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「黛さんって今まで外歩いていたんだよね? 誰かに会ったりしなかったのかな」

「えー? そんなの私が分かるはずないじゃん。真理ちゃんが戻ってきたら聞けば?」

「了解。そうしてみる。つーか俺さ、黛さんがいてくれたらかなり心強いなーって思ってたん

だよね」

「どうしてそう思うのよ」

「だって黛さんって剣道やってるだろ? そんじょそこらの不良とかには負けそうにないし、

渡良瀬とかと違って信用できるじゃんか」

「ああ、そういうことね」

 

 それほど高価なものではない黒いソファに座り、折りたたみ式の小さな鏡を見ながら前髪

をいじっていた安川聡美(女子17番)は、惚気きった槍崎隆宏(男子16番)の顔を見て彼

に聞こえないよう溜息をついた。

 ――何なのよ。黛さん黛さんって、バカの一つ覚えみたいに。

 先程この建物に黛真理(女子13番)が訪れた際、彼女を引き入れようと強く推していた

のは隆宏だ。その時はもう一人のメンバーである鈴森雅弘(男子8番)が不在だったため、

彼の意見に押し切られる形となった。

 結果として真理はこのグループの新メンバーとなり、今は雅弘から建物内の案内を受け

ている。

 

 別に彼女に対して恨みや憎しみがあるというわけではない。どちらかと言えば、聡美は

少なからず真理に憧れていた。スラリと伸びた均整の取れた身体、引き締まった口元や

切れ長の目。決して印象は悪くなく、表情豊かなその顔は周りの人々に好印象を与える。

同姓である聡美から見ても真理はとても綺麗で、自分もああなりたいという憧れの対象

だった。

 

 聡美が気に食わないのは真理ではなく、彼女に鼻の下を伸ばしている隆宏の方だ。きっ

と彼は真理に好意を寄せているのだろう。あそこまで露骨な態度を見せられては、それも

簡単に予想が付いた。

 真理を好きになること自体に文句はない。そりゃ彼女は美人だし、クラスや学年を問わ

ず人気があるのも知っている。自分と比較したところで空しくなるだけだ。

 

 ただ――聡美は思う。年頃の男女が一つの施設の中にいるというこの状況で、何で真理

にしか目が行かないのだろう、と。自分は結構長い時間を隆宏と共有してきたが、彼が自

分にたいして真理に取ったような態度を見せたことは一度も無かった。隆宏の事が気にな

っているわけでも何でもないが、自分が女性として見られていないようで、非常に腹立たし

い気持ちでいっぱいだった。

 

 確かに自分は子供っぽいかもしれない。テレビに出ているようなアイドルのように高い声

をしているし、身長もクラスで一番低い。胸も全然膨らんでいないし、茜ヶ崎恭子(女子1番)

のような大人びた態度をとっても笑い者になるだけ。

 けれど自分だって女性で、恋やオシャレに興味のある一人の女の子だ。それをそう見ら

れなくなってしまたら、女性としての自分の存在意義を全否定されてしまったように感じてし

まう。特に身長に関してはコンプレックスを持っているため、クラスの女子の中でも背の高

い真理がああいった扱いをされていると、余計にそういった感情に拍車がかかってしまう。

 

 隆宏も真理も嫌いというわけではないし、恨みがあるわけではない。けれど二人の事を

考えていると、複雑な苛立ちが募るばかりだった。直接文句を言えればいいのだけれど、

隆宏が特に悪い事をしているというわけではないし、真理に至っては何もしていないので

それをすることも出来ない。ただ自分の醜い感情が少しずつ少しずつヘドロのように蓄積

していくだけ。

 

 我慢するより他に無い。我慢するしか術は無い。

 

 とは言っても、この状況はなかなか辛いものがある。

 打開するには隆宏に直接文句を言えばいいのだけれど、グループ内の和を保つ事を考

えれば、そうするのは得策ではなかった。

 

 ――何で真理ちゃんを仲間にしちゃったんだろ。

 やはりあの時、多少強引にでもいいから反対するべきだった。彼女を引き入れるのを断

るべきだった。信用できないとか、いろいろと断る理由はあったはずなのに。

 今になって「やっぱり出て行って」なんて言えるはずがない。何かが起きて彼女がここから

出て行ってくれるのが一番理想的だが、そう上手い具合に事が運ぶとは思えなかった。

 ようは真理がいなくなってくれればいいのだ。そうすれば隆宏も彼女に対してチヤホヤ

する事はなくなるし、このイライラも解消される。

 

