05





 自分たちのクラスがプログラムに選ばれたという事実を改めて突きつけられる。しかし

琴乃宮涼音(女子4番)はポーカーフェイスを崩さず、いつも通りの冷静な佇まいを見せて

いた。だが彼女の内で渦巻く激情は相当なものだった。力の限り奥歯を噛み締め、三千

院零司の顔を眼鏡のレンズ越しに睨みつけていた。滅多なことでは感情を露にしない涼

音でも今回だけは別だ。突然拉致されて友人たちとの殺し合いを強制されるなんて言わ

れて納得いくはずがない。

 

 あいつは――三千院零司は自分の日常を、友人たちとの幸せな生活を台無しにした張

本人なのだ。それもあろうことか、プログラムとは無関係の刹那まで手にかけようとした。

プログラムという最悪の戦闘実験を考案したのが零司でないと分かっていても、彼に対す

る怒りと憎しみが治まることはなかった。もしこの場に専守防衛軍の兵士がいなくて、彼

が自分を挑発してきたら殴りかかってしまうかもしれない。

 

 零司の発言から三十秒近くが経過したが、体育館の中は悲鳴どころか溜息一つ上がら

なかった。みんな微動だにせず、金縛りにでもあったかのように黙って零司を見つめてい

る。この様子からすると、まだ自分たちがプログラムに選ばれたという事実を受け入れら

れないのかもしれない。突然、今からクラスメイト同士で殺し合いを行わなければならない

と知らされたら茫然自失となるのも頷ける。直接、担当教官によってここに連れてこられ、

他の生徒たちよりも状況を良く理解している涼音でさえ、まだ現実味がはっきりとした色を

帯びていないのだから。

 

「あ、あの」

 その沈黙を破ったのは三年一組の男子学級委員であり、涼音がみんなには内緒で密か

に付き合っている男子生徒、桐島潤(男子6番)の声だった。潤は恐る恐るといった様子

で手を上げており、私服姿では女性に間違えられることもある可愛い顔からは血の気が

失せていた。彼は優しい性格をしている反面、ケンカなどの争い事が大の苦手だった。

そんな潤が全員を代表して発言をしようとしている姿を見て涼音は少なからず驚いてしま

ったが、やはり平気というわけではなかったようだ。

 

「貴様は……男子6番の桐島潤、だな。何か用でもあるのか?」

「さっき三千院さんは俺たちがプログラムに選ばれたと言いましたが、それは事実なんで

すか?」

「ああ、そうだ。これは紛れもない事実なんだよ、桐島潤」

「……何で、俺たちが」

「何で? ハッ、”何で”、ときたか」

 零司は潤の質問を一笑し、特に説明するといった様子もなく、ただその事態だけを口に

するように素っ気無い声で続ける。

 

「まあ、運が悪かったんだろうな」

「なっ……」

「貴様らは知らんかもしれんが、プログラムの対象となるクラスは毎年ランダムに選ばれて

いる。選ばれる可能性は全国の中学三年生にあるんだ、運悪く当たったって何の不思議

もないだろう?」

「そんな、それじゃああんまりだ! じゃあ俺たちは、ただ運が悪かったという理由だけで

死ななければいけないんですか!」

「ああ、その通りだ。恨むんなら自分の運の悪さか神様を恨んでくれ」

 零司は口元を緩めながら潤の方を指差し、「質問は以上か?」と言った。潤は何かを言

おうとして口を開いたが、何を言っても無駄だと判断したのか、結局何も言わずに体育館

の床に腰を下ろした。

 

「潤くん、あまり無茶なことをしない方がいいわ。あいつら、人を殺すことに何の戸惑いも

持っていない奴らなんだから」

「ごめん。でも……どうしても言っておきたかったんだ」

 これ以上涼音を心配させまいと思っているのか、潤は無理矢理笑みを浮かべていた。

しかしその笑みは普段のそれとは違って引きつっており、逆に痛々しさを感じさせていた。

 涼音は小さく震えている潤の手に自分の手を重ね、彼の手をぎゅっと握り締めた。いつ

もと変わらぬ潤の手なのに、そこから伝わる温度はいつもより冷たい気がした。

 突然手を握られて潤は戸惑いの表情を浮かべていたが、すぐににこやかな笑みを涼音

に見せ、彼女の手をそっと握り返した。たったこれだけのことなのに、自分の中にある不

安や恐怖が和らいでいく気がする。

 

「さて、ルール説明の前に貴様らの方から何か質問はあるか? 聞きたいことがある奴は

今の桐島のように手を上げて発言をしてくれ」

 それを聞いて間髪入れずに手を上げたのが、クラスの中ではみんなのお姉さん的なポジ

ションにいる茜ヶ崎恭子(女子1番)だった。いつもの柔和な雰囲気は薄れているが、潤と

同じように状況判断ははっきりとできているらしい。

 

