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 地面に横たわっている宴町春香を発見した鏑木大悟はすぐさま彼女のもとに駆け寄った。

騙まし討ちをするために気絶している”ふり”をしているだけかもしれなが、そんなことを考え

るよりも早く、彼の体は行動に移っていた。

 

 足元にいる小柄な少女を抱え上げ、上半身だけを起こして脈を計る。手首に当てた指から

正常な脈動が伝わってきた。とりあえず死んではいないらしい。ひょっとしたら、明菜を殺害し

たのは春香なのではないかという考えが頭を過ぎったが、その心配はないようだった。

 春香が着ている白いワイシャツには、どこにも血の跡がついていない。明菜の死体は激しく

痛めつけられていた。もし彼女が明菜を殺した犯人なのであれば、衣服に血痕が付着してい

るはずである。しかし春香の衣服には、それが見られなかった。

 

 春香の手元には、自分が持っているものと同じ形、同じ色をしたデイパックがあった。大悟

はそれを掴み取り、ジッパーを引いて中に入っているものを確認する。食料、水の入ったペ

ットボトル、会場の地図、そしてなぜかアイロンが入っていた。見つけたときは呆気に取られ

た大悟だったが、すぐにそれが春香に支給された武器なのだということに気付いた。自分も

デイパックの中からフライパンが出てきたときはびっくりしたが、そのときと同じ驚きをもう一

度味合うことになるとは。

 

 プログラムに参加させたうえ、こんな役に立たないものを渡して殺し合いを強要させた政府

に激しい苛立ちを覚えたが、今はそんなことを考えている場合ではない。今するべきことは、

気絶している春香をどうするかだ。あいつらの悪口を叩くのはその後でいい。

 春香を連れて行くか、このままここに置いて行くか。多少の逡巡こそあったものの、大悟の

中でその答えが出されるのは早かった。

 

 

 

 大悟は自分と春香のデイパックを左肩から提げ、彼女を近くの木に寄りかからせてから背

中に担いだ。意識を失っている人間を担ぐのは初めてのことだったので少し時間がかかった

が、担いでしまってからはそんな苦でもなかった。

 とはいえ、大悟の身体に掛かる負担が全くないというわけではない。いくら春香が小柄だと

いっても人間一人を背負っているのだ、疲れないほうがどうかしている。

 

 春香を担いだ大悟は他の誰かに見つからないよう、遮蔽物の多い雑木林の中を北に向け

て進んでいった。ようするに来た道を戻っていることになる。近くにある場所で春香を休ませ

ることができる所はないかと考えた末、浮かんできたのは御剣葉子の死体が置かれている

橋のたもとだった。建物があるわけではないが、川原に下りて橋の下へ移動すれば通る人

間の死角に入り、滅多なことでは見つからない。あと少しすれば正午の放送も入るし、大悟

の体力もそろそろ限界にきていた。拠点とまではいかずとも、一息入れる場所としてはちょ

うどいい。

 

 ――宴町は、俺のこと信用してくれるかな。

 意識を失っている以上、春香が目を覚ますときは必ず訪れる。それは数秒後かもしれな

いし、数時間後かもしれない。そのとき側にいる自分を見て、彼女はどんな反応を見せるの

だろうか。

 

 それが動揺でも、安堵でも、驚愕でも、恐怖であっても、自分はそれを受け入れなければ

ならない。そういう事になるのも覚悟の上で、今こうしているのだから。

 大悟は春香のことを信じている。しかし、春香はどうだろう? 戦う気はない、という大悟の

言葉を信じてくれるだろうか。

 

 同じ運動部同士とはいえ、大悟が春香と関わったことはほとんどなかった。クラスメイトな

のだから口を利いたことはあるが、お互い話を交わす機会が滅多にないため、積極的に話

をする間柄というわけではない。仲が悪いわけではないが良くもないという、何とも微妙な関

係だ。

 

 自分が春香の立場だったらどうするだろう。それほど交友があるわけではない人物に助け

られたと知ったら、どんな行動に移るだろうか。

 

 ――とりあえず、一緒にいようとは思わないよな……。

 仲が良い友人ならまだしも助けてくれた相手がそうでない人物だったのなら、殺されること

を恐れて早々に去っていくだろう。誰だってそうする。自分も、きっと……。

 

 ならば、何故彼女を助けた? 目が覚めて彼女が自分を見たとき、事実を話しても怯えて

逃げていくかもしれない。最悪の場合、殺そうとしてくるかもしれないのに。それなのに何故

自分は春香を助けた? 信頼という言葉の脆さを味わうだけになるかもしれないのに、そこ

までのリスクを犯してまで彼女を助ける理由がどこにある?

