49





 千鶴が持っているリボルバーの銃口がこちらに向けられた瞬間、薫は反射的にスカート

に差してあるベレッタへ手を伸ばしていた。グリップを掴んで同じように構えようとしたが、

銃に触れる寸前で指先が止まった。そのまま腕はゆっくりと戻され、結果として薫は何も

手にしないまま、銃を向けている人間を相手に真正面から立ち向かっていた。

 

 様子を見ていた真冬はこの光景を目にして冷や汗が流れるような感覚に捉われた。し

かしすぐに、薫が意図していた事に気が付く。

 千鶴が精神的に不安定な状態に陥っているのは明白だった。そんな彼女に刺激を与

えないよう、あえて銃を手にしなかったのだろう。精神が不安定になっているということは

それだけ神経が過敏になっているということにも繋がる。千鶴との話し合いを試みようと

するのなら、薫が取った行動は効果的な手段だ。

 

 しかし相手がこちらの話に耳を貸さず、攻撃を仕掛けてきた際には大暑のしようがない

という欠点もあった。自分自身を『餌』の役割にするのだから、失敗した際に起きるリスク

もまた大きい。

 

 

 

 ――本当に大丈夫なんだろうな……。

 今回のプログラム対象クラスの生徒ではない真冬にとって、誰がどういう性格をしてい

て、信用できる人物なのかどうかがまるっきり分からなかった。薫の友人である人物数名

の特徴、性格などは聞いていたが、今目の前にいる少女のことに関しては判断のしよう

がない。

 状況が好転するにしろ悪化するにしろ、それは薫次第という事だ。真冬は幽霊として存

在しているために薫をサポートできているが、こういう場面では肉体を持っていないことを

歯痒く思ってしまう。

 

「銃を下ろして、橘さん」

「い、いや……」

「どうして?」

「わ、私はもう人殺しなの! 二人も殺したのよ! 取り返しがつかない……もう後戻りな

んてできるはずがないわ! こ、ここまできたら一人殺すのも二人殺すのも一緒でしょ?

私は生きて帰る、人を殺してでも生きて帰るの!」

 

 千鶴の叫びを受け、一瞬だが薫の顔が曇る。人を殺した、取り返しがつかない。それは

薫自身にも当てはまる言葉だった。受け入れ、その罪を背負って生きる覚悟をしていた

が、改めてそれを他人の口から言われると思うものがあった。

 それを振り切るように短く息を吸い、呼吸を整える。そして間を空けることなく軸足に力

を込め、それを全力で開放させた。爆発的な脚力――とまではいかないが、千鶴の意表

をつき、二人の間にある距離をなくすには充分だった。

 

 千鶴が引き金を引くのと、薫がその手を払いのけたのはほぼ同時だった。払いのけら

れたリボルバーから放たれた銃弾は薫の頬数センチ脇を通過する。銃弾が風を切って

進む音と、その時生じられた風が肌で感じられた。

 距離を詰め、銃の照準を自分から外すのに成功した薫は千鶴が持っている銃を彼女

の手からはたき落とした。地面に落ちた銃を拾おうと千鶴が慌てて手を伸ばすが、先に

行動していた薫の方が早かった。銃は薫の手に納まり、千鶴は「ああ……」と凄まじい

ショックを受けた表情を見せた。

 

「違う」

 一旦言葉を切り、千鶴の肩を両手で掴んだ。千鶴の視線が、一直線に薫へと向けら

れる。

「それは違うよ、橘さん。一人でも二人でも一緒なんかじゃない。一人殺したから二人目

を殺してもいいなんて事、あるわけがない」

「村崎さんに何が分かるのよ! 私の気も知らないくせに、知った風な口きかないで!」

「分かるよ。私も……同じだもん」

 掠れて消えてしまいそうな言葉をぽつりと漏らし、ぎゅっと拳を握り締める。人の命を

奪ってしまった時の恐怖、後から膨れ上がる絶望感。彼女もきっと、薫と同じような感情

に襲われていたのだろう。

 

 薫が思っていた以上に、その言葉が千鶴に与えた影響は大きかった。彼女は動揺に

目を見開き、「え……?」と声を漏らしていた。

「私も人を殺している。だから橘さんの気持ち、全然分からないってわけじゃないから」

 その一言で、千鶴の中にある驚きと困惑がより一層広がっていった。

 プログラムに乗っていそうな生徒がいるのと同様に、多くの生徒たちから”あいつはやる

気にはなっていないだろう”と思われている生徒がいた。薫はその中の一人に含まれて

いる。

 

 

 

