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 今現在もそうなのだが、真神野威はずっと昔の幼かった頃から勝ち負けに強いこだわりを

見せていた。一言で言えば負けず嫌いなのだが、威のそれは一言で済ませないほどのもの

だった。元々威は頭が良く運動能力にも恵まれており、周囲の少年少女たちと比較しても頭

一つ、いや、二つ三つは抜け出た存在だった。

 

 誰も俺には敵わない。誰も俺の上には立てないんだという自覚は次第に威を傲慢にさせ、

その力の向く先を悪い方向へと変えていった。

 自分に匹敵する存在、自分を脅かすような存在がいることに我慢ならなかった。脅威を、敵

を、もしかしたらライバルと呼べるようになったかもしれない相手を打ち消し、次々と乗り越え

ていった。威にはそれをさせるだけの能力、実力があった。

 勝負に勝ったとき、相手よりも上に立つ――自分がまた少し上へ進んだ、また少し特別な

存在になった気がした。自分は周りにいる誰とも違う、言うなれば統治者になったかのような

気分だった。

 

 だが、次々と現れる敵を倒していくうちに――威は壁へとぶち当たる。

 一度目は挫折。価値観が変わった。チームを、レギオンを創るきっかけとなった。

 二度目は屈辱。暴力と暴力の邂逅、力でも策略でも、乗り越える事が出来ない相手。

 

 そして、三度目は――。

 

 

 

 ゆっくりと、プログラム二度目の夜が訪れようとしていた。

 青、紫、橙の鮮やかなグラデーションを描いていた大空のキャンパスが、濃い紫色へと染ま

っていく。燦々と照りつけていた太陽は傾き、どこか不気味で艶やかな輝きを見せる月が空

へと昇る。一日のうちでもっとも多様な色を見る事が出来る空を、真神野威はちらりとと一瞥

した。

 威のいる場所に漂うのは夜の到来を知らせる涼やかな空気ではなく、どんなに鈍感な人間

でもはっきりと分かるような殺気。

 

 対峙する二人の少年――真神野威と渡良瀬道流は、睨み合ったまま黙している。威の、ヘア

ワックスで軽く後ろに流している金髪が沈み行く太陽の光を受け、眩い煌きを放っていた。

 一方の道流は、耳につけられた安全ピンを除けばどこにでもいる男子中学生に見える。しか

し彼の身体から発せられているオーラは、彼を中学生とは感じさせないほどの密度を持って

いた。側に近寄るだけで殺されそうな、爆発物にも似た危険なオーラだ。

 二人は武器を手にしていない。つい先程までは威が銃を持っていたが、今はそれをベルトへ

差し込み、道流と同じく素手になっている。

 何か言葉を発しようとする仕草は二人に見受けられたが、どちらも、何も口にせずに終わっ

た。ただ相手を打ち倒す事にのみ、全神経を集中させている。

 

 そんな二人から少し離れた場所にいる村崎薫に憑いている幽霊、深山真冬は、二人から

迸っている殺気を全身で感じていた。肉体を持たない真冬だからこそ、二人が放つ殺気は

敏感に感じ取ってしまう。

『何なんだこいつら……。どっちも普通じゃない。本当に中学生かよ』

 真冬がそう呟いてしまうほど、この場に立ち込めている空気は異常だった。

 

 長いようで短い、静寂の対峙。

 それを破ったのはガガッ、という機械音。遠くから聞こえてくるスピーカーの音――午後六時

の定時放送だった。

 

 足元の地面を蹴りつけ、空気を切り裂きながら突進する道流が拳を叩き込む。当たれば

絶大なダメージを与える道流の拳は、円の軌道を描く威の掌によってその進行方向を無理

矢理ずらされた。

 攻撃が無力化され、ガラ空きとなった脇の下に叩き込まれる掌底。それまで揺らぐことが

なかった道流の身体が、ぐらりとよろける。

 追撃をかけようとした威だったが、何故か彼は後方へ飛び退った。

 それに重なる、空裂音。

 道流の後ろ回し蹴りは刀を薙ぎ払ったかのように、空間にその孤影を残す。これこそが、威

の攻撃を中断させた原因だ。もしも退いていなければ、いくら威とはいえ無事では済まなかっ

ただろう。

 

 道流は何度か咳払いをし、サングラス越しに威をギロリと睨みつけた。

「そのカウンター狙いのスタイルは相変わらずか。ウザってぇったらありゃしねぇ」

「猪突猛進な戦い方しかできん貴様から言われる筋合いはない。馬鹿の一つ覚えが」

「あぁ? 今なんつったコラ」

「馬鹿だ、と言ったんだ。聞こえなかったか? 脳味噌の容量が人の数倍少ない貴様には

単純なその戦い方がお似合いかもしれんが」

「――てめぇは絶対ぶっ潰す!!」

 

