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 野球というスポーツはバットとボールがなければ成り立たない競技だ。今まで何度もボール

を投げてきたし、今まで何度もバットでボールを打ってきた。バットで打たれてみたいなんて

思ったことは無いけれど、小さい頃に一度だけ、何回もバットで叩かれているボールは凄く痛

いんだろうなぁと思った事がある。

 

 けれどまさか今になって、そのボールの気持ちを味わう事になるなんて。

 

「しょう、ご……お前、どうして……」

 本庄猛は膝を抱えて地面に蹲りながら、足元に立っている高槻彰吾を見上げた。

「いやー、お前が使える武器持ってて助かったよ。俺の武器ってばドリアンだったからさぁ。

知ってるだろ、果物の王様とか言われてるアレ」

 彰吾は自分のデイパックを開け、無数の突起物が生えた巨大な果物を取り出して見せた。

凄まじい悪臭を放つことで知られている果物、ドリアンだ。

「思い切り殴れば人も殺せそうだけど、でもやっぱバットの方がいいよな」

 

 月明かりでかすかに照らされている彰吾の非常は暗く、何を考えているのか伺い知れない。

それでも彼が自分に対し、どういった類の感情を抱いているのかは分かる。

 嫉妬。憎悪。殺意。

 彰吾の中で渦巻いているそれらの感情は、全て自分に向けられていた。そうでなければ金

属バットで膝を割られるなんてことはない。足に力を入れて地面を踏みしめようとしたが、その

瞬間に激痛が走った。猛は嗚咽を漏らし、痛みに耐えるため奥歯を強く噛み締めた。

 

「悪いな。俺さ、どうしても生きてかえりたいんだよね」

「そんなの誰だって……」

「ほら、もう夏の大会が近いだろ? だから絶対に帰らなきゃいけないんだ。中学生活最後の

大会……やっぱマウンドに上がって、ビシッとカッコよく締めたいよなぁ」

 右手で握ったバットをゆらゆらと揺らしながら、彰吾は心底楽しそうに笑う。

 

「お前、邪魔なんだよね。お前がいると俺が投げられないんだよ。すっげー苦労して手に入れ

たポジションなのにさぁ……三年のこの時期になって横から掠め取ってんじゃねぇよ!」

 彰吾の頭上まで振り上げられたバットが、蹲っている猛の肩口に叩き付けられる。鈍い音と

骨が砕ける音が聞こえ、再び猛の絶叫が迸った。

「俺がどんなに苦労したと思ってんだよ、えぇ!?」

 武器を奪い、機動力を潰し、完全に無力化した猛を見下しながら、彰吾は何度も何度もバッ

トを叩きつけた。すぐには殺さず、できるだけ長く痛みを与えるために頭部を狙うのは避けて

いた。

 

「せっかくのプログラムだしよぉ、どうせ優勝するつもりだったから……恨みは晴らしておかな

きゃ損だよなあ! こんな事、プログラムじゃないとできねえもんなあ!」

 彰吾は無邪気な笑顔で微笑みながら、明確な殺意と憎しみを込めてバットを振り下ろした。

攻撃を加える度に猛の身体から悲鳴が上がる。肋骨が折れる感触が手に伝わり、猛の胴体

から嫌な音が響いて、彼の口から赤い液体が泡となって吐き出された。

「ピッチャーはお前のもんじゃない、俺のもんなんだよ! アレは俺のもんだ、俺だけのもの

なんだ! 誰かに渡してたまるか!!」

 

 バットを振り下ろすたびに、あれほど憎かった人間が悲鳴を上げる。その光景が嬉しくてた

まらなかった。悦楽にむせび狂った彰吾は何度も何度も何度も何度もバットを振り下ろし続

け、いつしか猛の着ていたワイシャツは血に染まり、赤と白の不気味な斑模様を描いていた。

 それでも頭部を避けて殴っているあたり、彰吾の理性はまだまともと言える範疇に踏み止

まっていると見ていいだろう。

 冷たい鉄の塊で殴られ続けながらも、猛の意識はまだ消えていなかった。まだ五感は正常

に機能しており、夜風の冷たさと、口から流れている血の温かさ、そして全身を突き抜ける痛

みがはっきりと認識できる。

 

