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 時計の針が午後十時を指した頃、本庄猛(男子14番)はそれまで隠れていた草むらから

そっと顔を出した。エリアで言うとH−02の部分に当たる。既に日が落ち、視界が利かな

くなった周囲を注意深く見回す。建造物なんてほとんど見当たらない山の中だが、木の陰

や土手に出来た穴、生い茂った草むらの中など、人が隠れられそうな場所を挙げれば

キリがない。今まで自分がそうしてきたように、どこかで誰かが息を殺して身を潜めてい

るかもしれないのだ。

 

 籍を置いている野球部の中では常に笑顔を絶やさず、人一倍声を出してチームメイトを

活気付けてきたその顔にかつての面影は無い。まるで別人かと思ってしまうほど彼の顔は

張り詰め、剣呑な雰囲気を漂わせていた。いつも部活で流しているものとは違うタイプの

汗が、猛の顔に浮かび上がっている。

 

 四時間ほど前に流れた定時放送。その放送の中に篠崎健太郎の名前があった。健太

郎は殺されてしまったのだ。まだ生きている、自分以外の誰かの手によって。

 健太郎の死を知った時の衝撃は大きく、猛はしばらく放心状態になっていた。放送自体

はプログラムが始まってから何度も流れているし、そこで読み上げられている連中が既に

この世からいなくなってしまった、という事も理解している。俺も死んじまったら名前を呼ば

れるんだろうなぁ、と縁起でもない事を思ったりもしていた。

 

 その放送で、自分の最も親しい友人の一人が名前を読み上げられていた。

 悲しいはずなのに涙は出なかった。信じられなかったのだ、彼が死んでしまったという事

が。それを言ったら目の前で殺された片桐裕子(女子3番)以外のクラスメイトが本当に死

んでしまったのか怪しいが、それでも猛は他のクラスメイトが死んでしまったことを事実と

捉え、健太郎が死んでしまったことを事実と捉える事ができなかった。

 

 健太郎は野球部の中でも中心に位置する存在だった。口数こそ少ないが、練習中でも

試合中でも常に輪の真ん中に立っていて、静かに皆を勇気付けている奴だった。健太郎

がいるのといないのとでは、心の奥にある安心感が全然違う。

 それとは別に、猛は健太郎に対して強い感謝の気持ちを持っていた。同じ部活に所属

しており、健太郎はキャッチャーで猛はピッチャー。バッテリーとして付き合っていけば当然

信頼関係は出来上がっていく。その例に漏れず、猛も健太郎の事を信頼していた。部活の

間の関係だけではなく、自分の殻を破ってくれた恩人として。

 

 入部当初から猛はピッチャーを志望し、いずれは自分がこの学校のエースピッチャーに

なるのだと大きな夢を抱きながら、日々練習に明け暮れていた。猛が通っている中学校は

不良生徒が多く、お世辞にも評判が良いとは言えない。過去には他校との間で起きた喧嘩

が原因で夏季大会への参加が中止になってしまった事例もあるくらいだ。それ故に練習試

合を組んでもらえる事自体が稀で、猛のように本当に野球が好きな生徒にとって自分の

希望するポジションに付くという事は、周りの人間が思っている以上に大切な事だった。

 

 まだチャンスがあると思っていても、何らかの事態で試合が出来なくなるかもしれない。

猛や健太郎は、そんな危機感を背負いながら部活に励んでいた。そのため、いろいろと

問題を起こしている刀堂武人(男子10番)真神野威(男子15番)渡良瀬道流(男子

18番)たちに大しては憎悪に近い感情を持っている。威たちと違って道流は自分たちに

も気さくに接してくれるが、それでも数少ない試合のチャンスを潰す可能性を持っている

人物である事に変わりは無い。

 

