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 言葉の暴力という言葉があるように、人間が発する言葉は状況、使い方に応じて様々な

ものへと姿を変える。

 言葉は時として人の心に一生の傷を残す。

 言葉は時として人を導く道標になる。

 言葉は時として人を助ける最良の方法となる。

 どんなに短い言葉でも、どんなに長い言葉でも、それだけで様々なものが移ろい、変わっ

ていく。暴力よりも強力で、財力よりも魅力的で、権力よりも象徴的な概念。

 言葉にはその使い方次第でどんな状況も突破できる、無限とも言える可能性がある。

 

 

 

 鈴森雅弘(男子8番)も、その可能性に魅せされた人間の一人だった。

 口から吐き出された煙が天井へと昇っていき、煙草特有の臭いが部屋の中に染み渡っ

ていく。吸い始めた頃はこんなのが美味しいなんてお世辞にも思えなかったし、この臭い

がどうも好きになれなかった。しかし今ではその強い臭いにも慣れ、むしろこれがなくては

落ち着かないようになってしまっている。ストレス解消方法の一つだ。

 普段ならば気が安らぐはずなのに、いくら煙草を吸っても雅弘の張り詰めた表情がほこ

ろぶ事はなかった。

 

 永倉歩美(女子10番)がここを離れてからずっと、雅弘の心には言い知れない不安が

残っている。

 

 ――『私たちは似ていると思わない?』

 

「……何のつもりなんだか」

 下らなそうに呟き、吸っていた煙草を靴の裏で踏み消す。ポイ捨てはやめましょう、か。

そう固いことを言うなって。ひょっとしたらそれもできなくなるかもしれないんだから。

 プログラムが始まってからもうすぐ一日が経過しようとしている。殺し合いは着実に進行

し、見知ったクラスメイトたちが次々とその命を落としていく。今のところ雅弘と親しい誰か

が死んだという情報は入ってきていないが、それもまた時間の問題だろう。

 

 ――そういえばあいつ、まだ生きているのかな。

 

 数時間前に見た、手を振りながら自分たちの前から立ち去っていった永倉歩美の姿。

その背中からは寂しさや不安といったものが感じられず、異常と感じるくらいに普通の態

度を取っていたのが印象的だった。

 彼女がプログラムに乗っているのかどうか、雅弘は知らない。歩美は何も言わなかった

し、雅弘も聞こうとしなかったから知らないのは当然だ。それでも今こうして疑問となって

頭に浮かんでくるのなら、あの時に聞いておけばよかったかな、と思う。

 ただ、プログラムの進行に積極的か消極的かで言えば、彼女は前者の方だろう。そうで

なければわざわざ比較的安全な建物から、敵がうろつく外へ出て行く理由がない。

 クラスメイトたちの事を”敵”と称してしまった事にわずかな自己嫌悪を感じつつ、雅弘は

歩美が武器を手にしてクラスメイトを殺害している場面を思い浮かべる。

 

 …………。

 

 似合わなかった。

 というよりも、そういう風な積極的に戦いに参加する姿勢は歩美にそぐわない気がする。

彼女とは日頃から親しくしていたわけではないし、まともに話したのだって先程の一件を

含めてほんの数回だけだ。

 だからこそあの一件は、雅弘の中に永倉歩美という人間の人物像を強烈に印象付ける

事となった。

 

 ――『楽しそうだから。私の言葉に翻弄されて動く人を見るのって、結構面白いのよね』

 彼女のあの台詞は本物だった。数多の嘘で塗り固められた壁の隙間から垣間見えた、

ほんのわずかな真実。

 あそこまで言っていた歩美が、自分の想像しているような”殺し合い”を行うとは思えな

かった。それはきっと彼女にとって不本意な事だし、面白くない事なんだろう。

 自分の身に降りかかった状況、事態を言葉巧みに切り抜けるというものが雅弘のスタイ

ルだが、歩美のものは違う。彼女は自ら、混乱した状況を作り出そうとしている。

 

 攻めと守り。同種にして異質の存在。歩美の感覚や意図する事はいくら頭を悩ませても

理解できないものだが、彼女がこの先、何かしようとしていることだけは分かる。

 もしかしたら、自分が最後に戦う相手なのかもしれない。

 そうなれば流石の雅弘でも、直接的な戦闘手段を取らざるを得ないだろう。それは最終

手段を通り越して禁じ手の域に達するものだが、覚悟は決めておかねばなるまい。

 

