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 十数分前に連続して鳴り響いた銃声。その残響が消え、須川原ホテルがある山間部一帯に

静けさが戻っていた。頭上で輝く太陽、のんびりと動いていく雲、心が洗われるような鮮やかな

青空。

 変わることなく美しい姿を保っている自然とは対照的に、その中で繰り広げられている光景

はまるで地獄絵図のようだった。

 緩やかに流れていく川の上に掛けられたコンクリート製の橋の上、鏑木大悟(男子5番)が沈痛

な面持ちでその場に立ち尽くしている。

 

 プログラム開始後に逆瀬川明菜(女子7番)の襲撃を受けた時、大悟は桐島潤(男子6番)

を逃がすために、明菜の注意を自分へと引き付けた。相手は銃を持っていたので逃げ切れる

かどうか不安だったが、木々が乱立する林の中を縫うようにして走り抜けることにより、何とか

無傷のまま明菜を撒くことができた。あの時が夜で、視界が利きにくくなっていたのも運が良か

った。今のように明るい昼間だったら、彼女は自分の姿を見失うことなく、しつこく追いかけて

きたかもしれない。

 

 それから今まで、大悟は不眠不休で会場の中を歩き回っていた。村崎薫(女子15番)

日井洸(男子4番)といった、普段から仲良くしている友人たちを見つけ、合流するためだった。

自分はまだこうして生きているが、他のみんながそうだとは限らない。一息入れよう、と思って

休憩をしているまさにその時、会場のどこかで薫たちが殺されようとしているのかもしれないの

だから。そう考えると、いくら疲れていても呑気に休む気にはなれなかった。

 

 疲労からくる眠気が原因なのか、自分の身体がいつもより若干重いような気がする。鉛入り

の靴を履いているような感覚だった。いい加減、身体を休めたほうがいいのかもしれない。薫

たちのことは気に掛かるが、彼女たちに会う前に自分が倒れてしまっては本末転倒である。

 どこか人目に付きにくい場所で休憩しようと考えながら、大悟はD−03エリアを南に向かっ

て歩いていたのだが――。

 

 

 

「……何だよ、これ……」

 ”それ”を見た瞬間に悲鳴を上げなかったのは、大悟の精神力が常人よりも強かったからだ

ろう。”それ”から目を逸らし、口元を手で押さえて胃の奥から込み上がってくる吐き気を抑え

込んだ。悲鳴こそ上げはしなかったが、”それ”が何なのか認識した際に生まれた衝撃、動揺

は大悟の立ち振る舞いにはっきりと表れていた。

 

 大悟の眼前、橋の上に横たわっているものは人間の死体だった。それは怖気が走るような

光景で、死体の頬から頬へと木の枝が貫通していた。眉間には銀色に輝くアンテナのような

もの――ボウガンの矢が突き刺さっている。両頬と眉間に開けられた穴から流れ出た血は死

体の肌と衣服を伝い、大悟が立つ橋の上に血による水溜りを作り出していた。

 

 眼鏡の奥にある目をかっと見開き、口を大きく開けた鬼のような形相で息絶えているのはテ

ニス部員の御剣葉子だった。大悟はクラスにいる運動部の生徒のほとんどと交流があるが、

葉子とは片手で数えるほどしか会話をしたことが無かった。どういうわけか分からないが、なぜ

か彼女は自分を避けているようなのだ。彼女に対して何か失礼な真似をしたわけではないに

そういう態度を取られるのは不思議だったが、葉子は内気な性格なのできっと人見知りをする

のだろうと結論付け、あまり深く考えたことは無かった。

 

 大悟の知らないことだが、葉子は小学校時代クラスの男子生徒に苛められていた過去があ

り、それ以来男性に対して強い苦手意識を持つようになってしまった。彼女はこの事を滅多に

人に話さないので、交友関係の広い大悟がそれを知らなかったのも無理はない。

 

「……くそっ」

 大悟はぎゅっと拳を握り締めた。引いていく吐き気の代わりに込み上げてきたのは、こんな

酷い真似を当たり前のように行った者に対する激しい怒りだった。そして性質が悪いことに、

この残虐な行為を行った人物は自分のクラスメイトである、ということだ。大悟はクラスメイトの

顔を思い浮かべてみたが、こんなことをやりそうな人物の心当たりがない。真神野威(男子15

番)がやったと考えるのが一番妥当な線だが、いくらあの男といえどこんな非道な真似をする

だろうか。

 

