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 言葉が武器になるかどうかと問われたらどう答えるだろうか。この質問には数学の問題の

ようにはっきりとした答えがない。問いかけられた人物次第で答えが変わってくる。肉体的に

傷付けられるかどうかと問われればNoだし、精神的に、と問われれば多くの人はYesと答え

るだろう。第三の選択肢、『分からない』というものもある。どれが正解か分からない、曖昧

模糊とした疑問だった。

 

「やっぱり……鈴森くんと話すのは面白いわね」

 眩い光が射し込む森の中を歩きながら、永倉歩美(女子10番)は誰に言うとでもなく呟い

た。スタート直後からずっと名産品館にいたため、こうやって外を歩くのにはまだ慣れていな

い。森の中という不慣れな状況で戦うことができるのか不安ではあったが、その時はまあ何

とかなるだろう、という楽観的な考え方をしていた。

 

 そういえば――と、先程の出来事を振り返って気付いた。

 誰かの前で素の自分をさらけ出したのは、随分久しぶりな気がする。

 

 

 

 小柄で体の線が細く、自分から誰かに話しかけることはそれほど多くない。歩美は矢井田

千尋(女子16番)のグループの中でも浮いた存在だった。いかにも遊んでいます、といった

格好をしている千尋たちと比べ、歩美の容姿にこれといった特徴は見られない。これまでに

何度も「髪染めようよ」など、人目を引くファッションに変えるよう言われてきたが、歩美はそ

の度に「そのうちね」と適当な言葉を返していた。

 

 着飾るのが嫌いなわけではない。自分だって年頃の女の子だし、服やアクセサリーに興味

だってある。ただ、必要以上に目立ちたくなかっただけだ。目立つ格好をしていれば、いらな

いトラブルを呼び込んでしまうことだってある。表立った場所での不必要なトラブルは出来る

だけ回避しておきたかった。

 

 それに、こういう大人しそうな格好のほうがウケがいい時だってある。例えば教師の間での

評判だとか、街で売春行為を行う時など。一見大人しそうな印象を与える歩美だが、その裏

では様々な悪事に手を染めてきた。と言ってもそれは千尋たちのように大っぴらなものでは

ない。自分にデメリットが生じないよう、多方面に渡り表情を使い分けてきた。

 

 無数に揃えた仮面で素顔を隠し、幾重にも重ねられた嘘で真実を塗り潰す。その状況に

応じて顔色を変えるのは昔からやってきた事だし、嘘をつくのだって誰でもやっている事だ

から今更罪悪感など感じなかった。事実や正論を述べるだけでは世の中を生きていけない。

時には嘘を言って自分が有利になるよう、状況を操作する必要だってある。

 

 そう、嘘をつくなんて誰でもやっている事だ。悪いのは嘘をつく側ではなく、それを嘘とも見

抜けずにまんまと騙されている奴らの方。確かに万引きや売春などに手を染めているが、

それが極刑に値するほどの悪だろうか。嘘をつき、演技をして裏でコソコソやっている自分

よりも、真神野威(男子15番)たちのように直接人を傷付けている奴らの方がよっぽど罪が

重い。

 

 

 

 十分ほど歩いたとこで、歩美は足を止めて近くにあった木の幹に背を預けて座った。建物

の中とは違う、どこから敵が襲ってくるか分からない恐怖。特にこれといった目的がない今、

無闇に動き回るのは危険だと判断した。やる気になっている生徒――今まで名前を呼ばれ

た奴らを殺した加害者は、次の獲物を求めて会場の中を動き回っている可能性が非常に

高い。何か目的があるなら別だが、そうでないのなら一箇所に留まっておく方が安全だろう。

 

 威は間違いなくそうだとして、千尋と辺見順子(女子12番)はどうだろう。彼女たちはやる

気になっているのだろうか。

 順子はどうか分からないが、千尋はまずやる気になっているだろう。彼女と行動すること

が多々ある歩美でも、千尋の人間像には嫌悪感を抱いていた。下品で、自分本位で、その

くせ些細なことをいつまでも根に持つ。典型的な小物の悪役だ。威や渡良瀬道流(男子18

番)がいるから優勝はまず無理だとしても、二〜三人は片付けて、それなりにいい所まで生

き残るのではないだろうか。

 

 一緒に遊ぶことは多かったが、千尋たちに対して友情や仲間意識を持ったことは一度も

無かった。派手な行動をとる彼女たちといればいざという時の防波堤になってくれそうだし、

悪さをするときに協力してもらえば何かと便利だから、という理由はある。しかしそれを除け

ば赤の他人に等しかった。向こうが自分をどう思っているのかは知らないが、自分は向こう

がどうなろうと知ったこっちゃない。目が覚めた直後、ホテルの体育館で同じグループの一

人である片桐裕子(女子3番)が殺されたときだって何も感じなかった。担当官の三千院零

司に対する恐怖、初めて人の殺害現場を見た怯えはあったが、友人が死んだという悲しさは

一切浮かんでこなかった。

 

 この世で一番大事なのは自分自身だと言うけれど、歩美はその言葉に深い賛同を得てい

る。己よりも優先すべき他人なんてどこにもいない。他人と正直に接していたって、いつか

きっと馬鹿を見るときがくる。決して素顔を、本音を悟らせず、自然と自分が上に立つように

付き合っていけば良い。

 