 

 ――そんなの簡単だ。春香を放っておいたら――あのまま見捨ててしまったら、自分は絶

対にどこかで後悔する。

 

 後悔したくない。いずれ死んでしまうかもしれないけれど、助けられる人は助けたい。

 こんな地獄の中で理想を掲げ、奇麗事を吐くなんておかしいだろうか。

 

 ……おかしくたって構わない。こんな状況だからこそ、俺は――。

 

 

 

 とにかく――理由はどうあれ、春香を見捨てるわけにはいかなかった。放っておけば銃声

を聞きつけた誰かの餌食になるか、いずれ指定されるであろう禁止エリアに掛かって死んで

しまう。助けることができたはずの人間を死なせてしまったら、逃れることのできない罪悪感

に押し潰されてしまうだろう。

 

 ……ふと、大悟は思う。

 助けられる人間を見殺しにするのが悪ならば、自分もまたゲームに乗っている者たちと同

罪なのではないだろうか。明菜だって初めて会った時に説得できていれば、あんな酷い目に

遭う事はなかったかもしれない。彼女がああなってしまった原因の一端は、ひょっとしたら自

分にもあるのではないだろうか。

 

 ――違う!

 

 大悟は頭を大きく振り、今しがた自分で考えたことを否定した。

 ――そんなのは結果論だ。俺はできることをやったんだ。それで助けられなかったんだか

ら仕方がないだろ! 一番悪いのは簡単に人間を殺そうとしている奴らの方だ!

 

 

 

 身体が重い。一歩踏み出すたびに、足が地面に沈んでいくような感覚に捉われていた。

それに比例して心も重くなっていく。頭上で広がっている葉の間から差し込む陽光が眩しくて

イライラする。だんだん熱くなっていく気温にも嫌気がさしてきた。額に浮かんだ汗が頬を伝

い、ワイシャツの中へ流れていく。

 

 ――わけわかんねぇ……。自分のことなのに、何でこんなイライラするんだ……?

 プログラムに選ばれたとき、そう簡単に殺し合いなんて始まらないと思っていた。みんな自

分のように戦いを止めようとしているのだろうと。武器を向けてくる相手がいても、それは恐

怖に駆られた突発的な行動なのだろうと。

 

 けれど現実はそう上手くはいかないし、甘くはない。

 他のクラスメイトの事はもとより、今では自分自身が何をしたいのか、自分のやっているこ

とは正しいのか――そんな根本的なことまでも考えられなくなっていた。

 

 本当、自分の考えは甘かったのかもしれない。

 自分自身のことすら全部知っているわけではないのに、みんなの事を全部知っているかの

ように思っていた。

 

「……へっ」

 自嘲的な笑みがこぼれる。思いあがりもいいところだ、本当に。

 ――みんな、今頃何してるんだろ。

 

 薫や真理や洸、あの時別れてから会っていない潤。いつも一緒にいて、他愛もない話を

交わしては笑い合っていた友人たち。彼ら、彼女らは今何をして過ごしているだろうか?

自分のように迷い、揺らいでいるのか、それとも自分なりの答えを出して、それに向かって

努力しているのか。

 

 

 

 離れ離れになってしまった友人たちのことを考えていると、斜め前方からがさがさという藪

を掻き分ける音が聞こえてきた。大悟は息を飲んで全身を強張らせ、どこか隠れる場所が

ないか周囲に視線を配らせた。しかし目に入るのは自分の胴回りくらいの太さをした樹木く

らいで、咄嗟に身を隠すようなスペースはどこにも見当たらなかった。

 

 大悟は覚悟を決め、相手がやる気の人間ではないことを祈った。眼前の藪が大きくがさっ

と揺れ、鍛え上げられたがっしりとした体躯の少年がそこから顔を覗かせた。

 どうやら向こうは人がいると思っていなかったらしく、大悟たちの姿を見て眉を大きく持ち

上げた。しかしそれ以上の反応は見せず、そのままの体勢で大悟と春香を凝視していた。

 