 ――いや、あり得るかもしれないな……。

 

 大悟は威と交友があるわけではない。そのため彼のことを詳しく知っているわけではないが、

威の喧嘩を直接見たことは何回かある。彼には渡良瀬道流(男子18番)ほどの圧倒的(人間

離れしたと言ってもいい)な強さはないが、どんな相手に対してもまるで容赦というものがなか

った。顔から血を流してうずくまっている相手を無理矢理立たせ、顔からガードレールに叩き

付けたりと、中学生が行う喧嘩の領域を超えている。人を人とも思っていない、何かに執着し

ているとも思えるあの残酷さ。彼ならば――いや、彼だからこそ、このプログラムという環境を

楽しんでいるのではないだろうか。プログラムにいる間は殺人を犯しても罪に問われない。威

がプログラムで己の欲望、本性を曝け出していたとしたら――。

 

 大悟の身体に震えが走った。こんな恐ろしいことをする人間が会場内のどこかにいると分か

っただけで背筋が寒くなる。次に葉子のような目に遭うのは自分かもしれないし、薫や潤など

自分にとって掛け替えのない友人たちかもしれない。

 

 どうかしている。平気で人を殺す奴らも、当たり前のように人が死んでいくこの環境も。

 

 大悟は怖くてたまらなかった。自分と友人に迫る死もそうだが、何よりも恐ろしいことは同じ

クラスの友人たちが殺人に手を染めているということだった。大悟はクラスメイトのことを信じ

ていたが、今となってはその思いも不確かなものになってしまっている。そう簡単に人殺しを

するわけがないと思っていたが、そう信じていたのは自分だけだったのだろうか。

 

 だんだんと分からなくなってきた。みんなが本心では何を考え、どう動こうとしているのか。

 だとしたら自分は、クラスのみんなのことをろくに知らなかったということになる。よく考えても

みれば、昼間一緒に生活しているだけで相手の何が分かるのだろうか。分かったとしてもせい

ぜい表の顔だけだ。その人物が本当は何を考えているのか――相手の裏の顔を知る機会な

どまず訪れない。

 

 それなのに自分は”信じている”という言葉を易々と口にしていた。滑稽すぎて何も言えない。

クラスの中で心から信じてると言い切れる相手がいったいどれだけいるだろう。信じるという

言葉の深さをこういった場面で痛感する派目になるとは思ってもみなかった。

 

 初めのうちこそ死体の凄惨さに動揺していた大悟だったが、しばらくするとその動揺も落ち

着いてきた。一度深呼吸をしてから葉子の死体の横に膝をつき、左手で額を鷲掴みにした。

葉子の身体からは体温が抜けてしまっていて、人間の持つ温かさは感じ取れなかった。まる

で精巧な人形を触っている感じだった。

 

 右手で木の枝を掴み、力任せに引き抜いた。ずるっ、という嫌な感覚が手に伝わり、それで

また吐き気がこみ上げてきた。穴の開いた頬からは、ゆるゆると血が流れ出していた。かっ、

と見開かれた両目を伏せさせ、両手を合わせて彼女ために黙祷を捧げた。

 

 次々と死者が出るプログラムでこんなことをしても無意味かもしれないが、クラスメイトをこの

ままの姿で野ざらしにしておくことにも抵抗を覚える。力になることができなかったのなら、せめ

てもの償いで弔ってやりたいと思った。それに葉子の家族のことを考えると、死体をこのままの

状態にしておくわけにはいかない。自分の娘が頬に木の枝が突き刺さった状態で、それも死体

となって帰ってきたら彼女の家族はどう思うだろう。とてもまともな精神ではいられないはずだ。

 

 自分の子供が死ねば両親は悲しむ。それは当然のことだが、大悟にはどうもその光景を思

い描くことができなかった。

 

 

 

 大悟の両親は父、母ともに豪快な性格をしており、大抵のことならば笑い飛ばしてしまえる

器量を持ち合わせている。そのため大悟の家庭では常に笑顔が溢れており、鏑木家の誰か

が悲しんだり落ち込んだりしている顔を見せているのはほとんどなかった。

 大悟の記憶の中にある両親は、物心付いたときから自分を元気付けてくれる、勇気付けて

くれる笑顔を浮かべていた。

 

