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 土と緑の匂いが色濃く漂う雑木林を抜けると、一回目の放送直後にここを通った時と同

じ景色が広がっていた。唯一つ違うのは以前が夜で、現在が昼だということくらいだろうか。

 明菜は茂みの陰から顔を出し、眼下十五メートルから二十メートル程の所にある野球場

に目をやった。明菜がいる場所から数メートル先は急な斜面になっており、そのすぐ下に

は舗装された道路が左から右へと通っている。この近くにはホテルがあるのだから、舗装

された道路があるのは当然だった。斜面は土砂崩れ防止のためにコンクリートで固められ

ている。高さは五メートルくらいだろうか。傾斜は急だが、一気に飛び降りれば下に行けな

くもない。

 

 地図にも書かれている野球場は道路のすぐ先にあった。ネットやベースなど、試合に必

要な設備は一式揃っているようだ。一塁側と三塁側にはベンチも設置されており、野球の

試合をするには充分な環境だった。当然、周辺に人影は見当たらない。プログラムの実施

に伴ってホテルの従業員は強制的に立ち退きを命じられ、周辺の住民には近付かないよ

うに連絡が行き届いているのだろう。助けが来ることなど元から期待していなかったが、

こうしてはっきり現実を見つめると悲しくて泣きたくなってくる。何で自分たちがこんなふざけ

たことをしなければいけないのか……もう何度思ったか分からない、理不尽な現実に対す

る愚痴が再び明菜の脳裏に浮かび上がった。

 

 

 

 殺し合いに乗っているとはいえ、明菜は好き好んで”殺す側”に回ったわけではない。そう

せざるを得なかったから、そうしたまでだ。プログラムに選ばれさえしなければ、こんな目に

遭う事も無かった。

 運が悪い――そう済ませることは簡単かもしれないが、しかし、それじゃああんまりでは

ないだろうか。世の中には運が悪くて命を落とす(例えば雷に打たれたり)人が何人もいる

のだろうけど、こればかりはさすがに”運が悪かった”の一言で済ませられる事ではない。

これは明らかに人為的なものなのだから。

 

 明菜は湧き上がってきた怒りを抑えて、しばらく辺り一体の様子を観察した。しんと静まり

返っており、足音などは聞こえてこなかった。明菜は斜面の縁まで進むと一度そこで止まり、

もう一度周囲に気を配った。野球場から先は遮蔽物も無くて視界が開けているが、そこに

辿り着くまでは未だに木や草むらなどが多い。誰か隠れているかもしれないので、注意が

必要だった。

 

 肩から提げていたデイパックを斜面から放り投げ、どすん、という落下音が聞こえてきた

と同時に、明菜は銃を握り締めて姿勢を低くした。

 そのまま数分が経過した。音に気付いた誰かが顔を見せるかと思っていたが、何もない

ところを見ると他の生徒がいる心配はしなくてもいいようだった。明菜は斜面へと足を踏み

出し、ある程度滑って距離を削ってから跳躍、道路へと着地した。

 

 拾い上げたデイパックを再び肩から提げ、野球場を見据える。ここを突っ切ればすぐ橋に

行くことが出来るが、周囲から気づかれやすいというのが難点である。多少回り道をしても

慎重に進むべきだろうか。

 どうするべきか迷っていると、明菜から見て左手側――道路のすぐ側に立っている木の

横で、下が黒、上が白色の人の形をしたものが見えたような気がした。

 

 

 

 それが自分が在籍している静海中学校の男子の制服だと気づいた時にはもう遅かった。

瞬く間に撃ち出された銃弾は明菜のいる場所に驟雨の如く降り注ぎ、明菜は沖田剛から

受けた傷とは比べ物にならないほどの傷を体中に負った。

「あっ……あぁぁっ!!」

 明菜の身体が傾ぎ、赤い液体が宙を舞う。崩れ落ちるようにして地面に倒れた明菜だった

が、その顔を苦痛に歪めながらもゆっくりと身体を起こした。

 

 梢を通して差し込む陽光を背に、黒いズボンと白いワイシャツを着た、坊主頭の大柄な

男子生徒が立っていた。彼は黒いサングラスを左手の人差し指でつい、と上げ、その手の

中にある大型の銃――きっとマシンガンだ――を明菜に向けたまま、彼女の元へゆっくり

と近付いてくる。

 