「……健太郎、お前――もしかしてやる気になってんのか?」

 大悟と同じく、運動しやすいように短くカットされた髪の下、やや太めの眉毛がぴくっ、と動

いた。軽い茶色に染められた短髪、筋肉質の身体、そして左耳のピアス。野球部でキャッチ

ャーのポジションに就いている男子生徒、篠崎健太郎(男子7番)に間違いなかった。

 

「さあな」

「さあな、って……」

「それよりお前はどうなんだ?」

 と言って、大悟の背中にいる春香を指差す。

「客観的に見たら、俺よりもお前の方が怪しい」

 健太郎の口調は少々棘のある言い方だった。敵視されているというわけではないが、まだ

”安全な奴”として認識されているわけではないようだ。

「宴町のことは後で全部話す。それと、俺はやる気になんかなってない」

「…………」

「何だよその目は、本当だって。話せば長くなるんだけど――とにかく、今は宴町をこの先に

ある橋のたもとまで運んでいきたいんだ。お前をどうこうするつもりはねえって」

 

 穏やかな口調で敵意がないことを説明する大悟だが、健太郎は依然として剣呑な表情を

崩さない。もともと口下手な人物だったが、今はそれが一際目立っているようにも思える。

こんな状況だから過度に警戒されるのは当然かもしれないが、今の彼からは隙あらば攻撃

に打って出るような危険性が見え隠れしていた。

 

 もしそうなったら――不本意ながら、戦うしかないだろう。自分ひとりなら逃げることもでき

るだろうが、春香がいる以上自分ひとりが逃げ出すわけにはいかなかった。フライパン一つ

で何ができるか分からないが、とにかくやるだけのことをやるしかない。

 

「向こうにある橋のたもとまで運べばいいのか?」

「そうだけど……お前まさか、手伝ってくれるのか?」

「そうしないとお前から話を聞けそうにないからな。まだお前のことを信用したわけじゃない

けど、俺にも知りたいことがある」

「知りたいこと?」

「探してる奴らがいるんだ。――それよりも宴町を先に運ぶぞ」

 健太郎は大悟の背から春香を下ろすと、彼女の左腕を自分の肩に回した。

「反対側の肩を持ってくれ」

「あ、ああ」

 大悟は意外そうな顔をしたものの、彼の言うとおり反対側の腕を自分の肩に回した。もと

もと軽かった春香の身体が、健太郎と二人で抱えたために更に軽くなった。

 

 

 

 男二人掛かりで一人の少女を運ぶのはそう難しいことではなく、大悟が目的地としていた

D−03エリアの橋には目立ったトラブルもなく到着した。その道中で襲われたりしないだろ

うかと怯えていた大悟だったが、健太郎は一度もそういう素振りを見せなかった。

 橋の前に立った二人はそこから川原へ下り、橋の下になっている部分に移動する。頭上

に掛けられた橋で日差しが遮られ、心地よい清涼感が大悟の身体を包み込んだ。

 

「あー……マジ疲れた」

 春香を地面の上に横たえると同時に、大悟はその場に座り込む。よく見ると彼の体は汗で

びっしょりだった。夏の日差しの中、人間一人を背負ってそう短くない距離を歩いたせいか、

息もかなり乱れている。

「疲れてるところ悪いけど、本題に入らせてくれ」

「……お前、ほんっと容赦ねぇのな」

 大悟は苦虫を噛み潰したような顔をして、近くにあった石を健太郎目掛けて放り投げる。

遅くはない速度で飛んできたそれを健太郎は片手で楽々とキャッチした。

 

「さっき言っただろ。俺はお前のことを完全に信用しているわけじゃない。聞きたい事を聞い

たらすぐに行くさ」

「――で、その聞きたいことってのは何だよ。確か人を探してるって言ってたよな」

「ああ。彰吾と猛を探しているんだ。どこかで見なかったか?」

 

 健太郎が挙げた探し人は、彼と同じ野球部の高槻彰吾(男子9番)本庄猛(男子14番)

