06





 大きな密室状態となっている体育館の中に、片桐裕子の新鮮な血の匂いが漂い始めてい

た。静海中学三年一組の生徒たちは全員口を閉じ、あるものは涙を流しながら、またある

ものはガタガタと震えながら自分の前に立つスーツ姿の男に目を向けていた。先程までは

私語をしている生徒や呆けた表情の生徒が見られたが、今は皆一様に張り詰めた顔をし

ている。裕子の死によってこれが疑いようのない現実だということを、これから殺し合いを

しなければいけないんだということを生徒全員が理解、認識したのだ。

 

 目の前でクラスメイト殺害のシーンを見せ付けられたことにより、ほとんどの生徒の心の

中を恐怖、不安、焦りと言った感情たちが侵食していった。例外と言えるのはケンカにおい

て最高峰の実力を誇り、度重なる窮地を潜り抜けている渡良瀬道流、真神野威の二名。

 そしてもう一人、三年一組の女子学級委員長である琴乃宮涼音――彼女もまた、人が

殺される現場を目の当たりにしてもほんのわずかな動揺しか見せなかった人物だった。

 彼女が道流と威の二人と決定的に違う点は、裕子の死体を見たときの”反応”である。

道流と威は共通して全く動揺した素振りを見せていなかった。この無反応こそが、二人が

見せた反応なのである。

 

 しかし涼音は違う。裕子が死んだとき、涼音の顔に浮かんでいたのは恐怖でも不安でも

無表情でもなく、ほんのわずかな喜色だった。

 それを自覚した瞬間――涼音は自分の中で何かが壊れる音を聞いた。それは自分の中

にある鎖が壊れる音で、その鎖で縛り付けられていた魔物が解き放たれる前兆なのだとい

うことも、涼音は自覚していた。

 

 

 

「では早速プログラムのルールを説明する。基本的なルールは貴様らも知っての通り、最後

の一人になるまで殺し合いを行うこと。で、貴様らが殺し合う場所についてだが――」

 零司は台車を押してきた兵士の一人に声をかけ、彼から折り畳まれた紙を受け取ると、

それをマグネットでホワイトボードに貼り付けた。立ち位置を移動し、その紙が全員に見える

ようにする。それが何を意味するのか分からないが、デザインから見てどうやら地図のよう

だった。

 

 その紙には縦と横にいくつかの線が引かれており、まるで碁盤のようにはっきりとます目

が区切られている。地図の上部には一から九までの数字が、左側にはAからIまでのアル

ファベットが書かれていた。

 

「ここは県内のとある山間部にある須川原(すがわら)ホテルとその一帯の地図だ。建物は

少ないが、辺り一帯に樹が立ち並んでいて会場の半分以上を森林地帯が占めている。

立て篭もる場所が限られているから、動くときはよく考えてから行動に移ったほうがいいぞ。

電気、ガス、水道は全て止められている。電話も通じないし、周辺の道路も封鎖している。

つまり外界への接触は完全に遮断されているということだ」

 

 涼音たちが暮らしている静海市から須川原ホテルまでは、車で約四十〜五十分ほどの

距離がある。大自然に囲まれたホテルというのが売りで、静海市に住んでいるものならば

一度は行ったことがあるものもいるだろう。ちなみに涼音は一度も来たことがないので、須

川原ホテルに来るのは今回が初めてだった。

 

「今俺たちがいるのはここ、ホテル本館の中にある体育館だ。ここから一人ずつ二分間隔

で出発してもらう。そこから先は貴様らの自由だ。逃げるなり隠れるなり殺すなり、好きなよ

うに動いてくれ。ただし――」

 零司はそこで言葉を区切ると、正面に座っていた逆瀬川明菜(女子7番)の首輪を指差し

た。何かされると思ったらしく、明菜は首輪を押さえて身を怯ませた。

 