「ぐっ……ああっ、うああああああああ!!」

 手足が震え、体の中が燃えているようだった。それでも明菜は身体を起こしてブローニン

グ・ハイパワーを拾い上げ、ステアーAUG A−2を構えている糸屋浩之(男子2番)に向け

て立て続けに引き金を引いた。左腕から伝わった衝撃が全身を駆け抜け、身体中の骨が

軋む音が聞こえたような気がした。

 明菜が銃口を向けたと同時に、浩之は左へサイドステップをしていた。ブローニングの銃

弾は空しく空を切り、のどかな風景とは不釣合いな残響音を奏でる。

 

 回避行動をとった浩之は再びステアーの銃口を明菜へと向けたが、そのとき彼女はもう

道路の脇にある雑木林へと走り出していた。身体がよろめいて上手く走れている気はしな

かったし、激痛と共に体の中からマグマが湧き出してくるような感覚があったが、それでも

彼女は止まるわけにはいかなかった。あそこでじっとしていたら殺されることは目に見えて

いる。逃げ切れるかどうか分からないけど、黙って死を受け入れるわけにはいかなかった。

 

 ――くそっ、まさか人がいたなんて!

 敵の探索と自分がいる場所の危険性の調査は、斜面を降りる前にちゃんと行っていた。

それなのに自分はこうして奇襲を受けてしまっている。注意力が不足していたのか、あるい

は向こうが先に自分の存在に気づき、攻撃できるチャンスが生まれるまで気配を潜めてい

たのか。

 

 右足の力ががくんと抜け、身体が前のめりになってそのまま倒れそうになった。明菜は奥

歯を噛み締め、両足を思いっきり踏ん張って姿勢を維持した。倒れたら、ダメだ。少しでも

スピードを緩めたら、マシンガンの餌食になる。

 

 明菜はちらりと後方に目をやった。浩之はマシンガンを撃とうとせず、左から回り込むよ

うにして追いかけてくる。攻撃をしないのは余裕の表れなのか、無駄な銃弾は使わないよう

にしているのか、自分が力尽きるのを待っているのか。なんにせよ、彼が本気で自分を追

跡してこないのは好都合だった。体力で負ける気はしないが、深手を負っている分不利な

状況に立たされているのは明菜だ。なので相手が余裕を見せているうちに、できるだけ距

離を取らなければいけなかった。

 

 口腔に溢れかえった血を口の端からこぼしながら、明菜は振り返ることなくブローニング

を後方へ向けて発射した。二発、三発、四発――マガジンが空になるまで、一心不乱に引

き金を引き続ける。ぶるぶると震える手で新しいマガジンを装填し、また何発かを、後ろに

いるであろう浩之に向けて撃った。

 

 糸屋浩之は真神野威(男子15番)のグループの一人である不良生徒だ。大きな身体を

持ち、坊主頭に黒いサングラスという威圧的な容貌をしている。その外見に相応しく、ケンカ

の実力もグループの中ではリーダーの威に次ぐと評されていた。彼がこのゲームに乗るだ

ろうということは、早くから予測できていた事だった。明菜も威のグループには注意するよう

心がけていたが、まさかこんな事になってしまうなんて。

 

 両足に傷はないから走ることはできるが、上半身に何発か被弾している。幸いにも急所に

は当たっていないようだが、出血が原因で倒れるのは時間の問題だろう。

 腹部を中心に引き裂かれるような痛みが明菜を襲う。映画ではマシンガンで撃たれたら

すぐに死んでいたけれど、自分はこうして動いていられる。何とかだけど、まだ生きていられ

ることができる。

 

 ここをしのいで、奇跡的にプログラムに優勝することが出来たとしても、自分はもうまとも

にテニスをプレイすることは出来ないだろう。三年間あれだけ努力を積み重ねてきたのに、

それが一瞬で無に帰してしまった。これでは希望していた高校に進学しても、まともにテニス

部の練習を行うことはできないだろう。

 

 自分はまだ生きている。次の瞬間にはマシンガンの掃射にあって散るかもしれない命だ

けれど、まだ生きていることが出来る。でも、自分が生きていた理由――必死になって積み

重ねてきたものは、全部無駄になってしまった。目標も生き甲斐も、全部なくなってしまった。

 

