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 真夏の空気は暑く、日差しは眩しかった。太陽がギラギラと照りつけており、草葉は青々

と茂っている。時折吹く風がそれらを揺らし、わずかながら清涼感を感じさせる音を周りに

いる生き物に届けていた。

 

 生暖かい風が吹き、篠崎健太郎(男子7番)が着ているワイシャツを揺らした。裾がめくれ

て、鍛え上げられた肉体が顔を覗かせた。部活をやっている他の男子生徒と比べると良く

分かる、ちゃんと作り上げられた筋肉だった。

 

 健太郎は額に浮かぶ汗を片手で拭き、小さく息をつく。校内の部活動でも一、二を争う練

習量をこなしている野球部に二年以上在籍していたため、並大抵の暑さでは弱音を吐い

たりしない。それでも疲れを感じているのはこれがプログラムだからなのだろうか。野球の

試合で負けてもまだ次があった。悔しさに打ちひしがれ、もっと練習を積んで今度は絶対に

に勝ってやろうと心に誓っていた。

 けれどプログラムは違う。野球の試合と違い、一度負けたら挫折も後悔も無い。あるの

は『死』という覆しようのない結果だけだ。

 

 

 

 正午の放送の前に出会った鏑木大悟(男子5番)と別れ、もうすぐ一時間が経とうとしてい

る。プログラムが始まってから初めて遭遇したクラスメイトだったので、彼がやる気になって

いるのではないかと勘繰り、敵意を剥き出しにして接してしまった。疑心暗鬼が先走ってい

えも言われぬ恐怖感と不信感だけが募っていたため、彼に対してあのような態度を取って

しまった事は申し訳なかったと思っている。冷静さを取り戻し、事態を客観的に見られるよ

うになった今、そんなことを考えても何を今更、ということにしかならないが。

 

 今では間違ったことをやってしまったという後悔の念が、健太郎の頭に少なからず残って

いる。いくら相手が信用できないといっても、あれでは大悟の不信感を煽っているようなも

のだ。大悟は戦えるような武器を持っていなかったから良かったものの、そうでない別の誰

かの場合であれば、相手が警戒してこちらに銃を向けてもおかしくはない。そうなったらこ

の状況下だ、いつ発砲されてもおかしくはないだろう。

 

 とにかく、初対面の相手にはもっと柔らかい態度で接したほうがいいな、と健太郎は自分

自身に言い聞かせた。戦える武器があるのならまだしも、健太郎に支給された武器は消

臭スプレーだった。これだったら大悟が持っていたフライパンのほうがまだマシに見える。

 クラスメイトを完全に信用しているわけではないが、健太郎にはプログラムの中でどうして

も会っておきたい人物がいた。同じ野球部に所属している高槻彰吾(男子9番)本庄猛

(男子14番)の二人だ。

 

 彼らを自分ひとりの力で捜し出すことは可能かもしれないが、それでは酷く非効率的だ。

なるべく早い段階で彼らを見つけるためには、やはり他のクラスメイトと接触し、その相手

から捜している人物の情報を得る必要があった。その相手が信用できるできないに関わら

ず、情報を聞き出すことは健太郎にとって最も優先すべきことだ。もちろん健太郎自身の

命も、最も優先するべきものの一つとして数えられている。

 

 健太郎は基本的にクラスメイトのことを信用していない。もちろんそれはプログラムの中

でのことで、普段の学校生活においての事ではないが。

 信用していない――というよりも、信じることができなかった。目が覚めてどこだか分から

ない体育館にいて、突然これからプログラムを始めると言われて山の中に放り出されてて、

何をしていいのか、何をすればいいのか分からないうちに辿り着いた川のほとりで蹲って

いた時までは、まだクラスメイトを信じることができた。あの時に誰か他の奴に出会っていれ

ば、恐怖や不安を紛らわすために一緒に行動していたかもしれない。

 