 

 

 ようやく攻撃が止んだと思ったら、下から衝撃が突き上げてきて、何とか吸い込めた空気を

すぐに吐き出すはめになった。喉の奥から液体が競り上がってくる。堪えきれずに口を開け

た。血や嘔吐物とは違う大量の液体が、びちゃびちゃと吐き出されていく。

 多分胃液だろう。人体にはそれほど詳しくないが、赤くなかったからきっとそうだ。このまま

殴り続けられたら胃液も出なくなってしまうのだろうか。いや、それ以前に自分がそこまで生

きていられるかどうか分からない。

 

 このまま死ぬのだろうか。

 ……死んでしまうんだろうな。

 

 抵抗しようと思えばできた。いくら足を攻撃されらからとはいえ、二撃目が放たれる前に何ら

かの回避行動は取れた。なのにそれをせず、無抵抗に殴られ続けている。

 罪悪感、だろうか。念願のピッチャーになれたことが、結果的に彰吾のポジションを奪ってし

まった。猛はそれに対して少なからず後ろめたさを感じていた。

 

 けれどそれは、彰吾も覚悟していた事だろう。ピッチャーは自分一人ではない。それに見合

った実力のものが出てくれば変化も生じる。後ろから誰かが追いかけてくる重圧を、彰吾は

覚悟していたはずだ。

 

 意味も分かるし理解も共感も出来るが、理不尽で納得の出来ない理由だった。

 それなのになんで自分は、何も抵抗をしなかったのだろう。

 死にたいと思っていたわけではないのに。生きて帰ろうと、健太郎の分まで生きようと思って

いたはずなのに。

 

 もしかして自分は、自分が思っていた以上に、彰吾に対して罪悪感を感じていたのだろうか。

 殺されても良い、と思ってしまうほどに?

 

 ――なんだよ、それ……。

 

 猛は思わず笑ってしまう。我ながらに馬鹿らしい考えだった。そんな事があるわけ――。

 頭に凄まじい衝撃が走り、猛の視界が一瞬、真っ白に染まった。どうやら頭を殴られたらし

い。先程の笑みが気に障ったのか、彰吾が何か喚きながら再びバットを振り下ろす。ガツン、

という音と重い衝撃が頭部に伝わる。不思議な事に痛みはあまりなかった。体中が痛くて、

痛覚が麻痺してしまっているのだろうか。

 

 とにかく、まずい状況であることに変わりは無い。

 

 ――悪ぃ、健太郎。お前の仇……取ってやれそうにねぇや。

 猛が自らの死を覚悟した時、バットが自分の体に当たる音とは違う、もっと低くて重い激突音

を聞いた。

 

 

 

「ごぁっ!!」

 先程まで哄笑を上げていたはずの、彰吾の悲鳴。

 彰吾の体が猛のほうへ倒れてくる。彰吾は自分が散々痛めつけていた相手と同じく、蹲って

いる形になった。

 何だか分からないが、これで助かった。と、安堵する暇は猛にはなかった。彼の視線はそれ

まで彰吾が立っていた場所、正確に言うならば彼が立っていた場所よりもう少し後ろに釘付け

にされていた。

 

 もっと正確に言うなら、そこに佇んでいる”彼女”に。

 棘の生えた鉄球と柄を鎖で結んだ武器、モーニングスターを持ち、その青い髪に似合った

怜悧な雰囲気を纏って佇んでいる琴乃宮涼音(女子4番)に。

 