 道流が地を蹴って駆け出し、それに合わせて威が身構える。一瞬で間合いを詰めた道流は

中間距離に位置を取り、自分の攻撃力が最も発揮される距離から立て続けに拳を打ち放っ

た。その残影は時に弧を、時に直線を巧みに織り成している。若干のサイドステップによって

わずかに、そして素早く立ち位置を変え、先程とは違った位置から一撃必殺の攻撃を繰り出

す。その手に武器らしい武器を持っていないとは言え、道流自身の攻撃力を考えれば、間近

から巨大な岩をぶつけられているようなものだろう。

 

 しかし道流が連続で繰り出す攻撃は次々といなされ、かわされ、無力化させられていった。

 威は口元にわずかな笑みを浮かべると、意表をついて迫ってきたハイキックをかわし、爪先

を最短距離で道流のみぞおちへと打ち込んだ。道流の口から呻き声が漏れる。

 

「んなのが……きくかぁああああ!!」

 硬直は一瞬。道流は威の足が引き戻されるよりも速くそれを掴み、そのまま彼を片手で振

り回した。

 

「うおおおっ!?」

 威は驚愕した。道流の力が人間の領域をはみ出していることは充分に承知していた。ただ

のパンチ一発でガードレールをへこませたり、踵落としでベンチを両断しているのだから。

 

 だが、まさか。

 

「うらぁあああああああああああ!!」

 まさか六十キロ近い自分が、片腕だけで――。

「――――!!」

 片腕だけで、振り回されるなんて。

 

 道流に片足を掴まれた威は、まるで玩具のようにぐるぐると振り回されている。

 旋回していく景色を眺めながら、威はこれを振りほどく方法ではなく――もうすぐ自分の身に

やってくるであろう強大な衝撃をどのように軽減するかで思考を働かせていた。

 やがて充分な加速を得ると、道流は回転の勢いをそのままに、威を思い切り地面に叩きつ

けた。

 

「がはっ!!」

 鈍い音と同時に、背中から伝わった衝撃が全身へと広がっていく。リスクや先の事などまっ

たく気にも留めていない、力と勢いに任せたあまりに無骨で滅茶苦茶な一撃。

 だが威への被害は甚大だ。予想する事も受け流す事も出来ず、道流の攻撃を直接受けて

しまった。咄嗟に頭をかばって最悪のケースは免れたが、それでもまだ視界は白くぼやけ、

叩きつけられた衝撃で肺がろくに機能しておらず呼吸もままならなくなっている。

 

「――やっ、て……くれ、た……な」

 それでも威は小刻みに震える両足を叱咤して立ち上がり、敵意と殺意の塊と化している視線

をぶつける。心の中枢で弱まる事なく燃え続ける怨嗟と復讐の炎が、何度も宿敵に屈するわけ

にはいかないという意地が、そして真神野威という一人の人間としてのプライドが、彼の力の

原動力となっていた。

 

 その姿を前にして、威からやや距離をとりつつ彼の動向を見ている道流は眉根を寄せる。

 ――ちっ、あれでまだ動けるってのかよ。

 道流は改めて、真神野威という宿敵の手強さを感じていた。彼の弱点を突いて一気に勝負

を決めるつもりだったが、どうやらまだ終わらせてはくれないようだ。

 

 威の弱点とは他でもない、彼の戦闘スタイルそのものにある。道流が攻撃に重点を置いた

ものならば、威のそれは守りに重点を置いている。相手の攻撃を受けるか捌いて無効化し、

そこをカウンターで迎え撃つ、というものである。

 そのため道流のような打撃が主体の相手とは相性が良いが、受け流しようがない関節技、

投げ技には本領が発揮できない。そのため先程の攻撃方法を取ったのだが、まさかあれを

受けて立ち上がってくるとは。これには道流も驚嘆するしかない。

 

『担当教官の三千院だ。午後六時になったので三回目の定時放送を始める。正午から現在に

かけての死亡者は篠崎健太郎(男子7番)刀堂武人(男子10番)橘千鶴(女子8番)の三名

だ。経過時間の割りにペースが悪いな。慎重なのか臆病なのか知らんが、もっと積極的に行動

しろ』

 

