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 昔から、何かを壊すときにはそれに見合った道具を使ってきた。窓ガラスを壊すときは手頃

な大きさの石を、道端に置かれている看板などを壊すときは鉄パイプを使った。それが物体か

ら生物へと変わった時、使う道具の種類は飛躍的に増えた。ナイフなどの刃物を使い、それに

飽きたら鈍器を、時には素手で壊してみたりもした。高い所から落としたり、灯油で焼いてみた

こともあったけれど、”物を壊している”という実感がこの手に残らなかったので、完全な証拠

隠滅を図るとき以外は実行しなかった。

 

 琴乃宮涼音(女子4番)は生まれて初めて人を殺した。――否、彼女の判断基準から言えば

”壊した”と言うべきだろうか。初めて殺した相手は赤の他人ではなく、それなりによく知ってい

るクラスメイトだった。クラスメイトだった男の子は三回鉄の塊で殴っただけで死んでしまった。

野良猫は鉄アレイで三回殴っても生きていたことがあったのに、この少年は簡単に死んでしま

った。抵抗をしようともせず、黙って死を受け入れていった。そう思えるくらい、呆気ない死に様

だった。

 

 右手の中にあるモーニングスター。棘付きの鉄球から、ぽたりぽたりと血の雫が垂れていた。

自分が殺した相手の血と頭皮がこびり付いている。彼の頭は通算して三回殴ったが、回を増す

度に頭蓋骨が軋む音、感触がダイレクトに伝わってきた。威力は申し分ないが、見た目からも

分かるように結構な重量がある。ちょっと扱いづらいかなと思っていたが、実際に使ってみたら

割と好感触だった。銃ほどの威力と射程は無くとも相手を怯ませるには充分だし、何よりも攻撃

したときの感覚が手に残るのがいい。持ち運べない重さではないので、メインウェポンはこれに

してサブウェポンにナイフなど小回りの利く武器を選べば、モーニングスターの欠点でもある隙

の大きさは補えるだろう。

 

 

 

 周囲に人間の気配がないことを確認すると、涼音は次に自分がしたいと思っていたことをする

ことにした。

 

 したいと思っていたこと――自分が壊した物体の観察である。

 

 涼音を襲う衝動、その矛先は”破壊”という行為自体に向けられている。何でこんなことをする

のか、と聞かれたら「我慢できないから」と答えるしかない。こうしないと、自分自身が壊れてし

まいそうなのだ。

 

 彼女が何かを壊すのに目的は無い。破壊という”行為そのもの”が、彼女の禁断症状を治め

る唯一の方法だったのである。重要なのは目的ではなく、そこに辿り着くまでの過程にあった。

 そのため対象物を壊した後になると、涼音は途端に破壊という行為に対し興味をなくしてしま

う。と言ってもまたしばらくすれば衝動が込み上げてくるので、興味がなくなるのではなく鎮静化

する、と言った方がいいかもしれない。

 

 プログラムに巻き込まれる前ならば、涼音は自分が壊した物に何の感慨も抱かなかった。

破壊行動の後は決まって後悔の波と虚無感が襲ってくるが、それは自分自身が欲求に負けて

このような行動に手を出している事に対しての罪悪感であり、破壊した物に対しての申し訳なさ

などは全くと言っていいほど湧いてこなかった。少し前は野良猫や野良犬などの小動物を対象

として破壊していたが、命を奪った動物たちに対して「可哀想だな」と思ったことは一度も無い。

 

 それなのに今、涼音は壊し終えた後の残骸をじっくり観察しようとしている。彼女の身に訪れ

た欲求が今までのそれと同じものならば、破壊活動の後にこういうことはしないはずである。

涼音が魅了されているのは行為そのものであって、その結果生まれた残骸ではない。その点

を踏まえて考えると、これは今までの彼女からは考えられない行動だった。

 

 涼音は膝立ちの体勢になり、動かなくなってしまった篠崎健太郎(男子7番)の体に触れる。

手、足、腹部、胸……医師が触診をするように、その指先で健太郎の全身をくまなく触った。

まだ温かく、これから冷たくなる健太郎の身体。初めて触れた人間の死体は、自分よく知って

いる人間とさほど変わらない感触を返していた。

 

