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「…………眠い」

 デイパックを枕代わりにして体を横たえていた佐伯法子(女子6番)は一言呟くと、地面

に寝そべったまま天井を見た。法子が身を潜めている洞窟は斜面にぽっかりと口を開け

た形になっており、防空壕を連想させる作りをしていた。幅はだいたい五メートル、高さ

は二メートルほど。奥行きは十メートルあるかないかといったところだが、その先からは

大きく右に曲がっており、さらに五メートルほど進めるようになっていた。法子が寝転ん

でいるのもその場所だ。今は夜で視界も悪くなっているということもあり、身を隠すには

絶好の場所だった。ここはエリアG−09に位置しているため、禁止エリアの心配をする

必要も無い。

 

 ぼけーっと洞窟の天井を眺めながら、これからの事を考える。恐らくこのプログラムが

中止になるということはないだろう。それこそ隕石でも降ってくれば話は別だが、そんな

確率頼みにすがるほど楽観的でもない。

 

 時刻は午後十時を回り、十一時になろうとしていた。プログラム開始から丸一日が経

過した事になる。既に十名近くが死亡していた。残念な事だがプログラムは順調に進ん

でいるというわけだ。

 これからのこと。漠然とした考えだが、考えなくては何も始まらない。スタート地点に

立っても、進むべき方向を決断しなければ何の意味も無いのだから。

 

 法子はその、”何の意味も無いこと”をしている人間だった。

 

 彼女は自分の考えを持たない。志も信念も持たず――ただただ流れに身を任せ、何

も決めない事を常とする。執着するものが無いから縛られない。下らない概念に惑わさ

れる必要も無い。

 

 選択をしないで生きている少女、それが佐伯法子だった。

 

 これまでのプログラムにおいて、彼女は特に何をするわけでもなく無意味に時間を消

費してきた。何となくあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。いくら法子でも死にたくはなか

ったので、銃声がした場所や人が集まりそうな場所には極力行かないようにしていた。

 法子が唯一出会ったクラスメイトの桐島潤(男子6番)はやる気になっていなかったが、

他の全員もそうだとは言い切れない。でなければ死人が出るはずがないのだから。

 潤は仲間を捜しているようだった。何人か集めて、プログラムを中止する作戦でも考

えるのかもしれない。そうなってくれたら嬉しいが、あまり過度に期待するのは止めて

おこう。

 

 今のところ、潤と親しいクラスメイトの名前は呼ばれていない。彼は無事に誰かと合流

できたのだろうか。

 

 

 

 ――これからどうしようかな……。まあ死なないように努力はしよう、うん。

 それなりに時間を費やした割に、出された結論はいつもと変わりないものだった。

 大きなあくびを一つすると、法子はゆっくりと体を起こして枕代わりにしていたデイパッ

クを掴み取った。中からコンパクトミラーを取り出して、やや茶色く染めた髪を手櫛で簡

単に整える。友人に勧められて何となく染めてみた髪だが、今では自分の体でお気に

入りの場所だった。

 

 地面に何も敷かないで寝たので、制服には皺や汚れが付いてしまっている。法子は

制服をはたいて適当に汚れを落とし、軽く皺を伸ばしただけで済ませた。ポケットに入っ

ている煙草とライターを手に取った。何はともあれ、一服しなければ始まらない。箱の中

を確認すると、あと五本。予備が一箱あるが、プログラムが終わるまでに持ちこたえて

くれるだろうか。

 

 一本を取り出して口に咥え、ライターの火を点す。洞窟の中にオレンジ色の火が浮か

び上がった。立ち昇った火をしばらく見つめてから、煙草の先端に火を点した。ショート

ボブにセットしてある髪を梳きながら、時間をかけてゆっくりと煙を吸う。

 至福の一時を堪能していた法子だったが、思い出したように自分のすぐ横へ視線を

巡らせた。

 

「薫ちゃん、まだ寝てる?」

「…………」

「おーい、薫ちゃーん」

「うー……起きてるよぅ」

 暗闇の中からくぐもった声が返ってきた。洞窟の中には煙草の小さな灯りしかないため、

法子からは声の主の姿が確認できない。

 

「具合はどう? 怪我は治った?」

「法子ちゃんは私の事吸血鬼か何かと勘違いしてるのかな……いくら何でも治るわけない

ってば。まだ顔中痛いし、口の中だって血の味がするんだから」

 怪我の治りが早い=吸血鬼かどうかはともかく、暗闇から聞こえてくる声は何かを口に

含んでいるかのように不明瞭なものだった。何を言っているのか分からないわけではない

が、くぐもっていて聞き取りにくい声。

 

 声の主である村崎薫(女子15番)は法子の呼びかけに「起きてる」と返したが、本当は

呼びかけられるまでぐっすりと眠っていた。寝起きで機嫌が悪いため、いささか語気が荒

なっている。でも法子は気にした様子を見せなかったから別にいいか、と半分だけ覚醒

した頭でそんなことを考えていた。

 

