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 心地よいはずの日差しも、自分を取り巻く状況が劣悪ならば堪能などできない。六時間ごと

に流される放送で読み上げられていくクラスメイトの名前、一向に進展する気配を見せない

現状、自分たちをこんな最悪なゲームの中に放り込んだ政府、それを許す国、会場のどこか

にいるはずの友人たち、そして――。

 

 脳裏に浮かぶ青色の髪。蘇る彼女の言葉。手を伸ばせば触れ合える距離にいたはずの

彼女が、今はいない。

 

 手元のナビに視線を落としたまま、桐島潤(男子6番)は何十回目となるか分からない溜息

をついた。会場の地図と所有者の現在位置を示すナビがあれば、禁止エリアに引っ掛かる

可能性は大幅に減少する。潤の持つアドバンテージは他の誰よりも自由に動けるという事な

のだが、戦える武器がない以上、他の生徒とのエンカウントは必要最低限に抑えなければ

ならない。自分の姿が先に相手に見つかってしまえば、その直後に殺されてしまう可能性だ

ってある。

 

 

 

 プログラムが始まって半日が経過したが、捜し人である琴乃宮涼音(女子4番)はおろか、

普段から交友関係のある友人たちを誰一人として発見することができなかった。放送で名前

が呼ばれていない以上、みんなはまだ生きている。絶望に負け、何もせず自暴自棄になる

わけにはいかなかった。

 

 最初は話しかける勇気も出せず、ただ見ていることしかできなかった。

 澄み渡る空のような青く染まった髪。深く、吸い込まれそうな瞳。冷たい真水のような、聞く

者の全身に染み渡る声。涼音の容姿は数多くの生徒たちの目を惹き付けていたが、クール

で素っ気無く、近付き難い雰囲気を纏う彼女に近寄ってくる生徒はごくわずかだった。現に

潤も、最初に涼音を見たときは他人を突き放すような彼女の雰囲気に馴染めず、なかなか

近寄ることができなかった。

 

 それでも、自然と彼女に目が行っていた。授業中に何気なく視線を泳がせているときは涼

音を見ていることが多かったし、彼女と話すきっかけを探そうと一人で必死になっていた。

体育の授業中、ハーフパンツからすらりと伸びている涼音の白い足を見つめていて、自分は

何をしているんだろうとひどく恥ずかしい思いに駆られたこともある。

 

 自分と涼音がクラスの学級委員に任命されてから、少しずつではあるが涼音と接する機会

が増えていった。次第に会話も多くなり、自然と話しかけられるようになっていった。

 皆より一歩退いた所に立っていて、冷静に全体を見渡しているような眼をしている涼音。

雑誌に載っている人形だとか可愛い動物などを見たときは、それがとても優しい眼へと変わ

る。村崎薫(女子15番)と一緒にいるときはとても居心地が良さそうにしているけど、たまに

とても寂しそうな、まるで人形のように生気の通っていない眼をしているときもあった。

 

 彼女への想いは日に日に強くなっていた。涼音の存在が、自分の中でとても大きくなって

いた。登校して教室に入ったら彼女の姿を探している。席替えで隣の席になったとき、やたら

とドキドキしていた自分がいた。自分と涼音の距離が狭まり、仲が良くなればなるほど、もっと

涼音の事を知りたい、もっと涼音に近づきたい、と思うようになっていた。

 

 想いが強くなっても、それを伝えることはなかなかできなかった。彼女の眼に自分はどう映

っているのだろう。彼女の中で自分はどういう存在になっているんだろう。少しくらいは意識

してくれているのか、ただの仲の良い友達としてしか認識されていないのか、恋愛対象に見

られていないのか。

 

 たった一言。たった一言の言葉が、口に出せなかった。

 

 勇気だとか覚悟だとか、自分には全く縁のない言葉だと思っていた。気の弱さは自分でも

承知の上だから、伝えられなくても仕方がない、と諦めかけていた。

 それでも、涼音のことは諦められなかった。

 布団に入り、目を瞑ると彼女の姿が浮かんでくる。彼女の声が耳元で蘇る。朝が来るのが

待ち遠しかった。早く学校に行って、涼音に会いたかった。

 

