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 あれから薫と真冬は会話をすることなく、ただ時の流れの中にその身を横たえていた。夕闇

の降りかけた、夜になる前のほんのわずかな時間。青く染まっていた空に朱が差し込み、見る

ものを感慨深くさせる大自然のグラデーションが広がっていく。遠くに見える湖面が宝石のよう

に煌びやかに光り輝いていた。

 この光景も、もう少しすれば黒一色に染め上げられるのだろう。

 

「もうすぐ放送だね」

『……ああ』

 やっと会話が成立したかと思えばこれだった。

 ――何よもう……わざわざこっちが話を振ってやったっていうのに。

 沈黙に耐えかねて話を振った薫は珍しく自分の行動を反省する。二人の仲は円滑になるど

ころか、かえってギクシャクしたものになってしまった。

 

 そしてまた、二人は黙り込む。

 

 真冬の言っていることは適切で正論なのだが、正論であるが故に薫の胸にグサリと突き刺

さるようなことを平気で口にする。別に嫌味があったり悪口を言っているわけではない。例えば

薫が何かの状況に置かれていて、それが『問題』であるとする。真冬は浮かび上がる選択肢

の中から最良のもの――正解の可能性が最も高いものを選んでいるだけなのだ。思ったこと

を思ったままに、感じたことを感じたままに言う薫とは似ても似つかない。

 

 何よりも真実に近い答えは、時に見たくも聞きたくも無い言葉、現実を含んでいる。

 それを見るのは、とても辛かった。

 隅に仕舞いこみ、忘れたふりをしていたものを再び思い出してしまうような感覚。

 ただ、現実はノートや教科書の上とは異なり、はっきりとした正解というものが存在しない。

だからこそ薫は、自らの発言を取り消すつもりはないし考え方を改めようとも思わなかった。

 

 どんな状況であろうと――いや、こんな状況だからこそ人は信じあわなければいけない。

 今でこそこんな状態だが、いつか真冬も分かってくれるはずだ。

 真冬の様子が気になったのでちらりと見てみると、腕を組み、ソファに持たれかかっている

ような体勢で宙に浮かんでいた。いつも目線を合わせて喋っているので、ちょうど薫の上半身

の辺りにふわふわと浮かんでいることになる。こういう光景を見ていると、空を飛べるのって

いいなあと、ついつい思ってしまう。

 

 少し迷った末に、薫は自分から折れることにした。

 

「人ってさ、信じてるだけじゃダメなのかな」

『ダメだろうな』

 やけにはっきりと言う。

『かと言って疑ってるだけでもダメだ。世の中にはお前と同じような考えをしている奴らもいれ

ば、逆のことを考えているやつもいる。そういうのを見極めて、そいつらのことをもっとよく知っ

て……信じる信じないはそれからの問題だと、俺は思う』

「全員を信じて、全員と仲良くなろうっていうのは……ダメなの? どんな人にだって良いところ

はあるし、みんなと仲良くなって、楽しく過ごして――」

『できないよ、そんなの』

 

 反論しようとした。けれど何かが喉に詰まって、言葉が出てこなかった。

 

『”みんなと”ってのは……無理だ。全員と分かり合うってのはできない。分かりあう事ができな

いから、こんな事になっている』

 

 それは――薫がどこかに封じていたものだったのかもしれない。

 目を向けず、意識せず、逃げ続けてきた現実。

 人は分かり合える。しかし全員とは分かり合えない。

 逃げて、逃げて逃げて逃げて――その先にあるものは何なのだろう。

 今のように、いつかどこかで、逃げ続けてきたものと直面しなければいけない時が訪れると

いうのに。

 

 

 

「あははっ。やっぱり私って馬鹿だなあ。みんなが言ってた通りなんだもん」

 その声には力が無い。その表情には輝きが無い。薄っぺらい、偽りの笑顔。無理をしてでも

強がろうとする、薫の姿。

「ちょっとは後先考えて行動しろ、そんなんじゃいつか痛い目に遭うぞ、人生は自分の思い通

りになるわけじゃない」

 

