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 太陽が天高く昇り、青く澄んだ空の中でその存在を誇示するかのような輝きを見せる。

 季節は七月、プログラム会場となっている須川原ホテル一帯の土地は雲一つない晴天

に恵まれていた。天気予報によればこの晴れ間は明日の夕方まで続くらしいが、一日に

四回、定期的に入る放送以外の情報をシャットアウトされている静海中学三年一組の生

徒たちは、そんなことを知る由もないのだが。

 

 それに、今の少年少女たちにとって大切なのは明日の天気などではない。生きるか死

ぬか、殺すか殺されるか。生と死の狭間で繰り広げられる理不尽な殺戮劇の中で生きる

生徒たちにとって、最も大切なものは自分自身の命なのだから。

 文字盤に見える長針と短針が静かに時を刻んでいく。時刻は十時を回り、G−02エリ

アが禁止エリアになる十一時まであと一時間を切った。

 

 

 

 村崎薫(女子15番)は自身の体よりも大きな幹を持つ木に背を預け、膝を抱え込み、

小さくうずくまっていた。悪戯したことを親に注意され、落ち込んでいる子供のようにも見

えるが、彼女の身に起きた事はそれほど生易しいものではない。

 視界の隅に深山真冬の姿を捉えながら、つい数時間前に起きた出来事を思い出し、

自分自身の体を両手で抱き締めた。薫が構えた銃の先で血を流しながら崩れ落ちてい

く、沖田剛の姿。人が死ぬ瞬間――いや、自分が人を殺した瞬間。

 

 あの場所の光景、あの時に口にした言葉、ベレッタの引き金を引いたときの感触、自分

の手で、人の命が失われていく光景。薫の目に、耳に、記憶に、それらは深く深く刻みこ

まれていた。忘れようとしても忘れることが出来ない、消すことが出来ない殺人という名

の傷跡。薫の心に刻まれた傷はとても大きく、深く、そう簡単に癒されるようなものでは

なかった。

 

 

 

『薫、プログラムが始まってから何も口にしていないみたいだけど、大丈夫なのか?』

 自分の身体を気遣ってくれた真冬を見つめる。彼は相変わらず無愛想とも取れる表情

を浮かべて、ふわふわと宙に浮かんでいた。最初は信じられなかったこの光景も、今で

はすんなりと受け入れることが出来る。

 

「ん……だいじょーぶ、だいじょーぶ。一日くらい何も食べなくても平気」

『強がるなよ。俺の目からでは、とてもじゃないけど平気そうに見えないぞ』

 薫は返事をしなかったが、真冬の言っていることは当たっていた。プログラム開始から

もうすぐ十二時間が経過しようとしている。その間に薫が口にしたものといえば水だけで、

食料は一切口にしていない。前日の昼間に拉致されたわけだから、丸一日何も食べて

いないということになる。精神的な疲労も大きいが、それと同じくらい空腹感による疲労

も大きかった。

 

「あははっ、やっぱバレてた?」

『バレバレだ。お前は嘘をつくのに向いていない』

「向いてないっすか」

『ああ、向いてないな』

 真冬はすうっ、と宙を移動して、薫の正面に移動した。

『さっきの事、まだ気にしているのか?』

「…………うん」

『気休めに聞こえるかもしれないけど、あまり気にしないほうがいい。考えれば考えるほど

ワケが分からなくなっていくぞ』

「それくらい私だって分かってるわよ。でも――」

 

 再びフラッシュバックする、薫の脳裏に焼きついたあの光景。

 握り締めた銃の感触。射撃のときの反動。まるで花火のように宙に咲く血飛沫。糸が

切れた人形のように崩れ落ちていく、沖田剛の体。

 

『あれはお前のせいじゃない。お前は戦いを止めるためにやったんだろう? 誰かを殺そ

うとして撃ったわけじゃないんだ、事故みたいなもんじゃないか』

「事故なんて……そんな言葉で済ませられないわよ。私が人を殺したってことに変わりは

ないんだから」

『あの時いたもう一人の奴は死なずに済んだ。そして俺たちは生きている。それだけじゃ

不満か?』

 

