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 元気を取り戻したらしい薫が支給された食料を口にするのを確認してから、真冬は小さく

息を吐いた。魂だけの存在である彼に肉体的な疲労が溜まることはないのだが、これは

どちらかというと精神的な疲労、及び薫が元気になってくれたことへの安堵感からくる吐息

だった。

 

 幽霊である真冬は疲労感と無縁だが、無意識の行動――いわゆる生前の癖まで失って

いるわけではない。例えば爪を噛んだり、何かを待っているときに足でリズムを取ったり

などだ。それらは幽霊にとって無意味な行動だが、本人の意識、思考は生前のそれとまっ

たく同じなので、本人の癖、性格などが完全になくなるわけではなかった。

 

 

 

 ――結構落ち込んでいると思ったんだけど、割と早く元気になったな。

 食欲もあるようで、デイパックに入っていたコッペパンを美味しそうに頬張っている。

「ねえ真冬くーん、その辺にイチゴジャムとか落っこちてない?」

『落っこちてるわけないだろ』

「知ってまーす。冗談でーす。言ってみただけでーす」

『…………』

 できることなら、ケラケラと呑気に笑うこの少女の頭を思いっきり引っ叩いてやりたかっ

た。しかし実体がないのでどうすることもできない真冬は、薫の言葉を無視することぐらい

しかできない。歯がゆい思いをする、とはこういう事を言うのだろう。

 

 真冬が薫と行動を共にしてもうすぐ半日が経とうとしていた。出会ってまだ一日が経過

していないが、真冬は村崎薫という少女がどんな人間なのかをすっかり把握していた。

 彼女は典型的な、思い立ったら即行動の猪突猛進型だった。普通の人間は思いつい

てから行動に移すまで大なり小なり逡巡するが、薫にはそれがほとんど見受けられない。

本当に、思ったら躊躇なく行動に移してしまうのだ。それが彼女の行動力の高さを裏付け

ているが、逆を言えば思慮が浅い、ということになる。

 

 先程の、沖田剛と逆瀬川明菜の戦いを止める時だってそうだった。戦いを止めると言う

ので何か作戦があるのだろうかと思っていたが、薫が取った行動は”二人の前に現れて

説得をする”という、実に単純なものだった。戦う術を持っていない相手ならともかく、武器

を持っていた人間を相手にああいうことをするのは迂闊といわざるを得ない。

 薫の行動に頭を悩ませたり、冷や汗をかかされるような思いをしてきたが、それでも薫

のもとを離れようとは思わなかった。何だか手間のかかる妹のようで放っておけないし、

彼女は自分を見ても怖がらずに接してくれた。

 

 それに――薫は真冬にとって、七年ぶりに現れた話し相手でもあるから。

 

 死んでからの七年、真冬はこの土地から一度も外へ出たことがない。いや、出られない

と言った方が正しいだろう。どういう原理なのか分からないが、須川原ホテルの周辺から

離れようとすると、何者かに力づくで取り押さえられたかのように身体が動かなくなる。

まるでこの土地そのものが、真冬を縛り付けているかのように。

 

 そういったところから、真冬は自分が地縛霊と呼ばれる種類の幽霊になっているのだと

知った。浮遊霊、背後霊、守護霊とは違う、特定の場所に取り付く幽霊――地縛霊。

 幽霊は生前の強い思いや怨念が反映して出現するものだと聞いたことがある。死して

なおこの世に残ろうとするほどの意思。それほど強い未練を抱いたのは、真冬の人生で

たった一度きりしかない。

 

 自分が死ぬ時の記憶――七年前の事とはいえ、真冬の脳裏と感覚にはその時のこと

が深く刻み込まれていた。

 

 どんどん冷えていく自分の身体。流れ出す血液。狂ってしまうんじゃないかと思うほどの

痛み。薄れていく視界と、鈍くなっていく身体の感覚。迫り来る死を間近にしたときの、圧

倒的な恐怖。

 

 死んでいく時のことなんて、忘れられるはずがなかった。

 先程薫が言っていた、『助けられなかった人もいる』という言葉。

 あの時死んだ沖田剛という少年は、死んでいく時に自分のような思いをしたのだろうか。

それとも何かを感じる暇もなく、この世と別れを告げてしまったのだろうか。

 