 しかし定時放送の度に読み上げられる死者の名前を聞き、健太郎は悟った。他人を信

じちゃダメだ。他人を信じた奴、心に隙ができた奴から死んでいくのだと。目の前に現れた

奴は全員敵だと思え。それがここで生き残るための鉄則であり、唯一の真理なのだと。

 

 プログラムというシステムのルールから考えれば、健太郎の考えは限りなく正解に近い

ものだと言える。優勝者が一名と限定されている以上、周りにいる人間は自分の命を脅か

す敵であり、排除しなくてはいけない獲物なのだ。

 そう、プログラムで他人を信じるとろくな目に遭わない。生きて帰れる人間が一人しかい

ない限り、仲間意識を持っていても必ずどこかで仲間割れが起きるに決まっている。

 

 それなのにあいつは、鏑木大悟はなぜ宴町春香を助けようとしていたのだろう。あそこで

彼女を助けても、大悟か春香か――あるいは両方が死んでしまうのだから、助けたところ

で何の意味もないというのに。

 本当に生きて帰りたいのなら春香を放っておくか、とどめを刺しておくかのどちらかだろ

う。助けようという選択肢は普通、浮かんでこないと思うのだが。

 

 ――あいつのことだから”見捨てておくことができなかった”ってとこだろうけど……中途

半端な正義感や道徳心は、自分の身を滅ぼすだけだぜ、鏑木。

 

 優しさは時として弱さになる。誰かのために、と思ってしたことが、災い、哀しみへと姿を

変え、自分の元に返ってくる。健太郎はそういうことも起こり得るんだと分かっていた。

 

 

 ――『俺、もうどうしたらいいのか分かんないよ。三年最後の試合だぜ? ここにきて何

でレギュラー外されなきゃいけねえんだよ』

 

 

 涙ながらに口にした、三年間苦楽を共にした友人の言葉。

 健太郎は固く拳を握り締める。

 そんなつもりはなかった、というのは言い訳だろうか。

 日増しに嫉妬の念が強くなっていく彼に本当のことが言えなかったのは自分の弱さに他

ならない。

 

 ――あいつら、まだ生きているんだろうな。

 木々の間を縫い、数々の雑草が自然の姿そのままに生えた地面を踏みしめながら、こ

の会場のどこかにいるであろう友人二人の安否を気遣う。基本的に他人のことは信用しな

いようにしている健太郎だが、彰吾と猛の二人には強い信頼を置いていた。三年間同じ部

活に所属し、なおかつピッチャーとキャッチャーという関係である三人の間には強い信頼

関係と絆があった。

 

 

 

 その信頼関係と絆にヒビが生じたのは、三年生に進級したばかりの頃。部活中に監督の

口からレギュラーメンバーが発表された直後から、上手く噛み合っていた三人の歯車は狂

い始めた。

 きっかけは些細な事だった。二年生の冬、体育館で室内練習のメニューを終えた後、猛

の投球練習に付き合っていた。猛と彰吾は共にピッチャーのポジションに就いており、お互

いに競い合っている良きライバルのような関係だった。それでも二年生に始め頃から彰吾

がメキメキと頭角を現し始め、今では三年生を抑えてエースピッチャーの座に就いている。

猛はそれがよほど悔しかったのか、練習が終わった後にこうして自主的なトレーニングを

重ねている。健太郎もそんな猛の熱意に好意を抱き、自らの時間を割いて彼のトレーニン

グの手伝いをしていた。

 

 その時健太郎は、かねてから気になっていた猛の投球フォームの癖を指摘した。言って

も言わなくても変わらないようなわずかな癖だったのだが、悪い部分は少しでも改善してお

いたほうがいいだろう、という思いから出た言動だった。

 それは本当に些細なことで、それ言った健太郎もアドバイスを受けた猛も、何も特別な事

だとは思っていなかった。

 

 友のために、と思ってした行動が――結果的に、三人の友情をヒビ割れたものにする。

 