 薫は誰にでも分け隔てない笑顔を向けていた。引っ込み思案な千鶴にも何回か話しか

けてきてくれたことがある。部活で思うように結果が出せなくて悩んでいるときにもらった、

役に立つのかよく分からないアドバイスや、その時読んでいた雑誌に関することなど。

 他愛もないことばかりだったけれど、薫の態度や立ち振る舞いには”裏”や”表”といった

ものがなかった。自分自身を偽ることなくそのまま見せている。等身大で、ありのままの

村崎薫という存在として。

 

 そんな彼女が人を殺しているということは千鶴にとってとても衝撃的だった。いや、これ

は千鶴だけではなく、このクラスにいる人間ならば誰でも耳を疑うことだろう。

 彼女は、変わってしまったのだろうか。自分が見てきた、自分が知っている村崎薫は

もうどこにもいないのだろうか。

 

 

 

「けど、だからって人を殺していいって理由にはならないよ。私たちがやった事は確かに

取り返しがつかないことかもしれないけど……同じ過ちを繰り返さない事はできるでしょ?

人を殺したことがあるからもう人を殺さない。あの時と同じ思いを二度としないようにって

考えること、できないかな」

 薫はここで話を終了させ、じっと千鶴の瞳を見つめてきた。薫はそれほど多くの事を語

っていない。どんな人間をも納得してしまわせるような、魔法のような話術を使ったわけ

でもない。しかし彼女の意思はしっかりと千鶴に伝わっていた。千鶴の目に灯っていた

黒く濁った光は小さくなっていく。肩の力が少しずつ抜けていくのが、掴んでいた手を通し

て感じることができた。

 

「手……離して」

「へ? ああ、ゴメンゴメン」

 薫は千鶴に言われたとおり肩を掴んでいた手を離した。警戒する素振りを見せずに

言うとおりにした薫に多少驚きながら、掴まれていた肩を軽く撫でる。

「村崎さんの言いたいことは分かったけど、私……やっぱり怖い。村崎さんみたいにやる

気になっていない人がいるっていうのも分かるんだけど、刀堂くんみたいに私を殺そうと

してくる人がいるって考えると……殺される前に殺さなきゃ、って思っちゃう」

 そう言い終えた瞬間、千鶴はぼろぼろと涙をこぼした。彼女はもともと心の強い少女で

はない。何本も張っていた緊張の糸が切れたのだろう、涙は堰を切ったように溢れ出し

てくる。千鶴は俯き、取り出したハンカチを目に当てた。突然泣き出されたため、薫は何

もできず、それを見守ることしかできなかった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 千鶴はハンカチで目を隠しながら、途切れ途切れに謝罪の言葉を口にする。それは薫

へ向けられたものなのか、それとも自分自身へ向けられたものなのか。

「私だって、できれば人なんて……殺したくないよ。でも、死にたくないし……どうすれば、

いいのか分んなくって、それで……」

「橘さん……」

 子供のように泣きじゃくる千鶴の姿に、薫はかつての自分の姿――沖田剛を殺害して

しまった直後の自分の姿を見た。人を殺してしまった自分。恐怖、焦燥、絶望、罪悪感。

いろいろな感情が混ざり合い、頭の中がパンクしそうになる感覚。いっそのこと世界なん

て壊れてしまえ、と思っていたあの時。

 

 あの時の自分と今の千鶴が、重なって見えた。

 ビデオテープに録画された、過去の自分の映像を見たときのように。

 

 

 

 待つ事しかできなかった薫は少し気まずそうに立っていたが、千鶴は数分で落ち着きを

取り戻し、普通に話せるまでになっていた。目元はまだ濡れたままだったが。

「ごめんなさい……元気付けてくれたのに、いきなり泣いちゃって」

「気にしない、気にしない。誰だって泣きたくなっちゃう時はあるしね。そういう時は我慢し

ないで思いっきり泣いちゃう方が気分もスッキリするよ」

 こういうとき、薫は表面だけの慰めの言葉を出さない。自分が思った事をそのまま素直

に、ストレートに相手に伝える。そんな薫の言葉には何らかの魅力があるのか、他の人

間が口にすればお決まりの慰めにしか聞こえない言葉も、薫が言えば何倍もの力を持っ

て相手に伝わる。同情とかそんなものではなく、心の底からそう思っているのだと相手に

感じさせるような言葉。

 