「…………」

 涼音は猛と彰吾を順番に睥睨した。彼女が持っているモーニングスターには赤黒い汚れが

付着している。もしかすると――いや、もしかしなくてもあれは、人間の血だ。彼女はここに来

るまでに少なくても誰か一人を殺している。

 屠殺場に送られる豚を見るかのような冷ややかな視線。それを直視した猛は思わず身震い

を起こす。

 

「この野郎……今いいとこなんだからよ……俺の邪魔してんじゃねぇぞおおおおお!!」

 蹲っていた彰吾は金属バットを掴み直し、勢いに任せて涼音に突進していった。モーニング

スターで殴打された背中の傷は決して軽いものではないはずだが、今の彼はそれを気にする

様子すら見せない。

 バットを握り締めて突撃してくる相手に対し、涼音はモーニングスターを自身の横側でひゅん

ひゅんと回転させる。回転させることによって推進力が付いた鉄球は、それだけで見るものを

怖気づかせる圧倒的な威圧感を持っていた。

 

 通常の人間ならば接近を躊躇うだろうが、怒りに駆られた彰吾はそんなことお構いなしと言

わんばかりに、何の躊躇いもなくモーニングスターの攻撃が届く範囲へと足を踏み入れた。

 瞬間、空気ごと押し潰すような強烈な音が響き渡る。持ち手の非力さを補って余るほどの

推進力を持った鉄球が容赦なく振り下ろされた。命中したものの原型を無くしてしまいそうな

猛烈な打ち降ろし。だがしかし、それは捕らえるべき獲物を牙にかけることなく地面へと吸い

込まれる。

 

「うらあっ!」

 素早く横に逃げてモーニングスターの攻撃をかわした彰吾は、お返しと言わんばかりに涼音

の頭目掛けバットをフルスイングした。涼音はバックステップでその攻撃をかわすが、彰吾の

回避行動と比べるとやや反応が遅れていた。彼女は元々運動が得意ではないので、その部

分での違いが表れたのだろう。

 結果、涼音は致命傷を避けることはできたが、バットの先端部分が右腕の付け根付近に当

たってしまった。

 

 ゴトン、という音を立てて、使用者の手から離れたモーニングスターが地面に落ちる。

 凶悪な凶器を失い、ただの女子中学生へとなってしまった涼音。そんな絶好のチャンスを

彰吾が見逃すはずも無い。彼はニヤリ、と笑って、金属バットを力一杯、全力を込めて横向き

に薙ぎ払った。

 

 至近距離からの、それも野球部に所属している人間が放ったバットによる攻撃。単純な運動

能力で劣っている涼音には避けられないものだと思われたが、彼女は身を縮めてギリギリの

ところでそれをかわした。

 モーニングスターにしろ金属バットにしろ、戦闘において隙が生まれやすいのは攻撃を行っ

た直後である。それが重量級の武器であるならば尚の事。彰吾は今、先ほどの涼音と同じく

大きな隙を敵に見せていることになる。

 

 だがしかし、涼音の手には武器が無い。一撃必殺の威力を持つモーニングスターがない。

例え掴み取ったとしても、その頃にはもう相手の体制が整っている。

 迷っている暇はなかった。涼音は身を縮めた形から前傾姿勢で走り出し、地面に落ちていた

モーニングスター……ではなく、それよりももっと近い場所にあった、モーニングスターに形の

似た果物、ドリアンを掴み取った。

 

 彰吾の懐に飛び込むと同時に、ドリアンを真剣の居合い抜きのようにして、左下から右上に

向けて振り抜いた。

 

「――――」

 悲鳴は無かった。彰吾はよろよろとたたらを踏み、雑草が生い茂っている土の上に倒れた。

K.O負けをしたときのボクサーのような倒れ方だった。

 

 

 

「て、めぇ……」

 女性に二度も、しかもドリアンという物体で殴られた事によって、彰吾はかつてない怒りと屈

辱を感じていた。腕を地面に付き、そのまま立ち上がろうとする。

 涼音はそんな彰吾を蹴飛ばし、さらに馬乗りになって肩を押さえつけた。マウントポジション

というやつだ。女性が上に乗っているという状況に快感を見出す男性も世の中にはいるが、

今彰吾が感じているのはそれとは正反対のものだった。

 