 あの頃の気持ちが、今こうして潤の中に蘇っている。もっとも、その根底にある感情は全く

別のものだったが。

 

 

 

 額に滲む汗を拭いながら、A−07エリアを進んでいく。この近辺には建物が多いから、ど

こかに隠れている人物が多いかもしれない。

 と、数メートル先にある、割と大きな岩の上に座っている”誰か”の姿を発見した。

 相手の姿を認識したと同時に、潤の心臓がドクンドクンと早鐘を打つ。身に着けている服

は女子のものだが、髪の色が青ではないので涼音ではない。髪はやや茶色で、長さは肩に

かかるくらいのストレート。中背で、体型は標準といったところ。手元から煙が上がっている

ので、どうやら煙草を吸っているらしい。クラスの中で喫煙者は少なくないが、女子の喫煙者

となると自然と限られてくる。

 

「あの……佐伯さん?」

「ん?――ああ、潤くんか。そんな所で何をしてるの?」

「いや、それはこっちの台詞なんだけど」

 彼女、佐伯法子(女子6番)は指の間に挟まっている煙草をヒラヒラとちらつかせた。

「見ての通り、一服中」

「うん、それは分かるんだけど……」

 潤が言いたかったのは、『何でこんな危機的状況の中でそんな呑気に煙草を吸っていられ

るのか』という事である。喫煙行為自体を咎めるわけではないが、今しがた目にした彼女の

警戒心の無さは指摘しざるを得ない。普通なら誰が声をかけてきた時点で何らかの対応を

するが、彼女はそれをしなかった。逃げようとも、立ち向かおうとも。もし自分がやる気になっ

ていたら、どうするつもりだったのだろう。

 

「潤くん一人なんだ。君のことだから真理ちゃんとか、みっちゃんといると思ってたのに」

「捜しているんだけどまだ見つからないんだ。佐伯さんは他の誰かと会ったりした?」

「会ったといえば会ったし、会ってないといえば会ってない」

「…………」

「そんな顔しないでよ。私が悪者みたいじゃない。本当の事を言うと誰とも会ってないよ。あま

り動き回ってるわけじゃないから参考になるかどうか分からないけど」

 法子はフィルター近くまで迫っていた煙草を座っている石に押し付けて消すと、自分の隣に

あるスペースを指し示してきた。

 

「立ち話もなんだから、とりあえず座ったら?」

「え……」

「大丈夫、ギリギリ二人座れると思う」

 そういう問題ではないと思う潤であったが、彼女の言葉を無下に断るわけにもいかず、言わ

れるがまま、法子の隣にあるスペースに腰を下ろした。座っている石はそれほど巨大な物で

はないので、当然狭い。自然に紀子と密着し合う形になってしまう。

 

 

 

 一組にいるほとんどの生徒たちと友好な関係を築いている潤であったが、真神野威(男子

15番)のグループと同じくらい苦手な人物がこの佐伯法子だった。

 法子を一言で言い表すならば、”わけの分からない人”という表現が適切になる。飄々とし

ていて掴み所がない。どこに根を張っているのか、何を原動力としているのかまるで分から

ない立ち振る舞い。どんな時でも揺らがないのは、ぼけーっとしているその表情と、抑揚の変

化に乏しいその声色。

 

 簡単な作業を淡々と処理する自動人形――そんな印象を受けたこともある。

 しかし逆に、法子のことを「え、普通の子じゃない?」と評価する生徒もいた。個性の強い生

徒が数多く揃っているこのクラスでは、法子のように取り立てて何の特徴もない人物を『普通』

と認識する生徒の方が多い。法子のことを『変わり者』と思っているのは、潤を含めごく一部

だった。

 