 問題は、今自分が置かれているこの状況だ。

 この名産品館には雅弘の他に、槍崎隆宏(男子16番)安川聡美(女子17番)という

二人のメンバーが存在している。隆宏は科学部に所属している大人しめの人物で、聡美

はよく口が動く活発的な少女だ。キャラクター的に言えば雅弘と親しい村崎薫(女子15番)

に似ている。

 

 ――いつ、二人に別れを告げようか。

 

 雅弘はそう思っていた。

 二人は特に害があるというわけではない。その証拠に、今までこれといったトラブルもな

く篭城生活を続けてきた。隆宏も聡美もやる気にはなっていないし、銃やナイフといった殺

傷能力のある武器を持っているわけでもない。

 あの二人は敵ではなく、無害で、安全だ。

 

 ただし――現時点での話、だが。

 状況が進展すればそれに伴う周囲の景色も進展する。人の心は移ろいやすく、先程まで

の考えを簡単に唾棄することが出来る。

 状況が進展すれば――プログラムが進んで、残り人数が少なくなって、すぐそこまで優勝

が見えてきても。

 あの二人は自分を殺したりしないだろうと、自信を持ってはっきり言い切れるだろうか。

 多分、いや――きっと無理だ。

 そうなってしまっては、雅弘だってあの二人を殺してしまうかもしれない。

 

 暴力は振るわないという信念を投げ捨て、生に執着するために今まで仲間だった人間

を手にかける。手に残る感触、罪悪感、一生付いて回る重荷を背負う事になるが、それで

も生きていくためには我慢できる。下らないプライドに執着して死を選ぶよりは、無様な姿

でも生にしがみつく方がよっぽどマシだ。

 そう、死んでしまうよりは、誰かを犠牲にしてでも生き残る方を選ぶ。

 この時点で雅弘は、これから先のプログラムにおける行動方針に決断を下していた。

 なるべく戦闘に巻き込まれないようにしながら、生き残りを目指す。

 自分が直接的な戦闘手段に秀でていないことを、雅弘は強く自覚している。そしてこの

クラスには、自分と真逆の特性を持つ人物が何人もいるという事も。

 

 この状況下で生き残るにはどうすればいいか。自分は自分の持っている力を活かしな

がら生き残ればいい。真正面からの戦闘では勝てなくても、それ以外の要素を強めたもの

であれば勝機が見えてくる。

 知略、謀略、奇策、騙まし討ち。卑怯も卑劣も関係ない。雅弘は”間接的”な戦闘を主体

として、優勝を目指すつもりだった。そうとなればもちろん、いつかどこかで人を殺めなけ

ればいけない場面が訪れる。それも承知の上で、雅弘はこうすることを選んだ。

 なるべく戦わず、人を殺さない。他者の脱落を誘発させながら、自分は勝ち進む。

 このスタイルなら、自分の長所も生かすことができるはずだ。

 

 クラスメイトに怨みはない。漫画の主人公のように、自分が何か特別な使命を背負って

いるわけでもない。

 だけど、死にたくない。

 俺がここで死ぬ理由なんて、ない。

 

 自分だってこう考えているんだから、あの二人もそう思っているかもしれない。ひょっとし

たらもう、腹の中で打算を働かせている事だってあり得る。

 そうなってしまう前に。殺されてしまう前に、雅弘はここから出て行きたかった。

 しかし、なかなかそのきっかけが掴めない。外はここよりもエンカウント率が高いという

事もあってか、肝心の一歩が踏み出せずにいる。

 せめて一緒に行ってくれる”誰か”がいたら心強いのだが。しかしこの状況での”誰か”

はいずれ敵になるかもしれない”誰か”でもある。なら今は、一人の方がいい。変な不安を

抱かなくて済む。

 

 

 

 雅弘は溜息をつくと、足元に注意しながら窓に向かって歩いていった。雅弘が今いる部

屋は土産などが所狭しと並んでいる、この建物のメインスペースとなる場所だ。窓には

ブラインドが下りているから、外から中、中から外の様子は確認できなくなっている。ちな

みに隆宏と聡美は別室で雑談中だ。二人からの意見で、煙草を吸うときは雅弘が席を外

す事になっている。

 

 ブラインドの隙間から手を伸ばして鍵を外し、ほんの少しだけ窓を開けた。カラカラカラ、

という窓が開く音と共に夜風が部屋の中へ入ってくる。今は七月だが夜はまだそれほど

暖かくなく、心地よい冷気が雅弘の肌を撫でる。

 建物の外は闇と静寂が広がっていた。昼間見たときは一面に広がっていた雑木林は

完全に闇に呑まれ、昼に見たときとは別の光景に感じられる。市街地と違ってここは山奥

なので、街灯らしい街灯は道路沿いかホテル周辺しかない。それも今ではプログラムに

よる電力遮断のため、ちゃんと機能しているか疑問だが。

 

