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 弓削進(男子17番)は森の中を走りながら、村崎薫(女子15番)を仕留め切れなかった

自分の失態に対し、僅かながら顔を歪めた。

 

 ――失敗したかな。仕方ないっちゃあ仕方ないけど、ああいう人って後で会うと面倒なん

だよね。

 

 あの場で対峙した瞬間に気付いた。彼女は、村崎薫は自分と正反対のタイプの人間だ

という事に。希望と行動力に溢れ、一度こうと決めたらとことん突っ走るような人間。進に

とって一番関わりあいたくない種類の、敵にも味方にも回したくない人物だった。

 相手より優位に立っておきながら、無様に逃げ出した事への惨めさ。本来ならばプライ

ドを傷つけられて怒り心頭になるのだろうが、進はケロッとした表情をしている。

 

「まったく、いっつもこうだよ俺の人生」

 やや間抜けな事を呟く進。彼にプライドなんていうものは無い。生来のものではなく、今

までの人生の間で”不必要”と判断され、その結果捨てられたのだろう。深海に棲む魚類

の目が、進化の過程で退化していったのと同じように。

 

 意思だの信念だのプライドだの、そんなものはあっても”面倒”なだけだ。それが原因で

どうでもいい事が起きる。トラブルなんて煩わしいだけだ。できるだけトラブルを回避して、

それでも直面しなければいけないときは適当に切り抜けて、そんな感じで人生、適当に

過ごしていけばいい。進はそう思っていた。

 物事に本気で取り組もうとせず、全力を出すこともなければ一生懸命になることもない。

ただ唯一の例外として、面倒な事を回避しようとするときだけはやる気を見せていた。

 進は怠惰な人間であったが、無能な人間というわけではない。怠けられる部分とそうで

ない部分を見極め、自分に課せられた必要最低限のノルマはしっかりとこなしている。

だからこそ、余計に性質が悪いのだが。

 

 傷付くプライドがないということは、行動が縛られる事がないという意味にも繋がる。そう

いった点では、進は佐伯法子(女子6番)に似ているだろうか。

 もっとも彼女には、進のような『面倒くさい』という簡単な行動理由さえも存在しないが。

 

 

 

 ――とりあえず俺は、殺せる奴から殺していこう。

 無理して時間を無駄にするのも面倒だし、物事はさっさと終わらせた方がいい。進は

コンパスを取り出して方向を確認し、地図を広げて現在位置を確かめた。

 

「G−06……くらいかな。よく分かんないけど」

 進はつい先程、自分の目の前で蜂の巣になった橘千鶴(女子8番)の事を思い出した。

はっきりと確かめてはいないが、あの傷では助からないだろう。

 それよりも気になるのは、千鶴を撃った相手のことだった。あの銃声は間違いなくサブ

マシンガンによるものだろう。サブマシンガンを持っているのは自分だけかと思っていた

が、支給されているのは一つではないようだ。面倒だが、警戒を強めておく必要がある。

 残り人数は、千鶴を除いてもまだ三十人かそこらだろう。あと六時間程度でプログラム

開始から丸一日が経過するが、この進行状況は遅いのだろうか。進にしてみれば、速く

人が死んでいくのに越した事はない。

 

 がさがさ、という木の葉が擦れる音が聞こえた。進は地図に落としていた視線を上げ、

同時にイングラムを握る左手に力を込める。

 

 ――分かんないな。上手く撃てるか分かんないな。

 千鶴に撃たれた傷は命に別状は無かったものの、右腕の可動範囲を著しく低下させて

いた。放っておいても傷口が焼きつくように痛いというのに、大きく動かそうものなら激痛

が電流の如く駆け巡る。これでは銃を撃つことなど到底不可能だ。

 自信の無い左腕でどこまで戦えるのか。考えれば考えるほど、進の思考は縁起でもな

い未来を示していく。そのうち考えるのも面倒になったので、進は考えるのをやめた。

 

 視界の先から現れたのは、男子生徒だった。やや前髪が長めで、耳には安全ピンを

付けている。体付きはたくましいと呼べるものではないが、その雰囲気に脆さは無い。

 その少年、渡良瀬道流(男子18番)は水色のサングラスをくい、と指で上げ、進に質問

をする。

 