 一組の中では茜ヶ崎恭子(女子1番)黛真理(女子13番)と一緒にいることが多い法子。

”あまり動き回っているわけじゃない”と言っていたが、彼女は二人を捜そうとは思っていない

のだろうか? 学校生活での三人は作った関係などではなく、本当に仲が良さそうな関係に

見えた。自分と涼音や、道流たちと同じように。

 

 

 

 このまま黙っているのも気まずいので、潤はそれを話題として出してみることにした。

「佐伯さんは、恭子さんとか真理を捜したりしないの?」

「捜せと言われれば捜すよ。でも捜す必要が無いし」

 法子は二本目の煙草を取り出し、それを口に咥えて火を点けた。

「捜す必要が無いって……」

「いずれは敵になるかもしれない相手を捜して仲間にしたって意味なんか無いかな、って」

 

 意味なんか無い。

 佐伯法子が言い放ったその一言は恐ろしく的を射た言葉で、同時に潤の心に多大な衝撃

を与えていた。

 

 プログラムの優勝者が一人しかいないというのなら。

 生きて帰れるものがたった一人だけというのなら、友情も愛情も仲間意識も全てが無駄に

なってしまう。

 

 いつか波にさらわれると分かっていながら作る、砂の城。

 自分がやろうとしている事は、それと同じなのかもしれない。

 

「それに、二人はやる気になっているかもしれないし」

「恭子さんと真理が?」

 法子の口から出てきた言葉に耳を疑う。 威や刀堂武人(男子10番)、それに渡良瀬道流

(男子18番)などを指して”やる気になっているかもしれない”と言うのならまだ理解できた。

 しかし彼女は、自分が最も親しくしていた友人を指し、その言葉を口にした。

 

 なぜ、と思わずにはいられなかった。

 なぜ恭子が? なぜ真理が?

 彼女たちが武器を手にし、クラスメイトを殺し、その手を血で染めているかもしれないと考え

ているのか。なぜ信じようとせず、真っ先に疑って掛かっているのか。

 二人と楽しそうに語り合っていたあの姿は、全て嘘だったとでも言うつもりなのか。

 

「その可能性が高いのは、真理ちゃんよりも恭子ちゃんだろうけど」

「……なんで、二人のことをそんな風に」

「疑う理由? そんなのいくらだってあるじゃない。これがプログラムだからだとか、他人の心

の中まで知っているわけじゃないとか、挙げればキリがないよ。けれど、恭子ちゃんに限って

その理由を言うとするのなら」

 法子は口から煙を吐き、わざとらしく間を空けてから言った。

「恭子ちゃんには理由がある。生きて帰らなければいけない理由、人を殺してでも生きなけれ

ばいけない理由が」

「理由……」

「潤くん、恭子ちゃんの家が母子家庭だって知ってた?」

「……知らなかった。本人から聞いたことはないし、誰かから聞かされたこともないから」

「だろうね。恭子ちゃん、この話を滅多に話さないもん。知っているのは私と、あとは真理ちゃ

んに――もしかしたら鈴森くんも知ってるかもね」

 

 潤は知らなかった。というよりも聞かされていなかった。しかしよく考えれば当たり前の事だ。

自分の家庭事情をペラペラと喋る奴なんて、いるはずがない。それが良くない方向のものだ

ったとしたら、尚更だ。

 

「それが、プログラムに乗る理由……」

「あくまでも”乗っているとしたら”の話だけどね。あの子は家族を大切にしているから、何が

何でも生きて帰ろうとしているのかもしれない。もちろんそうじゃない可能性だってあるけど」

「そうなっている可能性だってある。佐伯さんはそれを懸念しているんでしょ」

「正解。こういうときは警戒しておいたほうがいいし。潤くんも信じてるだけじゃいつか足元すく

われるよ。人間、何を考えているんだか分からないんだから」

「でも、人は信じるものじゃないか。友達を疑ったって、自分が嫌な気分を味合うだけだ。それ

なら俺は友達を信じれた自分自身を誇りに思う」

 自然と、潤と法子は睨み合う形になった。隣同士に座っているため、二人の間隔はかなり

狭い。お互いの息が聞こえてきそうなほどだった。

 