「貴様らに付けられている首輪の効果で、ずっと同じ場所に留まっているということはできな

い。そうなってしまったらプログラムが進行しないからな」

 つまり、行動範囲を制限することによって移動することを余儀なくさせ、他の生徒とのエン

カウントを発生させるということか。しかしどうやって行動を制限するつもりだろう。まさか生

徒一人に兵士が一人見張りに付くというわけではないだろうし。

 涼音のその疑問は、続いて話される零司の説明が解決してくれた。

 

「どういうことか具体的に言おう。プログラムの舞台となる会場はこの地図のように、数字と

アルファベットによってエリア分けされている。A−01、B−02といった具合にな。そして、

午前と午後の零時と六時、つまり一日に四回会場全体に放送が流されるんだが、その放

送ではそれまでの六時間に死んだ奴の名前と、特定の時間、エリアを読み上げることにな

っている。その放送で指定されたエリアは、同じく放送で呼ばれた時間から入れなくなると

いうわけだ。もし禁止されているエリアに入った場合、貴様らの首についている首輪が爆発

する」

 

 その言葉で、首輪に手を触れていた何人かが慌てて手を離した。

「その首輪は貴様らの行動を制限すると同時に、貴様らが生きているか死んでいるか、会

場のどこにいるかが俺たちに分かるようになっている。完全防水で耐ショック制だ。ちょっと

やそっとのことでは外れん。無理矢理外そうとしても爆発する。本部――つまりこのホテル

だな。ここにある機械を使えば遠隔操作で爆破もできる」

 

 現在位置が分かって自分たちの手で外せないということは、この首輪をしている限りプロ

グラムの会場から逃げ出すことは不可能ということになる。もし誰かが会場外に逃げようと

しても、位置を把握している政府の人間が遠隔操作で首輪を爆破、脱走を試みた人間は

無残な最期を遂げてしまうだろう。

 

「それと、最後の死亡者から二十四時間が経過しても新たな死亡者が出ない場合、その時

は生存人数に問わず全員の首輪を爆破することになっている。この場合は優勝者無し、と

いうことになるな。ああそれと、本部であるこのホテルは最後の出発者が出てから二十分

後に禁止エリアに指定されることになっている。これは俺たちを殺そうとやってくる馬鹿な

奴らを防ぐためだ。やってきても俺や武装した兵士連中を相手にどこまでやれるか見もの

だがな」

 

 なるほど、よく出来たシステムだな、と涼音は思った。禁止エリアが増えていけば移動を

余儀なくされる。殺し合いを行わなくてもタイムリミットで死んでしまう。首輪の存在が脱出

するのを不可能にしている。その首輪を管理している本部も大勢の兵士に守られ、さらに

すぐさま禁止エリアにしていされてしまう。

 

 自分たちは殺し合いをするしかない。生き残るためには、その手を血で染めなければい

けない。巧妙に考えられているプログラムのルールが、”殺人”という選択肢に続く道へと

誘導していた。

 

「殺し合いをしろと言っても、武器まで現地調達というわけではない。必要最低限の食料や

武器などはこちらで用意している。――おい、それをこっちに持って来い」

 零司に指示され、デイパックが高々と積まれた台車を押してきた兵士がそのうちの一つ

を手に取り、生徒たちに見えるようホワイトボードの前に置いた。

 

「出発の際、貴様らにはこのデイパックが一人一個支給される。中には会場の地図とプロ

グラムの基本的なルールが書かれている紙、水と食料と方位磁石に筆記用具、それと武

器が一つだけ入っている。武器と言っても当り外れがあるから浮かれない方がいいぞ。運

のない奴にはどうしようもなく役に立たない武器が回るからな」

 何が可笑しいのか、零司は楽しそうに笑い声を上げた。

 

「なぜ武器がランダムに配布されるかだが、これは貴様らの間の力の差をなくし、どの生徒

にも優勝できる可能性を与えるためだ。事実、プログラムの優勝者の男女比率は半々ずつ

といったところだからな。武器がよければ弱っちい奴でも優勝できるし、その逆のケースも

ある」

 