 そんな両親でも、やはり自分が死ねば悲しんだりするのだろう。子供のようにぼろぼろと涙

を流す両親なんて想像できないが、やはり自分が死んだら悲しんでくれるはずだ。

 いつも馬鹿みたいに元気な父と母が本気で落ち込んだ時にどんな表情を見せるのか。気に

なることではあるが、どうやら自分がそれを目にすることはできそうにない。見なければ良いの

ならばそれに越したことはないが――どちらにせよ、複雑な気分だった。

 

 

 

 そんな大悟の思いを打ち消したのは、橋を渡った先にある野球場の奥から聞こえてきた何者

かの悲鳴だった。どうやら女子生徒のようだ。

 立ち上がりざまにデイパックを掴み直し、悲鳴の上がった方向目掛けて一直線に、全速力で

走り出した。一度だけ葉子の死体を振り返ったが、それから先は目先の事に意識を集中させ

た。一度にあれこれ考えていると動きが鈍る。割り切りも大切だ、と自分に言い聞かせながら。

 

 ――誰だ? 今の悲鳴は誰なんだ?

  嫌な予感がした。悲鳴を上げたのは薫なのではないか。もしかしたら真理なのではないか。

思いつきたくもない事態が次々と頭に浮かぶ。使い捨てられた物体のように地面に寝転がる

友人たちの姿が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。まだそうと決まったわけではないの

に、気ばかりが焦っていた。

 雑木林を抜け、野球場を突っ切る。そんなにたいした距離を走ったわけにもないのに息が

上がっていた。ドクン、ドクンという心臓の鼓動が聞こえてくる。

 

 ――ああくそっ、何なんだ俺の頭は。こんな時にろくでもないことばかり浮かんできやがる!

 スポーツマンらしく短くカットされた髪をぐしゃぐしゃと掻き分け、頭の中に浮かんでくる映像を

強制的に打ち消した。未来はまだ決まっていないと理解していても、本能の部分が悪い結末を

映像として大悟の脳裏に映し出している。先程目にした葉子の死体が悪い影響となってしまっ

たのだろうか。

 

 野球場を通過した先に、アスファルトで舗装された道路があった。道路は西の方向、雑木林

の中から伸びており、そのまま大悟の前を通り過ぎて東へと続いている。あの方向には確か

ホテルがあったはずだ。道路沿いに進めばホテル付近まで行くことができるが、今はそちらに

用があるわけではないので気に留めなかった。

 とにかく、先程の声の主が誰なのか早急に確かめなければならない。あの悲鳴を聞きつけた

自分以外の誰かが、ここにやってくる前に。

 

 大悟は右手に握ったフライパン(情けない姿だが、手ぶらよりはマシだった)を構えなおし、

道路周辺に立ち並んでいる木の陰や茂みを念入りに調べ始める。悲鳴を上げた本人がここ

から離れてしまったとしても、悲鳴を上げる”原因”になったものかその”痕跡”があるはず、と

考えたからだ。誰かに襲われたか、死体となったクラスメイトを見て耐えられずに叫んでしまっ

たか。どちらにせよ、この近辺には”何か”が残されているはずである。

 

 道路沿いの物陰をあらかた調べ尽くした大悟は、雑木林のより奥まで足を踏み入れていく。

慎重な足取りで辺りに視線と注意を配らせていると、撫でるように吹いてきた風がとあるものの

匂いを運んできた。

 その臭いが何なのか、大悟はすぐに認識することができた。本心からすれば分かりたくなか

った、つい先程嗅いでしまった匂い――血の匂い。

 大悟は小さく鼻を鳴らして、血の匂いが強く漂ってくる方向に歩き始める。この時点でこの先

に待ち受けているものが見て気分の良いものではないことが分かってしまったが、それでも進

まないわけにはいかなかった。ここまで来て引き返すわけには行かないし、それにもし、誰か

が助けを求めていたとしたら、それを見捨てるわけにはいかないだろう。

 

 土と雑草を踏みしめて雑木林の中を進んでいく。先に進むにつれ、漂う血の匂いは段々その

濃度を増していった。御剣葉子の死体から香っていた血の匂いよりも数段濃い、むせ返るよう

な血臭がこの一帯に漂っている。

 そのまましばらく雑木林の中を真っ直ぐ進んでいくと、E−03エリアとE−04エリアの境界付

近の所に”それ”はあった。

 

