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 歩美が持つ底知れぬ雰囲気に、雅弘は気圧されていた。自分よりも小さな少女がどこか恐

ろしく見える。銃を突きつけられたわけでもない。ましてや”殺気”なんてものを放っているわけ

でもない。たった一言の言葉を掛けられただけだ。

 

――『何か嘘をついているでしょ』

 

 それだけで、雅弘の心は大きく揺さぶられた。動悸が早くなり、思わず唾を飲み込む。平静

を装ってはいたが、突然の指摘により彼の内心は大きく動揺していた。

 

 ――こいつ、何でそのことを知っている?

 まず始めに思った事はそれだった。銃を持っている場面を実際に見られたか、それともカマ

をかけてきたのか。このどちらかなのか、それともどちらでもないのか。

 いくら考えても答えは出てこない。できるのならば今すぐ彼女の前から立ち去りたかったが、

それでは彼女の言っていることが真実だと告げているようなものだ。かといって迂闊な返答を

すればそこからボロが出てしまうし、長考していれば歩美に勘付かれてしまう。短い制限時間

の中で、最も被害の少ない発言をしなければいけなかった。

 

「何の事を言ってるのか分からないんだけど」

 雅弘が口に出した言葉はそれだった。歩美の意図、真意が分からない以上は、とりあえず

様子を見るような発言をしておけばいい。

「鈴森くん、私たちに何か隠していることあるでしょ?」

「いやだから、それじゃ抽象的しすぎて分かんないって」

「簡単に言えば嘘をついてるでしょって事なんだけど」

「嘘って……あのなぁ、自慢じゃないけど俺は生まれてこの方たーっくさんの嘘をついてきた

んだぞ? そんな俺に『嘘ついてるでしょ』なんて質問してどーしろっていうんだよ。だいたい、

ほとんどの人間は『Yes』って答える思うぞ、それ」

 

 両手を大きく広げ、ちょっとわざとらしく振舞ってみせた。これで返事に窮すようであれば、

歩美はたぶんカマを掛けてきている。つまり自分は信用されていなかったという事になるが、

まあそれは大した問題ではない。

 雅弘にとって問題なのは、銃を実際に見られていたら、というもう一つの可能性にある。もし

彼女が本当に銃を見てたのなら、何を言おうとごまかしようがない。むしろ何か言えば言うほ

ど自分が泥沼にはまっていくだけだ。

 

「……ちょっと自信ないけど、当ててみようか?」

 雅弘の言葉にも歩美は怯んだ様子を見せなかった。唇に人差し指を当て、悪戯っ子のよう

な微笑みを浮かべている。何もかもお見通しで、雅弘の反応を楽しんでいるようにも見えた。

「ここに来たばかりのとき、鈴森くんって身体検査をされたでしょ。その時、支給武器を煙草

だって答えたわよね」

「……ああ」

「多分、それが嘘。本当は別の何かなんじゃないの? 鈴森くんの支給武器って」

 

 沈黙。

 何か言わなければ、と思ったが声が出ない。こういった場面でどういう事を言えばいいのか

咄嗟に思いつかなかった。

 稲妻のように身体の隅々まで行き渡った緊張。歩美にそれを悟られないよう、今まで通り、

何も変わらないペースで話を続けた。

 

「それ、勘で言ってる? それとも何か根拠があっての事?」

 武器を偽っていたことが歩美に知れたからといって死ぬわけではない。しかし嘘がバレれば

グループ内での自分の立ち位置は崩れ落ちたも同然だ。疑われ、隔絶され、やがてはここを

追い出されるか、危険分子と判断されて殺されるか。どちらにせよ、悪い状況へ転がることは

間違いなかった。

 

「根拠ならあるよ。私にしか分からない根拠だけど」

「意味が分からない。っていうかさ、さっきから話が回りくどいんだけど」

「こういう言葉遊びは鈴森くんの本分だと思っていたんだけど、お気に召さなかったかしら」

 