 プログラム会場にいくつも設置されているスピーカーから、坦々と業務連絡をするような男性

の声が流れてくる。放送する側からしてみればそれはただの報告で、作業の意味しか込めら

れていないのだろう。

 だが、自分たちは違う。

 これはただの放送ではない。そこに連ねられた名前を、名前を呼ばれたものがどうなったの

かを。それの意味するところを――自分にとって他人ではない誰かの死を受け入れるという、

その行為の重み、哀しみ。

 担当教官のあの男は、付き添っていた兵士たちは、そしてこの国を動かす人間たちは、この

ことを千分の一でも理解しているのか。

 

『禁止エリアは七時からD−08、九時からC−02、十一時からH−06だ』

 D−08は会場の東、C−02は北西から中央にかけて流れる川の一部分、H−06は今まさ

に自分が立っているこのエリアだった。

 現在いるエリアが禁止エリアに指定されたが、有効になるのは五時間後なので今すぐ移動

しなくてもいいだろう。もっとも、目の前にいる男がそれをさせてくれるとは思えないが。

 

『プログラムはこれから夜に入る。承知していると思うが、夜の森は昼間のそれとは勝手が違

うぞ。気を抜かずに挑む事だな』

 こちらの気持ちなど歯牙にもかけていない発言を撒き散らし、三千院零司の放送はブツリ、

という音と共に終わりを告げた。

 

 

 

 放送の余韻がまだ残る中、一旦離れて微動だにしない二人、渡良瀬道流と真神野威の頭上

に夜の色が広がっていく。空は暗くなり、空気は肌寒くなる。星と月が妖しげに輝き始め、次第

に周囲の風景が見えづらくなってきた。

 完全な夜が訪れる前に決着をつける。それは双方に共通した考えだった。

 ダメージを負っているのにも関わらず、威が自分の勝利に僅かの揺るぎもない事を確信しき

った口調で言う。

 

「逃げてもいいんだぞ」

「……あぁ?」

「逃げてもいい、と言ったんだ。どの道、貴様に俺は殺せまい」

 威は馬鹿にしたように言って、ベルトに差していた拳銃を抜き出し、道流に照準を合わせる。

「てめぇよぉー、今更飛び道具に頼ろうってのか?」

「安心しろ。これはただのパフォーマンスだ」

 威は銃をくるりと半回転させ、銃身を握るとそれを横に放り投げた。投げ捨てられた銃は

かすかな音を立て、地面の上に落下する。

「素手で貴様を倒すための、な」

「はーん、そりゃあまた大層なことで」

 語気や口調は荒くなっていないが、道流の感情は激しく昂ぶっている。その証拠に、彼の口

の端はヒクヒクと引き攣っていた。

 

「降参しろとは言わんさ。それでは嬲り甲斐がないし、そもそも楽しくない」

 威は悠然と言う。そして、一気に道流の懐まで踏み込んできた。

「うおっと!」

 飛び退いた道流に向けて威の手が伸びる。そのまま道流の胸ぐらを掴むと、反撃の暇を与え

ない流れるような動きで背負い投げを繰り出し、お返しと言わんばかりに道流を地面に叩きつ

けた。道流のような力に任せたものではなく、洗練された無駄の無い技だった。

 土の上で大の字になった道流は、そのままの体勢で地を這うような蹴りを放つ。足払いのよ

うなその蹴りは遮られることなく威の足首へと吸い込まれていった。

 

 空は切らなかった。しかし、蹴りを放った足を踏みつけられ、地面に縫いつけられる。威は

ニヤリと笑って見せると、足を固定したまま道流の顔へ拳を振り下ろした。道流は頭を動かし

てその一撃をかわすが、立て続けに振り下ろされる拳は打ち付けられる杭のようにして道流の

顔を追尾する。右、左、右、と頭を動かして打ち下ろされる拳から逃れた道流は、固定されて

いないもう一方の足で威を蹴り飛ばし、威の体勢が崩れた瞬間に横転して距離をとった。

 

「貴様がどんなに強かろうが関係ない。これが”喧嘩”ではなく”殺し合い”である以上、貴様は

結局敗北する」

 立ち上がった道流に人差し指を突きつける威の双眸が、狡猾さと残虐さに暗く光った。

 

 

 

「――妹の死体を間近で見た貴様に、人は殺せないだろう」

 

 

 

「…………!!」

 道流はこれまで以上の凄まじい目付きで威を睨み付けた。敵意が、殺意が、ありとあらゆる

感情が見えない波となって威にぶつけられる。

 自分の言った言葉がこういった結果を招くと確信していたのだろう。威はニヤリといやらしい

笑みを浮かべ、

 