 今年の春ー―三年生に進級した直後の部活で発表されたレギュラーメンバー。

 そこに彰吾の名前は無く、健太郎に指摘された癖を治し、努力を積み重ねて自分の武器

を飛躍的に向上させた猛の名前が、彰吾の代わりにあった。

 念願のレギュラーになれた猛の喜びようは相当なものだったが、健太郎は素直に喜んで

やることができなかった。

 

 愕然とし、悔しさと憎しみが混じり合った表情を浮かべて立ち尽くしている彰吾の姿が痛

々しく、直視することも声をかけてやることもできなかった。

 

 ――『俺、もうどうしたらいいのか分かんないよ。三年最後の試合だぜ? ここにきて何

でレギュラー外されなきゃいけねえんだよ』

 

 プログラムに選ばれる前、夏の大会におけるレギュラーメンバーが発表された時も、その

中に彰吾の名前は無かった。

 部活が終わった後、夕闇が暗闇へと変わっていく中で彰吾が口にした言葉が、心の中に

強く刻み込まれていた。

 彰吾が猛に対して向ける視線の中に、今までのものとは別に強い負の感情が込められ

始めたのは、それからだった。

 

 

 

 彰吾は猛に強い恨みと嫉妬を抱いている。健太郎の知る限り彰吾は誰にも――自分に

も不満を口にしてこなかったが、健太郎はそう確信していた。

 もし……彰吾がプログラムの中で猛に出会ったら、どうするだろうか? これまでに何度

となく考えてきたが、弾き出される答えはいつも同じものだった。

 

 きっと彰吾は、猛を殺そうとする。猛を殺して、クラスメイトを殺して……何事も無く、また

あの日常の世界へと戻っていくのだろう。そうすれば空白の座となっているレギュラーピッ

チャーを取り戻すことが出来る。彼はそれを熱望しているはずだ。何故ならば彼もまた、

並々ならぬ努力を積み重ね、二年生にしてレギュラーピッチャーを任されるまでになった

のだから。

 

 他のクラスメイトがこれを知ったら『何だ、そんなこと』と思うかもしれない。しかし彰吾に

とってはそれが全だった。彼がどれほど野球を好いているのか、どれほどひたむきに練習

に取り組んできたのか。何も知らない他の奴らには分からないかもしれないけれど、健太

郎にはそれが分かっていた。彰吾はクラスメイトであり、チームメイトである前に一人の友

達なのだから。

 

 そして健太郎は猛の想い、行動も知っている。だからこそはっきりとした答えを出すこと

が出来ず、今もなお悩み続けていた。二人はどちらも悪くない。悪くないからこそ、どうす

ればいいのか分からなかった。

 

 いろいろと考えた末、健太郎は二人を捜すことにした。彰吾に会ってやる気になっている

かどうかを問い、それがYesであってもNoであっても真実を話す。猛に会って、彰吾が抱い

ている悩み、苦しみなどを彼に打ち明ける。どちらにしても――このままの状態であの二人

を会わせるわけにはいかなかった。彰吾が猛に会ったら間違いなく猛を殺そうとする。そう

言い切れる確証は何もないが、何となく健太郎には分かるのだ。彼の考えていそうな事、

やりそうな事などが。それに自分が彼の立場であっても、猛を殺して、ここから生きて帰ろ

うとするだろうから。

 

 

 

 周りに立ち並ぶ木の数が増え、視界を占める緑の割合が多くなる。地面はしっかりとした

土から、柔らかい腐葉土で構成された地面へと変わっていた。大悟と別れた橋からの進行

方向から察するに、恐らくこの辺りはE〜Gの01エリアだろう。確かG−02エリアが禁止

エリアになっていたはずだ。エリアごとの境界線が分からない以上、大事になる前に引き

返したほうがいいかもしれない。

 