 言葉遊び。歩美の言うとおり、事態を回りくどく説明したり、なぞなぞのような形で話したり

するのは雅弘の得意分野だ。口より先に手が動く、という言葉があるが、彼の場合は手足が

動かずに口しか動かない。言葉で相手と状況を欺き、口先だけで世を渡り歩く。それが鈴森

雅弘という人間のスタイルだった。

 単純明快で直接的な戦いのスタイルをとる人物が多いこのクラスでは、雅弘のようなタイプ

の人間は非常に稀有である。少し悪い言い方だが、三年一組を構成している生徒の多くは

単純な性格をしていた。

 

「お気に召す召さない以前にさ、話の内容とかがよく理解できないんだよね。俺の言葉を嘘だ

と思う根拠とか、そもそも君の狙いだってそうだ。とりあえず今は永倉さんのターンだけど、俺

のターンになったら今度はこっちから質問させてもらう」

「あ、その”ターン”って言い方、結構カッコいいね」

 雅弘の緊張をよそに、さっぱりとした口調で歩美は言った。こういった言葉を使った戦いで

非常に重要なのは”相手のペースに乗せられないこと”にある。自分の立ち位置をしっかりと

固め、相手の言葉に惑わされなければ負けることはない。

 

 そして自分の中身を見せないこと。――いや、例え中身を見せても、核だけは絶対に見せ

ないようにする。これだけは知られてはいけないという最終防衛線を突破されたら、その瞬間

に自分の負けは決定する。

 相手の思考を読んだり、微妙な駆け引きに応じたりなど、当人の力量も言葉で戦う上で重

要な要素になってくる。

 

「じゃあはっきりと言うけど、私って他人の嘘が分かるのよ」

「嘘が……分かる?」

「うん。何となく……かな。相手が嘘をついていると、私の身体に変な違和感が走るの。心が

ざわつくっていうか、そんな感じ。それがどんな嘘なのかまでは分からないけど、相手が嘘を

ついているかどうかっていうのは、はっきりと分かる」

「……まさか」

 

 頭が混乱する。

 落ち着け、そんな事あるはずがないじゃないか。身体に生じる違和感で嘘をついているか

どうかが分かる。彼女の言っていることは理解できるが――これじゃあまるで、漫画の世界の

話だ。

 

 というか……彼女は本気で言っているのだろうか。

 自分を騙そうとしているのではなく、真実をそのまま述べているのか。

 これを信じろといわれたら「無理」と答えるしかない。真偽を見通すことができる人間がいる

なんて聞いたことがないし、人間が持っている力を超越している。

 

「信じられないって顔してる」

「そりゃ……そうだろ。いきなりこんな事言われちゃ」

「私だって最初は信じられなかった。でも、信じざるを得なくなったのよ。私が違和感を感じた

時に相手が言っていたことが、本当に嘘だったんだから」

 

 淡々と、教科書を音読するように。

 迷いなく、当然のことを話している口調で、歩美は告げた。

 自らの内を――己の”核”となっている部分を。

 自らの真意や狙いを隠したまま、核となっている部分だけをさらけ出した。

 

 ――なんて奴だ。

 

 さすがの雅弘も、これには呆然とするしかなかった。

 他人の嘘が分かる。こんな突拍子もない話を唐突に切り出されたら反応のしようがない。

「俺が支給武器を言ったときに、その違和感ってやつを感じたってわけか」

「そういうこと」

「そんな馬鹿らしい話、信じろって方が無理だ。そもそも何で君はそんなことを聞いてくる?

