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 来た道を戻り、雑木林の中へと消えていく篠崎健太郎(男子7番)の背中を見送ると、

鏑木大悟(男子5番)は川原の斜面を駆け下りて宴町春香(女子2番)が横になってい

る場所へ歩いていった。川原に掛かっている橋のちょうど真下に位置しているその場

所は他人の目につきにくく、じわじわと体力を奪っていく真夏の日差しから自分たちを

守ってくれていた。いつまでも留まっているわけにはいかないが、しばらくの間休憩する

のであれば申し分ない場所だった。

 

 橋の真下まで来ると、着ていたワイシャツのボタンを全て外してどかりと腰を下ろす。

ワイシャツの下に着ていた赤いTシャツは汗を吸い込んでやや湿っていた。いっその

ことTシャツを脱いでしまおうかとも思ったが、ワイシャツだけになると汗をかいた際に

より不快感が増してしまう。それを考えると、汗を吸い込んでいるとはいえTシャツを着

ていたほうが快適だと言えるだろう。

 

 ペットボトルに入っているミネラルウォーターを飲みながら、名簿と地図を開いて先程

流れてきた放送の内容を確認する。午前六時から正午にかけての死亡者は逆瀬川

明菜(女子7番)御剣葉子(女子14番)の二名だった。葉子はすぐ上に掛かっている

橋の上で、明菜はここを南下してすぐの場所にある野球場近くの林の中で、それぞれ

変わり果てた姿になっていた。その彼女たちの姿を、大悟はこの目で確認している。

 

 そして午後一時からE−09、午後三時からI−07、午後五時からA−04が新たに

禁止エリアとして指定された。大悟たちがいるD−03エリアに影響がある場所ではな

いので、少なくとも六時間後の放送まではここに潜伏していることができる。

 

 ――『村崎なら、ちょっと前に見た』

 

 放送が流れる直前、別れる間際に健太郎が口にした言葉が脳内で再生された。

 大悟にとって大切な友人である村崎薫(女子15番)を、沖田剛(男子3番)の死体の

近くで見かけたという目撃情報。待ち望んでいた友人の手がかりは大悟を喜ばせるど

ころか、逆に深い苦悩を植えつけることになってしまった。

 剛は午前六時の放送で名前を読み上げられている。彼を殺したのは薫なのではな

いか。答えの出ない、根拠のない疑惑が頭にこびり付いて離れなかった。

 

 大悟が認識している村崎薫という少女は、テンションに任せてハメを外す事こそ多い

ものの進んで誰かを傷付けるような真似をする人物ではない。それは二年生に進級し

た際に行われたクラス替えで一緒のクラスになってから、プログラムに選ばれるまでの

一年半の学校生活の中で築かれたものだった。

 

 

 

 大悟が薫のことを初めて知ったのは、一昨年の六月下旬に行われた球技大会での

ことだった。当時はまだ一年生だったが、小学校からバスケット一筋でやってきた大悟

のバスケットセンスは他の生徒を圧倒していた。同期のバスケット部部員でも大悟と

肩を並べられる人物はいなかったし、その上基礎がしっかりしているため、レギュラー

選手を相手にしても対等に渡り合えることができた。その大悟がいるクラスは順当に

トーナメントを勝ち進み、ついには準決勝まで昇りつめていた。

 

 準決勝の相手は自分たちと同じ一年生のクラスだった。その中で一際目立っていた

のが、他の選手よりも一回りくらい小さい女子生徒だった。静海中学の球技大会は男

女混合でも一向に構わないので、相手チームの性別が統一されていないのは珍しくな

い。男子生徒四人の中で一人だけ女子生徒が混じっていることよりも、「なんかうるせ

え奴がいるなあ」というのが、大悟の薫に対する第一印象だった。

 

 ゲーム開始直前まではそれほど苦戦することもないだろうと思っていたが、開始から

五分も経てば自分が相手をナメきっていて、いかに甘い考えをしていたかということを

思い知らされることになった。

 球技大会のルールでは試合時間が十分と設定されている。それ以外は正規のルール

と同じだった。ただ、バスケット素人やルールを知らない生徒も大勢も混じっているので

あまり複雑なファウルは取らないようにしている。

 

 試合時間の半分が過ぎたところでのスコアは14−10と、大悟たちのチームが四点

ビハインド。バスケ部の有力新人部員として知られている大悟。その彼を擁するチーム

が押されている状況に、ゲームの様子を見ているの観客たちも驚きを隠せないようだ

った。

 

 ボールを持った薫が素人とは思えない鋭いドリブルで大悟のクラスメイトを抜き去って

いく。大悟はそうはさせまいと腰を低く落とし、べったりとへばりつくようなディフェンスを

した。それを見た薫は一旦足を止め、どこか突破できるところはないかと相手の隙を

探る。

 

「へっ、そう簡単に抜かせるかよ」

 そう口にした瞬間、薫の両足に力が入ったのが分かった。同時に彼女の上半身も

フワッ、と浮かび上がる。

 ――シュートか!

