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『生きていてよかったな』

 かすかな懐中電灯の光で照らされている洞窟の中、村崎薫(女子15番)の前で座っている

少年の顔は無表情だった。彼――深山真冬が大きく表情を変えたりしているところをあまり

見た覚えはないが、彼の機嫌があまり良くない状態にあるということは何となく分かる。

 

「うん、ほんとだよ。みっちゃんが来てくれなかったら今頃こうして喋ってられなかったね」

 薫の窮地を救ってくれた渡良瀬道流(男子18番)は、見張りのために再び洞窟の入り口

近くへと移動していた。現在行動を共にしているもう一人のメンバー、佐伯法子(女子6番)

は薫の隣で身体を横にし、小さな寝息を立てながら眠っている。

 

 真冬と出会い、お互いの時間を共有するようになって早くも一日が経過した。短いようで

内容の濃い一日を共に過ごした二人は、お互いの考えていること、次にやろうとしていること

が何となく分かるようになってきている。

 それでも、根本的な行動原理の差というものはどうにも埋めようが無かった。薫は思い立

ったら即行動というやり方だし、真冬はそれとは逆に綿密に頭の中で計画を立ててから実

行するタイプ。お互いの属性が正反対なため、いくら相手のことを理解していてもどこかで

歯車に狂いが生じてしまう。

 

 先程の真神野威(男子15番)との一件もそうだった。真冬は薫に『ここから離れるぞ』と

注意を促したのだが、クラスメイトを侮辱した威の発言に、薫は感情を抑えきることができ

なかった。

 

 後先考えずに無茶を繰り返している薫だが、真冬はそんな彼女に対して苛立っているとい

うわけではない。出会ったばかりの頃ならそうだったかもしれないが、今では少しだけ、薫が

羨ましい。

 誰かが馬鹿にされたら自分のことのように怒り、誰かが笑っていたら自分のことのように

笑う。他人の感情を素直に受け入れ、それをそのまま表現するということは、真冬にはどう

やってもできないことだった。

 

 既に失われてしまった、子供の頃の純粋さ。

 懐かしむ事はできても、取り戻す事はできない。

 

 そう――いつだってそうだった。

 後になって、事が起こって、もうどうしようもなくなってから、やり直しなんてできなくなって

から後悔してしまう。

 悩んで悩んで悩みぬいて、その結果選んだ選択肢だったのに。

 自分が指し示した方向に、明るい光が待っていることは少なかった。

 

 ああ、なんてこの世は不条理なんだろう。

 生きていくうえで絶え間なく浮かび上がってくる選択肢。複雑かつ難解。制限時間はごく

僅か。やり直しはきかず、それが本当に正解であるかどうか分からない。その時にはもう、

全ては手遅れになっている。

 

 それでも自分たちは、選ばなくてはいけない。選ばなくてはならない。生きていくためには、

選んでいくしかない。

 

 既に死んでしまった自分がこんな事を考えるのは、筋違いかもしれないが。

 

 

 

「私、また何もできなかったね」

 掠れかかった、今にも消え入りそうな声。普通の人間なら聞き逃しそうだが――真冬には

はっきりと聞こえていた。

『結果的にはお前の望んだ結果にはならなかったかもしれない。けれどお前は、事態を変

えようと努力をしたじゃないか。はっきりとした自分の意志を持って、あいつらに立ち向かっ

ていった。お前から言わせれば何もできなかったかもしれないが、何もしなかったよりは

ずっとマシだと思うぞ』

「それでも私は、橘さんを助けたかったよ」

『彼女を助けられなかったのが自分のせいだと思っているのか? 薫、お前は何でもかん

でも背負いすぎだ。目の前で起きた悲劇の全てが自分に責任があるわけじゃない。そんな

ことを言ったら、俺やこの世界に生きている他の人間全てが、誰かしらを見殺しにしている

ことになってしまう』

「目の前で困っている人を助けたいっていうのは、無理なのかな、やっぱり」

『ある程度は可能だ。けれどそれが全員なら、無理だろうな』

「そうなのかな……世界中全ての人を助けたいってのならともかく、自分の周りにいる人くら

いなら、何とかして助けてあげたいよ」

『そう思う気持ちは分かるよ。でもな薫、人間は万能じゃない。選ばなければいけないんだ。

助けられなかった人、見捨ててしまった人。幸せな事だけじゃなく、目を背けたい現実も受

け入れて生きていかなければいけない。世の中は厳しいけど、優しくもないんだ』

 

 薫は黙った。それから嘆息して、何か開き直ったかのように言う。

「私……自分が何でも出来ると思ってた。力が及ばなくても努力すればなんとかなる、今日

がダメでも、頑張れば明日なんとかなるって、そう思ってた。でも、違った。違ったんだよね、

真冬くん。人生が自分の思い通りに行くはずが無い――私一人の力じゃどうにもならない

ことが、たくさんあるんだよね」

 