仮に俺が武器を偽っていたとして、それで君はどうするつもりだ? 俺からしてみれば君の方

が怪しいことをしているように思えるがね」

「別に。ただの興味本位で聞いてみただけよ。違和感が襲ってきたから真偽を確かめたくなっ

た。ただそれだけのこと」

「じゃあはっきりと断言してやるよ。俺は嘘なんてついていない。違和感だか何だかしらない

けどな、俺に理解できない証拠を突きつけて追求してくるのはやめてくれ。はっきり言って迷

惑なんだ、そういうの」

 

 嘘なんてついていないと言い切り、あくまで自分は潔白だと主張する雅弘。それまでの穏や

かな物腰を崩し、歩美の言葉で憤慨した様子を見せることも忘れない。

 悠然と、堂々とした嘘のつき方だった。

 歩美は雅弘を動揺させるつもりであんな事を言ってきたのだろうけど、皮肉なことにそれが

雅弘にとって追い風となった。

 

 あんな荒唐無稽な話をしたら、そこを追求されて自分の足場を崩されるのが目に見えてい

る。意表を突くという点だけで見れば驚嘆に値するが、この場で使うようなものではない。嘘

をつくと一言に言っても、その状況に見合った嘘の付き方というものがある。雅弘はそれを

熟知していた。

 雅弘は心中で歩美のことを嘲笑した。恐らく内部崩壊が狙いだろうが、こういった事で自分

に勝てると思ったら大間違いだ。この事を隆宏と聡美に言えば、歩美をここから追い出す事

だってできる。

 

「さっきから気になっていたんだ。永倉さん、君は何でそんなことを聞いてくる? 事の真偽を

問いただして、それから君がやろうとしていたことは何だ? もし俺が別の武器――それこそ

銃やナイフを持っていたとしたら、それを奪って俺たちを殺そうと思ってたんじゃないのか?」

「…………」

 歩美は答えない。いや、答えられないといった様子だった。表情に大きな変化は見られない

が、先程まで感じ取れた余裕のある雰囲気を、今の彼女から感じ取ることはできなかった。

 雅弘の言っていたことが真実と違うのであれば何らかの反論をするはずである。しかし歩美

は沈黙を貫いていた。

 

 それが示す事実は――たった一つしかない。

 

「……ふふふっ」

 笑った。

 肩を揺らして、口元に手を当て、まるで思い出し笑いを我慢しているかのように。

 十人に聞けば半分以上が良い印象を抱かないと答えるであろう、人の神経を逆撫でする

笑い方だった。

 

「あーあ、つまんないの。騙されてくれると思ったんだけどなぁ」

 くすくす、と歩美の笑い声が聞こえる。

「やっぱり嘘だったんだな。さっき言ってた違和感がどうのって話は」

「まあね。あんなん嘘に決まってるじゃない。誤解されたくないから言っておくけど、私は内部

崩壊目当てでこんな事やったわけじゃないわよ」

「――じゃあ、何で」

「楽しそうだから。私の言葉に翻弄されて動く人を見るのって、結構面白いのよね。殺し合い

が起きるのを期待していなかった、と言えば嘘になるけど。でも、標的をあなたにしたのは私

のミスだったかも」

 

 一片の情も映していない歩美の視線と、目が合った。

 雅弘が知っている歩美とはあまりにも違う、目の前にいる少女の様子。

 自分以外の全てを嘲り、一つ上の場所から立って周囲を見下し、この世界そのものを偽っ

ているような、まるで詐欺師のようなその立ち振る舞い。

 恐らく、今の彼女の方が素の状態なのだろう。日常生活の中で自分が見ていた永倉歩美の

人物像は、全て演技だったというわけか。

 

「今までじっとしていたのも作戦のうちってわけか。信じられないことをする奴だな」

「そう? 鈴森くんは私と似ているから、こういうのを受け入れてくれると思っていたのに」

「似ているだって?」

「だって、鈴森くんも嘘つきなんでしょ? さっき自分で言っていたじゃない」

「…………」

 それについては、否定しなかった。

「私は人を騙すために嘘をつく。あなたは状況をごまかすために嘘をつく。目的や理由は違う

けれど、私たちは似ていると思わない?」

 

 理由――か。

 嘘をつく理由なんて考えたこともなかった。口先だけが自分の武器だったから、何で武器を

使うのかなんて理由、考えたこともなかった。

 自分と歩美が似ているのかと聞かれても、実際のところどうなのか分からない。自分は似て

いるとは思わないが、他人から見れば似ているのかもしれない。

 