 今、外へ出ようと思えば出れるが……こんな闇の中を一人で歩かなければならないのか

と思うとぞっとする。怖いという言葉では言い表せない、周りの雰囲気全体が自分を襲って

くるような――。

 

「鈴森、ちょっといいか?」

 突然自分の名を呼ぶ声が聞こえ、雅弘はびくっ、と身を竦ませながら振り返った。槍崎

隆宏が怪訝そうな顔で、レジカウンター隣の事務室の扉からこちらを覗いている。

「何そんなに驚いてるんだよ。ちょっと話があるから戻ってきてほしいんだけど」

「あ、ああ。悪い、すぐ行くよ」

 窓を開けていたこと悟られぬよう、隆宏に見えないように後ろ手で窓を閉める。別に窓を

開けていたくらいで怪しまれたりはしないだろうが、不信感を持たれては困るので出来る

限り不穏な動きは見せたくない。

 隆宏の後を追う形で事務室へと入る。そこにいたのは隆宏と同じくプログラム開始直後

からここで篭城をしている安川聡美と、そして――。

 

 

 

「あれ? 雅弘じゃん。あんたまでここにいるの?」

「お前……真理か?」

 再開の挨拶としてはいささか無遠慮なものだったが、雅弘の前にいる女子生徒は紛れ

もなくあの黛真理(女子13番)だった。真理とは薫を通じて知り合った仲で、日頃から親し

くしている気心の知れた友人だ。

 

「俺はどこか隠れられそうな場所がないかなと思って、朝の放送があった後くらいにここへ

来たんだ。そしたら槍崎とかがいて、それからずっとご一緒させてもらってるよ。っていうか

そういうお前はどうなんだ? こう見えて俺、結構ビックリしちゃってんだけど」

「ハハッ、ごめんごめん。実は私もあんたと同じでさ。疲れたからどこかで休みたいなって

思ってたらちょうどよくここが見えたから、あ、ラッキーと思って入ろうとしたんだ」

「で、そこを俺が見つけたってわけさ」

 雅弘と真理の会話に隆宏が言葉を挟んだ。隆宏が同意を求めると、真理は「そういう事」

と言って頷く。

 

 表向きには納得した様子を見せていた雅弘だったが、本当は舌打ちの一つでもしてやり

たい気持ちで一杯だった。

 知っての通り、プログラムでは自分以外の全ての人間が敵だ。それなのにいきなり現れ

た人物をろくに警戒もせず、こんな簡単に建物の中へ入れてしまうなんて。もし相手が

最初から自分たちを殺すつもりでいたらどうする気だったのだろう。それこそ取り返しの

つかない事態になってしまう。

 怒鳴ってやりたいくらいの気持ちはあったが、それを面と向かって隆宏に言うつもりは

なかった。ここで感情に任せた行動に出ては、グループの間で一気に深い亀裂が生じて

しまう。亀裂を生じさせるなら徐々に徐々に、焦ることなく着実に進めていくべきだ。

 

「ここにいるのはこれで全員?」

「ああ。俺と槍崎と安川さん」

「本当は永倉さんもいたんだけど、ちょっと前に出て行っちゃって……」

 やや低い口調で言う聡美。というのも、歩美がここを去った事で一番衝撃を受けていた

のは彼女だった。歩美と過ごした時間がメンバーの中で最も長い聡美は、彼女が離脱し

た後を境に元気がなくなっていた。時として鬱陶しいと思える口数も一気に減り、無言で

寂しげな表情を浮かべているときもある。聡美ほどではないが、隆宏もそういった気持ち

は感じているようだ。

 

 だが雅弘は二人のように、歩美を懐かしむ事など出来なかった。

 彼女の本性を、知ってしまっているから。

 永倉歩美。他人を騙し、舞台の上で躍らせる事を楽しむ少女。

 

 隆宏も聡美も、そして真理も。いや、このクラスにいるほとんどの人間は彼女の本性を

知らないだろう。人間は誰もが仮面を被っており、多かれ少なかれ自分の本性を隠して

生きている。それは雅弘もそうだし、真理も、聡美と隆宏も同じだろう。

 

 けれども歩美は、その仮面を何十にも被り、別の仮面に交換している。自分のそれと

似て非なる生き方をする彼女を思い出すたび、じわじわと全身広がっていくこの感覚は

何だろう。不安でも恐怖でもない。畏怖、とでも呼べば良いのだろうか、これは。

 