の二人だった。どちらも健太郎と仲が良く、同じクラスな上部活動での繋がりもあるので、

三人一緒にいることが多い。今までは彰吾がレギュラーピッチャーだったが、今年から猛が

その座に座ることになったらしい。そのため三人の関係がギクシャクしたものにならないだろ

うかと思っていた者もいたが、三人の間には何の変化もなく、今までどおりの交友関係を続

けている。

 

 健太郎が彰吾と猛に会いたいと思っているのは何ら不思議なことではない。それは大悟が

薫や洸といった仲の良い友人たちと会い、無事を確認したいという想いと同じものなのだか

ら。健太郎もまた、大悟のように友人を見つけるため会場の中を探し回っていたのだろう。

 

「悪ぃけど見てねえ。俺が会ったのは潤と逆瀬川だけだ」

「……そうか」

「もしあいつらに会ったら、お前が探してたって伝えておくよ」

「そうしてくれると助かる」

 健太郎の返事はやはり素っ気無いものだった。どうしてこうもギスギスするような言い方し

かできないのか。だんだん腹が立ち始めた大悟だが、いちいち文句を言うほどの事でもなか

ったので特に反応は返さなかった。

 

「じゃあ、俺はもう行くぞ」

「あ、おい待てよ」

 自分のデイパックを掴み上げて川原を上ろうとする健太郎に、大悟が慌てて声を掛けた。

「――なあ、俺の仲間を誰か見なかったか? 薫で洸でも誰でもいい、姿を見たとか、声を

聞いたとか、何か知っていないか?」

 健太郎にされた質問と同じ質問をする。大悟の目的が健太郎と同じ、特定の誰かに会い

たいというものである以上、話の分かる人間から情報収集をするのは基本かつ重要な事で

ある。

 

「……村崎なら、ちょっと前に見た」

「本当か!?」

 大悟は思わず声を荒げていた。薫はこのクラスの中で、絶対にゲームに乗っていない人物

として言い切れる生徒であるのと同時に、春日井洸(男子4番)と並んで大悟が最も会いた

いと思っている人物だったからだ。

 

「どこで見たんだ?」

「会場のずっと南の方だ。I−03か04あたり。俺は直接会ったわけじゃなくて、あいつが森の

中を歩いているのを見たんだ」

「声をかけなかったのかよ」

「近くに死体があったからな」

 

 死体。もはや見慣れてしまった物の名を聞き、大悟は言葉を失った。

 

「死体って……それ、どういうことだよ」

「さあ。俺は何も知らない。村崎が出てきた方向に行ってみたら沖田の死体があったんだ。

ただそれだけさ」

 沖田剛(男子3番)の死は放送を聞いていたので周知の事実となっていたが、剛がどこで

どのように死んだかまでは分かっていなかった。もちろん、大悟の大切な友人である村崎薫

がその付近にいたということなど知っているはずがなかった。

 

 死体のすぐ側に薫がいた。考えたくない、しかし可能性の一つとして上がってくる疑念が

大悟の口から紡ぎ出された。

 

「薫が……沖田を殺したのか?」

「そこまでは分からない。俺が見たのは立ち去っていく村崎と、その近くにあった沖田の死体

だけだ」

 健太郎は淡々と、自分が目にした事実を口にする。その様子を見る限り嘘をついていると

は考えにくい。

 

「そんな……どうなってんだよ。まさか、薫が――」

 だからこそ大悟は余計に混乱していた。

 薫が剛を殺したのか、剛の死と薫になんらかの関係があるのか。

 

 否定したい、しかし否定することが出来なかった。

 殺し合いなんて行われるはずがないと信じている大悟を嘲笑うかのように、プログラムは

着々と進行している。

 

 みんなを信じてると言っても、大悟はクラスメイトのことを何も知らなかった。知っていたつ

もりでいたが、その奥底――人間の本質の部分までは知らなかった。

 

 信じている――その言葉には、言い切れるほどの決定的な根拠がない。

 

 だから大悟は否定することができなかった。薫が剛を殺したという可能性を。

 薫が本当はどんな人間なのか知っている自信がないから、彼女が剛を殺していないと自分

に言い聞かせることができなかった。

 呆然と佇む大悟と、川原の上へと続く斜面の半ばに立ち、無言で大悟を見下ろす健太郎。

真夏の太陽に照り付けられる二人の耳に、やや掠れたノイズが届いてきた。

 

【残り30人】

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