31





 今日の日差しは昨日に比べるとやや強く、初夏に等しい暑さであった。プログラム会場は

そのほとんどが雑木林になっているため、ある程度日光が遮られ、市街地に比べれば若干

気温が低くなっている。それでも暑いことに変わりはないのだが。

 

 時刻は午前十一時。G−02エリアが禁止エリアになったのとほぼ同時に、逆瀬川明菜

(女子7番)は隠れていた茂みの中から姿を現し、周囲を注意深く見渡しながら北に向かっ

て歩き始めた。明菜がいる場所は地図で言うG−03エリアで、このまましばらく雑木林が

続くが、その先には河川敷にあるような小さな野球場があった。恐らく、この近くの学校に

通っている学生たちが使用しているのだろう。

 

 野球場の先は会場の北西から流れてきている川があった。越えるには湖を迂回するか、

会場に二つしかない橋を渡るしかない。しかし橋の一つがあるA−01エリアは既に禁止エ

リアとなっているため、橋を使って川を越えるためには野球場の先、D−03エリアにある

橋を使う以外に方法がなかった。

 

 

 

 雑木林の中を進む明菜の顔はやや歪められており、その額には脂汗が浮かんでいる。

数時間前に沖田剛によってつけられた傷は幸いにも大事には至らなかったが、そのときの

ダメージは彼女の身体に色濃く残っていた。

 剛の武器であるククリナイフは刃物にしては大型のもので、切れ味もいい。力を込めて

振り下ろせば骨を断ち割ることも可能だろう。そのククリナイフによる攻撃を受けてまだ腕

が残っていることを幸運に思うべきだった。切り裂かれた肉から吹き出した血によって明菜

の右肩は真っ赤に染まっていたが、あの後すぐに止血処理を行ったのが良かったのか、

割と早い段階で血は止まっていた。

 

 中学校に入ってからずっとテニス部で過酷な練習を続け、擦り傷は日常茶飯事、時には

突き指などもしたこともある明菜は、多少の痛みくらい我慢できる。

 しかし刃物で、それもあんな大きなナイフで傷付けられたのは初めてだった。いまだ痛み

の残る右肩をそっと押さえ、明菜は悔しそうに顔をしかめる。

 

 ――あの時、私があいつに気を取られていなかったら、こんな事にはならなかったのに。

 明菜は、自分と剛の戦いに割り込んできて、結果として剛を殺してしまった村崎薫(女子

15番)のことを思い出した。

 

 普段の学校生活の中で、明菜はそれほど薫と接点があるわけではない。けれどクラスの

中心人物であり、マスコットのような存在でもある彼女のことを全く知らないというわけでは

なかった。彼女の活発な性格を表しているような、さっぱりとしたミディアムボブの髪。小柄

な性格は薫の元気さと相成って、まるで小動物のような印象を与えている。運動能力が高

くて、体育の授業ではいつも好成績を残していた。明菜はテニス部に入らないか、と何度か

勧誘を試みたのだが、「うー……ごめんねー。私、部活にはいんないことにしてるんだー」と

爽やかに断られてしまっていた。

 

 そんな薫が、まさかゲームに乗っていたなんて。

 

 にわかには信じられないことだが、自分の目で見てしまったのだから信じないわけには

いかなかった。あの時薫は戦いを止めるよう呼びかけてきたけれど、それは自分を油断

させるための作戦だったのだ。事実、沖田剛は彼女の手によって殺害されている。

 

 本当は明菜を殺そうとしていた剛を止めるために薫は銃を撃ったのだが、ククリナイフを

振りかぶっていた剛の姿を確認していない明菜には、薫が話術を駆使して隙を作り、剛を

殺害したと認識していた。

 

 

 

 村崎薫――彼女はなぜ、このゲームに乗ってしまったのだろうか。

 同じく積極的にクラスメイトを攻撃している自分がそう考えるのもおかしな話だが、明菜は

そう思わずにはいられなかった。このクラスの中で絶対プログラムに乗らないと言い切れる

のは、薫と桐島潤(男子6番)くらいのものだと思っていたのに。

 

 それ以上に明菜を驚かせ、同時に戦慄させていたのは、薫が明確な殺意を持って、自分

たちのもとに近付いてきたということだ。

 パニックに陥っていたとかならまだしも、彼女は戦意が無いことを装い、生じた隙を突いて

攻撃に移っていた。

 

 薫は狂っていたり、恐怖に駆られてなどいない。作戦を組み立てる冷静さ、そして躊躇な

く相手を葬る殺意を持っていた。

 怖いと思う反面、ショックな部分も大きかった。

 明菜は薫のことが嫌いではなかったし、彼女の奔放さ、人柄の良さが好きだった。部活

が始まる前、ネットを張るのを手伝ってもらったこともある。

 

 その薫が、人を殺している。

 教室で見せていたあの笑顔は、全て嘘だったのだろうか。

 いくらプログラムだとはいえ、そう考えるとやりきれない気持ちになる。

 逆瀬川明菜は、このプログラムに優勝するつもりでいた。それは同じテニス部として苦楽

を共にしてきた友人たちを犠牲にするということだが、明菜はそのことに何の感慨も抱か

なかった。友達は大切だけど、それはあくまで日常生活でのこと。こういった命のやり取り

になる場面――要するに、裏の世界ではそんな図式は通用しない。こういった窮地で最優

先するべきは自分自身に他ならないのだから。

 