 

 

「じゃあここにいるのはこれで全員か。……なーんか統一感のないメンバーだよね」

 腰に手を当ててケラケラと笑う真理。雅弘は「何だよ統一感って」と言い返したが、実際

その通りだと思っていた。ここにいるメンバーは皆、学校生活では別々のグループに所属

して過ごしていた。無論、雅弘と真理を除いてだが。

「ねえ雅弘、ここってなんなの?」

「見れば分かるだろ。倉庫だよ」

 真理を連れて建物の中をぐるっと案内していた雅弘は、商品が並んでいるメインフロア

の奥にある銀色の扉の前に立っていた。今は扉が開いており、八畳ほどの広さを持つ

部屋の中には数え切れない量のダンボールがあった。これでもかと言わんばかりに山積

みされており、震度3か4くらいの地震がきたら倒壊しそうな様子だ。

 

「ここに置いてある物のほとんどは表に出てる商品の在庫だな。何か役に立ちそうなもの

が俺たちで調べてみたけど、これといって見つからなかったよ」

「ガスコンロとかミネラルウォーターとか、食べれそうなものもないの?」

「食べれるものはいくつかあったけど、調理器具や武器に仕えそうなものはないな」

 ここに来たばかりの真理のために建物の案内役を買って出た雅弘だったが、十分も経

たないうちに最後の部屋を見せることになってしまった。そもそもこの建物自体がそれほど

広くないので、案内をする意味があるのかどうか疑問だ。

 

 だが雅弘はそれを承知の上だった。案内役なんて別にしなくてもいいと思いながら、その

役目を自ら進んで行っていた。

 これの真意は別のところにある。真理と二人きりで、話をしたかった。他の誰にも聞かれ

たくない、聞かれるとまずい話をしようとしていた。

 

「ここに来るまでに誰かに会ったか? 潤とか、薫とか」

「会ってないよ。中山には会ったけど……」

「けど?」

「殺されそうになった」

 梱包されていた日本酒(この近くで製造されたものらしい)を眺めていた雅弘の顔が驚き

の顔に変わる。

「まあやり返してやったけどね。ぶん殴って蹴っ飛ばしてやったよ」

「……中山、やる気になってたんだな」

「うん。あいつ、私ん家と同じで昔っからの大東亜人だからさ、プログラムはちゃんとやら

なきゃダメだって言ってた」

 中山博史の家が昔気質の、いわゆる”愛国者”だという事は雅弘も知っている。このプロ

グラムでやる気になっていそうな奴を考えていたとき、彼の名前は雅弘の中でランキング

の上位にあった。

 

「槍崎くんには言わない方がいい?」

「出来ることならそうしたいけど……誰が危険なのかは知っておく必要があるだろう」

「そっか……」

 雅弘も真理も、学校生活の中で隆宏と博史が仲良さげに話をしているのを何回も目にし

ている。雅弘がここに訪れた直後も、「博史に会わなかった?」と聞かれていた。

 

 誰かの友人が人の命を奪っている。

 辛い事実だ。それを知る隆宏にとっても、伝えなければならない雅弘たちにとっても。

 

「そろそろ戻ろっか。ここに何があるかは大体分かったし」

 真理はダンボールに入っていたスナック菓子の袋をいくつか手に取り、部屋から出るた

めに踵を返した。何があるか分かったというよりは、ここにいるのに”飽きた”といった様子

だったが。

 

「――真理」

 

 雅弘は、彼女の背中に声をかけた。

 声のトーンを落として真剣味を帯びさせ、あたかもそれが事実であるかのように。

 案内役を授かった本当の理由を――話の本題を言うために。

 

「あの二人……槍崎と安川には、気をつけた方がいい」

「……どういう事?」

 雅弘の言葉の意図が分からず、真理は相手の言葉を待ちながらゆっくりと振り向いた。

 

「何か企んでいるかもしれない。と言うより、やる気になっているかもな」

 

 真理は気づいていなかった。彼のその言葉が真っ赤な嘘で、自分たちの間に亀裂を生じ

させようとしている事を。やる気になっているとは到底思えないこの友人が、実は腹の中で

画策しながら密かに生き残ろうとしている事を。

 

 雅弘もまた、気づいていなかった。

 自分がこの瞬間、道を踏み外してしまったという事に。

 わずかでも嫌悪感を感じた永倉歩美の生き方。雅弘が新たに歩み始めた道は、彼女が

進んでいるそれと同じものだった。

 

 雅弘は逃げるためではなく、誰かを傷つけるため、何かを壊すために言葉を使った。

 

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