 涼音は、自分が今手にしているドリアンを天高く、大きく振りかぶる。

 

 体が硬直していた。涼音に向けた目を、もう一ミリたりとも逸らす事ができなくなっていた。

 最悪の状況、最悪の結末が思考の渦となって脳内を駆け巡る。これから自分がどうなるの

か。頭が、理性が、正気が、高槻彰吾という存在そのものが、これから先に起こるであろう

出来事を理解しないようにしていた。

 

 沈黙と硬直。

 しかし、それがいつまでも続くわけがなかった。

 涼音の頭上に上げられたドリアンが、振り下ろされる。

 

 鼻に命中し、そこから鼻血が勢い良く噴き出した。そこに更に振り上げ、振り下ろす。何度

目かの振り下ろしで彰吾の鼻は完全に潰れた。前歯は折れ、涎と血が混じった液体が口の

端から溢れ出していた。

 

 彰吾は何とか攻撃を防ごうと足掻いたが、どうやってもマウントポジションから抜け出すこと

ができなかった。彼はもはや、ただただ一方的に死ぬまで殴られ続けるしかなかった。

 ドリアンの一部分が赤く染まり、血の糸を引くようになっていた。骨は砕け、肉は潰れ、皮は

引き剥がされていた。振り下ろされたドリアンの突起物が眼窩に侵入し、彰吾の眼球をいとも

簡単に破壊した。彰吾はここで始めて悲鳴を上げた。人間のものとは思えない、獣のような

悲鳴。絶叫が迸る大きく開いた口へ、ドリアンが勢い良く叩き込まれた。それまで無事だった

歯が根こそぎ持っていかれ、コキッ、という小気味の良い音と共に顎の骨が外れた。あまりの

痛さに彰吾は声を張り上げるが、ドリアンによって口が塞がれているため、地鳴りのような音

しか聞こえてこなかった。

 

 それから彰吾はじっくり時間をかけられ、ドリアンによって殴り殺された。途中からは涼音が

モーニングスターを使ってくれることを願っていたのだが、結局その願いは叶わなかった。

 痛みを与えたいとか、相手の苦しむ顔が見たかったからではない。ただ、ドリアンでも人を

壊すことはできるのか。ドリアンで人を壊すとどういう風になるのか。そう思ったから、それを

実行してみただけだ。

 

 ドリアンで人を壊してみたい。涼音が思っていたことは単純で、誰にも理解されない理由。

 禁忌に手を染め、禁断の果実を口にした彼女は、もうその魅力から逃れる事ができなくなっ

ていた。破壊行為の後に、凄まじい自己嫌悪と罪悪感が押し寄せてくる事を知りながら。

 

 

 

 一方で――全身を金属バットで殴打された猛は、意識を繋ぎとめているのも困難な状態に

なっていた。頭部に受けたダメージは彼の脳に深刻な影響を与えており、既に体を動かすこと

もままならなかった。あとは静かに、意識の消失を待つのみだった。

 自分の行く末を確信した猛の心は、不思議と安らかな気持ちに包まれていた。自分が思い

描いていた死への恐怖は微々たるものしかない。

 

 ――俺は……もう悩まなくてもいいのか……死ねば、悩む事も……。

 

 眠る前のような穏やかな気持ちになり、猛は全身の力を抜いて目を閉じた。彰吾への負い目

や、彼の自分に対する憎しみから解放される事が嬉しくて仕方がなかった。

 ただ――健太郎の仇を討つことができずに死んでいくのが、唯一の心残りではあったが。

 聴覚すらままならなくなってきた猛の頭に、再び所持者のもとへと戻ったモーニングスターの

鉄球が振り下ろされた。

 

男子9番 高槻彰吾

男子14番 本庄猛  死亡

【残り24人】

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