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 銃声が鳴り響いた刹那、薫は目を瞑って己の死を覚悟した。やがてやってくるであろう衝撃

と苦痛に身を固め、ただその時を待つ。

 しかし数秒が経過しても、着弾の衝撃も身を引き裂くような痛みも襲ってこない。進は銃を

構えて、それを自分に向けて、確かに引き金を引いたはずだ。その証拠に銃声も鳴った。

なのになぜ?

 

 そこまで考えて薫は、ある違和感に気付く。

 

 ――あれ? さっき鳴った銃声って、確か――。

 聞こえてきた銃声は一発。それに対して進が持つ銃は、ワントリガーで大量の銃弾をバラ

撒く事ができる代物、サブマシンガン。

 銃を撃ったのは進ではない? 瞬時に浮かび上がったその問に対する答えは、薫の視線

の先に広がる光景が示し出していた。

 

 

 

「ぐう……っ」

 ベレッタを構えたままの薫の目に、ぽたり、ぽたりと地面に落ちていく血の雫が映る。先程

までイングラムを握って不遜な笑みを浮かべていた少年の顔は痛みと苛立ちで歪み、右肩

は銃弾に抉られ血を吐き出していた。

「痛い……マジで痛い……何で俺が……くそっ、これだから嫌なんだ、これだから――」

 進は左手で右肩の傷を押さえ、ぶつぶつと怨嗟の声を紡ぎだしていた。右手にはイングラ

ムが握られたままだが、その腕はだらりと垂れ下がって持ち上がる気配を見せていない。

 

「聞いてないよ。仲間がいたなんて、聞いていない……」

 弓削進は、ここで始めて自分が油断しきっていた事を痛感する。

 薫が人を撃てない――撃つのを躊躇っているであろう事は明白だった。だからこそ相手の

攻撃を恐れずにここまで近付いてこれた。あとは銃を向けて引き金を引くだけ。それだけで

面倒な事がまた一つ終わるはず、だった。

 

 突然現れた人物――橘千鶴の介入さえなければ。

 

 

 

 薫の数メートル横で隠れていた木から姿を出し、銀色のリボルバーを進に向けている橘

千鶴。先程の銃声は、彼女が進の右肩を撃った際によるものだった。

「橘さん……」

 千鶴は背中を木に預け、支えられるような体勢で何とか立っている。それほど深くはない

が、先程受けた傷が痛むのだろう。

「村崎さんは、殺させない……今すぐここから離れて。でないと――」

 その声は震えながら、しかしはっきりとした意思が込められている。

 

「私があなたを殺す」

 かつて、友人の小林良枝を進に殺害された千鶴は、彼を撃つ事に何の躊躇いもない。薫

の説得を受けた後という事もあり、もしこれが別の誰かであればこんな事はしなかったのだ

ろうけど――こいつに限って言えば話が別だ。

 

 脅しではない、明らかな殺意が含まれた宣告。進はぶつぶつと独り言を呟いたまま、しん

と静まり返っている周囲一帯をぐるりと見回した。千鶴の言葉を真正面から受けておきなが

ら、まるで気にしている素振りがない。

 

「本気だね。君はそっちのヘタレさんと違って、本気で俺を殺そうとしてる。分かるよ、うん。

そういのは言葉でも分かる。ああくそっ、いってー。マジでいってー。泣きそうだし、ほんと」

 周りのことなどお構いなしといった様子で、自分のペースを保ったまま独特の言い回しを

する進。そんな彼のやる気のない目を見た瞬間、千鶴の全身に震えが走った。

 

 ――な、何よこいつ……。

 それは恐怖ではなく、どちらかと言うと違和感や不快感に近いものだった。つい先程、薫

が体感した薄気味の悪い空気を彼女もまた感じ取っているのである。

 優位に立っているはずの千鶴であったが、進の底知れぬ不気味さを前になかなか攻撃に

移れない。漫画でよくある、オーラで圧倒されるのと同じ硬直状態に陥っていた。

 このままではマズいと千鶴が焦りを見せた瞬間、進は意外な行動を見せた。

 

 

 

「……じゃ、今日のとこはこの辺で」

 踵を返し、そのまま立ち去ろうとし始めたのだ。

「ちょ、ちょっとあんた! いきなり何言ってんのよ!」

 思わず薫が叫び声を上げる。戦闘が中止になったことは嬉しい事だが、進のこの行動に

関しては疑問をぶつけざるを得なかった。

「面倒だし。これ以上やるの面倒だし」

 そんな薫の疑問を、進は”面倒だから”の一言で一蹴する。

 

『何を考えてるんだよ、こいつ』

 生前と死後を合わせて数多くの人間を見てきた真冬であっても、進の行動には驚きを隠

せない。いや、行動というよりも、驚かされるのは彼の行動理念や思想そのものだった。

思い切りがいい、と言えばそれまでだが――真冬の見る限り、この少年は全ての事象を

面倒か面倒くさくないかで判断し、なおかつネガティブな思考で物事を悪い方向でしか捉え

ていない。薫とは対極も対極の人間だった。

 

『どうりで、会話がまともに成立しないわけだ』

 それもそのはず、薫と進では性格面での相性が最悪なのである。渡良瀬道流と真神野威

のように。

「次に会ったら、なるべく殺すようにするから。面倒だけどね。俺以外の誰かにさっさと殺さ

れてくれれば一番なんだけどね」

 そう言い残して立ち去ろうとした進に「待ちなさいよ!」と声をかけたのはS&Wを構えたま

まの千鶴だ。

 

