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 外界から切り離されたプログラム会場で、更に隔離されている空間。生徒たちにはどう

やっても越える事ができない難攻不落の城、須川原ホテル。

 プログラムの実施本部となったホテルの大広間には監視モニターや十数台のパソコン、

その他にも何に使うのか分からないような専門的な機械が多数配置され、どこかの工場

かマッドサイエンティストの研究所を思わせるような内装になっていた。この大広間は和室

作りであるために、プログラム進行のため運び込まれた機械類は室内の雰囲気と非常に

そぐわない。その結果として大広間は、第三者が一歩足を踏み入れたら言葉を失って立

ち尽くしてしまうような、非常に混沌とした空間になっていた。

 

 そして室内で忙しく動き回っている人間の服装が、部屋の混沌っぷりに拍車をかけてい

た。プログラムは専守防衛軍監視下の元で行われるため、本部で進行役を勤めている

人間はほぼ全員が軍に所属している。彼らは皆一様に専守防衛軍の制服に身を包み、

各々に課せられた職務を全うしていた。あるものは座椅子に座りながらキーボードを叩き、

またあるものは緑茶で喉を潤しながら生徒たちの盗聴記録に耳を傾けている。時折兵士

同士の話し声が聞こえてくるが、作業上での簡単な確認などのため、長時間の会話をし

ている兵士は皆無だ。

 機械に囲まれた和室の中で、黙々と仕事をこなす軍服の人々。ここまでくるとシュール

を通り越して奇妙としか言えない。

 

 調和という言葉からかけ離れている室内で最も異彩を放っているのは、部屋の上座で

悠々と座椅子にもたれ掛かり、部屋の天井をじーっと眺めているスーツ姿の男性だった。

高価なブランドもののスーツはラフに着崩しており、その襟元には金色のネックレスが己の

存在を誇示するかのように輝きを放っている。ネックレスと同じ金色に染めた髪はオール

バックにセットされ、少し地味なカチューシャを付けていた。夜だというのに黒いサングラス

を付けており、その表情は窺い知れない。しかし彼の纏っている空気から察して、決して

機嫌がいいとは思えなかった。周りの兵士たちもそれを悟っているのか、意図的に彼と接

触するのを避けようとしていた。触らぬ神に祟り無し、という事だろう。

 

 この部屋どころか専守防衛群の中でも存在が浮いている人物、三千院零司。彼こそが

今回のプログラムの責任者、担当教官だった。

 彼の視線は先ほどから大広間の天井に注がれている。耳にはイヤホンがついており、

そのイヤホンが繋がっている手の中の機械を何度も何度も操作していた。

 

「…………なるほどね」

 イヤホンを耳から外し、机の上で頬杖をついて面倒くさそうに溜息を一つ漏らす。

「正直なところ――これが”何なのか”と俺に聞かれても判断しかねるな。非常に返答に

困るものだ、この問題は。どういう答えでも合いそう、その逆もまた然りだ」

 零司はその場から立ち上がり、無意味に部屋の中を歩いて回る。手持ち無沙汰なのだ

ろうか、彼はその手の中で折り畳みナイフを器用に弄んでいた。

 回転させながら宙に投げたナイフを逆の手で取り、その動作をまた繰り返す。まるでジャ

グリングのようなその技を、刃を出した状態のナイフでいとも簡単に行っていた。

 

「確か最初にこれを発見したのは――」

「はっ、自分でありますが」

 零司の近くにいながらも、彼と一度も視線を合わせていなかった青年兵士が口を開き、

起立して一歩前へと出る。上官を前にしてなのか、三千院零司という個人を前にしてなの

か、その顔には緊張の色が濃く浮かんでいた。

 

「どう思う?」

「どう……と言いますと」

「そのままの意味だよ。”これ”を聞いてみて、お前はどう思う?」

 思ったままを言葉にして良いとのことだが、上官の前では言うべき言葉を選んでしまうの

が道理だ。青年兵士は困ったように目をきょろきょろとさせ、何度も瞬きをした。

「自分は、その……本物だと思います。演技かとも思いましたが、遭遇した生徒たちとの

会話が自然だったり、行動に一貫性が見られたので……」

「そうか。お前もそう思うか」

 ジャグリングのようにして弄んでいたナイフを、今度は指先だけで器用に回し始める。

零司の手の中で滑らかに回転するナイフは、徐々にその回転速度を上げていた。

 

「お前から報告を受けた時は信じられなかったし何の興味も湧かなかったが、あいつの

盗聴記録を聞いた限りだとこれは本物だな。演技にしろ発狂しているにしろ、何にしても

レベルが高すぎる。中学生が行えることじゃない」

「それでは、やはり……」

「ああ」

 零司は回転させていたナイフを素早く懐へと戻し、意味ありげに目を伏せると、一呼吸

おいてから結論を口にした。

 

 

 

「村崎薫は幽霊が見えて、そいつと一緒にいる。……あまり信じたくないがな」

 