 ――もう少し待たないと駄目か。

 人は死ぬと体温を失い、冷たくなる。死後硬直が始まると身体が硬直する。知っていた事だ

が、やはりそうすぐには始まらないらしい。

 

 涼音は健太郎の死体に手を掛け、ひっくり返して仰向けにした。陥没、破壊された頭蓋から

その内容物が零れ落ちる。ああ、人間の脳みそってこんな感じになっているんだ、と客観的な

感想を抱いた。本で見たのよりも随分汚い。まあ、自分がぐしゃぐしゃにしてしまったのが原因

なのだけれど。

 

 仰向けにしたことで隠されていた健太郎の顔が明らかになった。瞼は半開きになっており、

光が失われた虚ろな瞳が覗いている。口や鼻からは血が流れ出ており、何本もの筋を作って

いた。左側面はモーニングスターによる打撃を受けたからか、損傷が酷い。

 

 涼音は健太郎の死に顔をじっくり眺めた後、白く細い指で健太郎が着ていた学校指定のワイ

シャツのボタンを外し始めた。日に焼けて艶々とした、いかにもスポーツ少年、といった感じの

健康的な体が現れた。涼音は先程と同じ手つきでその体を触り始める。女性のような柔らかさ

ではなく、筋肉の固い感触が指先に伝わってきた。涼音の交際相手である桐島潤(男子6番)

の体はもっと白くて、もっと細くて、もっと柔らかかった。潤は顔が女性っぽいし体つきも華奢だ

から、健太郎と比べて違いがあるのは当然かもしれないけれど。

 

 涼音は、ホテルを出発した時に出会った潤の顔を思い浮かべた。最初の出発者なのにも関

わらず、彼は最後に出てくる自分をずっと待っていてくれた。刀堂武人(男子10番)真神野

威(男子15番)といった危険人物をやり過ごし、自分に会うためにずっと待ち続けてくれていた

のだろう。

 

 本当は、彼に着いて行きたかった。

 潤と一緒にいたかった。潤の隣にいて、潤の姿を見て、潤の声を聞いて。

 当たり前だと思っていたことが当たり前でなくなってしまった今、涼音は身を引き裂かれる思

いだった。

 

 何よりも大切な人が側にいない。それだけの事が、こんなにも辛いなんて。

 

 涼音は制服の上から胸を握り締め、自分の中にある異常性を恨んだ。”これ”があるせいで

好きな人と一緒にいることもできない。心の底から笑い合うこともできない。いつばれるかもしれ

ないという不安を抱えながら、見えない恐怖に怯えて過ごす日々。

 

 自分の気持ちなんて誰にも分かってもらえない。潤も、村崎薫(女子15番)も、双子の姉であ

る赤音だってきっと、自分の異常性を知ったら気味悪がり、避けようとするだろう。

 何かを壊すことで快楽を覚える女。その対象は物から小動物へ、小動物からついには人間

へと変わった。そんな奴と関わりを持とうとする人間なんているはずがない。殺人を許容して

いる国がどこにある? 殺人犯相手に友好関係を築こうとする人間がどこにいる? そんな国

があったり、そんな人間が大勢いたりしたら今頃世界は大パニックだ。

 どんなに固く結ばれた絆だって、理解できない異常性の前では簡単に解けてしまう。

 

 涼音が潤に会えない理由もそれだった。彼と行動を共にしていればそのうち衝動が襲ってき

て、自分自身を抑えきれなくなる。そうなれば破壊の矛先は身近にいる人物、潤へと向けられ

るだろう。そうなってしまったら、自分は――。

 

 涼音はそこで考えるのを止めた。仮想のこととはいえ、思い描くにはあまりにも辛い事だ。

「もう嫌だ……こんなの、もう……」

 涼音の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。彼女は破壊活動後に決まって己の行動を悔い、

自分自身を罵る。欲求に負け、その手を血で染めてしまった自分自身を卑下することで、彼女

は何とか平静を保っていた。どちらかと言えば、このときの言葉が涼音の本音なのだろう。

 

 もう嫌だと思っていても、次がくればまた人を壊すことになる。その次がいつなのかは涼音に

も分からない。ただ最近は間隔がどんどん狭まってきているから、そう遠い話ではないだろう。

 微妙なバランスで保たれている涼音の心。それは静かに、だが確実に傾き始めていた。

 

【残り29人】

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