 ただ雅弘は、歩美のように躊躇なく人の心を傷付ける度胸を持っていなかった。閃光手榴弾

を投げることはできても通常の手榴弾を投げることはできない。それと似たようなものだろう。

 非常に徹することが出来ないということがプログラムにおいてどう作用するのか。それを理解

できない雅弘ではなかった。

 それ故に彼は思う。もし自分と歩美が直接戦うことになれば、自分は負けるかもしれないと。

 直接戦うことがあるかどうか、分からないけれど。

 

「似ているかもしれないけど……俺はお前ほど歪んじゃいない」

 自然とポケットに手を入れ、その中にあるレミントン・デリンジャーを掴む。

 この場で彼女を殺そうと思えば簡単だ。手を抜き放って、デリンジャーを歩美の眉間に突き

つけ、引き金を引く。それだけで全てが終わる。彼女が原因で生まれた胸の中の不快感も、

全身を取り巻く不気味な空気も。

 

 やや荒くなった息を整え、改めて歩美を見やった。歩美は特にこれといった表情を浮かべる

ことなく立っていたが、ふと悟ったように微笑んで「じゃあ、私行くね」と言ってきた。

 

「私のこと、鈴森くんにバレちゃったし……これ以上ここにはいられそうにないから」

 歩美は雅弘に背を向け、ゆっくりと事務室へ向けて歩いていく。ここから出て行くという言葉

が本当なら、デイパックを取りに戻ったのだろう。

 

 ――いまなら、あいつを殺せる。俺が、あいつを……。

 

 遠ざかっていく無防備な背中を見つめる雅弘の心に、”殺す”という単語が何度も何度も浮

かび上がってきた。歩美の本性が明らかになったときとは違うタイプの不快感が、雅弘の全

身を包み込む。

 

 

 

 逡巡しているうちに歩美は事務室の中へと消えていった。そして一分と経たず、同じ扉から

姿を現す。歩美が出て行くということを本人の口から直接聞いたのか、槍崎隆宏と安川聡美

が歩美の後を追うようにして部屋から出てきた。

 

「ねえ歩美ちゃん、本当に出て行っちゃうの?」

「ええ……寂しいけど、千尋や順子のことが心配だから」

 会話から察するに、隆宏たちには友人である矢井田千尋(女子16番)と、辺見順子(女子

12番)を捜しに行くと説明したようだ。

「こんな急じゃなくていいだろ? もう少しここにいればいいじゃないか」

「ごめんなさい……槍崎くんの気持ちは嬉しいけど、私、やっぱり行かないといけないから」

「そっか……」

 

 隆宏と聡美が別れを惜しんでいる中、雅弘だけが事の真相に気付いている。

 歩美の表情、言葉、振る舞い方、その全てが演技なのだということに。

 彼女は、仲間意識を持ってここに留まっていたわけではなかった。

 状況を混乱させ、グループの輪が乱れるのを安全な場所から見ようとしていた。そしてあわ

よくば、内部崩壊が起きて死亡者が出ることを望んでいた。

 

 あの作り物の笑顔の下で、どれほどの嘘、悪意が渦巻いているのだろう。

 雅弘は、背筋が粟立つのを感じた。

 

 歩美はフロアの中にある窓の一つを開け、そこを飛び越えて建物の外へと出て行った。隆

宏と聡美に別れの言葉を告げ、続いて雅弘にも顔を向ける。

「また、会えるといいわね」

「……ああ」

 歩美は憎らしい微笑みを浮かべていた。全てを知った上で自分を嘲笑っている、表面は綺

麗なのにその下は毒々しい悪魔のような微笑み。

 

 ――『私たちは似ていると思わない?』

 

 先程の歩美の言葉が、再び脳裏に浮かんできた。

 あの時は即答できなかったが――今ならすぐにでも答えを返せる。

「俺とお前は似てなんかいないよ」

 名産品館から出て行き、草木が生い茂る会場の中へと進んでいく歩美の背中を見つめなが

ら、雅弘は誰にも聞こえないように呟いた。

 

【残り29人】

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