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 一人の少女が、雑草の生えた地面の上を恐る恐る進んでいく。目に見えない何かに怯え

ているようで、しきりに首を振りながら周囲を警戒していた。頭上でまばゆい光を放っている

太陽とは対照的に、彼女の表情は誰が見ても分かるほど、はっきりと恐怖の感情を表して

いた。その証拠に彼女の顔は青白くなっており、下顎はわずかにガタガタと揺れている。

 

 少女の名は御剣葉子(女子14番)。厳格なイメージを連想させる名前とはかけ離れた、

暗くて地味な外見の少女だった。三つ編みの髪に飾り気の無い、細いフレームの眼鏡を

かけている。昼休みの図書室で一人で本を読んでいそうな印象。男女共に個性派揃いの

このクラスでは間違いなく目立たないだろう。静海中学一の部員数を誇り、三年一組でも

五人の生徒が入っているテニス部に所属しているが、その中でも彼女はパッとしなかった。

内向的な性格なので人と話をするのが苦手で、なかなか思うように結果を出すことができ

ないのである。本人も性格改善を目指して努力しているのだが、今のところやる気が空回

りしているだけだった。

 

 

 

 視界の先にはコンクリート製の橋があった。水面に陽の光を受けた川がまばゆい輝きを

放ち、岸に生えた草が水の流れでそよそよと揺らいでいる。近付いて目を凝らしてみると、

小さな魚が何匹か泳いでいるのが見えた。

 日常の生活でも、これに似た光景は何度も見たことがある。テニス部での基礎体力作り

として行われるランニングで、学校の近くにある河川敷を通るコースがあった。葉子はその

時に、河川敷から川を眺めていることが多かった。もちろん走りながらなので大変だった

けれど、河川敷から望むあの川、あの景色を見るのは一つの楽しみでもあった。

 

 

 

 葉子は橋に差し掛かる所の手前に立ち、二度と戻らぬ日常の生活に思いを馳せる。

「お父さん、お母さん、お兄ちゃん……」

 真っ先に浮かんだのは家族のことだった。家族のもとには既にプログラムに選ばれたと

いう連絡が行っているらしいが、両親はどんな反応を見せているだろう。子供のように泣き

じゃくっているのか、それとも絶望で抜け殻のような状態になっているのか。

 

 葉子は確かに口下手で内向的な性格だが、決して臆病な少女ではなかった。部員数が

多いテニス部へ入部したのも人と話す機会を増やすためだし、小学校のとき、何人かの

男子生徒に苛められていたときだって、不登校を選ぼうとはしなかった。葉子はこう見えて

も、芯がしっかりとしている。

 

 そのためかもしれないが、彼女はプログラムに対してパニックに陥ってしまうほどの恐怖

に捕らわれてはいなかった。ホテルを出発したばかりの頃は怖くて気が狂いそうだったが、

時間が経つにつれて気持ちは徐々に落ち着いてきている。まだかすかに体が震えている

し、たまに泣きそうになるが――正常な思考回路を失っているというわけではない。

 しかしそれも、この目で誰かの死体を見たらどうなるか分からなかった。自分が生きてい

てプログラムが進行していけば、どこかで息絶えたクラスメイトと対面する可能性は極めて

高くなる。

 

 クラスメイト同士で殺しあう……。プログラムのルールは知っていたが、いざその立場に

なるとなかなか実感が湧かなかった。片桐裕子が死んだところはクラスの全員が目にして

いるし、これがプログラムだということはもはや疑いようの無い事実だが、慣れ親しんだ

人間同士で殺し合うことなんて本当にあるのだろうか? 先程の放送では三人の名前が

呼ばれたが、政府のヤラセだという考えは否定しきれない。昨日まで一緒だったクラスメ

イトを殺すなんて、そんなことできるのだろうか? 少なくとも自分は無理だ。誰かを殺す

なんて考えたくもない。

 

 けれど、それを選択する人間がいないとも言い切れない。真神野威(男子15番)のグル

ープは黙って殺されることを選ぶような人たちじゃないし、刀堂武人(男子10番)も、渡良

瀬道流(男子18番)も平気で他人を傷つけることができる人間だ。女子は矢井田千尋(女

子16番)のグループ以外ならみんな信用できるけど、男子はダメだ。危険な人たちが多い

し、何より乱暴だし、暴力的だし――。

 

 

 

 葉子は小学校時代、クラスの男子生徒数人に苛められていた時期がある。彼らにして

みれば遊び半分だったのだろうが、葉子にとっては一生忘れる事のできない、心の傷を

負わされることになった。

 そのときの反動から、葉子は男性と接することが苦手になってしまった。今では少しだけ

克服することができたが、それでも完全に治すまでには至っていない。

 