 本当のことを言うと、誰かを助けたいという薫の考えには真冬も賛成していた。死んでい

く時の苦しみを知っている彼は、誰かが目の前で死んでいくのを目にするのが耐えられな

かった。プログラムで命を落としていく生徒の悲痛な表情、断末魔の叫び声が、鋭い刃と

なって真冬の心を傷付けていく。

 

 それでも薫の考えに賛同しなかったのは、他の誰かが死んでいくのを見る以上に、薫が

傷つき、死んでいく様を見るのが耐えられなかったからだ。自分たちはまだ出会って日が

浅いし、お互いのことを深く知っているわけでもない。それでも、薫は真冬の中でとても

大きな存在になっていた。

 

 薫が死んでしまえば自分はまた一人になってしまう。自分が、深山真冬という人間の残

滓がここにいることを知っている人間がいなくなってしまう。普通の人間と変わらぬ感覚を

持っている真冬にとって”孤独”は死に匹敵するほどの苦痛だった。命を失ってからの七

年間、誰とも話すことなく、誰とも接することなく時を過ごしてきた。強い未練が自分をこの

世に繋ぎとめていることは分かっている。しかし、分かっていてもどうしようもなかった。

どうすればその未練を断ち切ることができるのか、どうすれば自分は完全に死ぬことが

できるのか。その方法を知りえる事のできぬまま、真冬は七年という長い年月を、誰とも

関わることなく過ごしてきた。

 

 

 

 孤独が死に匹敵するほど辛いものだということを、この時真冬は初めて知った。

 

 

 

「……何で人を殺そうとするのかな」

 パンを食べ終えた薫は、特に問いかけている風でもなく、しかし真冬の耳に届くような声

で言った。

「私、分かんないよ。そりゃ私だって自分の命は大事だし、死にたくなんかないし……だけ

ど、それでみんなを殺そうなんて思わないもん」

『それが普通の考えだろう』

「真冬くんの時も……進んで人を殺している人っていたの?」

『……何人かいた。その時の俺は自分のことで手一杯だったし、そいつにはそいつなりの

事情があるんだと思っていたが……今考えると、だからと言って殺人が正当化されるわけ

じゃないよな』

「そう……だよね」

 そう言って、薫はたまらなそうに沈黙する。真冬が言った”殺人が正当化されるわけじゃ

ない”という言葉に自分を重ねたのか、かなり沈痛な表情をしていた。

 

『――悪い。お前の気持ちも考えずに言っちまった』

「そ、そんなことないよ。別に私、気にしてなんかいないしさっ」

 本人はこう言ってるが、どう見ても空元気にしか見えなかった。やはりまだ、完全には元

気を取り戻しているわけではないらしい。真冬を心配させまいと、わざと明るく振舞ってい

たのかもしれなかった。

「話を戻すけどさ、私は進んで人を殺す人の気持ちが理解できないよ。人を殺すのって

凄い怖いことなのに……人をたくさん殺して、そこまでして生きようとしていいのかなって

思っちゃうよ、私だったら」

 

 誰かの分まで生きるという言葉がある。

 自分のために犠牲になった人間の分まで生きる。死んでしまった者の人生を背負う。

それは人を殺してしまったもの、生き残ってしまったものに出来る唯一の贖罪なのだろう。

 しかし逆に考えれば、今薫が言ったように”そこまでして生きる価値が私にあるのか?”

という結論にも繋がる。大勢の犠牲を出し、その上で生きていくことが当たり前だと思う

ほど人は傲慢ではない。

 

『……かと言ってそこでそいつが自殺でもすれば、犠牲になってしまった奴らの死が全部

無駄になるだろう。どんな理由があっても、生きているって事は最上の幸せなんだぞ』

「……うん、そうだよね」

 生きていることが、変わる事の無い毎日を送ることができることが本当の幸せなんだと、

薫は今改めて実感した。

 本当に大切なものは、失ってからではないと気付かない。よく目にする言葉かもしれない

が、これはとても良く的を得た言葉だ。

 

 朝起きて、家族と会話をして、美味しい食事を取ることができて、学校に行って、友達と

会って、当たり障りの無いことを笑いながら話す。

 プログラムに選ばれる前は当たり前だった生活。もう取り戻す事のできない、当たり前と

呼ばれた日常。自分たちがどれほど幸せな環境にいたのか。それに気付くのには、少し

遅すぎたのかもしれない。

 