「なあおい、この辺で誰か見なかったか? 銃声がするからわざわざ来た道戻ってきた

んだけどよ」

 進は夕陽によって橙色に染められる木の葉を見つめながら、何をするわけでもなくその

場に立ち尽くしていた。

「…………」

 持っているイングラムを相手に向けて引き金を引けば、道流を簡単に倒せるはずだ。

いくら喧嘩が強いといっても銃に撃たれれば死ぬだろうし、この距離ならば命中率の悪さ

も関係ない。

 

 それなのに、それをしようという考えが何故か頭に浮かばなかった。

 ただそこに立ったまま、道流を見つめながら時間の流れの中に身を置いている。肌に

触れる空気は数時間前のものより幾分か涼しくなっており、辺りに漂っている土や木とい

った生臭い匂いも感じ取れる。何一つ異常が見られない流れの中で、進だけが自分の身

におとずれている異変に気が付いた。

 

 ――なん……だ、これ……?

 

「おーいおいおい、もしもーし?」

 道流は進に近付いていき、彼の顔を下からぬっ、と覗き込むようにして見る。相手が銃

を持っていることなどお構い無しといった様子だ。

「あのさあ、人の質問にはちゃーんと答えようぜ? シカトぶっこいてるってんならそれは 

それでいい度胸だけどな」

 ギラリ、という効果音が浮かんでいてもおかしくないくらい獰猛な視線をぶつける道流。

これはもはや質問ではなく恫喝だった。

 

 進は道流から目を逸らすことなく、今しがた自分がやってきた方向を指差し、ただ一言

だけ呟く。

「……あっちに、村崎がいる」

 

 その、瞬間。

 

「――――」

 道流の表情が、一変した。

 それまでの獰猛な獣の表情から、今まさに決戦を迎えんとする、戦士の表情に。

 

「……あのクソバカが」

 そうとだけ言い残し、道流は進が指差した方向に向かって駆け出していった。

 道流がいなくなった後も、進はしばらく彼が消えていった方向を見つめていた。

 彼の目的は間違いなく村崎薫の救出だろう。それならば今すぐ道流の後を追っていけ

ば、薫を助ける事に全神経を集中させている彼に奇襲をかけることができる。そうすれ

ば苦戦することなく、効率よくあの渡良瀬道流を倒す事が可能だ。

 

 しかし、進はそれをしなかった。いや――できなかった。

 

「ふざけんなよ……あんなのアリかよ……」

 がちがちと、奥歯が鳴った。脚が震え、身動きができなかった。視線が合った瞬間に

肌があわ立ち、身が竦んだ。あまりの威圧感に視線を外そうと思ってもそれができなかっ

た。まるで見えない力に縛られているかのように。

 道流と対峙した瞬間、進の中にあった「面倒だな」といういつもの彼らしい考えは完全

に消え去っていた。中学校という日常の場ではない、プログラムという戦場で出会った彼

は、これ以上なくストレートで純粋な『威圧感』を持っていた。

 

 いくら自分がマシンガンを持っていようと、隙を突いて奇襲をかけようと、あの男に勝つ

ことはできないのではないか。そう考えたが最後、進の中にあった不安と恐怖は一気に

膨れ上がっていった。

 その時にはもう、道流を倒そうなどという考えは浮かんでいなかった。プライドというもの

が無いに等しい進にとって、勝ち負けなんてこだわる必要の無いどうでもいい事だ。それ

故に道流と敵対する事を避けたのは一瞬の判断によるもので、客観的な観点からこの

ことを評するなら、実に的確な判断だったと言える。

 武器や状況ではどうにもならない、純粋な力の差というものを、進はここで始めて実感

した。

 

 

 

 

 

「なんで……どうして、こんな事に……」

 村崎薫は全身を震わせ、喉の奥で言葉をすり潰した。誰の目からもはっきりと分かる

悲しみ、そして怒り――たった今、薫の腕の中で息を引き取った橘千鶴を殺した者への

怒りと、何も出来ずに彼女を死なせてしまった自分自身への怒りを両目に湛えていた。

 薫は涙を拭おうともせず、千鶴の髪に顔を埋めた。腕の中でずっしりと重い千鶴の体

が、もう動かない千鶴の体が、哀しいほど死の事実を伝えてくる。

 

『その子はもう離した方がいい』

 頭の中に直接響いてくる、透き通ったような声。

『彼女を殺した奴はまだ近くにいる。急いでここから離れるぞ』

「……分かってる」

 低く抑えた声で、薫は呟くようにそう言った。

 千鶴は死んでいる。喋る事はないし、目を開く事も無い。人間が生き返ることは決して

ない。

 