 自分の気持ちに正直に、思ったことそのままに行動してきた。後悔するのが嫌だから。自分

が決めた、自分がやりたい事をやっていきたいから。

 でも、それはそんなに簡単なことじゃない。

 一メートル先も見えない闇の中、自分の足元だけが照らされている空間。その中で薫のよう

な行動に移るのと、その後のことを考えて行動に移るのでは危険に遭う可能性が大きく変わ

ってくる。

 

「そんなの、私だって分かっていたんだけどね……いつも私の考えている通りにはならないっ

てさ」

 

 やりたいことをやっていきたい。

 口にするのは簡単だが――それを実行に移し、持続させていくのは難しい。

 どこかで必ず、何かにつまずき、壁にぶち当たる。

 それを理解しつつも、薫は自分のスタイルを変えようとはしなかった。

 後悔したくないから。その一心で。

 

 でも――薫は思う。

 後悔しない生き方なんて、本当にできるのか、と。

 プログラムの只中、自分の無力さを噛み締めながら、薫はそれを考えざるを得なかった。

 薫は少しずつ、自分という存在が変わっていくのを感じていた。

 

 

 

『全く……本当にお前は馬鹿だな』

 耳にではなく、頭に直接響くような真冬の声。

 それは、彼の考え、感情がダイレクトに伝わってくるような感じがした。苛立ちでも叱責でも

嘲りでもない、やや呆れていて――失笑が混じっているような声。

 

『やりたい事をやれるとか、人を疑うよりも信じようとするとか、それは全部お前の良いところ

だろ。なかなかできるもんじゃないぜ、それって。少なくとも俺は無理だな』

 何よそれ、と薫は抗議の声を上げる。

「真冬くん、さっき私に向かって言ってたことと違うこと言ってるじゃん」

『あれはお前があまりに見境なかったからだよ。信じるに足る人物かどうかくらい判断しない

と、あっという間に命を落とすぞ。死んだらそこでお終いだ。みんながみんな、俺みたいになる

わけじゃないんだからな』

 真冬の姿を見た当初に、彼が言った言葉を思い出した。

 

 ――何があっても死ぬな。殺されそうになったら躊躇うことなく銃を撃て。自分の命を最優先

するんだ。

 

 真冬は自分の命を守ろうとしてくれている。死ぬということの恐怖を誰よりも良く分かっている

から、同じ目に遭わせたくない。

 いつも素っ気無い態度だし無愛想だけど、彼は誰よりもよく薫の命を大事に考えてくれてい

る。幽霊という立場上、できる事は限られているが――それでも彼は、そのできる事を精一杯

やり抜こうとしていた。

 

 真冬はバツが悪そうに頭をかきながら、言葉を続けた。

『自分でも言っていること矛盾してるって分かってるよ。だけどお前は、その……やりたい事を

やって、自分に正直に生きていけばいいんじゃないか? その上で何か見過ごせないことが

あったら、俺が横から口を挟んでやるよ。俺は頭脳労働担当なんだろ?』

 

 薫は知らない。真冬が薫の生き方、立ち振る舞いを見て純粋に”羨ましい”と思っていたこと

を。人は自分に無いものに強く憧れ、それを手に入れようとし、時には嫉妬を抱く。

 真冬の心境もそれと同じものだったのかもしれない。理屈に捉われ、本当にやりたかった

ことができなかった自分。いつ終わるとも分からない第二の人生が始まったときにあったもの

は、決して消えることの無い後悔と未練。

 

 ――俺が今、本当にやりたいこと……。

 薫の姿をしばらく眺めた後、真冬は目を閉じた。訪れたのは闇ではなく、生前の様々な思い

出。親しい友人や家族との記憶。あの忌まわしいプログラムの記憶。

 理屈だけでは生きていけない。自分に正直なだけでも生きてはいけない。どちらにせよ、この

世界を生きていくのなら笑って歩んでいけるほうがいい。自分にとって本当に幸せだと思える

生き方を。

 

『やれるとこまでやってみろよ』

 目を開け、真冬はそう言った。

『お前は俺が持ってなかったものを持っているんだ。それでどこまで行けるのかやってみな。

どこまで一緒にいられるのか分からないけど、俺もついてけるとこまでついて行ってやるから』

「真冬くん……」

 薫の目が滲み、身体が小さく震えていた。思わず抱きしめてやりたくなったけど、それはでき

ない事だった。自分はこの場所にいるけど、本来ならばいてはいけない存在なのだから。

 

