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 午後六時が近付き、森から抜け出した村崎薫(女子15番)は遠くに映る湖を見ていた。

F−06とG−06のちょうど境界線となっている場所で、もう少し先へ進むと地面が平地か

らなだらかな斜面へと変わる。半日かけて会場を回って気付いたことだが、どうやらこの

場所は湖を中心とした盆地になっているようだった。ちょうど湖を底にするようにして、緩

やかなすり鉢状の地形になっている。そのためか、森の中にあるホテルへと続く道路は

しっかりと舗装がされてあった。

 

 薫は視線を湖から自分の右腕へと移す。シャツが横一文字に切り裂かれており、その

奥に覗く二の腕には白い布が巻かれていた。そこには薄っすらと血が滲んでおり、傷口

から流れたと思われる血の筋が手首にまで伝っていた。

 先程森を歩いているときに出会った、刀堂武人(男子10番)によって付けられた傷だ。

掠った程度なので命に関わるといったほどではないが、傷口から雑菌が入ってはいけな

いということで、ちゃんとした処置を施していた。

 

 

 

 ――真冬くんって何でも知ってるなぁ。

 腕に巻かれた包帯を見ながら、薫はしみじみそう思った。

 武人につけられた傷の治療を行ったのは薫自身だが、どういうふうに行うのかという指

示を出したのは真冬だった。傷口の深さを見て縫合は必要無しと判断した真冬は、傷口

をミネラルウォーターで洗い流すように薫に言った。それから彼女が持っていたハンカチ

をガーゼの代わりに押し当て、ワイシャツの裾を切ったものを包帯代わりにしてその上に

巻きつけさせる。本当なら沸騰した水で消毒する方がいいんだけど、とも言っていたが、

ここには火を点けるような道具がないのでそれはできなかった。

 

 とは言え、真冬が傷の治療方法を知っているという事は薫にとって非常に心強い事だ。

今のような状態に陥ったとき、対処方法を知っているのといないのとではその後の状況

が大きく変わってくる。

 

「真冬くんの家ってお医者さんだったりする?」

「いきなりどうしたんだ?」

「私の怪我を見てパッと対処方法を言うから、そうなんじゃないかなーって思って」

 真冬は「いや」と首を振り、その言葉を否定した。

「俺は医者の家の生まれじゃないよ。さっきのだってたまたま本で読んだりテレビでやって

た番組で見ただけだ。それほど詳しい知識があるわけじゃない」

「ふ〜ん、そうなんだ」

 

 薫は、真冬のことを詳しく知っているわけではない。

 プログラムが始まって半日以上、離れることなく行動を共にしていた。その関係はもは

や一心同体と言ってもいいほどに。

 今では気兼ねなく話しかけられる関係になってはいるが、薫は今のやり取りで、自分は

真冬のことを全然知らないんだな、と思い知らされた。彼がどんな性格なのかとか、簡単

な人間像は知っているが、その中の事に関してはまるで分かっていない。

 

 もっと真冬のことを知りたいと思った。生前のこと、幽霊になってからのこと、どんなこと

を思い、日々をどう過ごしてきたのか。

 思い立ったら即行動という傾向が強い薫でも、このことを真冬に告げるのはさすがに

躊躇われた。プライバシーの問題もあるし、真冬だって思い出したくは無いことの一つや

二つはあるだろう。それに、こういう話はどうやって切り出せばいいのだろうか。漫画など

では「あなたのこと、もっと知りたい」とか言っているけど、そんな恥ずかしい台詞を口に

できるわけがない。

 

 事態は進展せぬまま、現状を維持していた。

 何でこんなに悩んでいるんだろう、と思う。普段ならそれほど深く考えずに行動に移して

いた。それがどんな結果に繋がろうと、自分がそうしたいと思ったんだから後悔はしない

と思っていた。

 それなのに、何でこんなに悩んでいるんだろう。答えを出せずにいるんだろう。プログラ

ムの事に対しても、真冬の事に対しても。答えが出せず、先延ばしになっていく一方だ。

 

 先延ばしになった先に出る答えは、自分が納得のいくような答えなのだろうか。

 多分それは――納得のいくようなものじゃない。

 何となく、そう思った。

 

 

 

『なあ』

 真冬に話しかけられ、薫は彼の方に顔を向ける。

『お前は仲間を捜しているんだろう? この状況でも信じられる友達を』

「そうよ。それがどうかした?」

『……ずっと不思議だった。何でお前はそこまで他人を信じることができるんだろうって。

だって人間なんて本当は何を考えているか分からないだろ? 私生活ならまだしも、今ま

での味方が敵になるこの状況で、どうしてそこまで他の奴を信じることができるんだろう

って……お前を見てたら、何となくそう思ったんだ』

 

 人を疑うこと。

 それ自体は罪ではない。人間ならば誰しも猜疑心を抱くことはあるし、信用できる人物、

できない人物がいることも確かだ。度が過ぎる猜疑心は短所だろうけど、人を疑う、という

概念そのものは罪として認められていない。

 