「私たちの担任の高峰先生は……どうしたんですか?」

「ああ、そういえば言い忘れていたな。高峰……貴様らの担任教師の高峰誠治か」

 零司はスーツのポケットに手を突っ込み、「クックック」と肩を揺らせて笑う。

「あいつはプログラムを行うことを了承したよ。今頃自宅でビールでも飲んでいるんじゃな

いか?」

 

「――嘘だ!」

 

 叫び声と共に、涼音のすぐ傍に座っていた村崎薫(女子15番)が立ち上がった。

「高峰先生が私たちを見捨てるなんて、そんなこと……あるわけないよ!」

 薫たちの担任である高峰誠治は、今年静海中学に赴任してきたばかりの新人教師だ。

教え方など拙い部分は多々見受けられるが、教育に対する真摯な姿勢や生徒たちに接

するときの態度などの評判が良く、誠治に懐いている生徒は数多くいた。その中でも薫は

誠治に対して深い信頼と憧れを持っていた。それは入学式の日に彼に助けられてからな

のだが、そのことを知っているのは涼音と赤音を除けば、このことを話した潤と鈴森雅弘

(男子8番)だけである。

 

「あるわけない? ――ククク、本当にそう思うのかね、貴様は」

「ど、どういうことよ」

 うろたえる薫を尻目に、零司は横に立っていた兵士から黒いオートマチック拳銃を受け

取り、その銃口を薫に向ける。撃たれると思った薫は短い悲鳴を漏らして二、三歩ほど

後退った。その場に居合わせたほとんどの生徒がクラスメイトの死を覚悟したが、零司は

何を思ったのか拳銃をくるりと回転させてポイントを外し、本来の持ち主である兵士に投げ

返した。

 

「どんな強靭な人間だろうと、目の前に迫った死への恐怖には敵わないということだ。貴様

らの担任もちょっと銃を向けてやったらすぐに了承したぞ」

「銃を向けたっ、て……まさか先生を殺したの!?」

「おいおい、貴様は人の話をちゃんと聞いているのか? 殺しちゃあいないから安心しろ。

それと一応注意しておくが、俺に対して反抗的な態度を取るか話の邪魔をしたら、今度は

容赦なく貴様を殺す。これは他の奴らにも言えることだ。よく覚えておくんだな」

 

 殺す、という言葉に薫がびくっ、と体を震わせた。零司の笑みがそれまでのものと違って

獰猛な空気を帯び、事態を見守る他の生徒たちの表情も厳しくなっていく。この状況下で

いつもと変わらぬ態度を保っているのは、退屈そうに頭を掻いている渡良瀬道流(男子18

番)と腕組みをしたまま零司を睨みつけている真神野威(男子15番)の二人だけだった。

 

「村崎薫、だったか。俺は先程、発言する場合は手を上げろといった。これはルールだ。

だが貴様はこのルールを守っていない。この時点で俺は結構頭にきているんだ。これ以上

俺の機嫌を損ねないうちに、さっさと座ったほうが身のためだぞ。それとも――今、この場

でブツ切りになりたいか?」

 これほどまでに明確な殺意と恫喝が含まれていれば、薫に反論する術も反抗する余裕

もない。彼女はぺたんと床に座り込み、小刻みに揺れる体を自らの腕でぎゅっと抱きしめ

ていた。薫の歯がぶつかり合うカチカチという音が、涼音のところまで聞こえてきている。

 

「さて、他に何か質問はあるか?」

 挙手するものは誰もいなかった。聞きたいことがあっても、あんな真似をされては手を上

げるに上げられない、というのが正直なところだろう。

 

「ふざけんじゃねえよ!」

 そう思った矢先、体育館の中に怒声が響き渡った。全員が声の主に目を向ける。茶色

に染められたショートカットの髪で、今にも飛び出しそうな勢いの麻生竜也(男子1番)の姿

がそこにあった。

「黙って聞いてりゃ偉そうに言いやがって……プログラムだぁ? 誰がンなもんやるかよ!

ぶっ殺されたくなかったらとっとと俺らを家に帰せ!」

 

 零司は軽く息をつき、彼には似つかわしくない諭すような声で言ってくる。

「やれやれ……貴様は俺の話を聞いていたのか? 発言をするときは手を上げろと言った

はずだがな」

「うるせえ! ンなことはどうだっていいんだよ!」

「今更何を言ったってプログラムは実行される。貴様が何を喚こうが無意味なんだ。分かっ

たらとっとと座れ。目障りだ」

 それが火に脂を注ぐ結果となった。眉を吊り上げ、怒りと憎悪を燃え上がらせた竜也は

拳を握り締め零司に向けて真っ直ぐ歩き出す。感情の起伏が激しくて血気盛んな竜也が

キレる場面は何度か目にしたことがあるが、これほど怒り狂っているのを見るのは初めて

だった。

 

