39 は交わされておらず、聞こえてきたとしても溜息かあくびの音だけだった。
鈴森雅弘(男子8番)はメインフロアの壁に背を預け、煙草の煙をゆっくりと吐き出した。いつ もならペースを考えず吸いたい時に吸うのだが、煙草の補給が出来ないプログラムではそうす るわけにもいかないので、もう我慢できないというところまできたら吸うようにしている。雅弘の クラスに喫煙者は数多くいるが、その中で煙草の消費量が最も多いのが雅弘だった。この年で 既にヘビースモーカーとなっている彼にとって、ペース配分を考えての喫煙は身を削られるよう な行為である。残量を気にしていたのではせっかくの煙草も美味く感じられない。かといって普 段のペースで吸っていたのでは、あっという間になくなってしまう。
結局のところ、多少のストレスは我慢してペースを考えながら吸うしかなかった。今吸っている 箱は残りがあと五本、予備として持ってきている一箱を合わせると二十五本。これでどこまで いけるか分からないが、頑張って持たせるしかないだろう。
指で挟んでいる煙草を弄びながら、レジカウンターの隣にある扉に目を移す。あの向こうは 事務室になっており、この建物にいる残りのメンバー、槍崎隆宏(男子16番)、永倉歩美(女子 10番)、安川聡美(女子17番)の三人が各々の時間を過ごしている。とは言っても特にやる事 がないので、四人を取り巻く状況はプログラム開始直後から何も変わっていない。隆宏と歩美 は不満を漏らしていなかったが、聡美は一向に好転しないこの状況に苛立ちを隠せないよう だった。 深く煙を吸い込んでから吐き出し、フィルター近くまで迫っていたそれを床に落として足で踏み 消す。
――これからどうしようか。そんな言葉が溜息と共に胸中で漏れた。 雅弘がこの場所を訪れたのは六時間以上前のことだった。真夜中の山にたった一人で放り 出され、行くアテもなく彷徨っているうちに自然とここに辿り着いた。人工的な建物が限られて いるプログラム会場の中で、ホテルや名産品館といった建物は目に付きやすい。四方が壁に 囲まれているため外よりは安心して休むことが出来るという利点もあってか、出発直後は数多 くの生徒が名産品館やホテルの別館を目指していた。結果として集まった生徒が小数なのは、 同じようなことを考えている奴が他にも大勢いるのでは、と危惧し、ここまで来る途中で引き返 した生徒たちがほとんどだったからだ。
雅弘がここに侵入したのは、クラスメイトのそうした心理を巧みに読み取った上での決断で ある。もし誰かがいたとしてもすぐに逃げ出すか、上手い具合に丸め込むつもりだった。ケンカ は弱くても、口ケンカでは誰にも負けたことがない。
傍らに置いたデイパックを開け、その中にしまい込んでいたレミントン・デリンジャーを取り出 す。全長わずか十二センチという小ささから、他の銃を遥かに凌駕する携帯性を持っている 中折れ上下二連式のデリンジャーだ。その小型さゆえ銃撃戦などには向かないが、人を殺す には充分な破壊力を持っていた。
これは、雅弘が持っている”本当の”支給武器だった。この場所を訪れたとき、雅弘はボディ チェックを受けている。その際に支給武器だと言って三人の前に出したのは封の切られていな い煙草だった。本当は雅弘の私物だったのだが、三人はそれほど疑うことなく、自分の言った 事を信じてくれた。
雅弘が支給武器を偽った理由は、グループ内での争いが起きるのを防ぐためだ。外をうろ ついているやる気になった生徒の存在はもちろん恐ろしいが、内部崩壊はそれと同じくらいの 危険性を秘めている。
今はこうして何事も無く時間が過ぎていっているが、いつどこで、ほんの些細なきっかけで殺 し合いが始まってもおかしくはない。いや――このまま時が流れれば、いつか必ずそういう事 態が訪れるだろう。生存者は一人だけというプログラムのルールが変わらない以上は。 また、雅弘は隆宏たち三人の支給武器が役に立たないものだということを早い段階から見 抜いていた。自分がここに侵入したとき、武器らしきものを手に身構えていたのは誰一人とし ていない。それは隆宏たちが戦闘に使える武器を持っていないということを現していた。
戦いに使える武器が無い――つまり殺し合いの起きる要素が少なくなっている状況下で、雅 弘の持っている武器が銃だと知れたとしたら。 裏切り、内部崩壊を企む誰かの手にデリンジャーが渡り、殺し合いが始まってもおかしくは ない。だから雅弘は、自分の武器が銃だということを隠していた。 それに、自らの手の内を堂々と明かすほど馬鹿ではない。こういう奥の手は常に隠し持って おくものだ。
プログラムに乗るか否か。プログラムが始まって半日が経過したが、雅弘は未だにそれを決 め兼ねていた。扉の向こうにいる三人は今のところ完全にやる気がないようだが、彼の心境は 微妙な所を行ったり来たりしている。 死にたくはないし、誰かに殺されてやるつもりもない。ただ、人を殺すとなるとそれはそれで 別問題だ。生きるために仕方のないこととはいえ人を殺してしまったら、その時の罪悪感など が一生付いて回ることになる。それが何よりも嫌だった。
