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 黛真理(女子13番)は軽く息を切らしながら、木と木の間を縫うようにして走り抜けてい

った。本当なら全力で走りたいところだが、周囲への注意が散漫になるといけないので

七〜八割くらいの力で走っている。それでも彼女の息は全力疾走をしているときのよう

に荒く、額にじんわりと浮かんでいる汗を見る限りでは余裕を持っているようには見えな

い。少なくとも彼女自身は余裕を持って走っているつもりなのだが、第三者がそれを聞

けば見れば首を傾げなくなる様子だった。

 

 真理は一組の女子の中でも一、二を争うほど運動能力が高い。百メートルや二百メー

トルを走ったところで息切れなんてしないし、持久走のタイムは陸上部の生徒と比較して

も決して劣っていなかった。

 

 その真理が、ほんの百メートルほどを走っただけでひどく疲れた様子を見せている。

整備されたグラウンドと手付かずの雑木林。運動のときに使用する靴と普段から履いて

いる靴。状況、環境の違いは様々だが、最も大きな要因となっているのは精神状態だ

った。

 

 自分以外の生徒全てが敵のプログラム。殺すか殺されるか、そんな非現実的な状況が

真理の心に多大なプレッシャーを与えていた。平静な状態で走った時と、何かに怯えてい

る時に走ったものとでは身体に降りかかる疲労度は桁違いだ。

 真理もそのことは理解しているのだが、だからといって、それをどうにかできるわけでも

ない。恐怖は人間の根本に位置する本質的な感情なので、それを後からとってつけた

理性で完全に抑制できるほど甘くはない。漫画や映画の登場人物ならそういった芸当も

できるのだろうけど。

 

 

 

 一旦立ち止まり、左手首に巻かれた腕時計に目を落とす。真理はもともと左利きだっ

たのだが、今では矯正して右利きにしている。それは真理の意思ではなく、ほとんど親

の強制であったのだが。

 時計の文字盤は午前七時をほんの少しだけ回っていた。真理は首輪にそっと触れて、

そのまま時が過ぎていくのを見つめていた。

 

 ――良かった、何とか間に合ったみたいね。

 つい先程まで真理がいたA−01エリアは午前七時から禁止エリアに指定されていた。

真理はそのことを放送でちゃんと聞いていたのだが、ついうたた寝をしてしまい、エリア

から逃げ出すのが遅れてしまった。一つのエリアがそれほど広くはないということは分か

っていたし、足の早さには自信があったのだが、うまく離れることができるかどうか不安

だった。しかしちゃんとエリアの外に出ることが出来たので、安心感もひとしおである。

 

 禁止エリアに入ったら首輪が爆発する、と担当教官の三千院零司は言っていた。それ

を実際目にしなくても、”爆発”という単語を聞いただけでそれがどれほど恐ろしいものな

のか理解できる。爆発に巻き込まれて全身が吹き飛ぶならまだしも、首輪が爆発すると

なると死体はかなり凄惨なものになるだろう。考えただけで胃の中のものを戻しそうだ。

 

 

 

 ――そういえば、あいつはちゃんと放送聞いてるのかしら。

 真理は、クラスメイトであり中学に入ってからずっと親しくしている友人、村崎薫(女子

15番)の顔を思い浮かべた。彼女は少しおっちょこちょいなところがあるので、うっかり

禁止エリアに入っていやしないかとか、放送を聞き逃しているんじゃないかとか、つい

彼女のことを気にかけてしまう。

 先程の放送では名前を呼ばれていなかったが、こんな状況ではいつ名前を呼ばれて

もおかしくはない。薫は自然と人を惹きつけるオーラのようなものを持っているが、その

性格から放っておくと限度を知らずに暴走してしまう。薫の隣には、いざという時に道を

示してあげることのできる人物が必要だった。

 

 いつもなら茜ヶ崎恭子(女子1番)琴乃宮涼音(女子4番)がその役目を担っている

のだが、二人が薫と合流しているとは限らない。信用できる友人――特に薫は、早い

うちに探し出して一緒に行動する必要があった。

 もちろんその際には、この会場のどこかにいるであろうやる気になっている人物に注

意しなければいけない。零司に殺された片桐裕子を除けば、この七時間で三人の生徒

がクラスメイトに殺されたことになる。

 

 

 

 ――いったい誰がそんなことを……。

 死んでしまった四人の無念を思う一方、彼らを殺した誰かに対しての怒りがふつふつ

と湧き上がっていた。

 

 どんな理由があろうと殺人だけは許せなかった。人の命を奪っていい権利なんて誰に

もない。人はみんな思い、考え、悩み、喜び、必死に生きている。人はものなんかじゃな

い。みんながみんな、生きているんだ。それを断ち切るなんて、誰であろうと許されること

ではない。自分の都合だけで他人の人生を終わらせるなんて、そんなことふざけている。

 誰だって死ぬのは怖いはずなのに、何でそれを相手に与えようとするんだろう。邪魔な

奴を殺せば全てが解決する。そう思っている奴らは確かにいるだろう、悲しいけど。

 

 けどそれは違う。そんなことをしたって何も問題は解決しない。どんな理由があっても

殺人は正当化なんてされないんだ。人を殺した後に残るのは血で汚れた手と、消えること

のない罪悪感と、からっぽの達成感だけじゃないか。

 