 目標を達成するべく日々の練習を怠らなかった猛だったが、ピッチャーとしての頭角を

現したのは彼ではなく同じクラスの高槻彰吾(男子9番)だった。彰吾もまた、猛と同じピッ

チャーを志望している少年だった。

 練習の量は誰にも負けないという自信がある。それでも彰吾との間にある差は埋める事

ができなかった。自分がマウンドに上がる時といえばリリーフとしてか、彰吾の調子が悪い

時くらい。あれほど憧れていたマウンドに立てたのに、まるで晒し者にでもなっている気分

だった。

 

 彰吾の陰に隠れたまま、猛は心をすり減らしながら日々を過ごした。

 俺がここにいる意味は何なのだろう、と自分自身に問いかけながら。

 そんな猛に救いの手を差し伸べてくれたのが、健太郎だった。

 

 

 

「お前の投球フォームに気になる部分があるんだけど」

「えー? そっかなぁ。自分じゃ癖とかあるとは思ってないけど。ちゃんと鏡の前でフォーム

の確認してるしさ」

「俺が気になっただけだからな……。でもまあ、試しに直してみてもいいと思うぞ」

 その時は別に何とも思っていなかったが、ただ単に自分が自覚していないだけなのかも

しれないと思い、それからしばらくは健太郎が指摘した”気になる部分”を改善する日々が

続いた。

 

 その成果は二週間ほどで現れた。猛の球威は以前よりも五キロほど増し、目に見えて

実力が向上していった。猛は変化球と制球力を武器にするタイプであったため、球速が

増した事により緩急の幅が広がって新たな戦い方をする事もできた。

 三年生になってからは彰吾の代わりに自分がエースピッチャーを任されることになった。

あれほど憧れ、夢にまで見たポジション。以前は晒し台のように見えたマウンドが、今では

スポットライトを浴びて光り輝くステージのように見えていた。

 

 きっと健太郎は、自分こそがピッチャーとして相応しいと感じていたのだろう。

 自分に改善すべき点があるということを言う必要は無かったはずだ。もし言わなければ

変わらずに彰吾がピッチャーを務めていたはずだ。

 それをせずに自分に欠点があることを教えてくれたという事は、這い上がってピッチャー

になってみろ、という健太郎の無言のアドバイスだったのではないだろうか。健太郎は優し

い奴だったから、ただ単に見過ごしておく事ができなかったからかもしれないが。

 

 だけど、健太郎が自分を救ってくれたことに変わりは無い。自暴自棄になり、野球への

意欲を失いかけていた自分に活力を与えてくれた。気恥ずかしいので簡単な礼だけで済ま

せてしまったが、猛は健太郎に深く感謝をしていた。

 その健太郎がもうこの世にはいない。どこを探しても、生きている彼を見つける事が出来

なくなってしまった。

 

 小学校から付き合いが続いている友人たちよりも信頼できる、一番の親友だった。同じ

高校に進学して、そこでも変わらず野球を続けて、いつか甲子園に行こうぜ、とかお互い

の夢を語り合っているんだろうなと思っていた。

 

 死ぬのは怖いし、人を殺すのだって怖い。けれどあいつの、健太郎の仇だけは取って

おきたかった。

 自己満足でも何でもいい。あいつを殺した人間が、今もどこかでのうのうと生きている事

が許せなかった。

 もし自分がここで死んでしまうとしても、これだけは――この願いだけは叶えておきたい。

こんな事をしてあいつのためになるとは思えないけど、やらないわけにはいかなかった。

 

 

 

 猛は肩から提げていたデイパックをかけ直し、もう一度辺りに視線を巡らせてから数メー

トル先にある小さな茂みへと駆け出した。

 足音を殺しつつもほんの数秒で辿り着き、身体を茂みに密着させて再び周辺の様子を

窺う。やや慎重すぎるかもしれないが、警戒を強めるにこしたことはないだろう。

 