それは幼い頃から心の中に掲げてきた、”暴力は振るわない”というつまらない信念からきて いるのかもしれない。 手の中にある小さな銃、レミントン・デリンジャーに目を落とす。無駄に豪華な金色の塗装が 施された銃が、右手の震えに同調して小刻みに震えていた。
「……くそっ」 雅弘は左手で右手を握り締め、強引に震えを抑えた。 ――人を殺すなんて事、本当に俺にできるのか? 怖い。雅弘は今しがたの震えを見てその思いを認めざるを得なかった。痛みでも寒気でも なく、心の底から湧き上がった恐怖によって震えている。ここは戸締りもしっかりしているし、 グループで行動しているから外の世界よりは安全なはずだ。それなのに、人を殺す、自分が 死ぬといったことを連想すると怖くて怖くてどうしようもなかった。
昔から暴力沙汰とか腕っ節で勝負する事は苦手だった。そういった戦いを避けるため、言葉 巧みに相手を騙したり、状況をごまかしたりするスキルを身につけた。「口だけだ」とか「根性 なし」とか陰口を叩かれていることも知っている。けれど今更自分の生き方を変えるつもりは ない。これは自分が見つけた、自分なりの戦い方なのだから。
ふいに、桐島潤(男子6番)と渡良瀬道流(男子18番)の事が頭に浮かんだ。 二人とも雅弘が親しくしている友人で、休日でも何度か一緒に遊んだことがある。特に潤は 雅弘と似ている部分が多いため、雅弘の幅広い交友関係の中でも最も仲良くしている友人だ った。
逆に道流は自分が出会ったことのない――それこそ正反対の立ち位置にいると言い表して もいいタイプの人間だった。彼は人を殴ること、暴力を振るうことに何の躊躇も見せない。初め て彼がケンカをしている現場を見たときは恐ろしさのあまり足がすくんで動かなかったものだ。 しかし道流の印象は決して悪いものではなかった。驚いたし怯えたのも事実だが、自分には ないものに対する強い憧れのようなものが芽生えていた。映画で見る、怪獣が豪快に暴れて いる様子を見て抱く爽快感。あれと同じようなものかもしれない。
後に黛真理(女子13番)が言っていたが、道流は人を傷付けたいから暴力を振るうのでは なく、むしろその逆なのだそうだ。つまり誰かを守りたいからという事になるが、それはちょっと 信じられない話だ。詳細を聞こうとしても真理はそれ以上話してくれないし、かといって道流に 直接聞けるはずもないので、真相は未だに闇の中となっている。
自分と似ている潤、全然似ていない道流。生きて帰るためには二人を犠牲にしなければいけ ない。彼らが死ぬ理由はなかった。けれど近いうちに彼らは死ぬかもしれない。プログラムに 選ばれたから。ただ運が悪かったという理由だけで。
考えれば考えるほど、こんなろくでもない法律を考えた奴への憎悪が湧き上がってきた。戦闘 実験という名目で子供を殺し合わせて何のメリットがある? 米帝とはこんな真似をしてまで倒 さなければいけない相手なのか? 口を大にして言いたかったが、この国にいる限り反政府的 な事だった。
深呼吸して震えを殺し、同時に心を落ち着かせる。いくら怖いと言ってもパニックに陥ってしま っては駄目だ。そう自分に言い聞かせると、少しだけ気力が戻ってきたような気がした。 「鈴森くん」 突然投げかけられた声に心臓が跳ね上がる。思わず「うおっ」と言ってしまいそうになった。 右手に握っていたレミントン・デリンジャーを慌ててポケットの中にしまい込む。 「何だ、永倉か。驚かせるなよ」 「別にそんなつもりはなかったんだけど……驚かせてしまったのなら謝るわ」 いつの間に事務室から出てきたのか、名産品館にいるメンバーの一人である永倉歩美が、 雅弘の前に立っていた。背が低くて細くて、叩けば簡単に折れてしまうような感じの少女。自分 もそうだが、彼女のような人間はどう考えてもプログラムに向いていない。いや、プログラムに 向き不向きがあったらそれはそれで嫌だけれど。
「で、俺に何か用?」 「用っていう程じゃないんだけど……話しておきたいことがあって」 「話しておきたいこと?」 まさか、愛の告白とかじゃないだろうな。そんな自分の考えをすぐさま否定した雅弘だったが、 有り得ない事だと知りつつもちょっと期待してしまっている。 「どうでもいい事と言えばどうでもいい事なんだけど、はっきりとさせておきたくて」 澄んだ黒い瞳の輝きが、しっかりと雅弘を捉える。自分よりも遥かに小さいはずなのに、歩美 の持つ空気がそのイメージを払拭させていた。 何だろう、何か変な感じがする。雅弘は目の前にいる歩美からいつもとは違う”何か”を感じ 取った。何かこう、隠れているものが滲み出ているような――そんな感じがした。
この直後、雅弘は自分の感じ取ったものが正しかったのだと知ることになる。
「鈴森くん、何か嘘付いているでしょ」 「え?」 「はっきりとは分からないけど、あなたは何かを隠している。真実を偽っている」 歩美の口の端がわずかに吊り上った。吸い込まれそうな黒い瞳が雅弘を直視していた。 ズボンのポケットに入っているデリンジャーが、ずしりと重くなったような気がした。
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