 真理は自分の意思をはっきりと口に出して言える、とても正義感の強い少女だった。

とにかく卑怯なことや間違っていることが大嫌いで、クラスメイトには体育会系のノリだと

か、感情そのままに行動している、というイメージを持たれている。

 

 それ故に真理は周りから頼りにされ、多くの友人に慕われて今までを過ごしてきた。

グループの中では姉御的なポジションにいて、広い交友関係を持っている。普段はアッ

プにしてまとめている、淡い栗色をしたセミロングの髪と、きゅっと引き締まった口元に

切れ長の目、ところどころ整った顔のパーツは、真理から煌びやかなオーラを漂わせて

いた。美しい容姿を持つ真理だが、それを鼻にかけたことは今まで一度もない。

 そういった彼女の誠実さが明るく気さくな性格と相成り、多くの友人たちから慕われる

要素となっている。

 

 このクラスの人間だいたいとは仲がいいが、心の底から信用できる人間は片手で数え

られるくらいしかいなかった。友達を疑うなんてしたくなかったが、こういう時だからこそ、

是非の判断はしっかりしていなくてはいけない。

 絶対に信用できるクラスメイト……女子では薫と恭子だろうか。男子では桐島潤(男子

6番)と、そして――。

 

 

 

「あいつ……今何やってんのかな」

 寂しそうに呟くその言葉の端には、わずかながら後悔の念があった。

 真理はスタート地点のホテルを出る直前まで、日頃の学校生活の中で行動を共にする

ことが多かった友人たちと合流するつもりだった。桐島潤など既に何人かは先に出発し

てしまっているが、残りのメンバーは出席番号の後ろの方に集中している。短くはない

時間を外で待つことになるが、ひとりで行動する怖さ、寂しさを思ったらあまり気にならな

かった。

 

 しかし真理は見落としていた。それを考えているのが自分だけではないということ。そし

て、やる気になった誰かが武器を手に待ち伏せしているかもしれないということを。

 そのため、ホテルの入り口付近に潜んでいた萩原淳志(男子13番)と出会ったときは

頭の中が真っ白になり、”薫たちと合流したい”という考えは”殺される前に逃げないと”

に書き換えられてしまった。

 

 言葉はほとんど交わさなかったが、淳志が真神野威(男子15番)を待っていたことは

ほぼ確実だろう。淳志一人でも勝てるかどうか分からないのに、そこに威が加わったら

勝負するだけ無謀というものである。そのため真理はホテルに戻りたいと思っても戻る

ことが出来ず、誰とも合流することが出来ぬままホテルが禁止エリアに指定されてしま

った。

 

 木々や茂みの間に身を隠し、冷静さを取り戻してから何度か考えたことがある。もしか

したらあいつは、自分が待っていてくれている、と思っていたのではないかと。

 思い上がり――というよりも少し自意識過剰だが、あいつとの付き合い自体は、クラス

の中でも自分が一番長い。幼い頃は男女という事を気にせずよく遊んだものだし、家族

ぐるみで旅行に行ったこともある。ちょっと思い出すのが恥ずかしいが、一緒の布団で

寝たりだとか、それこそ、お風呂に入ったこともある。



 やっぱり、待っていたほうがいいのかなと後悔の念に苛まれたが、後続の出発者たち

の顔ぶれを考えると、どうしても躊躇してしまう。

 クラスの全員が通過するホテルの入り口付近に留まるということはかなり危険な行為

だが、あいつなら――渡良瀬道流(男子18番)なら、それくらいの危険は易々と跳ね除

けてしまうだろう。

 

 道流が今どこにいて、何をしているのかは分からない。けれど真理は、あいつはこの

ゲームには乗っていないと確信していた。クラスメイトの多くは、彼を威と並んで最重要危

険人物に指定しているだろうけど、あいつは進んで誰かを殺すような奴じゃない。いや、

むしろその逆なんだ、あいつは。

 

 あまり知られていないことだが、真理と道流は同じ町内に住んでいる。そのため小学校

も同じ所だったし、家もそれなりに近かったので幼い頃から何度か交流はあった。つまり

幼馴染というやつだ。小学校からずっと同じクラスだから、腐れ縁と言ってもいいだろう。

 自分と彼は長らくつかず離れずだったのに、ここにきて初めて離れ離れになってしまっ

た。いつもはなんとも思っていなかったが、いないとちょっと寂しいというか、物足りない

感じがした。

 

 しかし今は事態を憂いている場合ではない。とにかく行動あるのみだ。会場を動き回っ

てみんなを見つけて、殺し合いを止めなければいけない。何もしないうちから諦めていた

ら道流に笑われてしまう。嫌味ったらしく微笑んで、いつも掛けている水色のサングラス

を指先で押し上げ、『どうせ悩むんだったら、突っ走って壁にぶち当たってから悩めよ』

とか言うんだろう。

 

 ――想像するだけで何かムカついてくるわね。

 フェミニストを気取っているくせに、自分に対してだけ接し方が雑なのが少しだけ不満

だった。あいつにとって自分は女性として認識されていないのだろうか。確かに男勝り

だって言われることはよくあるし、恭子や夕村琉衣(女子18番)が持っているおしとやか

さとは程遠いということも自覚している。

 

 けれどやっぱり、ちょっとだけ納得がいかなかった。あいつとはただの腐れ縁だし、友

達以上の関係ではなかったけど。

 

 彼の目から見た自分がどう映っているのか、気にならないといえば嘘になる。

 

【残り32人】

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