「なんなんだよ、これ……」

 ワイシャツとスカート姿の女子生徒が、地面の上に伏せの体勢で倒れていた。顔は左側を

向いており、ここからでは少し遠くてそれが誰なのか判別できない。その死体を中心とした地面

は、他の場所に比べて赤黒く変色していた。雑草は死体から流れ出した血を浴び、瑞々しい緑

の葉にグロテスクな赤いトッピングを施している。

 

 その女子生徒が死んでいるのは一目見て分かった。問題なのは、彼女の死に様にあった。

 左手と両足の半ばほどがズタズタに引き裂かれ、完熟した果物を無理矢理すり潰したように

なっていた。左手は皮一枚で繋がっている状態で、両足は吹き飛ばされた小さな肉片が周囲

に飛散している。殺害されてそれほど間が経っていないのか、抉られたような傷口から見える

肉はまだ生々しい色をしていた。

 そしてその死体には右腕がなかった。正しく言えば、肩口からバッサリと切断されていた。

切り離された右腕は死体のすぐ側で転がっており、打ち捨てられたゴミのような扱いを受けて

いた。肉食獣に襲われたかのようなその死体は、とても凄惨の一言では済ませられない。

 

「ぐっ……」

 こみ上げてきた吐き気を抑えるため、大悟は口を手で押さえて死体から目を逸らした。吐く

べきではない。吐いたら余計な体力を消耗してしまう。そう自分に言い聞かせていたが、つい

に堪え切れなくなった大悟は地面に膝を付いてもどしてしまった。血の匂いに他に、酸っぱい

匂いが空気中に漂い始めた。

 大悟はしばらくうずくまっていたが、何とか足に力を入れて立ち上がった。胃の中のものを

全て吐き出したせいか、だいぶ気分が良くなった。

 ごくり、と唾を飲み込み、口を拭ってもう一度その死体に目を向ける。再び吐き気がこみ上

げてきたが、今度は不快感、嫌悪感が全身に広がっていった。

 気を引き締めなおし、死体の元まで歩いていってそれが誰なのかを確認する。

 

「逆瀬川…………」

 死体の顔は、プログラム開始直後に自分と潤を襲った逆瀬川明菜のものだった。恐怖で引

きつったその顔には涙の筋がはっきりと確認できる。恐らく命乞いをしたのだろう。だが加害

者はそれを聞き入れず、彼女をなぶり殺しにした。殺す前にここまで傷付けたのか、それとも

殺した後に死体を損傷させたのか。

 

 どちらにせよ、まともな神経を持つ人間のやることじゃない。人間が同じ人間を相手に、ここ

まで酷いことをすることができるのか? それも自分と同年齢の人間が、クラスメイトをこんな

目に遭わせるなんて。

 

 考えただけで全身に震えが走った。おかしい。何だってこんな事ができるんだ。何でそう簡単

に人を殺すことができるんだ。俺がおかしいのか? 俺だけが異常なのか?

 明菜には一度殺されそうになったけれど、彼女に死んで欲しいと思ったわけではなかった。

そんな彼女が見るも無残な死体となって、こうして自分の前に現れている。

 こんなものを見せられて、まともな精神状態でいられるわけがない。大悟は自分の体から、

一気に力が抜けていくのを感じた。足ががくんと折れ、地面に両膝を付きそうになる。すんでの

ところで足の裏に力を入れ体勢を立て直したが、身体を覆う脱力感はそう簡単に振り払えそう

になかった。

 

 こんなことをしている場合ではないというのは分かっていた。悲鳴を聞きつけた誰かがここに

来るかもしれない。それがやる気になっている奴だったらどうする? 洸も潤も薫も真理も見つ

けていないんだ。あいつらの無事を確認するまで、俺はまだ死ぬわけにはいかない。

 

 と、大悟の視界の隅に、何か人の形をしたものが映った。

 自分の他にも誰かいるのだろうか。それとも明菜とは別の誰かの死体か。脱力感に襲われ

ながらも、大悟はその人の形をしたものの所まで歩いていく。

 

 黒髪の女子生徒が、死体から数メートル離れた場所で横になっていた。昼寝をしているかと

勘違いしそうになったが、様子を見た限り、どうやら気絶しているらしい。恐らく明菜の死体を

見て、そのショックで気絶してしまったのだろう。

「ってことは、こいつが……」

 大悟の眼下で気絶しているのは、悲鳴を上げた本人であり、明菜と同じテニス部に所属して

いる宴町春香(女子2番)だった。

 

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