 薫の目元に手を伸ばし、そこに指を添えた。指をそのまますっ、と横に動かし、目元に浮か

んでいる涙を拭い取ろうとする。

 そこには何の変化も無い。今にも零れ落ちそうな涙は消えず、真冬の指も濡れてはいなかっ

た。

 

『……一緒にいてやれるだけだ。俺はお前が転んでも手をかしてやることはできない。立ち上

がらせることはできない。それでもいいか?』

「うん」

 薫は頷いた。そこに迷いはなかった。

「私は、真冬くんと一緒にいきたい」

 真冬に向かって手を差し出す。それが何を意味するのかは明らかだった。

 差し出された薫の手を見ながら、真冬は少し複雑そうな表情を浮かべていた。しかしすぐに

微笑んでみせ、差し出された手に自身の手を添える。

 

 形だけだけれど、形だけではない握手。

 

 太陽が沈もうとしている。遠くで湖面が輝いている。暗くなってきた空で、徐々にその形を鮮

明にしてきている月の姿もあった。

 

 ドラマのワンシーンのような、出来過ぎのシチュエーション。

 

 

 

 突然鳴り響いた銃声は、それらを粉々に打ち砕いた。

 

 

 

「今のは……」

『近いな。どうする?』

 悩んでいる必要なんてない。薫は目線で真冬に返事を伝え、デイパックを掴み取って銃声の

した方向へと駆け出していった。正確な方向は分からないが、南から聞こえたような気がする。

 森の中を進んでいくと、木々が立ち並んでいる空間の中に一人の女子生徒が立っている光

景が目に飛び込んできた。

 

 

 

 後ろで結ってあるセミロングの髪、クラスの女子生徒の中では標準よりもやや上の身長。

やや暗そうな印象を受けるその人物は、バスケ部に所属している橘千鶴(女子8番)だった。

「橘さん……だよね?」

 相手を怖がらせないよう、できるだけ柔らかい口調で話しかける。余計な刺激を与えないた

め、ベレッタには手を触れていなかった。

 

『おい、あいつは大丈夫なのか?』

「大丈夫……だと思う。あまり積極的に話す子じゃなかったけど、誰かを傷つけたりとかはし

ないんじゃないかな」

 しかしその言葉は、千鶴の足元に転がっているものを見て否定せざるを得なくなる。

 

 ”それ”は、男子生徒の死体だった。地面に横たわっており、頭を中心に血が広がっている。

どうやら頭を撃ち抜かれているらしい。小柄ではないので、桐島潤(男子6番)で無いことは確

実だが。

 

「――――っ!」

 その死体の正体が分かった瞬間、薫の心臓はドクン、と大きく脈打った。

 薫の視線の先――千鶴の足元で横たわっている死体。それは少し前に薫が出会い、いきな

りナイフで切りつけてきた刀堂武人(男子10番)だった。以前出会った時が嘘のように、武人

の身体は変わり果てている。顔は腫れ上がって痣ができており、右腕が血で真っ赤に染まって

いた。まるで肉を無理矢理毟り取られたかのようだった。

 

 これを――彼女が一人でやったというのだろうか。

 あの刀堂武人を相手に、千鶴が一人で。

 

「あなたが……やったの?」

 薫の言葉からワンテンポ遅れ、千鶴がゆっくりと顔を向ける。

 千鶴の顔を見た瞬間、薫の背筋に悪寒が走った。やや焦点があっていない双眸、消え入り

そうな声で何かを呟いている口。彼女の顔からは明らかに正気が薄れていた。

 

 ――ああ、これはヤバイかも。薫はそう感じ取った。

 

「だって、私……」

 なんとか聞こえる音量で千鶴がそう言い、また何やら呟き始めた。

 そして、一瞬の沈黙の後。

「だって私、殺されそうになった! だったら殺されても文句は言えないでしょ!? ねえ、村崎

さんだってそう思うわよね!?」

 千鶴の叫び声と共に、銀色のリボルバー拳銃が薫に向かって突きつけられた。

 

男子10番 刀堂武人  死亡

【残り28人】

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