 薫は、真冬が今まで見てきたどんな人間よりも他人を疑うということをしなかった。常に

希望と信頼を持ち、前に向かって突き進む。その顔に浮かぶ笑顔は、自分だけではなく

周りに対しても裏心の無い心を見せていた。

 人を疑わないわけじゃない。だけどまず信じることから始めよう。薫はそう思っていた。

だから『疑う』よりも『信じる』の方が率先して、そして強く彼女の意思、行動に反映されて

いた。

 

 こんな状況でも友人やクラスメイトのことを心配する。それは特別なことではなく、薫に

とっては当たり前の事だった。

 そうすることができない真冬にとって薫は太陽のような存在である一方、その強すぎる

光によって自分の影の濃さを鮮明に浮かび上がらせる要因ともなっていた。

 

 羨ましいと思う一方で、「どうして?」と思わざるを得ない心境になっている。

 誰かを信じれば信じるほど、裏切られたときのショックは大きくなっていく。

 薫が信頼している友人と再会した時、そのような事態に陥ってしまったら。

 

 彼女は――耐えられるのだろうか。

 

「なんでって、それは――」

 薫は特に悩んだ様子も見せず、やけにあっさりと言い放った。

「何かやる前から人を疑っていたってどうしようもないでしょ。それに自分も相手も嫌な感

じになるし」

『いや、でもお前はちょっとお人好しすぎだろう。純粋って言うか世間知らずというか……

お前が相手を信じていても、相手はお前のことを信じていないかもしれないんだぞ』

 

 薫は少し困ったような顔を見せ、口元に手を当てて「ん〜……」と声を漏らす。

「真冬くんの考えていることとは違うかもしれないけど、私は”こうなるかもしれないから

こうするのはやめよう”っていう考え方が嫌いなの。嫌いって言うか理解できないって感じ

かな。そもそもそんなのって結果論でしょ? いつか傷つくから、やがて失うかもしれない

から良い方向に考えるのは無意味っていうのなら、私たちの人生だって無意味なものに

なっちゃうし」

 真冬の目が見開かれ、その表情が固まった。

「人の一生ってのは怒られたり失敗したり、良いことばかりじゃないよね? いつか悪い

事が起きるから、自分のやりたいこと、楽しそうなことをしないようにする? それと同じ

ことだよ」

 

 当たり前のように語られる薫の言葉。自分とは対照的な少女の言葉。真冬はそれを

否定したかったけれど、何も言葉が出てこなかった。今、何か言ったところで自分が少し

惨めな気持ちになることも分かっていたし、薫の言ったことは正しいと分かっていたけど、

誰かに裏切られた事、信じてしまったが故に失ってしまったものがあるときの喪失感と

絶望感の怖さを伝えてやりたかった。

 

 信頼という言葉が崩れた時の薫の姿なんて見たくない。だからこそ真冬は薫に伝えよ

うとしている。時には人を疑うことも必要なのだと。

 

『お前の言っていることは正しいよ。でも正しいからいいってもんじゃないんだ。この世は

正論だけでできているわけじゃない。時には誰かを疑っていかなければいけない時だっ

てある。薫、それは今なんだ。プログラムってのはそういうものなんだよ』

「なによそれ……真冬くんの言ってることが分かんないよ。人を信じちゃいけないの? 

私は誰かを疑って傷つくより、誰かを信じて傷つきたい!」

 

 薫の目は少し吊り上っていた。不条理な殺し合い。恐怖に駆られたクラスメイトの手に

よって失われていく命。それらを止めるためにはお互いが手を取り合い、助け合っていか

なければいけないと薫は思っている。

 そのためには人を信じなければいけないと。疑わなければいけないような場面でも、

まず相手を信じることから始めるべきだと。

 

 自分が相手を信じることから、信頼関係は生まれる。

 疑いを持っていては、殺し合いを止めることなんてできない。

 だから――真冬の言葉に異を唱えた。

 

 正論で理に適っている彼の言葉を、どうしても受け入れることができなかった。

 琴乃宮涼音(女子4番)桐島潤(男子6番)黛真理(女子13番)渡良瀬道流(男子

18番)――楽しい時間を共有してきた、かけがえの無い友人たち。

 そんなみんなを疑えば、大切な何かが壊れてしまい、もう元には戻らないような気がし

ていた。

 

「……ごめんなさい。真冬くんに当り散らしてもしょうがないよね」

 カッとなり、思わず怒鳴ってしまったが、真冬は何も悪いことは言っていない。むしろ自

分の身を案じてくれていた。そんな真冬に怒りをぶつけてしまった事は、気分のいいこと

ではない。

「……俺は気にしていない。それに――」

 頭を下げて素直に謝る薫を前にして、真冬は何かを言おうと口を開きかけていた。しか

し言う必要は無いと思ったのか、途中で口をつぐみ、黙って彼女の言葉を受け入れる。

 

 人を信じることと、疑うこと。

 

 どちらも誰にでもできる事だが、本当に難しいのは人を信じることだ。

 こういった窮地で誰かを信じぬくということは、誰にも分からない”強さ”が必要になるの

だろう。

 

 道流が持っているものとは違う、別の意味での強さ。

 彼女は、村崎薫は――それを持っていた。

 

【残り29人】

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