 大悟の反応は早かった。薫が放とうとするシュートを叩き落すため、彼女の動作とほ

ぼ変わらぬ速さで自らも足に力をいれ、ジャンプをする。

 が、その動きはフェイクだった。

 

「甘いっ!」

 その試合を見ている誰もがシュートを打つだろうと思った次の瞬間、薫は無理矢理重

心を下げて大悟を抜き去っていった。フリーになった薫が今度こそシュート体勢に入る。

しかしそれでも大悟は諦めようとしなかった。

「させっかよ!」

 瞬時に薫の前に回り込んで、彼女が放ったばかりのボールを叩き落した。ボールを

弾いた際に生じた音がコート上に響き、勢い良く落とされたボールはフリースローライン

を超えてセンターラインまで転がっていく。

 

「誰でもいい、誰かボールを拾ってくれ!」

 コートの中に大悟の指示が飛んだ。チームの司令塔でありエースでもある大悟の指示

を受けたクラスメイトは一斉にボールに飛びつく。それに対応し、薫がいるチームの面々

もルーズボールを拾うため全力で駆け寄っていった。ここでボールを取ればカウンター

の形になって得点のチャンスが生まれる。大悟たちにとって逃すことのできない大事な

状況だった。

 

 ルーズボールを拾ったのは大悟のチームメイトだった。間一髪のところでボールを掴

み取った彼はそのまま相手チームのゴール目掛けてドリブルを開始したが、三歩目を

踏み出した直後に横から伸ばされた手によってボールを奪われてしまった。

 

「へへ、もーらいっ」

 ボールを奪ったのは薫だった。つい先程までゴール下にいたのに、もうあんな所まで

走っている。一瞬で距離を詰めることができる瞬発力、あれだけ動き回っているのに

息切れどころか全く衰えを見せない体力。脅威の身体能力を見せる薫に、大悟はだん

だん焦りを感じ始めてきた。

 薫がボールを奪ったことで攻守が切り替わる。薫は今までと同じく電光石火のドリブル

でディフェンスを抜き去り、大悟たちのゴールに襲いかかろうとしていた。

 

「くっらえー!」

 薫は大きく振りかぶると、フリースローライン付近から思いっきりボールを放った。ボー

ルは一直線にゴール目掛けて飛んでいく。

 やぶれかぶれのシュートか? そう思った大悟だったが、彼は次の瞬間信じられない

ものを見てしまった。

 薫の放ったボールを追いかけるようにコートを走る一人の少年。彼は助走の勢いその

ままにジャンプすると、飛んできたボールを掴んで直接リングに叩き込んだ。

 

「な――アリウープだと!?」

 ゲームの様子を見ていた全員が信じられないものを見た、という面持ちをしていた。

アリウープなどそうそう見れるものではない。ましてそれが中学校での球技大会であれ

ばなおさらだ。

 観客はどよめき、次第に薫のチームを応援する声が目立つようになる。点差は更に

開き、残り時間はあとわずか。大悟たちは追い詰められてしまった。

 

 

 

「――くそっ、まだだ!」

 大悟は素早くボールを拾い上げ、コートを走っているクラスメイトにパスをした。相手

のディフェンスが整っていないうちにカウンターを仕掛けるつもりだったが、またしても

大悟が予想していなかったことが起きる。

 

 大悟の手から放たれてクラスメイトの元に一直線に飛んでいったボールは、大悟の

クラスメイトに渡る直前でパスカットをされ、相手チームに奪われてしまった。パスカット

をした男子生徒は、先程薫のボールを受けてアリウープをした生徒だ。彼はそのまま

ゴールリングに向かっていったが、その前に大悟が立ち塞がった。ファウルギリギリの

オフェンスで相手にぶつかっていくが、そう簡単に相手を崩すことはできない。

 

「そのボールもらったぁー!」

 一歩も引かない戦いを繰り広げていた二人の間に薫が割って入ってきた。進行方向

を阻まれた大悟は一瞬気を緩めてしまう。相手はその隙を見逃さず、身体を独楽のよ

うに旋回させて鋭いバックパスを放った。モーションが早く先を見ていない相手の行動

に大悟はパスミスかとも思ったが、ボールの進行上にはいつの間にか薫が回り込んで

いた。驚くべき運動神経である。

 

 技術や経験ではこちらが勝っているが、薫にはそれを補って余りある運動神経があ

る。今から走って間に合うか分からないが、何もしないわけにはいかなかった。

「いっくぞー、薫ちゃんシュート!」

 薫は決め台詞(?)と同時に強引なドリブルで大悟のチームのディフェンスを突破し、

そのままレイアップシュートに持ち込んでいく。先程とは違い、彼女の足は完全に地面

から離れていた。

 

「やらせるか!」

 さすがはバスケ部と言うべきか、大悟は自分の限界の動きで薫の前に回り込み、彼

女とほぼ同時に跳躍する。上背ではこちらが上回っている。シュートコースは完全に塞

いだ。そう確信した。

 

 だが、しかし。

 