 人間は死ぬために生きている――。先程、弓削進が言った言葉。

 彼の言うとおり、人間が最後に辿り着く場所は”死”だ。全ての人間が全く異なる生き方

をしても、最終的に辿り着く場所。人生の終着駅。

 そこへ来てしまえばもう、後には何も残らない。生前の体が死体となり、魂の無い肉の

塊になる。受け入れたくは無いが――現実はそうだ。

 真冬が千鶴の死体を置いて速く逃げようと言っているのは分かる。まだ危険が過ぎ去っ

たわけではないのだから。

 

 しかし、それではまるで。

 

 もう一度、千鶴を見捨てていくような――。

 

 薫はそっと、千鶴を地面の上に横たえた。強い風が吹き、千鶴の制服を揺らした。スカ

ートの裾がめくれて、銃創がはっきりと刻まれている腿が見えた。少し日に焼けた肌の中

にある真っ赤な傷口は、強い衝撃を薫に植え付ける。

 僅かに吐き気が込み上げてきて、その傷口から目を逸らす。

 その視線の先、木々の合間に黒いズボンと白いシャツを着た人間が立っていた。軽く

後ろに流した金髪。何かに飢えているような、何かを求めているような冷たい瞳。右の頬

に刻まれる、痛々しいナイフの傷跡。

 見間違いようが無い。静海市でその名を轟かせる大規模な中学生不良グループの

リーダー、真神野威(男子15番)だ。

 

 

 

 威は自分のことを見ている薫を品定めでもするように眺め、その後で横たわっている

千鶴の死体に目を移した。

「死んだのはそっちだけか。浩之の奴め、仕留めそこなったな」

 威は含み笑いとともに言葉を吐き出した。そこには悪びれた様子など全くない。

「橘さんを殺したのは、あんたなの?」

「お前、今の俺の言葉聞いていなかったのか? 殺したのは浩之だ」

 威はもう一度千鶴の死体を見て、愉快そうに言う。

 

 浩之――糸屋浩之(男子2番)。威グループの一人である彼が、この近くにいるという

のか。

 そうなると、残りのメンバーである麻生竜也(男子1番)萩原淳志(男子13番)がいる

可能性も必然的に高くなる。彼らはグループの名前である『レギオン』が示すとおり常に

集団で行動し、その数で敵を圧倒、蹂躙する。誰か一人と一対一で戦っても勝てる気が

しないのに、四対一なんて分が悪いどころの話ではない。

 

 絶体絶命の窮地に置かれているというのに、薫は絶望するどころか、逆に覇気の強さ

を増している。威の表情を見るだけで、心の奥で何かがザワザワと蠢いた。威の声を聞

くだけで、その表情が怒気に包まれていった。

 

「何で――何でそんな簡単に、人を殺すことができるの? 平気で銃を向けて、友達が

死んだのにどうでもいいって感じの顔して……。わけわかんないよ。あんた、絶対におか

しいよ!」

「おかしい、ねえ」

 威は腰に手を当てて、小さくだが声を出して笑った。薫は始めて、威が声を出して笑っ

たのを目にした。ただしそれは純粋な意味での笑いではなく、誰かを見下し、蔑み、馬鹿

にしているのがはっきりと伝わってくる、卑しい笑いだった。

 

「俺から言わせればおかしいのはお前の方だ。ここに友達なんてものはいない。いるのは

敵だけ。脅威の対象を排除するのは当然の事だろう」

 薫は無言で威を睨み付けた。そして自分もまた、足元で横たわっている千鶴の死体を

一瞥する。

 女の子らしい細い腕に、まだ華奢な体付き。もう二度と動く事の無い少女の顔は、幼さ

の残る眠っているような表情を浮かべていた。

 

 道流のように喧嘩が得意なわけでもなく、黛真理(女子13番)のように運動能力に秀で

ているわけでもない。プログラムへの恐怖で気が動転していたとは言え、千鶴はどこにで

もいるただの女子中学生だ。

 

 そんな彼女が脅威の対象だと言うのか。どうして、彼女が死ななければいけないのか。

 人を一人殺しているというのに、何でそんな楽しそうな顔をしていられるんだろう。

「何でそんな顔をしている。そいつが死んだ事はお前にとってもラッキーじゃないか」

 

「……なんですって?」

 薫は押し殺した囁きを口に出した。無意識のうちに拳が握られ、ブルブルと震える。威

はそんな薫の内心を読み取るかのように、挑発的な口調で言葉を紡いだ。

「生きる強さの無い、生きていく価値の無い役立たずが一人いなくなったんだ。何もしない

で生存確率が上がって良かっただろう? それとも、そこの役立たずを助けようとしなかっ

たのはそれを見越しての事だったのか?」

 