 いなくなればいい。真理がいなくなれば。

 

 その瞬間、聡美の脳裏に永倉歩美(女子10番)の顔と、彼女が言った言葉がフラッシュ

バックした。

 

 

 

 ――『こういう状況では、自分の手の内を明かさない方がいいのよ』

 

 

 

 聡美はスカートのポケットに手を入れ、その中に入っているものをぎゅっと握り締めた。

聡美の支給武器は”花火セット”だとみんなには説明していたが、彼女の本当の武器は今

握り締めている”それ”だった。科学の授業で使うような小さなガラス瓶。白い粉末状の結

晶体が入っているガラス瓶にはドクロマークのラベルが貼られており、付属の小さな説明

書にはこう記されていた。

 

 

 

 ・これはシアン化カリウム、俗に青酸カリと呼ばれているものです。使い方はあなた次第。

保存する際はできるだけ空気に触れないよう、日光に当たらないようにしてください。

 

 

 

 薬品に関する知識は皆無に等しい聡美でも、”青酸カリ”という言葉を見ればこれがどう

いった薬品なのかは瞬時に理解できる。要するにこれは毒薬で――人間を殺すには充分

な威力を持っているものだという事を。ご丁寧なことにドクロマークまで貼られている。

 

 これを始めて見た瞬間、聡美は背筋がさっと寒くなるのを感じた。銃やナイフのように直

接的な形をしているわけではないにしろ、人を殺せる道具を自分が手にしているという事に

言い知れない恐怖を感じていた。

 聡美はプログラムが始まってすぐに永倉歩美と出会い、彼女と行動を共にすることになっ

た。その際に彼女から言われた、『容易に自分の手の内を明かすものではない』という言葉

通り支給武器が青酸カリであることを隠し、偽の支給武器を教えた。このような危機的状況

では奥の手を持っておいたほうが良い、という歩美の教えが、そうさせていた。

 

 歩美は一見すると大人しく線の細い少女だが、その裏では数々の悪事に手を染めていた

事を聡美が知っているはずも無い。何故歩美がそれほど仲良くもなく、それも出会ったばか

りの自分にそのような心構えを教えてきたのか疑問だったが、”きっと親切心からなんだろ

うな”という安易な結論で済ませてしまっていた。

 

 それが間違いだった。聡美はもっと深く考えるべきだったのだ。

 歩美は”きっかけ”を植えつけていた。状況次第では殺し合いの原因、崩壊の原因ともな

るきっかけを。

 

 誰か殺したい相手が現れた場合、誰にも悟られることなく、怪しまれないようにそれを実

行できる状況。それが訪れた時、歩美が植えつけた言葉は絶大な効力を発揮する。

 歩美がこうなる事を予期して『手の内は隠しておくもの』と言ったのかどうか、それは本人

にしか分からない。もしかしたら深い意味は無く、ただ単に思いつきで発した言葉なのかも

しれない。けれど歩美が言ったその言葉は、彼女が意図していた以上の影響を聡美に与え

ていた。

 

 これを使えば真理は確実に死ぬだろう。そうすればこの苛々から解放される。またいつも

の自分に戻る事ができる。これはプログラムなんだから、今さら一人死んだところでどうと

いう事もないはずだ。

 

 ――私、何でこんな事考えてんだろ。

 聡美は下を向いて頭を抱え込んだ。思考と感情がぐちゃぐちゃになって気が狂いそうだ。

いや、もう気が狂う過程にいるのかもしれない。狂っていくその心が本当に自分のものなの

か、それすらも分からなかった。

 

 何でこんな事になっているんだろう。何でこんな事をしているんだろう。今まで幾度となく

思ってきたことが再び頭に浮かぶ。怖くて怖くて泣きそうだった。死と隣り合わせのこの状

況が怖いのか。見知ったクラスメイトたちが次々と失われていくのが怖いのか。人を殺そう

と考えている自分自身が怖いのか。

 

 

 

 コンコン、と事務室の扉をノックする音が聞こえた。隆宏が「はい」と返事を返すと、真理

と彼女のために建物の案内役をしていた雅弘が部屋に戻ってきた。

「二人ともおかえり」

 考えていたことを打ち消し、聡美はにっこりと微笑んで二人に声をかける。そんな聡美を

見た真理の表情が曇っていた事に、彼女は気付いていなかった。

 

【残り26人】

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