「私は、あなたを許すつもりはないわ。あなたは良枝を、私の友達を殺した! それに村崎

さんだって殺そうとした。だから、あなたはここで――」

 千鶴はその先を言わなかった。だがその場の全員は、その先に続く言葉が何なのか理解

していた。

「ふーん……君が俺を殺そうっての?」

 進は少し面白そうに、口元に笑みを浮かべた。手応えが無かった薫とは違い、本物の殺

意を持って自分にぶつかってくる千鶴に興味を見出しているのだろうか。

 

「無理だね。君じゃ俺は殺せないよ」

「うるさい!」

 千鶴は側にいる薫が身を竦めるほどの怒気を、進に叩きつけていた。きょっとんとしてい

る進に、千鶴はシリンダーに込められた銃弾がなくなるまで引き金を引いた。千鶴の放った

銃弾は木の幹を抉り、瑞々しい色の木の葉を吹き飛ばして周囲に欠片をばらまいた。

 

「あーもう、いきなり撃ってこないでよ。面倒じゃん。いちいち動くの面倒じゃん」

 進はダルそうに呟きながら木の陰から顔を出す。どうやら間一髪の所で命中を避けていた

らしい。

「あんたは、殺す。ここで、私が!」

 恫喝は大きく、どこか空しく響いた。千鶴は素早く銃弾を交換し、銃を両手で握って進が

隠れている木に向かって走り出す。どうやら回り込もうとしているようだが、今の彼女は全身

が晒されているため、サブマシンガンを所持する進にとってはいい的だ。

 

「……ウザいなぁ。どうでもいいからもうとっとと死んでよ」

 二対一とは言え、戦力的に自分よりも劣る相手をなかなか倒せず、逃げようにも引き止め

られて逃げる事が出来ない。解決する気配が薄いこの状況に進は苛立ちを感じていた。

誰が死のうと自分がどれだけ傷を負おうとそれほど気にはならないが、面倒くさい事だけは

我慢ならない。

 

 

 

 ――これ以上は付き合ってらんないや。

 とりあえず戦闘意欲を見せている千鶴を殺そうと考えた進は、彼女をより確実に殺すため

”わざと”自分の姿を千鶴の前に晒した。千鶴と進の距離は五メートルから七メートルほど。

ちゃんと狙いをつければ素人でも当たる距離である。

 

 進が身を出したのを見て、千鶴は迷うことなくS&Wの照準を彼に合わせる。これを見た進

はニヤリ、と笑った。嘲笑ではない、本来の意味での笑みを。

 一見すると千鶴に訪れたであろうチャンス。それが進の撒いた寄せ餌だと気付いたのは、

一歩引いたところでその様子を見ていた薫と真冬だった。

 

『まずい、あいつ――』

「橘さん下がって! そのままじゃ撃たれ――」

 ほぼ同時に聞こえてきた真冬の声を把握する暇もなく、薫は千鶴の手を引こうとその足を

一歩踏み出した。口から出ていた言葉を言い終えるのとほぼ同時に、パパパパパ、という

連続した破裂音、進の持つサブマシンガンとはわずかに異なった銃声が薫の鼓膜を叩きつ

け、友人の仇である進に全神経を集中させていた千鶴の身体を、十数発の弾丸が撃ち抜

いた。全身から血の華を咲かせ、着弾の衝撃で彼女の身体は宙を舞う。

 

 

 

 着弾の衝撃で浮いていた千鶴の身体は、重力に引かれてそのまま地面に落下する。仰向

けに倒れた千鶴の身体、その下にじわじわと血が広がっていった。雑草は赤く染まり、土は

彼女の血をじわじわと吸い取っていく。

 

 光を失った、まるでくすんだビー玉のような瞳が薫を直視していた。瞬きは行われず、その

目は薫を見続けている。

 目が逸らせない。目を逸らさない。薫は見たものを石に変えるという魔物、メドューサの事

を思い浮かべた。

 しかしそんな事も、咳き込んで口から大量の血を吐き出す千鶴を見て消し飛んだ。薫は

千鶴に駆け寄り、彼女の身体を抱きかかえる。

 

「橘さん!」

「村崎……さん……」

 千鶴はゆっくりと、薫の名を呟いた。

「ごめんな、さい……私、あなたと一緒に、行けそうに……」

「そんな事言わないでよ! まだ諦めたりしちゃ――」

 言いかけて、止めた。彼女が致命傷である事は一目瞭然だ。それは恐らく千鶴も分かって

いるだろう。

 

 それから、薫は慌てて辺りを見回した。千鶴を撃った人物の姿は見えない。先程までそこ

にいた進の姿もなくなっていた。彼が千鶴を撃ったのだろうか――? そう考えた薫だった

が、千鶴が撃たれた瞬間、彼の持っている銃から火花が飛んでいなかった事を思い出した。

 銃を撃った人物は進むではなく別の誰かで、それもまだ近くにいる。下手をすれば自分が

狙撃されかねない危険な状態だったが、薫は千鶴の身体を離そうとはしなかった。

 

「泣かないで」

「えっ」

 千鶴に言われて、薫ははじめて自分が泣いている事に気付いた。

「私、村崎さんに会えて……よかった。あなたに会えなかったら、私……たぶん人を殺そうと

したまま、誰も信じられないまま、死んでいただろうから、だから」

「な、何言ってるのよ橘さん! 大丈夫だから、私が何とかするから――!」

 千鶴の肩を掴んで揺すった。反応はあったが、彼女の瞼はどんどん閉じてきている。

 

『薫、彼女はもう……』

「うるさい! 私はもう、目の前で誰かが死ぬのを見るなんて、そんなの――」

 耐えられない、と言おうとした目の前で、千鶴がにこっと微笑んだ。血に染まった顔で、土

に汚れた顔で。

 それは彼女がこのプログラムで薫に見せた、最初で最後の笑顔だった。

 

女子8番 橘千鶴  死亡

【残り27人】

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