 うとうとしかけたところで、あちこち傷だらけになった口腔が疼いた。その痛みが薫を

眠りから完全に覚醒させる。右手で体を支え、ゆったりとした動作で上半身を起こした。

背筋を伸ばし、鈍りきった体を軽く解す。

 

「いてて……やっぱりすぐに痛みは引かないか」

 薫は深い溜息と共に、頭の下へ置かれていたデイパックを脇にどけた。枕の代わりに

使用していたが、心地よさは本物の枕に到底及ばない。それでも直接地面に寝るよりは

マシだが。

 橘千鶴、弓削進、真神野威が率いるグループ『レギオン』、そして渡良瀬道流。様々な

人物が集ったあの場所で何があったのか、薫は一部始終しか覚えていない。千鶴と協力

して進と戦ったこと。千鶴が殺されたこと。威のグループと対峙し、完膚なきまでに叩きの

めされたこと。最後に覚えているのは、どこからともなく駆けつけてくれた道流が、今まで

見たこともない呆然とした顔をしていたこと。

 

 そこから先の記憶は、完全に抜け落ちてしまっている。気が付いたらこの洞窟の中で、

自分に取り憑いている幽霊の深山真冬が心配そうな顔で覗き込んでいた。

 あれから何があったのかは、ずっと自分の隣にいてくれた真冬から詳細を聞くことが

できた。四対一という不利な状況にも関わらず、道流は威たちを圧倒したらしい。片手で

人を振り回していたとか銃弾を避けていたとか、他人が聞いたら到底信じられないような

現実離れした内容だったが、薫は不思議とそれをすんなり受け入れる事ができた。道流

の喧嘩を何度か見たことがある薫だから、何の疑問も無く現実として認識する事ができた

のかもしれない。

 

 それから道流は移動を続けていたらしい。どこかゆっくり休める場所がないか探してい

たようで、その時にちょうどこの洞窟を見つけた。そして先客として中に隠れていた佐伯

法子と出会い、現在に至る。

 

 真神野威に与えられた怪我の規模は大したものではないせよ、今まで薫が負った傷の

中ではトップクラスのものだった。顔は赤く腫れ上がり、腹部は内出血による青アザが

できている。歯や鼻の骨は折れていなかったが、口の内側の裂傷がひどく、水を飲むと

痛みが電流のように駆け抜ける。顔も腹部もまだ痛みが残っているので、しばらくはこの

状態が続く事になるだろう。傷が痛くて泣きそうになることもあるが、威たちと戦ってこれ

だけの怪我で済んだのは非常に幸運だった。

 

 意外だったのは、道流と法子の間に気まずい空気が流れておらず、二人とも親しげに

接しているという事だった。道流は女の子が好きで、紳士ぶった態度を取ったり軟派な

言動をする事が多い。それでも自分にはそういった事をしてくれなくて、私の事は口説い

してくれないの、との問いかけに、あと十年経ったら出直して来いとデリカシーの欠片も

無い台詞を口にして、取っ組み合いの大喧嘩になった事があった。黛真理(女子13番)

が止めに入ってくれなかったら、本気で殴りかかっていたかもしれない。

 

 女性には優しい道流だから法子と親しくなっていても何ら不思議ではないが、薫はこの

二人が仲良さげにしている光景を見て言いようの無い違和感を覚えていた。

 この二人は会話をしないんじゃないかと、何となく思っていたから。

 同じクラスで過ごしていれば、最低一度でも話をする機会が訪れる。だからクラスメイト

で話をしていない相手がいるなんて、自分から会話する事を避けているか、相手に避け

られているかのどちらかしかない。そのどちらでもなく、ごく自然に学校生活を満喫してい

れば、言葉を交わす機会は巡ってくる。

 

 変な感じだ。道流と法子もこれが初対面というわけではないのに。ひょっとして自分は

心のどこかで、道流は法子のような女性が苦手なのでは、と思っていたのかもしれない。

 はっきり言ってしまえば、法子は何を考えているのか分からない人間だ。思考が読めな

いのではなく、そんなもの初めから無いから読みようがない。状況に応じて変化するもの

に、どう対処しろと言うのだろう。

 

 薫の友人である黛真理や茜ヶ崎恭子(女子1番)は法子とも仲が良くて、校内で一緒に

いる姿をよく見かける。自分よりもあの二人の方が法子のことを知っているが、二人が

法子のことを悪く言っていたり、文句を口に出しているところは聞いたことがない。確信

するにはまだ早いが、ひとまず彼女は無害ということだ。

 

 

 