 しかし、この拮抗状態は長くは続かなかった。

「――じゃあ、俺はそろそろ行くよ。もし道流たちに会ったら、俺が捜していたって伝えておい

てほしい」

 法子から視線を外し、別れの挨拶も適当にして足早にこの場を去ろうとする。

 しかし、潤はふいに足を止め、法子のほうを振り返ることなく、先程から気になっていたこと

を聞いてみた。

 

「佐伯さんは、生きて帰ろうと思っている?」

「そりゃ当然でしょ」

「……どうして?」

 生きる理由。仲間を捜して生きて帰ろうとするものもいれば、人を殺めて生きて帰ろうとする

ものもいる。その人物の背景には、個人個人の”生きて帰らなければいけない理由”がある。

 当然それは、法子にもあるのだろう。

 彼女が生きようと思っている限りは。

 

「死にたくないから」

 潤の質問に、法子は間髪いれずにそう答えた。

 何の躊躇もなく、揺らぎもなく。

 それこそが全てだと言わんばかりに。

 

「死にたく、ないから……」

「そ。だれだってそうでしょ? 私も、潤くんも、他の皆も」

 潤は、沈黙する他なかった。

 正論すぎて、返す言葉がない。

 

 死にたくないから、生きる。それはプログラムで人を殺す理由の、そして誰かのために生き

て帰ろうとしている人間の根底にある、もっとも単純で核心を突いた理由かもしれない。

 死にたいと思っている人間などいない。

 だからこそ生きようとする。生きて帰ろうとする。

 

 考えるのも馬鹿らしい、単純なことだった。

 生きたいと思うことに、理由など必要ない。

 死にたくないから、生きる。

 ただそれだけで充分なのだと。

 

「――やっぱり俺は佐伯さんが苦手だ」

「そう?」

「うん。何を考えているか分からないし、こうして話をしていても幻と話しているように掴み所

がないし」

「そうかそうか。じゃあ潤くんは確固としたものを持っていない人が苦手なんだね」

 背後から法子の声が聞こえてくる。お互いの顔が見えない背中越しの会話。けれど声を聞

くだけで、それだけで相手がどんな表情をしているのか、何となく分かるから不思議だ。

 

 法子は多分、何の表情の変化も見せていないのだろう。ただ淡々と、自分の考えを口にし

ている。いや、それが自分の考えなのかさえ分からない。彼女は、”自分自身”というものが

薄すぎる。いつ消えてしまっても何の違和感もないような、そんな空気を纏っている。

 

 潤が抱いている疑問を察しているのか、法子は一人で喋りだした。

「私はとことん受動的だから。自分じゃ極力物事を選ばないようにしてるし、極力自分の考え

を持たないようにしている。自分の信念を持たず、物事に流されるだけ――って言えばいい

のかな」

 

 受動的、流されるまま、信念を持たない。

 なるほど――そういうことか。

 

 全て納得がいった。

 法子を幻のように感じていたのも、彼女の考えが分からないと思っていたのも、全てはそれ

が原因だった。

 

 潤は法子のことを『変わり者』と判断していたが、それは正しかった。

 法子は普通じゃない。それも、一組の中でトップクラスに。

 表情も口調もいつだって普通なのに、彼女の中身は普通じゃなかった。

 光も闇もない。ただそこには無があるだけ。

 

 死にたくないから生きるという言葉も、そこから生まれたものだろう。

 彼女にとっては生死の問題すらも選ぶ必要がない。成るようにしか成らない。

 潤は、佐伯法子という少女に得体の知れない不気味さ、漠然とした恐ろしさを感じていた。

 

「じゃあ潤くん、お達者で。縁が合ったら、その時にまた」

「――縁が合ったらね」

 最期にそう告げ、その場を後にする潤。背後にいる法子のことを考え、出来ることならもう

会いたくはないな、と思った。

 

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