 それは、誰しもが人生の早い段階で思う、もしくは無意識のうちに自覚している事だ。

 薫はそれを、今ここで初めて事実として受け入れていた。

 純粋さや素直さでは――理想だけでは、立ち向かえない壁があるということを。

 

「割り切らなきゃいけないのかな……。生き残るためには、誰かを犠牲にしなくちゃいけない

のかな」

 

 真冬は薫から目を逸らす。

 それは。

 その言葉は、薫の口から聞きたくなかった。

 言っているところを、見たくなかった。

 

『違う。だからって殺していいわけじゃない』

「真冬くんは、自分が助かるためなら人殺しが出来る?」

『…………』

「前の、生きている時のプログラムで……生きるために、誰かを殺したりしたの?」

 

 ドクン、と。

 心臓が揺れた。魂だけの存在となり、肉体活動とは無縁となったはずなのに、胸の奥で

心臓の鼓動が――全身を揺さぶった。

 

 錯覚なのだろうか。恐らく錯覚なのだろう。

 薫の言葉で、深山真冬という一つの幽霊の存在が大きく揺さぶられた。

 嘘をつくことは出来る。真実を偽る事は出来る。彼女が傷付かない選択――お互いにとっ

てより良い選択を選ぶ事は出来る。

 しばらく考え、真冬は本当のことを言った。

 

 

 

『殺した』

 最悪だった。

 何を言っているんだ自分は――と、そう思った。

 やっぱり、散々考えた挙句に後悔をしている。

 

『言い訳みたいに……いや、どっちにしろ言い訳だろうな。俺は生前に参加させられたプロ

グラムで人を殺したよ。お前の言うとおり、自分が助かるため――自分の都合のために』

 自分の声とは思えないほど、それは平坦とした声だった。

『誰だってそうだろ。極限まで追い詰められれば自分の事しか考えられなくなる。信念も理想

も全部すっ飛んで、ありのままの自分になっちまうんだ。それはこういった状況に限った事

じゃない。勉強でもスポーツでも、あらゆるフィールドで存在している』

 薫は何も答えなかったが、それは何よりも雄弁な肯定意見だった。しかしそれは罪では

ない。誰かを犠牲にしないで生きていくなんて、神でもない限り不可能だ。

 

『誰かを助けたとしても、その一方で別の誰かが助かっていないかもしれない。一つの事

から連鎖して発生する事態すべてが幸せな結末に繋がっているなんて有り得ないんだよ。

その連鎖に干渉して結末をどうにかするってことは出来ると思うけど、それでも幸せな結末

に辿り着くかどうか分からない。けれどそれは、何もしないでただ見ていたってことよりは

ずっと意味のあることだ』

 

 それは、自分自身を否定しているかのような物言いだった。

 ただ見ているだけ――手出ししない、物事に干渉しない傍観者の立場。

 何もできなかった、と薫は言った。けれどそれは結果的な話で、力が及ばずそうなったとい

うだけだ。何かしたくても何もできなかった自分とは違う。本当に無力だったのは、俺だ。

見ているだけしかできなかった、この俺だ。

 

 嫉妬ではない。ただ単純に羨ましかった。感情を隠さず、やりたい事を悩むことなくやろう

とする薫が。

 仮に自分がそうなっていたとして、後になって悩んでいたかどうかは分からない。けれど、

今この時のような気持ちにはなっていなかっただろう。

 

「ねえ真冬くん、私……どうすればいいのかな」

『それを俺に聞くのか? そこは自分で決めることだ』

 間髪入れず、真冬はそう答えた。

 

 どうすればいいのか。

 ――そんなの、俺が聞きたいくらいだよ。

 

「真冬くんはいいね。物事割り切って考えられるし、客観的な視点も持ってるし……私とは

全然違う。見ていて羨ましいな」

『そうか? 自分じゃそうは思わないけどな……むしろ俺はお前の方が羨ましいよ。何の

しがらみも無しに素直な行動が出来るってのは、俺だけじゃなくていろいろな人にとって羨

ましく見える』

「なんかおかしいね。お互いがお互いの事を羨ましいって思ってるなんて」

『自分に無い部分を持っている人は、だいたい輝いて見えるからな』

 

 これからどうするのか、それは薫自身が答えを見つけるだろう。

 今まで通りやっていくのか、物事を割り切って――助けられないものは助けられないと悟

って、プログラムの中を生きていくのか。

 どんな答えを出したとしても、真冬はたぶん、それを受け入れる。

 

 自分が無力だと感じて、歩みを止めるよりは。

 生きた屍になるよりは、どんな小さな目標でもいいからそこに向かってほしい。

 無力なのは、何もできないのは自分だけで充分だ。

 

 生きている間もそうだった。

 死んでからもそうだった。

 今まで何もできなかったから――だから俺は、こいつの力になってやろうと。

 目指している場所に導いてやろうと、そう決めたんだ。

 

【残り24人】

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