 ――やっぱり、男の子はダメ。怖いし、信用できないし、騙されて殺されちゃうかもしれな

いし……。

 今になって葉子は後悔していた。何であの時自分は、黛真理(女子13番)について行か

なかったのだろう、と。

 

 ホテルから出てすぐに真理が現れたのにはビックリしたが、真理は「すぐ近くに萩原が

いるからすぐに逃げて!」と、間近に迫っていた危険を自分に知らせてくれた。事実、葉子

があの場から離脱した直後、銃を手にした男子生徒――恐らく淳志だろう――が、林の中

から出てきたのが見えた。

 あの時はわけが分からなかったので言われたとおり逃げるしかなかったが、なぜ自分は

多少無理矢理にでも彼女と合流しなかったのだろう。

 

 葉子は真理の力強い瞳を思い浮かべる。

 彼女や村崎薫(女子15番)が横にいてくれたら、少なくともここまで恐怖を感じていること

はなかったかもしれない。真理は背が高くて格好よくて、誰に対しても怯むことなく、ちゃん

と自分の意見を口にしていた。薫は強引なまでの明るさを持っていて、彼女の周りには絶

えず人が集まっていた。二人とも自分にはない、葉子が憧れてやまないものを持っている。

それは嫉妬などではなく、純粋な憧れの気持ちだった。

 

 同じテニス部員である逆瀬川明菜(女子7番)などにも会いたいが、贅沢を言えば真理か

薫と会っておきたかった。

 葉子は一度深いため息をつき、それからコンクリートで出来た橋に最初の一歩を踏み出

した。葉子の歩みと同調して、彼女の手の中にあるボウガンがカチャカチャと小さな音を立

てる。

 

 その音のせいで――葉子は気づくことが出来なかった。

 背後から迫っていた、小さな小さな足音に。

 

 

 

「おい」

 突如聞こえてきた声。すぐ側に誰かがいる――頭よりも本能で事態を理解した葉子は、

ボウガンを水平に上げると同時に後ろを振り返った。

 中山博史(男子11番)の姿が――三十センチほどの長さを持つ木の枝を振りかぶって

いるクラスメイトの姿が、その目に飛び込んできた。

 

 博史は力と勢いに任せて葉子の左頬に木の枝を突き刺した。刃物のように鋭利な切れ

味を持っているわけではないので、木の枝は先端が刺さったところで動きを止めてしまう。

しかし博史は構うことなく、力を込めて木の枝を更に奥へと押し込んだ。

 木の枝は頬の肉を文字通り蹂躙しながら葉子の口腔へと侵入していく。ブチブチという

肉の引き千切れる音が、葉子の耳にはっきりと届いていた。

 

「ぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁあああ!!!」

 葉子は絶叫を上げた。博史が突き刺した木の枝は左の頬のみならず、右の頬まで突き

破っていた。両頬を貫通させられた葉子は、痛みとショックで完全に正気を失っていた。

 ボウガンを離して突き刺さった木の枝をどうにかしようと頬を掻きむしっているが、無論

そんなことで木の枝が取れるはずもない。その間にも頬の両端から涙のように血が流れ

出し、白い制服を赤く染め上げていく。

 

 その様子を黙って見ていた博史は葉子が手放したボウガンを拾い上げると、血まみれで

泣きじゃくっている葉子めがけて引き金を引いた。矢の撃ち出される風切り音がして、葉子

の頭が何かで殴られたように、ガクンと後ろへ弾かれた。

 

 体を大きく仰け反らせて、葉子はそのまま仰向けに倒れた。頬には変わらず木の枝が

刺さったままだったが、彼女はもうピクリとも動かなかった。発射されたボウガンの矢は葉

子の眉間を射抜き、彼女を一撃で死に至らしめていた。

 

 

 

 御剣葉子を殺害した張本人である中山博史は、ボウガンを構えたまま、身体を小刻みに

震わせながらその場に立っていた。上手くいくかどうか不安だったが、ここまで順調に事が

運ぶとは。

 それから、葉子が持っていた――今では自分の持ち物であるボウガンに目を下ろした。

重量は結構あるが、反動はそれほどでもないし、矢も思った方向へ飛んでいく。扱う上で

不便なところはない。さすがに銃と比べれば見劣りするが、充分に武器と呼べる代物だっ

た。

 

 これさえあれば、あいつを殺せる。自分に屈辱を与えたあの女をなぶり殺してやることが

できる。その光景を思い浮かべるだけで、ひどく愉快な気持ちになってきた。

「は……ハハ……ハハハハハハハッ!! 待っていろよ、黛真理! お前は、お前だけは

必ず! 必ず俺の手で殺してやる!」

 胸の奥底から湧き上がる期待と怨嗟の念が混ざり合い、中山博史という一人の少年を

ドス黒く、歪んだ色に染め上げていた。

 

女子14番 御剣葉子  死亡

【残り31人】

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