 幽霊。

 

 生きていけば必ず一度は耳にする言葉である。その言葉自体は全く珍しくないのだが、

現在進行形でプログラムに参加している生徒の一人が、どうやら幽霊と一緒に行動して

いるらしいとなれば話は別だ。

 

 一番最初にそれに気付いたのは、生徒の首輪に仕組まれてある盗聴器から聞こえてく

る音声を確認していた兵士の一人だった。彼は一人の少女が誰かと会話をしている音を

聞いていたのだが、その途中でこれが明らかにおかしい、という事に気付いた。

 その少女――村崎薫(女子15番)は確かに誰かに向けて話をしているのだが、いくら

聞いていても、その相手からの返事がないのである。

 

 自分の聞き間違いか、盗聴器の調子が悪いのかと思い、その時はそれほど深く気に留

めることはなかった。しかしその後も同じような事態が頻繁に続くようになると、彼は徐々

に平静を保っていられなくなった。

 プログラムに参加している生徒全員に付けられている首輪は、生徒の心臓の電流パル

ルスをモニターしている。これにより生死の判別や生徒の現在位置が分かるわけだが、

その兵士がいくら確認しても、モニターには村崎薫一人の生体反応しか映し出されていな

かった。

 

 一人分の生体反応。不自然ではない会話内容。盗聴記録に残る、『幽霊』という言葉。

 それらのキーワードから導き出される答えは、たった一つしかない。

 だが。理屈で、頭でそう分かっても、肉体がそれを――理解するのを拒んでいた。

 いるわけがない。そんなものが現実にいるわけがない。

 

 ――じゃあ、これはどう説明する?

 

 どう考えても、その問いに答えることはできなかった。理解を拒絶していた答えを用いる

以外には。

 その段階に到達した時点で、その兵士はこれが自分一人で手に負える問題ではないと

いう事を悟った。時間軸で言えば真神野威(男子15番)渡良瀬道流(男子18番)が戦闘

していた時で、その結論を出すには遅すぎたのかもしれない。

 

 だが仕方がなかった。盗聴記録に不審点があったからといってすぐ、「こいつ幽霊と話し

ています」などと上官に報告したらどんな目に遭うかは目に見えている。ましてや今回の

担当教官はあの三千院零司だ。ただでさえ近寄りがたいのに、こんなふざけた内容の報

告をするなんてできなかった。幽霊と話している、という以外に答えが思いつかないのだ

が、自分が誰かから同じことを言われたら間違いなく信用しないだろう。そんな話を簡単

に切り出せるわけがない。

 

 様々な葛藤の末、その兵士は村崎薫の盗聴記録に見られる不審点を零司に報告し、

その証拠として盗聴記録のテープを彼の元へ提出した。最初は苦笑いしながら話を聞い

ていた零司だったが、兵士が差し出した盗聴記録テープを何度も聴いているうちに、その

顔色が徐々に張り詰めたものへと変わっていった。

 

 何度も何度も、繰り返し繰り返しそのテープを聴き続ける。

 零司をそうさせたのは幽霊がいるという確固たる証拠を掴むためか、それともその逆の

可能性を見出すためなのか。

 いずれにせよ彼は、長時間盗聴記録のテープを聴き続け幾度となく思考を巡らせた結

果、村崎薫は幽霊が見えて行動を共にしているという、自分でも馬鹿らしい結論を導き出

さざるを得なかった。

 

 手元の資料によれば、村崎薫は運動能力がちょっと高いくらいで、あとは目立つ経歴も

ない女子中学生だった。思想に問題があってどこかの施設に収監されていたとか、家族

や交友関係を洗って宗教にのめり込んでいたり、ドラッグに関係した経歴を持った人間が

いないかなども調べたが、出てくるのはそれらとは全く関係ないものばかり。徹底的に調

査したわけではないが、彼女に対して目を引くような項目を発見する事ができなかった。

 

 事実、生徒全員の資料に目を通していた零司も、薫のことは注目していなかった。政府

関係者の間で秘密裏に行われているトトカルチョの順位は中の上といったところだったし、

このクラスで言えば他に注目度の高い生徒はたくさんいる。

 

 ――村崎薫か……ノーマークだったな。まさか今になって幽霊の存在を信じることにな

るとは思わなかったよ。

 

 まだはっきりと幽霊が存在するかどうか決まったわけではない。それでもその存在を受

け入れてから、零司は不思議と胸が弾んでいた。楽しみにしていた玩具の発売日が迫っ

てきている時の、小さな期待と高揚感。

 幽霊に対して恐怖ではなく好奇心を抱いている自分に苦笑しつつ、零司はちらりと時計

に目を移した。あと三十分ほどで零時の定時放送が始まる時間だ。

 

 

 