 

 

「――――ッ!!」

 

 

 

 その瞬間、薫の中で何かが弾けた。

 心臓から全身へと血液が駆け巡り、まるで空間ごと隔離されたように周囲の音が彼方

へ遠のいていった。

「お前――お前ぇえええええええ!!!」

 薫が――動いた。

 解き放たれた弾丸のように、一直線に威へと向かっていく。

 銃も握らず、素手で威へと立ち向かっていく。

 真冬の制止の声も聞かず、前へ、前へと。

 

 あっという間に距離を詰めた薫は、獣のような前傾姿勢から力と体重のこもった拳を

打ち出した。

 威は両手をポケットに突っ込んだまま、その攻撃に対して防御どころか回避しようとい

う動作も見せていない。

 薫の拳は威の顔面に直撃する。この状況を客観的に見ていた真冬がそう思った瞬間。

 

「あっ……!」

 吹き飛んだのは、薫の方だった。

 突如真横から現れた少年が薫を蹴りつけ、その攻撃を中断させたのである。

「さっさと殺さないとは、お前にしては珍しい事もあるもんだな」

「へっ、当然だろ」

 威の言葉に応じたのは、幼さと粗暴さが同居する年相応といった少年の声。

「だーってよ、すぐにやっちまったら楽しめねぇじゃん? 淳志はさっき一人やってるし、

見た感じ橘は浩之にぶっ殺されてるみてーだしな」

 このクラスにいる威グループの一人にして、メンバーの中では一番喧嘩っ早い人物、

麻生竜也だ。奇妙な形をしたゴーグルを首から提げており、手にはマチェットが握られて

いた。

 

 咳き込みながら何とか立ち上がった薫は、背後に現れた人間の気配を感じ取った。

目を向けるとそこには予想通り、糸屋浩之と萩原淳志の姿があった。二人とも銃を持って

おり、浩之のそれは進の物よりももっと大型のマシンガンだった。

 

『どうやら……最初から囲まれていたみたいだな』

「そうみたいね」

 真冬の言葉に心中で頷く。

 威はあらかじめ自分たちに狙いをつけ、包囲するような形でマシンガンを撃ったのだろ

う。どの方向へ逃げても包囲網に引っ掛かるように、確実に自分を仕留めるために。

 徹底した、残酷で狡猾な計画だった。

 

 今にして思えば、千鶴が撃たれた時点で逃げなかったのは致命的なミスだったのかも

しれない。あの時ならばまだ、逃げ出せるチャンスがあった。攻撃の瞬間、その直後に

生じる僅かな隙を付いて。

 それも、今となっては不可能な話だ。銃を持った屈強な男たちに四方を囲まれている。

まさしく袋のネズミだ。

 

「たかだかお前相手にここまでする必要は無かったか」

 威が喉の奥で嘲笑し、竜也がそれに続く。

「それはあんまりだって。村崎だって好きで弱っちく生まれてきたんじゃねーんだからさぁ」

 竜也の下卑た笑い声が癇に障る。

 薫は爆発しかけた怒りを抑えて、威を睨んだ。

「殺すんなら早く殺せば」

「ほう、いやに潔いな」

「でも、ただじゃ死なないからね。死ぬまで足掻いて足掻いて、それであんたらの一人か

二人は道連れにしてやる」

 威は一瞬だけ言葉を失い、肩を震わせて笑い出した。

「そうか、俺たちを道連れにするか。それはいいな。出来るんだったら是非やってみせて

ほしいもんだ」

 それが合図になったかのように、スカートに差し込んでいたベレッタを素早く引き抜き、

眼前に立つ威へと向けた。

 

 

 

 引き金を引くより速く、蹴り上げられた威の爪先がベレッタを薫の手から弾き飛ばす。

「動きの素早さは褒めてやるが、タイミングが見え見えだ」

 薫は、威の瞳に狂気が灯ったのを見取り、その身を竦ませた。

 弾き飛ばされたベレッタを掴み取ろうとすると、威がもう一度爪先を蹴り上げた。ただし

今回は手ではなく、薫のみぞおちへと。

 鈍い音と、薫の口から大量の息が吐き出される音がした。薫は腹部を押さえて地面に

うずくまる。

 