「――なーんつって♪」

 ボールを頭上に掲げていた薫が、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

 次の瞬間、薫はボールをぽいっ、と軽く後ろに放り投げる。そしてそこには、先程大悟

のパスを遮った少年の姿が。

 

「なっ――」

 ボールをキャッチした少年はフリーでシュートを打った。薫のシュートコースを塞ぐた

めに全力を注いでいた大悟は、ボールが描く綺麗な放物線を見ていることしかできな

かった。

 

 パサッ、という軽い摩擦音が響き、ボールはリングの中を通過した。

 善戦こそしたものの、結局最後まで大悟のチームが薫のチームを点数でリードする

ことはできなかった。

 自らが得意とするバスケットで完敗したその日。大悟の心に村崎薫という少女の名前

が刻み込まれた瞬間であった。

 

 

 

 

 球技大会の後、大悟は薫に駆け寄って「バスケ部に入らないか?」と勧誘をした。持

ち前の運動神経だけであれだけ動けるのならば、ちゃんとした指導を受けて技術を磨

けば凄い選手になる。期待に胸を膨らませていた大悟だったが、彼女から返ってきた

返事はNOだった。球技大会中の試合で薫のチームメイトであった春日井洸(男子4番)

を勧誘することは成功したが、結局薫は最後の最後まで首を縦に振らなかった。

 

 試合に負けこそはしたものの、あれは大悟にとってとても大切な思い出だった。自分

が井の中の蛙だったことを思い知らされたし、薫と洸という友人ができた。今の自分が

あるのは、あの時の試合があったからこそだ。

 

 だから二年生になって薫と洸の二人と同じクラスになれたことは声を上げてしまうほ

ど嬉しかったし、薫たちを通じて渡良瀬道流(男子18番)琴乃宮涼音(女子4番)など、

本来なら自分が関わることはない人物たちと知り合うこともできた。薫と知り合う事がな

かったら、ここまで充実した学校生活を送ることはできなかっただろう。

 

 プログラムという最悪の状況に置かれても、彼女は彼女のままだと思っていた。馬鹿

みたいに元気で、笑顔を振り撒いていて、大悟たちを――いや、クラス全体を明るい

雰囲気にしてくれた、太陽のような少女。

 

 ――何心配してんだよ。あいつが人を殺せる奴じゃねえってことは、俺がよく知ってい

るはずじゃねえか。

 健太郎の言葉により崩落の速さを増す『信頼』という砦の中で、薫は何があっても折れ

ることはない柱だった。

 

 大悟はクラスメイトの全てを知っているわけではない。学校という環境の中で共に生活

をしているだけであって、相手の本心、考えていることなどは全く分からなかった。裏切

られる可能性を考慮すれば、誰でも彼でも仲間にすればいいというわけではないのだ、

プログラムというやつは。

 それでも大悟は信じている。薫は何も変わってなどいないと。逃れようのない絶望的

な現実を前にしても心を折られることなく、自分が決めた事を成し遂げようとしているは

ずだ、と。

 

 それは大悟だけではなく、いつも一緒に行動している涼音、道流、恭子、真理、雅弘、

潤、洸ならば、誰もが自分と同じ事を考えているはずだ。

 薫が争いを止めるため、危機に瀕している人を助けるために行動しているのであれ

ば、自分も薫に負けないような――彼女に恥ずかしくないような行動を取らなければ。

 

 偽善だとか自己満足だとか言われるかもしれないが、それでも構わなかった。今自分

が一番やりたいことはそれなのだから。やりたい事をやらず、悔いを残したたま死ぬな

んてできない。それにそんなことをしていたら、薫たちに合わせる顔がなかった。

 

 

 

 大悟は動揺していた気持ちを落ち着かせると、デイパックの中から水と食料を取り出

して食事を取り始めた。いつ休むことができるか分からないプログラム。食事と休憩は

できるうちにしておいたほうがいい。

 ゆらゆらと揺らめく水面を見つめながら、大悟は薫と同様、このプログラムで会ってお

きたい人物の一人――春日井洸のことを考えた。

 

 薫と同じく、一年生のときの球技大会で知り合った洸。彼は今何をしているだろう。彼

は薫と違って自分の感情をあまり表に出さない。頭脳明晰、運動神経抜群の彼が横に

いてくれれば、これ以上なく頼りになるはずだ。

 今更ながらに後悔してしまう。やはりあの時――明菜の追跡から逃れた後、多少の

危険を冒してでもスタート地点のホテルに戻った方がよかっただろうか。そうすれば洸や

涼音と合流することができたし、涼音を待つといっていた潤と再び出会うことも可能だっ

たはずだ。過去を悔やんでも何も生まれはしないが、それでもやはり、あの時ああして

いれば、という事を考えずにいられなかった。

 

「ん――――」

 その時、横で気絶している春香の呻き声が聞こえてきた。もしかしたら目を覚まそうと

しているのかもしれない。

 ――突然襲ってきたりはしない……よな?

 少しだけ不安になる大悟。彼の心配をよそに、宴町春香はゆっくりと瞼を開き始めた。

 

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