 明菜はこのとき初めて、自分が銃を向けていた側の気持ちを理解した。

 

 鏑木大悟(男子5番)も、桐島潤(男子6番)も、沖田剛も、そして村崎薫もこんな気持ち

だったのだろうか。

 

 

 

 唐突に、がさりという茂みを掻き分ける音が、明菜の耳に聞こえてきた。

 サバイバルナイフを更に長大化した刃物――マチェットを手にした真神野威が茂みを掻き

分けて右側面から現れ、自分に向けてマチェットを振り下ろしたのに気づいた時は既に遅か

った。

 

 振り下ろされたマチェットは、明菜の右肩口に深々と突き刺さる。

 

「――――――――ッ!!!」

 明菜の口から声にならない絶叫がほとばしる寸前、威の左拳が明菜のこめかみを殴りつ

けた。強い衝撃と共に脳が揺さぶられ、平衡感覚が一瞬失われたところで向こう脛を蹴ら

れてバランスを崩す。

「ふん……誰かと思えば逆瀬川か」

 年齢は自分と変わらないはずなのに、二歳から三歳は年上に感じられる威圧感溢れる声

が頭上から聞こえてきた。

 渡良瀬道流(男子18番)と並んで出会いたくない奴ナンバーワンだった威が現れただけ

でも絶望的だというのに、続いて聞こえてきた声が明菜を奈落の底へと突き落とした。

 

「威、そいつは始末したのか?」

 林の奥から現れたのは、細いフレームの眼鏡をかけたシャープな顔立ちをした男子生徒、

萩原淳志(男子13番)だった。

「いいや、まだだ。すぐ殺してもいいんだが、聞きだせる情報があれば聞き出しておく」

「――おーい、行くの速ぇよ淳志ぃ。待ってくれって言ったじゃねえかよー」

 それに続き、四人目の声が明菜の耳に届く。淳志の背後から姿を見せたのは、明菜を

襲ったメンバーの中では一番小柄な少年だった。短髪を茶色く染めている少年は淳志の

肩を小突きながら、殺伐とした場に相応しくない軽いノリで喋り始める。

 

「ったく、ちょっとはこっちの事も考えて……ん? そこの死にぞこない、銃持ってんじゃん。

俺にくれよ、それ」

「だめだ。この銃は俺が貰う」

「ンだよそれ。威はそのナイフ持ってんだろー? 俺は戦える武器持ってないんだからくれた

っていいじゃんよ」

「だったらお前がこれを持てばいい」

「あぁー? 横暴じゃんそれ」

 最後に現れた少年は麻生竜也(男子1番)。威のグループの中では一番幼い外見をして

いるが、ケンカっ早くて口よりも先に手が出ると言われ、威たちが絡んでいる事件の大半は

彼がその原因を起こしていた。

 

 

 

 ――こいつら、やっぱり一緒に……!

 事態は最悪だった。まさかとは思っていたが、本当に威たちが一緒に行動していただなん

て。恐らく彼らは、自分があの斜面に辿り着く前からこちらの存在に気づいていたのだろう。

そして逃がさないように、辺りを囲むような陣形で待ち伏せをした。今になって考えれば、浩

之がすぐに追いつこうとしなかったのも、威たちが待っている場所に明菜を誘い込むためだ

ったのだ。

 

「さて、お前にはいくつか聞きたいことがある」

 威はうつ伏せの体勢で地面に這ってる明菜の背骨を、右足で思いっきり踏みつけた。明菜

の口から「がっ」という悲鳴と共に、真っ赤な血がこぼれた。

「俺たちに会うまで、他の連中に会ったか?」

「…………」

 口を閉ざしている明菜を見た威は呆れたようにため息をつき、左足で明菜の右肘を踏みつ

けて固定する。

「死にぞこないの分際で俺を相手に反抗する気か。笑ってしまうな」

 この時の威の表情は、苛立ちというよりも歓喜で溢れていたが、明菜がそれを目にするこ

とはなかった。見てしまったら言葉では言い表せないほどの恐怖を味わっていただろう事を

考えると、見なくて正解だったと言えるだろう。

 