「お前たちは手出しをするな」

 淳志ら三人にそう伝えると、威は薫の髪を掴んで無理矢理顔を上げ、苦しそうに咳き

込む彼女の顔を見て唇の端を吊り上げた。そのまま地面に押し倒し馬乗りになって、

反撃が出来ないよう薫の二の腕を両足で固定した。

 

「さて……俺たちを道連れにするんだったか?」

 拳を握り締め、薫の顔面へと打ち下ろす。

「うあっ!!」

「ほら、速くやってみせてくれ」

 今度は逆の手で、同じ事をする。

「あんなに自信満々で言ったんだ、できるだろう?」

 二度、三度。鈍い音が響き渡る。

「何だ、わざわざ一対一の状況を作ってやったのに反撃しないのか? ハハッ、とんだ

マゾ女だな、お前は」

 威の手に入る力はその強さを増し、五回目の時点で拳に赤い糸が引き始めた。それで

も威は止めようとせず、逆にその目には愉悦の色が浮かんでいた。

 

『やめろ、やめてくれ! このままじゃ薫が――』

 真冬の悲痛な叫びは誰にも届いていなかった。ただ一人彼の存在を知覚している薫の

意識は、断続的に続く痛みによって朦朧としたものになっている。

『くそっ、やめろって言ってるだろうが!』

 無駄だと分かりつつも、真冬は威の腕を押さえつけようと何度も何度も手を伸ばす。

 

 その度に真冬の手が威の腕をすり抜け、何も無い虚空を掠め取る。

 

 分かってるのに。分かっていたはずなのに。

 自分は喋る事しかできない。はっきりと彼女を助けてやる事が出来ない。

 

 それでも真冬は、掴みかかることを止めようとしなかった。感情を露にした叫び声を上

げ、その顔は今にも泣き出しそうだった。

 

 

 

 ――真冬くんでも、そんな顔するんだな……。

 薫はぼんやりとしてきた目で真冬を見ていた。威が何か言っているようだが、何を言っ

ているのか分からない。耳には入っているが頭には入っていない。

 

 ――私、ここで死んじゃうのかな。

 十五年間の記憶が断片的に思い起こされる。楽しかった事、悲しかった事、数え切れ

ない程の景色。今まで出会ってきた人たち。

 勢いのままに突っ走る自分に付き合ってくれた友人がいた。とても仲が良くて、血縁と

いうよりは友人のような家族がいた。

 

 思えば自分は、とても満たされた、恵まれた人生を送ってきたのだろう。自分が生きた

いように生きる。簡単に思えたそれはとても難しくて、そうやって生きていられる人たちは

ほんの少ししかいない。

 それまで気にする事が無かった過去。生きたいように生きくることができた昨日までが、

とても大切なものに思える。

 その幸せだった人生の結末がこれかと思うと、悔しさを通り越して笑いが込み上げて

きた。強制的に連れてこられた殺し合いの場所で、よりによってクラスメイトに殴り殺され

ようとしている。

 

 ――やだ。

 虫けらのように、惨めな最期を迎えるのだろう。

 ――そんなのは、嫌だ。

 殺し合いを、他人を傷つけるのを遊びの一種としか捉えていない奴らの手によって。

 ――こんな奴らに殺されるのは、嫌だ!!

 

 その時、振り下ろされた拳を頭を傾げて避けたのは偶然だったのか、あるいは意識し

てやったものだったのか。

 空を切って地面を叩いた威の拳。薫は彼の手首に噛み付いた。

 

 

 

「ぐっ」

 ギリギリ、ギリギリと力を込め、威の手首に歯を食い立てる。皮膚が破れ、肉が裂け、

薫の口の端から威の血が流れてきた。

 窮鼠猫を噛む、とはまさしくこの事だろう。しかしこれで威の怒りが爆発した。眉をつり

上げ、瞳に憎悪と怒りを燃え上がらせた威はブローニングハイパワーを抜き出し、その

銃口を薫の頭に押し付けた。

 

「……死ね!」

 

 その時。

 爆発的な殺意と威圧感が場の空気を支配して、一気に全身に這い上がった。

 頭が理解するより先に、本能が先に理解する。

 威を含め、淳志たちも反射的に辺りを見回す。

 

「お前は――」

 いつ意識が断ち切られてもおかしくない薫も、ただならぬ気配を察知して視線を向ける。

 まるで物語に出てくるヒーローのようなタイミングで現れた人物は、薫の良く知る人物

だった。

 

「みっちゃん……」

 

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