 不確定要素の向上――これは多くの生徒にとって良い方向に働くことになるだろう。なぜ

ならばこのクラスには威と道流というモンスター級の生徒が二名も存在するからだ。武器の

利点を活かさなければ、とてもじゃないが彼らに勝てる気はしない。もし武器支給のシステ

ムがなければ優勝は彼らのどちらかということになっていただろう。

 

 これは涼音のような女子生徒や、桐島潤(男子6番)のように腕力に自信のないものにと

って一筋の光明となる。しかし一方で、威や道流に強い武器が当たれば手がつけられなく

なるということも意味している。したがって素直に喜べるというわけでもなかった。

「ルール説明は以上だ。何も質問がなければ出発してもらうが……何か聞きたいことのあ

る奴はいるか?」

「あ、あの……」

 そう言って手を上げたのは野球部でキャッチャーを務めている篠崎健太郎(男子7番)

った。クラスの中では糸屋浩之(男子2番)に次いで大柄な体格を持つ健太郎だが、今では

部屋の隅で震えている小動物のように体が縮こまっている。

 

「貴様は篠崎健太郎だったな。言ってみろ」

「えっと……武器って、例えばどんなものが入っているんですか?」

 確かに武器とだけ言われても、それでは漠然としすぎている。銃やナイフといったものは

疑いようもなく武器に分類されるだろうが、使いようによってはビール瓶やカッターナイフだ

って武器になる。当り外れのこともあるし、どのような武器が支給されているのかは是非知

っておきたいところだ。

 

「多種多様、としか言いようがないな。何せ三十六――おっと、今は三十五か。三十五人分

の武器を用意するのは手間がかかるんだよ。しかし例を挙げるならば、当りに分類される

武器は銃器やナイフといった殺傷力のあり、戦闘で役に立つことが出来るもの。戦闘では

役に立たないが、プログラムを有利に運ばせることが出来るものなどだな。逆に外れ武器

は野球ボールとか茶碗とか、そういった何の役にも立たないようなものだ。外れ武器は様々

あるが、当たり武器は銃かナイフということになるな」

 

 零司の言葉が事実なら、支給された武器によって生徒の戦闘能力にかなり偏りが出てし

まうことになる。ナイフ対銃はともかく、茶碗対銃ではさすがに勝負にならない。少しでも他

の生徒よりも良い武器を当てることがプログラムを生き残る上で重要な要素になってくる。

 零司は懐から取り出した茶封筒をスローイングナイフを使って開けようとしたが、ふと思

い出したように腕時計に目を落とした。

 

「午後九時五十五分か……では今から五分後、十時になったら最初の出発者に出て行っ

てもらう。その際に『私たちは殺し合いをする』と大きな声で宣言をしてもらうが、こちらが

注意をしても言わない場合はそこで転がっている奴みたいになると思え」

 それで、生徒のほとんどの視線が血の海に浮かんでいる片桐裕子の死体に向けられた。

多くの生徒の顔は青ざめていたけれど、涼音は特に気持ちを乱していなかった。人体模型

を初めて見た人物が『へえ、人間の体の中ってこういう風になっているんだ』と思うように、

人間って壊れたらああいう風になるんだ、としか思っていなかった。

 

 あんなものを見せられてしまってはダメだ。理性が保てなくなる。欲求が抑えられなくなる。

そんなことをしたらダメだと分かっているはずだ。人間を――ましてや顔の見知ったクラス

メイトを相手に、そんなことを考えるなんて。

 

「それでは最初の出発者を発表するぞ。呼ばれた奴は俺の前まで来て先程の宣言をして、

横にいる兵士からデイパックをもらい体育館を出て行け。左に真っ直ぐ進むとフロントが

あるから、そこからホテルの外に出るんだ。ホテルの中でうろうろしている奴は問答無用で

射殺されるから、死にたくなければさっさと出て行くことだな」

 

 今までのものより一際大きな零司の声で、涼音は我に返った。視線の先には茶封筒を

開け、中に入っていたであろう紙を手にしている零司の姿があった。

 

 

 

 ……僕は、何を……何を考えていた……?