 

 

 明菜は静海中学に入学してからすぐにテニス部に入部し、今まで真面目に部活に取り組

んできた。そのため友人は部活で知り合った生徒たちがほとんどだったし、クラスの中でも

同じ部活の生徒と一緒にいることが多かった。そのため、クラスではテニス部以外の生徒

たちと関わったことはあまりなかった。女子生徒はグループを作ることが多いというが、彼

女たちのそれはまさに典型と言えるだろう。

 

 このクラスだと宴町春香(女子2番)桧山有紗(女子11番)御剣葉子(女子14番)

安川聡美(女子17番)がテニス部員であるが、明菜は彼女たちと合流しようとは思わなか

った。三年間同じ部活に所属していた明菜は彼女たちの良い部分、悪い部分を良く知って

いる。

 

 どんな人間なのか知っているが故に、合流することができなかった。春香も、有紗も、葉

子も、そして聡美も、いつか自分を殺そうとするのではないか。自分が生きて帰りたいと思

っているように、彼女たちも他人を蹴落とし、たった一つしかない生存枠を掴み取ろうとし

ているのではないか。

 

 そう考えると、とてもではないが彼女たちのことを信用するなどできなかった。

 それに、彼女たちにはもともと、少なからず不満がある。大人数を誇るテニス部の副部長

という立場上、明菜は部員の要望、相談、愚痴などを聞くことが多く、自身の性格上のこと

もあり、部活内のまとめ役になることも少なくは無かった。

 

 そういった面で色々とストレスが溜まっていたが、中でも苦労をかけさせられていたのは

有紗と聡美の二人だった。あの二人は少々――いや、大分癖のある性格をしているので

何かとトラブルを起こすことが多く、部内でも少し浮いた存在となっている。

 彼女たちが原因となったトラブルが起きたとき、場を収めるのは決まって明菜だった。

最初は部長がその役目を負っていたのだが、明菜の方があの二人の扱いに長けていたの

で、いつしか自然と”まとめ役”というポジションに立たされていた。

 

 しかしそれは甘んじて受け入れているもので、自分の意思からなるものではない。

 明菜は誰にも本音を口にしなかったが、何人かの部員に対して明らかな嫌悪を抱いてい

た。それは副部長という立場からくる重圧、責務などが招いたものかもしれないが、一度

嫌悪感を持った明菜からしてみれば、そんなことはもう、どうでもいいことなのである。

 

 ――私が、あんな奴らのために犠牲になる必要はない。

 己の手を血に染めてまで生き残ることを決意した明菜は、目の前に現れた人間が誰で

あろうと容赦なく銃を撃つ。クラスのみんなから慕われていた鏑木大悟(男子5番)桐島

潤(男子6番)にも銃を向けた。沖田剛には引き金を引くことも出来た。

 

 人を殺すことが平気なわけではないし、殺人が正しい行為だと思っているわけでもない。

しかし誰かを殺さなければ生きて帰れないプログラムは、そんな甘い考えがまかり通るほど

優しいものではなかった。殺人に対する禁忌はあるし、人殺しなんてできればしたくはない。

 けど、殺さないと自分が殺されてしまう。

 

 殺人を受け入れるか、死を受け入れるか――。明菜にとって、それほど難しい選択では

なかった。

 その結果として、明菜はブローニング・ハイパワーというオートマチック拳銃を片手に、会

場をあても無く歩き回っていた。

 

 

 

 浅くはない怪我を負ったのにも関わらず、明菜の戦意は欠片も揺らいだ様子を見せて

いない。むしろ薫と出会ったことで気が引き締まり、より集中力が増したと言えよう。

 この怪我はちょっと高い授業料だと思えばいい。あの時薫に出会ったおかげで、自分に

まだ油断があることが分かった。優勝するための覚悟が足りないということも思い知らされ

た。次にああいう場面に遭ったら容赦はしない。話す暇も無く、一撃で撃ち殺してやる。

 

 ――私はまだ、死ぬわけにはいかないんだ。

 強豪として知られているテニス部がある高校に進学するため二年生のときから必死に勉

強をしてきたんだし、部活の中でも思い出せないくらい努力と苦労を積み重ねてきた。くだ

らない道徳心や倫理によってこれが崩されるくらいだったら、私が相手の積み重ねてきた

ものを崩してやる。所詮、他人の痛みは相手だけが苦しむもので、傷付けた相手がその

痛みを知ることは永遠にないのだから。

 

 樹木や茂みといった天然の遮蔽物に身を隠しながら、明菜は慎重に慎重に、北へ向けて

歩いていく。利き腕の右手ではなく、左手に握られたブローニング・ハイパワーに若干の不

安が混じった視線を落とした。利き腕ではない左手でどれほど拳銃が扱えるか心配だった

が、銃を撃つ際はそれほど複雑な動作を必要としないし、利き腕ではなくても何とかなる

だろうと楽観的に考え、視線を進行方向へと戻した。

 

【残り31人】

戻る  トップ  進む





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送