぇと息を乱しながらも、唇の端を歪め、およそ美しいとはいえない笑顔を

浮べながら言った。

「ほぉら、見なさいよ。やっぱり勝つのは私なんだから。綺麗な私が、心も体も醜いあんた

なんかに負けるわけないじゃない」

 無論、その言葉はもう息絶えた千尋に届いてはいないのだが、順子はとても満足そう

だった。自身の美しさを、綺麗なものが勝ち残る、という持論が証明されたからかもしれ

ない。つい先日まで笑い合い、ふざけあい、街に出ては悪さをしていた仲間を手にかけ

たというのに、順子は何も後ろめたいものを感じていなかった。

 

 正しいものが勝つ。勝つべきものが勝つ。自然の世界では当然の事なのだから、罪悪

感を抱く必要も無い。死んだあいつが、醜かったあいつがいけないんだから。

 いつもの順子ならば、こういった考えを持ったとしてもそれに対して疑問を生じさせて

いただろう。本当にそれでいいのだろうか。間違ってはいないのだろうか。道徳観とか

倫理観とか、生きているうちに身についてきた数々のストッパーがその役目を充分に

果たしていたに違いない。

 

 だが今の順子は。プログラム対象クラスとなり、精神的にも肉体的にも限界を超えて

いた順子の心からは、重要な役目を担うそれらストッパーが完全に消え失せていた。

 暴走する心はとどまる事を知らず、精神の均衡が崩れていってもそれに歯止めをか

けるものは何も無かった。

 

 

 

「血……付いちゃった……。体洗わなきゃ。湖に行って、早く体を……」

 千尋を倒したことによって順子の怒りは沈静化していた。次第に彼女の思考は、みる

みるうちに一つの強烈な想いへと収束されていく。

「洗わなきゃ。洗わなきゃ。体洗わなきゃ。私は綺麗なままでいなきゃダメなのよ。綺麗

なままでいないと。綺麗なままで――」

 

 果たして彼女は自覚しているのだろうか。

 自分が徐々に、狂い始めているということに。

 矢井田千尋の首に刺さっていたバタフライナイフを引き抜くと、順子は足元のおぼつか

ない足取りで歩き始めた。その姿はまるで夢遊病者のようで、いつ転んでもおかしくない

ような状態だった。

 

 周りの景色も音も、もう何も気にならなかった。ただ、この先にあるであろう湖を目指し

て、順子はふらふらと体を揺らめかせながら進んでいく。

 

 パァンという、一発の破裂音が響いた。

 

 ふらふらと揺れていた順子の体が、今度はくるり、と大きく半回転した。パン、パン、と、

続けて二発の破裂音。その音が鳴るたび、順子の体は華麗なターンを披露する。千尋

の血で染まった制服に、新しく流れ出た順子自身の血が染み込んでいった。

 

 四回目の破裂音の直後、順子の頸部から眩い光が走った。光りの奔流が弾けたよう

に、順子の首も小さな爆発音と共に弾け飛んだ。禁止エリアに入るか二十四時間の間

死者が出なかった場合にしか爆発しないはずの首輪は、たまたまそこに銃弾が命中し

たことによって爆発した。

 

 強制的に首輪が破壊された事により順子の頚椎は一瞬で粉砕され、自慢だった美し

い顔は上顎から下が消失し、見るも無残な血と肉の塊となっていた。

 首から上のなくなった体が前のめりに倒れ、それから少し遅れて、吹き飛ばされた順

子の頭部が千尋の死体の足元にぼとり、と落下した。

 

 銃撃を受け、くるくると回っていたほんの僅かな時間、順子は気付いていただろうか。

 自分が転がった斜面の半ばほどに立ち、しっかりと両手で拳銃らしき銃を構えていた

少年の姿に。

 それは千尋とは犬猿の仲で、順子もまた良い印象を抱いていなかったオタクタイプの

生徒、二階堂平哉(男子12番)だった。

 

 こうして、クラスの誰よりも美しさに固執し、それを維持する事に全力を注いでいた辺見

順子は、自身の願いから完全にかけ離れている凄惨な最期を遂げた。

 

女子12番 辺見順子

女子16番 矢井田千尋  死亡

【残り22人】

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