『――ところで、これからどうするのか具体的なプランはあるのか?』

「うーん……どうにかしてここから逃げ出すことってできない?」

『無理ではないだろうけど、可能性で言えば限りなくゼロに近い。何しろ、プログラムから

脱走者が出たってのは前例が無いんだ。二重三重に張られた政府の包囲網を突破する

のは難しい。いや、ほとんど無理といってもいいだろうな』

「でも、無理じゃあないんでしょ?」

『そりゃ、まあ……人間の作ったものに絶対なんかないし、どこかに必ず穴はあるはず

だろうけど』

「じゃあ、私たちがその”前例”ってのになればいいじゃん!」

 緊張感の感じられない声で、さらりと凄いことを言ってみせる薫。その目はキラキラと光

り輝いており、先程まで落ち込んでいた少女と同一人物だとはとても思えなかった。

 

『……で、肝心の方法は?』

「ほえ?」

『そこまで自信満々に言い切るからには、何か作戦の一つでも思いついているんだろ?』

「…………」

『……おい』

 何だか、嫌な予感がしてきた真冬だった。

 

「わ、私は肉体労働担当、真冬くんは頭脳労働担当! そこんとこヨロシクっ!」

 と言ってウィンクをしてみせ、開けた方の目元にピースマークを持ってくる薫。これが漫

画だったら背後に”キュピーン”なんて効果音が踊っているだろう。凄まじく可愛い子ぶって

いるポーズだが、薫がするとそれほど不愉快さが感じられなかった。逆に似合っているの

が恐ろしい。

 

 ぶっ叩きたくなる衝動をどうにかして抑え込み、真冬は薫の必殺ポーズを無視して話を

進める。

『作戦が無いんだったら、お手上げだな。正直なところ、プログラムで生き残りたいんだっ

たら、一番いい方法は他のクラスメイトを殺すことだ』

「そんなのできるわけないじゃん!」

 ばん、とデイパックを叩く薫。

『そう怒らないでくれ。今のはあくまでも方法の一つだ。お前にそれを選択しろとは言わな

いよ。ただ、現実的に見ればそうなっているってことを理解してくれ』

「うー……分かってるけど、認めたくない」

 

 薫は真剣に人を殺すことを嫌がっているようだった。この調子だと、正当防衛になっても

相手を殺そうとはしないだろう。極限状態に置かれたことで、他人の命をどうとも思わなく

なってしまった人間を何人も見た真冬は、プログラムの最中なのにここまで他人を思い

やっている薫を見て感嘆した。彼女の優しさは人間として見習わなければいけない部分

なのだろうけど、プログラムでは逆に、彼女の命を落とす要因になりかねない。真冬は

それ対する不安を消すことができなかった。

 

「じゃあ、信用できる人を集めるってのはどうかな? 私一人じゃいい作戦を思いつくこと

ができなくても、みんながいればきっといい方法が出てくるよ!」

『信用できる人、か……。例えば?』

「えーっと、例えば潤くんとか、大悟くんとか、それに恭子ちゃんや真理ちゃん、琉衣ちゃん

も! あと、みっちゃんはケンカが強いから凄く頼りになるし、涼音ちゃんはとっても頭が

いいから、きっといい作戦を思いついてくれるんじゃないかな」

 真冬は難しい顔を浮かべて薫から視線を逸らし、しばらく口を閉ざしていた。

 

『……仲間を集めるっていう方法は有効な手段だと思う。プログラムは多人数で動いた方

が有利だし、本当にいい作戦が出てくるかもしれないからな。ただ――』

 一瞬の間を開け、付け加えて言う。

『お前が見たくないものを見るかもしれないぞ。それでもいいのか?』

 

 それは、過去に一度聞いた言葉だった。

 逆瀬川明菜と沖田剛の戦闘を止める前。決意を固める前に、真冬が口にした台詞。

 

 薫は理解した。

 これは、あの時と同じなんだと。

 見たくないもの、知りたくないもの、心が潰れてしまいそうなものを見ても、決して崩れ

落ちることなく、前に進み続ける。

 決意を固める儀式。真冬との間に交わされる、約束のようなものだった。

 

 そしてまた薫も、真冬と同じように――あの時と同じように、迷いも躊躇も見せず、はっ

きりと頷いてみせた。

『それじゃあ決まりだ。まずは仲間を探しに行こう』

 

【残り31人】

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