 そう思って足を止め、地図を広げた瞬間、健太郎の後頭部にかつてない衝撃が走った。

ゴッ、という鈍い音と、鋭い何かが突き刺さる感覚。頭全体が揺さぶられ、突然やってきた

衝撃に健太郎は前のめりに倒れた。

 

「ぐっ……」

 頭が揺れる。視界が揺れる。立ち上がろうと全身に力を入れるが、手足がガクガクと震

えて思うように動かない。

 首筋に、何か生暖かいものが触れた。そこに手を当ててみると、べっとりとした感触が指

先を包み込む。手の平を覆いつくすほどの血が、そこに付着していた。本来ならば考えら

れない程の量。

 それでも健太郎は何とか身体を起して、衝撃の発信源である後方を振り返った。

 

 ――見えたのは、青。

 

 大空のように鮮やかで、海原のように雄大な青。

 雑木林に吹く風になびかれる、青く染まった髪が。

 

 その存在を強く誇示するように立つ、琴乃宮涼音(女子4番)

 

 彼女の手には変わった武器が握られていた。無数の棘が生えた鉄球が鎖で柄と繋がっ

ている。それはモーニングスター、またはフレイルという名で呼ばれている撲殺専用の武器

だった。鉄の塊が遠心力を持って襲ってきたらどれほどの威力になるのか、それは説明せ

ずとも想像がつくだろう。

 

「琴乃宮、お前……」

 言った直後、第二撃が健太郎を襲った。テニスラケットのように振り抜かれたモーニング

スターは遮られることなく彼の側頭部に直撃する。頭蓋が破壊され、先程よりも数倍生々し

い音が健太郎の耳に届いた。

 身体を支えていられることができず、彼は再び前のめりに倒れる。視界が歪むどころの

話ではない。意識を保っているだけで限界だった。もう立ち上がれそうもない。声を発する

のすら億劫だ。

 

 健太郎は自分の身体に訪れる死を確信した。初撃が手か足に当たっていたら話は別だ

ったかもしれない。だが頭に受けてしまった。あれほどの質量、あれほどの威力を持つ武器

を二回も頭に。今こうして思考を働かせていられること事態が奇跡だった。

 

 ――俺は、死ぬのか。

 

 この時彼の心を占拠したのは加害者である涼音のことでもなく、間もなく訪れる死への恐

怖でもなかった。今この瞬間も、会場のどこかで生きているであろう彰吾と猛の事だった。

 

 ――言わないと……あいつらに、あの時のことを……原因を作ったのは俺なんだって、

憎み合う必要なんか無いんだって、あいつらに言わないと……!

 

 それのみを考えて、健太郎は身体を――いや、口を動かそうとしていた。身体が動く望み

はないと知った今、彼は自分を殺そうとしている涼音に自分の想いを伝えようとしていた。

 健太郎と、彰吾と、猛。三人の友情を歪ませてしまった原因を作ったのは自分なのだとい

うことを彰吾と猛に伝えてほしかった。健太郎は、三年間仲良くやってきた二人が憎しみ胸

に殺し合う姿を見たくはなかった。ただそれだけだった。

 

 闇に落ちていく健太郎の意識。彼の視界が最後に捉えたのは、ぼやけていく景色の中で

そこだけはっきりと映っている、涼音の青い髪だった。

 それを見た健太郎は、場違いにも「綺麗だな」と思ってしまった。暗く、そして霞んでいく世

界の中で、涼音だけが鮮やかだった。

 

 それに見惚れてしまい……健太郎は言葉を紡ぐことを忘れてしまっていた。そして気付い

た時にはもう遅かった。彼の身体はもはや声を出すことすらできない状態になっていた。

 

 ――彰吾、猛、ゴメン。俺、お前らに……。

 

 三度振り下ろされた鉄球により、健太郎の意識は頭部もろとも粉々に砕け散った。

 

 男子7番 篠崎健太郎  死亡

【残り29人】

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