 

 

 

 簡単だ。人を壊すことを考えていた。命の宿っていない物体ではなく、犬や猫などの動物

でもない。人間を壊すとどうなるのか。どんな感覚を得ることができるのか。それを考えて

いた。

 

 何でこうなってしまったんだろう。やはりあの時からだろうか。九年前のあの時――まだ幼

い涼音の前で道路に飛び出した少年と、それを助けようと駆け出してきた母親がトラックに

轢かれた光景を目の前で見てしまった時から、涼音は何かを『破壊』することに対して言い

表せない魅力を感じてしまったのかもしれない。

 

 公園で子供たちが作っている砂の城、文化祭で展示されている工作、クラスメイトが持っ

てきた、苦労して作ったという精巧なプラモデル。そういったものを見ると、涼音はどうしても

それを壊したくなってしまう。『触るな』と書かれたペンキが塗られたばかりのベンチについ

触ってしまったり、押してはいけない非常ベルを押したくなってしまうときの感覚とそれは似

ていた。

 

 最初の頃は破壊の対象がまだ物だったり、何かを壊してみたいと思う衝動がやってくる

回数が少なかったのでそれほど重要視していなかったが、もうすぐ小学校を卒業するとい

う時期になって破壊の対象は”物”から”生き物”へと変わった。

 やってくる回数自体は少なかったが、一度衝動がやってくるとその時の辛さは半端なもの

ではなかった。麻薬の禁断症状が薬を欲するように、砂漠を彷徨う旅人が水を欲するよう

に、涼音もまた”その事”しか考えられなくなってしまった。今すぐ何かを壊さないと自分が

自分でいられなくなるような気がした。

 

 そういう時は決まって夜に家を抜け出し、野良猫や野良犬を捕まえては人目につかない

場所で”破壊”していた。ナイフを使ったり、大きい石で殴り潰したり、とにかくありとあらゆる

破壊方法に手を付けた。一度だけ素手で破壊したこともある。

 行動の最中と破壊した直後は興奮と快感に酔っていたが、しばらくすると決まって激しい

自己嫌悪に襲われる。何をやっているんだ、こんなことをしていてはいけない。次は絶対に

やらない。今まで何回そう思っただろう。

 

 物を壊すことへの欲求と快感は涼音の心の裏側に潜む渇きを満たしてくれる。

 だが、それだけでは満足されないものが、彼女の中には確かに存在していた。

 

 それが――人間を対象とした破壊である。

 

 プログラムは、そんな涼音の欲求を満たす場としてはこれ以上無い状況だった。人を殺

しても罪に問われることは無い。つい数時間前まで自分が生きてきた世界では巡り合えな

い最高の環境が、ここにある。

 そう、これはプログラムなんだ。どこかで誰かを殺さなくては生き残ることができない。

なら思う存分壊してしまえばいいじゃないか。どうせみんな死んでしまうんだ、だったら自分

が壊してしまおう。

 

 その一方で、村崎薫(女子15番)や潤などの親しくしている友人も殺さなければいけない

ということに、涼音は頭を悩ませていた。自分はまだ死にたくないし人間を壊してみたいと

いう気持ちはあるが、薫たちに死んでほしいとまでは思っていない。むしろ死んでほしくない

と思っている。薫たちの前では本当の自分を隠し続けてきたが、それでも薫や潤は涼音に

とって、とても大切な友人だった。

 

 できることなら、彼らには死んでほしくない。けれど、自分が生き残るためには他の全員

が死ぬことが絶対条件である。

 

 ほとんどの生徒と同じように、涼音もこの選択肢のどちらを選ぶか決めかねていた。欲求

を取るか、理性を取るか。自分を優先するか、友人を優先するか。いくら成績優秀の涼音

と言えど、この選択問題はそう簡単に回答することができなかった。そもそもこの選択肢に

は正解があるのかどうかさえ分からないのだから。

 

「それでは最初の出発者を言うぞ。男子5番鏑木大悟

 クラスメイト全員の視線が、春日井洸(男子4番)鈴森雅弘(男子8番)などと一緒にな

って座っていた大悟に注がれた。

 

【残り35人】

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