「橘さんって誰か捜している人いる?」

 日頃から千鶴と親しかった生徒、小林良枝と遠野美穂は既に名前を呼ばれていた。

そのため、こんな事を今の彼女に聞いていいものかと少し悩んだが、聞くべき事を聞か

ねば事態は進展しないと自分に言い聞かせていた。

「私は、特には……あ、そういえば私、渡良瀬くんと会ったよ」

 千鶴の口から捜し求めていた友人の名前が出てきた瞬間、薫の表情が大きく変化し

た。歓喜と焦燥が混ざり合った表情を浮かべ、今にも千鶴に掴み掛からんとする勢いを

見せる。

 

「みっちゃんと!? ど、どこで会ったの?」 

「少し前に、ここで……。私が刀堂くんに殺されそうになったら、どこからか出てきて助け

てくれて、あっという間に刀堂くんを倒して……」

 ということは、武人にあそこまでの傷を負わせたのは千鶴ではなく、道流だということに

なる。それなりに腕の立つ武人相手に圧勝できるとしたら、真神野威(男子15番)か道流

のどちらかしかいない。

 

「それで、みっちゃんはどこに行ったの?」

「そ、それが分からないの。刀堂くんを倒したらどっか行っちゃったから……。あ、でも渡良

瀬くん、村崎さんたちを捜しているって言ってたよ」

「私を?」

『結論を出すのは早いかもしれないが、そいつはやる気の奴じゃないな。もしやる気なん

だったらわざわざそんな事を言い残していかない。そいつの標的がお前だけだとしたら

話は別だが』

「さらりと嫌なこと言わないでよね……」

 なんにしても、道流が自分のことを捜しているというのは薫にとって喜ばしい知らせだっ

た。出会う事こそまだ叶ってはいないが、プログラム開始直後からずっと安否を気遣って

きた友人の無事を確認できた事はこの上ない朗報である。

 

「でもこれで、みっちゃんがまだこの辺りにいるってことが分かったわね。橘さんと会う事

もできたし、結構いい感じかも〜」

 その場で何度か飛び跳ね、喜びを露にする薫。こんなわざとらしい動作も、彼女がやる

と何の違和感も無く見れるから不思議だ。

『俺はまだ会ったことがないからよく分からないんだが、その渡良瀬って奴はそんなに頼り

になるのか?』

「うん。みっちゃんが仲間になってくれれば大分楽になるはずだよ。みっちゃんってば、びっ

くりするくらい強いんだから」

 

 クラスの人間全員とまではいかないが、薫が普段から仲良くしている生徒、プログラム

において注意しなければいけない生徒に関しては事前に話を聞いていた。今話題の中心

に上っている渡良瀬道流という人物は、仲良くしている人物、注意しなければいけない人

物の”両方”に名が挙がった唯一の人間だった。

 頼りになるかどうかという点だが、戦闘に関しては彼以上に頼りになる人間は存在しな

いと薫は思っている。類稀なる実力の高さを除いても、道流は何の理由もなしに、それも

進んで誰かを傷つけるような人間ではないので、頼りになるかならないかで答えるのなら

ば前者のほうだろう。

 

 ではなぜ、道流が危険視しなければいけない人物として名が挙がっているのか。

 彼が”もし”やる気になっていた場合、クラスの中で彼に対抗できる人間が存在しない

からだ。

 真神野威は道流に近い実力を持っているし、周囲の人間は二人が互角だと思っている

が、道流と親しくしている薫には道流のほうが強いという確信を持っている。

 味方になるか、敵になるか。どちらにしても見過ごしてはおけない影響力を持つ少年、

渡良瀬道流。彼と出会うという事は、真冬が思っている以上の意味が込められていた。

 

「橘さんも一緒に来るでしょ?」

「えっ……」

 まさかの誘いに呆気に取られる千鶴。その驚きは、薫が先程奪い取ったリボルバーを

投げ返してきた事によってより一層大きなものとなった。

「こうして会う事ができたのも何かの縁だし、仲間は多いほうがいいから」

「で、でも私……っ!」

 千鶴は複雑な表情になる。薫に付いて行きたい気持ちは大きいが、自分は彼女を殺そ

うとしてしまった。すぐに「はい」と返事ができるほど鈍くはできていない。

 どう返事をすれば良いのだろう。薫は、こんな自分を仲間として受け入れてくれるのだろ

うか。そんなことを考えているうちに、何ともいえない沈黙が空間を支配し始めた。それが

千鶴を焦らせ、困惑を生み出していく。

 

「じゃあとりあえず、どっちの方向に行ったのかだけでも――」

『待て!!』

 薫が言い終えるよりも早く、真冬の叫び声がその場に、正確には薫の頭に響き渡った。

 

 

 

『……誰かが近付いてくる』

 

 

 

【残り28人】

戻る  トップ  進む





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送