「三千院教官、よろしければコーヒーでもお持ちしましょうか?」

 零司の隣に立ち、盗聴記録のテープを持ってきた青年兵士が聞いてきた。

「ああ、頼む」

 零司はもう一度座椅子へと座り、兵士が持ってきたインスタントコーヒーに口をつけた。

「盗聴記録を聞く限りでは、幽霊がいたとしても村崎にしか見えていないようだな。もし他の

誰かに見えていたとしたら会話で分かるはずだ。村崎にしか見えない条件でもあるという

のか……」

 指先で机をトントン、と叩きながら、頭の中に広がっている考えを纏めていく。その時に

考えがつい口に出てしまうのが零司の癖だった。

 

「幽霊を見る事に条件が必要だとする。では、この条件と言うのは何だ?」

 一見すると独り言のようにも聞こえる零司の台詞。側に立っていた青年兵士はしばらく

経ってから自分に話を振っているのだと気が付き、慌てて答えを返した。

「霊感……でしょうか。あるいは家系柄、過去の出来事なのでスイッチが入ったとしか」

「そうだな。恐らく、今お前が言ったもので正解だ。力の強い幽霊は条件に関係なく全て

の人間に見えるというケースが漫画や映画などで見られるが、今回のこれは違う。条件を

満たした、満たしている相手にしか見えない幽霊。この条件が霊感などの先天的なもの

だとすれば、俺が幽霊を確認できる可能性は絶望的だな。残念な事に俺は、生まれて

から一度も心霊現象を体験した事が無い」

 

 もちろん、今言ったことに確証があるわけではない。あくまでも零司が考えた可能性の

一つで、事実とは異なる場合もある。それでも零司の話を聞いている青年兵士は、彼の

言った事が真実と信じきっているかのような反応を見せていた。

 

「これが何を意味するか分かるか?」

 突然の質問に、兵士は「いえ……」と言葉を濁して怪訝な表情を見せた。

「幽霊がいるかどうか、その真偽を確かめる事が非常に難しいということだよ。見えない、

感じる事のできないものをどうやって知覚すればいい? 証拠となるものが音だけでは、

いつまでも本物に近い偽者のままだ。明確な答えを出す事ができない」

 自分は物事を客観的に見ることができる方だと思っていたが、どうやらそうではなかった

ようだ。幽霊がいるかもしれないという事でテンションが上がっていたが、考えてみれば

幽霊の存在を確定させる証拠をどう見つけるのか、その方法を発見できていなかった。

何かを発見する際、視覚的な効果を伴っていないことなどない。

 

 これが本当に幽霊なのかどうか。疑う事はいくらでもできる。その疑念の中に真実があ

るのかもしれないが、虚偽であることも否定できない。

 だが盗聴記録を聞く限りでは、これは演技ではないはずだ。だとすれば――。

 

 考え込んでいる零司を見て青年兵士は、

「何だかとんでもないことになっちゃいましたね」

 と引きつった笑いを見せた。

 幽霊がいるかどうかで悩む軍人。とんでもないというより、馬鹿らしい話だ。

「……やっぱり、これしかないな」

 零司はそう言って肩をすくめ、何かを覚悟したような顔で天を仰いだ。

 

「三千院教官?」

「少し早いが定時放送をする。準備をしてくれ」

 飲み終えたコーヒーカップを青年兵士に手渡し、放送機材が置かれているスペースへと

移動する零司。その際に彼は、机の下に置かれていた黒いアタッシェケースを掴み取って

いた。見るからに高価そうなアタッシェケースだが、中に入っているものは書類などでは

ない。入っているものはナイフだ。それも一つや二つではない。古今東西、多種多様な物

が取り揃えられた、そのアタッシェケースを開くだけで即席のナイフ屋が展開できそうな

ほどの量。

 

 ナイフは零司が得意とする得物であり、このケースは本当に重要な局面でしか使用しな

いものである。これを理解しているのは彼と同期で親交の深い四人の軍人くらいだ。青年

兵士は怪訝に感じたようだが、特に何かを追求するという事はしなかった。

 

 もしも彼が、このアタッシェケースが登場したことの意味に気付いていたら、もっと違った

反応が見れただろう。

 

 零司が本気で戦場に向かおうとしている、その決意に気付いていたのなら。

 

 

 

 定時放送の準備を進める一方で、零司は思う。

 幽霊がいるかどうか分からない。本当にいるのかどうかという証拠が無い。

 

 なら――確かめに行けばいい。

 実際にこの目で、見に行けばいい。

 

 今もなおプログラムに参加している、村崎薫のもとへ。

 

 プログラム参加中の生徒の所へ担当教官が行くなんて前代未聞の事だろう。それなりの

地位にいる零司とて、上層部に知られたら懲罰は免れない。

 それでも、零司は行こうと決めていた。次の放送をしたら、彼女の所へ行こうと。

 このまま事態を曖昧にしては、自分の中で消化が悪すぎる。この事態は見過ごしておく

べきものではないと思っている。

 零司は懐から取り出したバタフライナイフを開いたり閉じたりしながら、モニターに表示

されている村崎薫の生体反応をじっと見つめていた。

 

【残り24人】

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