 あの場所にいた三人のうち、命を落としたのは剛だけだった。全員が人を殺すことの

できる武器を持っていたあの状況では、もしかしたらもっと深刻な結果になっていたかも

しれない。自分たちが死なずに済んだだけでも喜ぶべきである。過去にプログラムを経

験し、それで命を落としている真冬は、そのことを薫に伝えたかったのだろう。理想や奇

麗事だけでは生きていけない。過酷で残酷な現実と戦い、勝たねばならない。プログラム

とは、そういうものなのだということを。

 

「私たちは助かったけど、助からなかった人もいる」

『……ああ、そうですか』

 真冬の表情が一瞬、険しくなった。

『――いい加減にしろよ。お前は自分が神様にでもなったと思っているのか? 一人の

人間が何でもかんでも解決できるわけがないだろう!』

 一声叫ぶと、真冬は薫の両肩に掴み掛かった。しかし実体のない真冬の手は薫の体

をすり抜けてしまったが、真冬にとってはどうでもいいことだった。

 

『人を殺したってことが凄く辛いことだってのは俺にも分かる。けど、何で自分の命が助か

ったってことを喜ぼうとしないんだ!? 死んじまったら全部終わっちまうんだぞ? 会い

たい人に会うことも出来ないし、笑うことも喋ることも、こうして誰かに怒鳴られることだっ

て出来なくなるんだ。お前は生きてるってことがどれだけ幸せなことなのか分かってるの

か!?』

 

 薫は地面に座っているので、自然と真冬を見上げるような形になっていた。今まで常に

冷静だった真冬の剣幕に薫は驚きを隠せなかったが、自分へと向けられている真冬の

真摯な瞳を目にし、それで彼の気持ちを理解することが出来た。

 

『人を殺したことを後悔するなとは言わない。でも今は他にやるべき事があるじゃないか。

犠牲になった奴のことを悲しむのはそれからでも遅くはないと思うぞ、俺は』

 真冬の言葉には重みがあった。既に他界し、死んでしまうことの怖さ――生きていると

いうことの素晴らしさを知っている真冬の言葉には、薫の胸に直接訴えかけてくるような

重みがあった。

 

『……急に怒鳴って悪かった』

 真冬はそう言うと、薫の肩に差し込まれていた両手をすっと引き抜いた。

 

 

 

 不思議な光景だなと、薫は思った。

 彼の手は確かに自分の体に触れていたのに、触れられている感じはしなかった。

 けれど真冬はそこに存在している。幻というわけではなく、深山真冬という一つの存在

として、自分の前に現れている。

 

 お互いに話し合うことが出来るのに、触れ合うことが出来ない。

 一番近い場所にいる人と、触れ合うことが出来ない。

 当たり前だと思っていたことが、彼に対しては当たり前ではないというだけで。

 薫は心の隅に、言いようのない寂しさを覚えていた。

 

 

 

 それからしばらく沈黙が流れ、薫が俯いて息を吐く。

 長い吐息の後で、薫は申し訳なさそうに真冬に言った。

 

「ごめんなさい。私、真冬くんの気持ち全然考えてなかった。自分のことばかり考えてい

て、くよくよしているだけで、何もしようとしなかった。――本当にごめんなさい」

『…………』

「それとね、真冬くんの言っていることも分かるし、大事だと思うんだけど……私はやっぱ

り、助けられる人がいたら、助けてあげたいと思う」

『そっか……じゃあ、その時はまた怒鳴ってやるよ』

 真冬のその言葉に、薫は普段と変わらない可愛らしい笑みを浮かべた。真冬の言葉

が効いたのか、笑えるくらいの余裕は取り戻したらしい。雰囲気も少し明るくなり、以前

ほど落ち込んではいないようだった。

「うん、その時はまたよろしく」

 

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