「知らないとでも思ったか? それくらいの情報、とっくの昔に手に入れている。お前の過去に

何があったのか、そこまで力に固執する理由は何なのかくらいはな」

 いたぶるように、言った。

「ハハハハハッ! 貴様はそんなことをして罪を償っているつもりか? 過去の失態を清算しよ

うとしているつもり」

「うるせえ!!」

 威の言葉が終わるか終わらないかのうちに、道流は拳を振り上げて威に飛び掛っていた。

それが挑発だという事を理解しながらも、この怒りを止める理由と意味が出てこなかった。

 道流の拳を最小限の動きでかわすと、そのまま小さく足払いをして道流のバランスを崩す。

よろめいた道流の顔に手を当て、今度は先程とは反対に方向に足払いをかけた。その時の

勢いに合わせ、道流の顔を思い切り地面に叩きつける。ガスンという衝撃音と共に、道流は

受身を取る暇も無く後頭部を地面に強打した。

 

「動揺しているのか? モーションが大きくて隙だらけだったぞ」

 いとも簡単に転倒させられた道流は驚愕を隠しきれず、悔しさに奥歯を噛み締めながら眼前

の少年を仰ぎ見る。

 それとは反対に見下ろす形となった威は、残虐な笑顔とともに口を開いた。

「過去は消す事ができない。どんなに時が過ぎようと、どんなに忘れようとしても永久に貴様の

後を付いてくる。どんなことをしてもそれは同じだ。貴様のやっている事は無駄だ。誰のために

も何のためにもならない、ただの自己満足に過ぎないのさ」

 

 身勝手な言葉が道流の心に染み込んでくる。聞いてはいけない。真に受けてはいけないと

理解していながらも、その言葉は道流の過去をフラッシュバックさせ、彼の心をじわじわ、じわ

じわと蝕んでいった。

 

 その様子を見た威は満足したのか、表情をそれまでのものから一変させた。相手をいたぶる

事に快楽を抱くサディスティックなものではなく、道流との戦いが始まる前の剣呑な表情へと。

 

「貴様は俺を殺すことはできんが、俺は貴様を殺すことができるぞ」

 

 威の言葉が、道流の脳と心を激しく揺さぶる。

 焼き付けられた記憶、植えつけられたトラウマによる過去の再現。

 今ここにいる、周りの者たちから”最強”と称されている少年としてのスタート地点。

 自分が――消えることの無い重荷を背負った瞬間。

 

 その時の映像が一瞬で、立て続けに道流の脳で蘇った。

 

「うおおおおおぉぉぉぉぉおおおぁぁぁあああああああああああああああああああッ!!」

 それは、まるで咆哮のような道流の絶叫。

 夜の森が震え、空気までもがビリビリと揺れているような錯覚にとらわれる。

 

「――――っ」

 威は一瞬だけその勢いに気圧され、無意識のうちに後退する。

 それとほぼ同時に立ち上がった道流が、野獣の如き迫力で飛び掛ってきた。

「てめぇが…………てめぇが知ったような口をきいてんじゃねぇぇぇえええええええええ!!」

 道流の右腕がぶれたのを見て、威はすぐさま拳を受け流す構えを取る。

 

 だが、それは甘い考えだった。

 

「がぁ……ッ!!」

 打ち出された道流の拳に触れた瞬間、今までのそれを遙かに凌駕する衝撃と破壊力が威

の腕に伝わる。その結果、道流の拳は受け流される事なく易々と威の腕を弾き飛ばし、その

先にあるガラ空きとなった胴体へと叩き込まれた。

 ヘビー級ボクサーのものと同等か、もしくはそれ以上の威力を持つ拳を食らった威は軽々と

吹き飛ばされ、文字通り宙を待った後に木にぶつかって落下する。まるで自動車との接触事

故を連想させる光景だった。

 

 

 

 道流は息を切らしながら、そのまま地面へと横たわる威を見つめる。

 別に疲れているわけではない。けれど息苦しくて仕方がなかった。喘息なのに短距離を全力

で走り終えると、こんな感じになるのだろうか。

 

「俺……は……」

 言い返せなかった。

 好き勝手な事を喋る威にろくな反論もできず、半ば受け入れる事しかできなかった。

 言い返すことが出来なかったのは、その事を自分でも認めているからだろうか。

 いや、そんなはずはない。認められるはずがない。

 では何故、自分は何も――。

 

 地面に倒れたまま動かない威たちと薫を見ながら、道流の心は過去の中へと沈んでいた。

 最強と称されている少年には似つかわしくない、怯えきった表情を浮かべながら。

 

【残り27人】

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