 見たところ誰もいないようだ。ここはこのまま突っ切っても問題ないだろうか? 猛は腰を

上げかけたが、様子を見るために足元に落ちていた手頃な大きさの石をいくつか手にとっ

て、それを近くに生えていた木目掛けて投げつけた。普段ならそれほど大きくないはずの

音が、夜という環境のせいで何倍もの大きさに聞こえる。

 近くに誰かがいれば、今の音を聞いて姿を現すはずだ。猛は自分に支給された武器の

金属バットをぎゅっと握り締めた。野球部の自分にこんな武器が巡ってくるなんて、出来

すぎた話もあるものだ。

 

 しばらく待ってみたが、人どころか虫やカエルが飛び出してくる気配も無い。猛はほっと

息を付き、一気に長距離を移動するため隠れていた茂みから身を出した。

 ちょうどその瞬間、猛がいる場所から十メートルほど離れた場所にある木の陰から人が

姿を現した。ほとんど坊主頭に近い短髪に、白いワイシャツと黒のズボン。猛にとって健太

郎と同じくらい親しい人物である、高槻彰吾がそこに立っていた。

 

「――なんだよ、誰かと思ったら猛じゃんか。びびらせんなって」

 彰吾は苦笑いを浮べながら、やや小走りで猛のもとへ近づいていった。

「それはこっちの台詞だっての。お前こそいきなり出てくんなよな」

「わりぃわりぃ。でもほら、こんな状況なんだから仕方ねぇって」

 親しい友人に会って緊張の糸が解けたのだろう。彰吾は表情豊かな顔を見せてきた。

 そんな彰吾を見て、猛は思った。

 

 ――こいつ、まさかやる気になってないよな。

 

 見たところ武器らしい武器は持っていないし、手を伸ばせばお互い触れ合えるこの距離

で何もしてこないということは、敵意が無いと捉えていいのかもしれない。

 だがこれは、クラスの中でたった一人の優勝者が決まるまで殺し合いが繰り広げられる

”プログラム”だ。自分以外全てが敵となる構図を考えれば、何もしてこないわけがない。

もちろん、自分の事を信頼できる仲間だと考えている可能性だって充分にある。

 

 猛は、彰吾に対してほんのわずかな罪悪感を感じていた。自分がエースピッチャーとし

てレギュラーになってしまったがために、彰吾はそれまで自分が守っていたポジションを

失ってしまったのだ。捉えようによっては、猛が彰吾からポジションを奪い取ったと考える

こともできる。

 

 しかし、それは彰吾も承知の上だったはずだ。熾烈なポジション争いが行われている野

球部では、次に自分がレギュラーを奪われていてもおかしくはない。その結果がどうなろう

と受け入れなければならないのだ。

 

 望んだ結果になろうと、望まない結果になろうと。

 例えそれが、今まで積み重ねてきたものを木っ端微塵にしてしまうような事でも。

 チームのためには、受け入れなければならない。

 

 ひょっとして彰吾は、俺の事を怨んだりしていないだろうか。

 ほんの少しだけ、それが気になっていた。

 

 

 

「それ、お前の武器?」

「ああ。バックを開けてビックリしたぜ。プログラムの中でもこいつを持つことになるとは思

わなかったよ」

「打撃練習しろってことなんじゃねーの? お前、そっちは成績悪いもんな」

「ひでーなぁ……そんな悪いとは思わないけど」

 猛は口を尖らせて、ぼやくようにブツブツ言った。体に染み付いた癖なのか、バットを握

り締めて二度、三度とスイングをする。

「あーもう、ちょっと貸してみろって」

 それに見かねた彰吾が猛からバットを受け取り、手本となるべくレクチャーを開始した。

「お前は上半身に無駄に力が入りすぎてんだって。もうちょっとこうコンパクトに――」

 

 この時、彰吾の顔が完全な無表情になっている事に猛は気付くべきだった。気付いてい

れば、この後に起きる事を予測できたかもしれない。できなかったとしても、誰かの前で無

防備のまま立っているという愚行を犯すことはなかったはずだ。

 

 ”ひゅごっ”という空を切る音を残し、彰吾がフルスイングしたバットは的確に猛の左膝を

打ち砕いた。

 

 声にならない絶叫が、森の中に響き渡った。

 

【残り26人】

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