 竜也は零司が着ているスーツの胸元を掴み上げると、そのまま力任せにホワイトボード

に叩き付けた。

「もういっぺん言ってみろやこの野郎!」

「……どうやら、貴様は本当に人の話を聞いていないようだな。まあ、実力者と個性派揃い

のこのクラスで予定調和を求めること自体がナンセンスだったのかもしれんが」

 予定調和を求めることが始めから無理だと分かっているとしたら――竜也の反抗も、零

司が描いたシナリオの範疇の出来事ということになる。ということは、零司は最初からこの

クラスの誰かを殺そうとしていたのだろうか。意図的に自分たちを挑発して怒りを煽り、歯

向かってきた生徒を殺して現実味と恐怖心を同時に植えつける。

 

 薫の発言も竜也の反抗も、全ては予定通り。

 これがプログラムなんだと知らしめるための、”見せしめ”を生み出すための伏線。

 

「さて、では俺は予定通り貴様を殺すとしようか」

 零司の手がスーツの内側に伸びたとき、

「やめておけ、竜也」

 生徒たちの中から発せられた、凛と響く低い声が竜也と零司の動きを停止させた。

 

「相手は本物の軍人だ。お前が敵う相手じゃない」

「でもよ! 威はこんなふざけた真似されて納得できんのかよ!」

「納得はできないな。いくら俺でも殺し合いなんてしたくはない。だが、しなければ自分自身

が死ぬことになる……そうだろう? 三千院さん」

 涼音が座っている場所からでは細かい表情まで読み取れないが、零司に話しかけてい

る威の表情は不気味に思えてしまうほど普段と代わり映えがなかった。殺し合いなんてし

たくはないと言ったが、その佇まいは戦場に向う歴戦の兵士のように悠然としている。彼

は本当に自分と同じ中学三年生なのだろうか。

 

 零司はもはやお馴染みとなった「クックックッ」という笑い声を上げ、スーツの内側に伸ば

していた手を抜き出した。威が制止の声を上げていなければ、そこにはナイフが握られて

いたに違いない。

 

「――その通り。よく分かっているじゃないか、真神野威。その調子で麻生竜也を座らせて

くれると俺は嬉しいんだが」

「ああ、分かった。――聞いての通りだ、竜也。命が惜しかったら黙って座って説明を聞い

ていろ」

「……分かったよ」

 竜也は渋々といった様子で頷き、掴み上げていた零司のスーツから手を離して自分が

座っていた場所まで戻っていった。その途中に零司を一瞥して舌打ちをしたが、それ以上

反抗的な態度は見せなかった。

 

「予定よりもだいぶ遅れたが、これよりルール説明に入る。質問をする場合はルール説明

が全て終わった後で時間を設けるから、そこで今のように挙手をして発言をしてくれ。もし

説明中に私語雑談をした場合は――」

 

 全てを言い終える前のところで、零司の腕が”ひゅおん!”と翻った。その動作が速すぎ

たために涼音の目は全てを映しきれていなかったが、その直後に響き渡った女子生徒の

悲鳴で零司が何をしたのか嫌でも分かることになった。

 

 辺見順子(女子12番)矢井田千尋(女子16番)らと一緒になって座っていた片桐裕子

(女子3番)の喉、自分たちに付けられている首輪の数ミリ上のところに銀色に輝く細身の

ナイフが突き刺さっていた。握り締めるためのグリップがないそれはスローイングナイフと

呼ばれる投擲用のナイフだったのだが、裕子はそんなことを知る由もないだろう。

 

 裕子は咳き込むような声を漏らし、自分の喉に生えた細身のナイフに手を添えた。何で

ナイフが刺さっているのか、どうしたらいいのか分からず戸惑っている、という印象を受け

た。

 

 次の瞬間、空を裂いて飛来してきた銀色の閃光が裕子の眉間、喉下へと的確に突き刺

さった。その時の衝撃で裕子の体が二回ほどがくん、と揺れ、そのまま奇妙な動きを見せ

ながら体育館の床へと崩れ落ちた。そこで初めて血が流れ出し、木でできた床の上をゆっ

くりと血が広がっていった。

 

「私語雑談をした場合は、そいつのような目に遭うことになる。よく覚えておけ」

 零司はそこで初めてサングラスを外して、本来の目で生徒たちを見据えた。肉食獣のよ

うな獰猛な瞳を有した人間が、自らが屠った少女の死体を見て可笑しそうに笑っている。

 

 誰も、何も言わなかった。悲鳴を上げているものも静まり、今は静かに涙を流している。

とりわけ裕子の死を間近で見ていた千尋たちは顔面蒼白としていたが、裕子と同じ目に

遭うのを避けるため必死で感情を押し殺していた。

 体育館にいる生徒のほとんどが不安と恐怖に身を震わせる中、涼音だけはみんなと違

う感情を抱いていた。

 

 ドクン、ドクン、ドクン。

 体が震える。心臓が早鐘を打つ。だけどそれは、恐怖などによるものではない。

 ナイフが突き刺さったときの裕子を――血溜まりの中に倒れている裕子を見たとき。

 

 涼音は確かに、興奮を覚えていた。

 

 人間が壊れる様を見て、全身が打ち震えていた。

 プログラムと死体と血が、涼音の中で眠っていた魔物を覚醒させた。

 

女子3番 片桐裕子  死亡

【残り35人】

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