 この世界は嘘と欺瞞で満ちている。偽りが偽りを作り上げ、もはや何が本当なのか分から

なくなってきている。街を歩いている人間だって仮面をつけて、その裏にある素顔を――自

分の本心を隠して生きている。自分がやっている事はそれと同じだ。皆がやっている事なん

だから、特別悪いってわけじゃない。

 

 プログラムで人を殺してまで生きようとするのも、悪いことじゃない。誰だって死にたくなん

かないんだ、殺される前に殺さないと。

 

 どうして自分がこんな人間になったのか。そのルーツを辿ってみれば、行き着く先はきっと

小学五年生の”あの時”になるだろう。

 

 

 

 歩美はもともとこんな考え方をしていたわけではない。幼い頃から両親に、「嘘はついちゃ

ダメだよ」とか、「悪いことはしないようにね」と言いつけられて育ってきた歩美は、周りにい

る同年代の子たちよりも純粋で真っ直ぐな心を持っていた。簡単な冗談は言うけれど友達を

傷付けるようなことを言ったときは無かったし、ダメな事はダメだとはっきり言える強さがあっ

た。しっかりとした優等生という認識を持たれていたが、それは苦にならなかった。

 

 小学五年生の春――父親の浮気が発覚した時から、歩美の心は変わり始めた。

 

 当時は何故父親が浮気をしたのか分からなかったが、今は何となく分かる気がする。母は

おっとりとしていて温和な人だったから、二人の夫婦生活にマンネリが生じたのだろう。父が

酒やギャンブルに手を出し、娯楽に対する出費が増えてきたのもその時期からだった。

 父は足りない刺激を求め、他の女に手を出した。後から知ったが、浮気相手との関係は

随分前から続いていたらしい。父親はその事実を、母が気付くまでずっと隠していたという事

になる。

 

 母は父に対して辛く当たろうとはしなかった。もともと人を傷付けられるような性格ではない

ということは、歩美も――そして父もよく分かっていた。だから父は表面的な謝罪をし、それ

以降も浮気相手との関係を続けた。母や自分なんて眼中に無いと言わんばかりに、堂々と。

 残された母の事が唯一の気掛かりだったが、その母も浮気相手を作って楽しんでいると

いう事に気付いて以来、歩美の心の一部と家庭は完全に崩壊した。

 

 みんな、自分を偽って生きている。あれほど嘘をついちゃダメだと言っていた父と母も、己

の快楽のために平気で嘘をついていた。結局、痛い目を見たのはずっと正直に生きてきた

歩美だけだった。

 

 それから歩美は、相手が誰であろうと平気で嘘をつき、自分のキャラクターを作るように

なった。表では普通の子を演じて、裏ではいろいろと悪さをした。もし自分に疑いがかかって

も、日頃の評判や磨きぬかれた話術でその場を切り抜けてきた。

 

 そうやって悪事を重ねていくうちに、歩美は他人の嘘が何となく分かるようになっていた。

 名産品館の中で雅弘に話した、『他人の嘘が違和感で分かる』という台詞。

 

 あれはその場しのぎの嘘などではなく、紛れも無い事実だった。

 

 恐らく雅弘は自分のあの話を完全に嘘だと思っているだろう。それを考えると笑いが止まら

ない。彼は自分が優位に立っていたつもりなのだろうが、こちらはまだ手の内を見せていな

いのだから。

 

 冷静な状況判断と切り札がある限り、自分の優位は崩れない。それが街角の騙し合いで

あれ、プログラムであれ、大切な事柄に変わりはなかった。

 

 嘘が分かるというこの力だが、身についたのは割りと最近のことである。中学二年生にな

る前か、なった後か。曖昧だがその辺の時期だと歩美は記憶していた。

 違和感が襲ってくるといっても、それは言葉どおり本当に漠然としたものだった。言葉を駆

使することに長けている歩美でも、この事例は上手く説明できない。それでも何とか表現する

としたら、それは既視感――デジャヴに似たような感覚だった。歩美は実際にデジャヴを体

験したことはないが、以前にテレビでデジャヴの症状を見た際、それが自分の感じる”違和

感”の症状と似ているかもしれない、と思ったことがある。

 

 歩美自身、この症状のことを完全に把握してはいないものの、これを治そうと思ったことは

一度も無かった。不思議ではあるが不便ではないし、何よりも役に立ってくれることの方が

多かったからだ。

 何で自分にこういう不思議な感覚が備わっているのか。それが解明できれば一番いいのだ

が、それはきっと叶わぬ願いで終わってしまうだろう。

 

 

 

 歩美は顔を動かし、視線を名産品館のある方向へと向けた。あそこにいる鈴森雅弘のこと

が、少しだけ気になっていた。

 雅弘とはそれほど親しいわけではない。言葉を交わした回数も少ないし、二年に進級する

際に行われたクラス替えがあるまで、一緒のクラスになったことは無かった。

 

 雅弘に興味がいってしまうのは、彼が自分と似た人間であるからだろう。口先だけで世を

渡り歩いている軽薄な人間。そんなイメージが強い雅弘だが、歩美は彼に自分と近いものを

感じていた。友情でも恋心でもない、一種のシンパシー。彼の放つ言葉、行動には多少の

興味があった。私生活の中で歩美が特定の誰かを気にすることはあまり無いので、これに

は歩美も自分の事ながら驚いていた。

 

 これから雅弘がプログラムの中をどう生き抜いていくのか。できればそれを間近で見てい

たかったけれど、しばらくの間お預けになってしまった。

 まあ、別にいい。生きてさえいれば、またどこかで彼と巡り合える。何となくだけど、そんな

気がしていた。

 

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