 洞窟の入り口から、足音が聞こえてきた。続けて声を抑えたくしゃみが二度。道流しか

いないと分かっていながらも、条件反射で身体が強張ってしまう。

 火の点ったライターを片手に、道流が洞窟の奥まで入ってきた。今はもう夜なのだが、

トレードマークのサングラスは付けたままだった。

 

「ちくしょう、夏風邪引いたかな……。お、薫起きてるじゃん」

「みっちゃんどこか行ってたの?」

「入り口の近くで見張り。まあ一応な。夜でこの場所がバレるとは思わねぇけど、怪我人

がいるんだから用心しといても損はねぇだろ」

 持っていたデイパックをそのまま無造作に放り投げる。それがたまたま薫のいる方向

に飛んで、彼女は上手い具合に両手でそれをキャッチした。

「……なんか、これやたらと重いんだけど」

「ああ、銃が入ってっからな」

 煙草を口に咥え、持っていたライターで火を点す。市販の煙草では珍しい艶やかな青色

の箱を握り潰して、ポケットの中に突っ込んだ。どうやら空になったらしい。

 

 道流が吸っている煙草の箱は綺麗な色をしていて、薫はそれをじっと眺めているのが

好きだった。だからその箱がああいう風に握り潰されてしまうのは、何だかちょっとだけ、

切ない感じがする。

 

「銃って……それホントなの?」

 あまりにも簡潔な言葉に、薫は暗闇の中で眉をひそめる。銃は人間に強大な戦闘力を

与える武器だが、道流は銃なぞ持たなくとも充分に強い。いや、むしろ銃を持っていない

方が強いのではないかと思ってしまうほどだ。

 

 デイパックを開けて、懐中電灯の光を当てて中を見てみる。銀色のリボルバーと、黒光

りする重厚なサブマシンガンが顔を覗かせていた。

「それ、持って行っていいぜ。余裕が無かったから予備の弾は奪えなかったけど、その中

にはまだ弾が入っているはずだ」

「えっ、いいの?」

「ああ。俺はそういうの使わなくていいしな」

 道流は気軽にそう言ってくれたが、果たしてこれを素直に受け取っていいものだろうか。

銃を使う必要性が無いからという理由が理解できても、たった一人の生き残りをかけた

このプログラムで他人に武器を渡す、という道流の神経が理解できない。

 

 仮の未来で、生存者が自分と道流だけになった時――今渡されたこの銃を向けられた

ら、道流はどんなことを思うのだろうか。

 後悔か、自責か。

 いずれにせよ、彼はバカなことをしたとは思っていても、間違ったことはしていないと思

っているだろう。

 

 道流には力がある。自分の前に立ち塞がる敵を倒す力。進むべき道の先にある壁を

壊す力。自分たちが様々な手段を駆使し、決して短くは無い時間を費やして突破するそれ

らを、道流は簡単に打ち砕いていく。

 

 心が重くなっていった。どこかにじっと立ち止まって、周りを眺めている感じ。事態はどん

どん先へ進んでいく。道流は自分の随分先を歩いている。ちょっと前まで、馬鹿な話をして

笑い合っていた仲だった。給食の早食いをやってお互い喉に詰まらせたりだとか、去年の

夏に泳いで佐渡まで行ったという話を聞いて”下手したら海のもずくになるとこだったね”

と言ったら大笑いされたり、サッカーボールを使って野球をしてみたりだとか、下手にいろ

いろな事を知っているだけに、余計に道流の背中が軽く感じられた。喧嘩が強いという事

は知っていたけれど、それはあまり気にならなかった。

 

 自分と大して変わらない中学三年生だと思っていたのに、気が付いたら彼の方がずっと

先に行っている。一人の人間として成長している。みっちゃんって、ここまで大きな背中

してたっけ。いったい何が、彼の力の源になっているんだろう。

 

 私にも、みっちゃんみたいな力があればよかったな。

 自分にこれほど力が無いとは思わなかった。沖田剛の時も、橘千鶴の時も、何もできず

に二人を死なせてしまった。自分の手の届く所にいる人さえ助けられない。それほどまで

に無力な人間だったのか、自分は。

 

 

 

「もう少しで定時放送の時間だよね」

 法子は懐中電灯の光を時計に当て、現在の時間を確認する。

「俺が外に出て放送を聞いたら、また戻ってくるよ」

「みっちゃん、見張り交代しよっか?」

「ばーか。怪我人は大人しく寝てろっての。法子さんも身体休めてな。俺が朝まで見張って

てやるからさ」

「うん、ありがと。お言葉に甘えさえてもらうよ」

 

 道流が一緒にいてくれると、それだけで頼もしい。

 けれど今はそれが、とても辛かった。

 何もできない無力な自分が際立って、心の内側からズタズタになりそうで。

 薫は洞窟の壁に背を預けて煙草を吸っている道流を見ながら、スカートの裾を皺になる

ほどに、ぎゅっ、と強く握り締めた。

 

【残り24人】

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