 威はマチェットを両手で握り、明菜の右肩口に刺さっていたそれをゆっくり前後に動かし始

めた。

 

「うわあぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああぁぁぁあああああッ!!」

 血が迸り、肉が易々と断ち切られる。ごり、ごり、という骨の切断される音が全身に響く。

あまりの痛さに明菜は全身をばたつかせた。しかし身体が固定されているため、いくらもが

こうが身体が自由になることはない。

 

「ジタバタと面倒な奴だな。淳志、こいつの両足と左手を撃ち抜け」

「え?」

「聞こえなかったのか? こいつの両足と左手を撃ち抜けと言った」

「いや、俺は……」

 その行為に移ることに躊躇している淳志に見切りをつけ、威は今言った事をするよう、少

し離れた所に立っている浩之に目で促した。

 

 直後、ステアーの射撃音が惨劇の場に響き渡った。至近距離から放たれた多数の銃弾に

より、明菜の両足と左手はぐちゃぐちゃになっていた。喉が壊れるのではないかという程の

音量で悲鳴を上げたが、ステアーの銃声で全てかき消されてしまった。

 

「どうだ、何か言う気になったか?」

「うう……あ、ああ……」

 自分が知っていることを全て言ってしまおうと、明菜は涙を流しながら口を開いた。屈辱と

か意地とか、そんなものはもうどうでもいい。今はただ、この痛みから少しでも早く解放され

たかった。

「何を言っているか分からん。もっとはっきり喋れ」

 肩の半ばほどまで突き刺さっていたマチェットを一度引き抜き、刃の部分を千切れかけた

明菜の右肩に当て、マチェットの嶺に全体重を乗せて踏みつける。

 

 ゴキン、という音が響き、右肩に今まで体験した中で最大の痛みが走った。もはや悲鳴を

上げる気力もない。恐る恐る自分の右肩を見てみる。

 

「あ……あああああ……!!」

 何もなかった。肩から先が――自分の右腕が、消失していた。文字通り切断されている。

そこを覗けば、きっと荒々しい肉の切り口と骨髄が見えることだろう。

「ハハ、ハハハハハハハハハ!!!」

 威は笑いながら、細長いものを拾い上げて掲げて見せた。

 それは、先程まで明菜の右肩に付いてた、彼女自身の右腕だった。

 

 

 

 もう――限界だった。恐怖も、痛みも、全てがどうでもよくなっていた。こいつは狂っている。

自分よりも弱い相手を嬲って、それで喜んでいる。

 怖いなどというものではない。人間を前にしている気がしなかった。こいつは――真神野威

は悪魔だ。人の姿をした悪魔だ。

「た、たすけ……」

 涙ながらに命乞いをしようとした明菜の声は、一発の銃声によって途切れた。

 

「――淳志、なぜ撃った」

 明菜の左手に握られたブローニングを剥ぎ取った威は、未だ硝煙が昇るS&W M629を

構えている萩原淳志を見据えた。その足元には額を撃ち抜かれた明菜が、地面にできた

血の海に身体を浮かべている。

 

「彼女はもう戦意を喪失していた。それに有益な情報を持っていなかったみたいだし、何も

あそこまで痛めつけなくてもいいと思っただけだ」

「ふん、相変わらず貴様は甘いな。相手に情けをかけてプログラムで生き残れると思ってい

るのか?」

「そういう事じゃない。俺はただ見ていられなかっただけだ。いくらプログラムとはいえ、あれ

は酷すぎる。あんたに逆らう気はないけど、ああいうのは理解できないし賛同もできない」

「ほう……」

 その一言で、威はすう、と目を細めて淳志を睨み付けた。その様子に竜也と浩之は緊張を

隠し切れなかったが、二人とも何かを口にするといったわけではなく、ただ静かにその様子

を見守っていた。

 

「……まあいいだろう。仲間内でもめるだけ無駄だしな」

 威が言ったその一言で、場に張り詰めていた緊張感がわずかに和らいだ。その後彼は、

ボロ雑巾のように打ち捨てられた明菜の死体を見て、口の端を僅かに吊り上げる。

「プログラムか……。思ったよりも楽しいものじゃないか、これは」

 

女子7番 逆瀬川明菜  死亡

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