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 とにかく、今最優先すべきことは誰かを見つけることだ。薫や道流を探し当てることが出来

れば申し分ないのだが、いくら何でもそこまで上手く事が運ぶとは思っていない。やる気に

なっていなくて、それでいてこちらの話を聞いてくれる奴がベストだ。

 逆に考えれば、話を聞こうともしない、もしくはやる気になっている人物とは接触を避けた

ほうがいいということになる。最悪の場合は戦わなければいけないのだろうけど――。

 

「こんなんで戦えとか、ほんと無茶苦茶だし」

 デイパックの中に入っていたビニール製のケースを取り出し、真理はため息混じりに愚痴

を漏らした。それはホームセンターの事務用品売り場などでよく売られている小さなビニール

ケースとほぼ変わらない作りをしていたが、中に入っていたのは小物ではなく、どこにでも

売っていそうな水色のハンカチと『クロロホルム』というラベルの貼られた瓶だった。

 

 つまるところこれは、クロロホルムをハンカチに染み込ませて相手の口元に押し当て、眠り

に落とすための武器なのだが――どう考えても直接戦闘に向いた武器ではない。そもそも

ちゃんと効き目が現れるのかが疑問だった。TVなどではすぐに眠ってしまうが、現実ではど

うなのだろう。いざ使ってみて効き目が出てこなかったら目も当てられないが、これの効果を

検証する方法がないので、とりあえず持っているしかなかった。まさか自分で試してみるわけ

にもいかない。

 

 

 

 真理は一旦立ち止まり、再び地図を広げて会場の地理を確かめた。人がたくさんいそうな

所となると、やはり隠れる場所がある建物だろう。B−04にある倉庫、C−04にある名産品

館、C−06にあるホテルの別館。考えた末、真理はそれらの建物を片っ端から訪ねてみる

ことにした。

 

 これらの建物がある場所は川を挟んで反対側のエリアだ。Aー01が禁止エリアに指定され

てしまった以上、向こう側に行くにはD−03エリアにある橋を渡らなければいけない。渡らな

くとも大きく迂回すれば行くことは可能だが、それではさすがに時間がかかりすぎる。

 エリアの目印があるわけではないのでどこからD−03エリアなのか分からなかったが、川

沿いに進んでいけばいずれは辿り着くだろうと考え、真理は進行方向をやや左よりにして移

動を開始した。足元は土だが割りとしっかりしているので移動に苦労することはない。とは

いえ、所々に木の根が出ているので、気を抜いていたら引っ掛かって転んでしまうかもしれ

なかった。

 

 十五分くらい歩いた頃、真理は茂みの先から明らかに何者かが立てた水音を聞いた。

草木が茂っていて視界が悪く、その先がどうなっているのかははっきりと分からないが、その

水音はパシャッ、パシャッという感じで聞こえてくる。野良犬や野良猫が水を飲んでいる音に

しては大きい。

 

 真理は息を殺し、近くに立っていた木の幹に身を隠した。そのまま様子を窺っていたが、

水音はもう一度だけ聞こえ、それから聞こえなくなった。

 「ふう」という声が聞こえ、茂みの先から人の頭が飛び出した。真理はそれで驚いて後退り

しそうになったが、物音を立ててはいけないと言い聞かせ、何とかそれを堪えた。

 その人物は後ろ姿だったが、髪型や体格などから察するに、どうやら男子生徒のようだ。

両手を顔に押し当てて擦っている。そしてその手には、白い布――タオルだろうか?――が

確認できた。

 

 ――顔を洗っていたのかしら。

 自分も川の水で顔を洗った(少し嫌だったが)ので彼の行動は否定できない。しかしそれに

しても、少々無用心ではないだろうか? 

 などと考えていると、男子生徒はタオルをどこかにしまって、きょろきょろと周囲に視線を

配り始めた。当然のことだが、全く警戒心がないわけではなさそうだ。

 

 木の幹から顔を出して男子生徒の様子を観察していると、視線を巡らせていた中山博史

(男子11番)の目と、真理のそれが合ってしまった。真理は急いで顔を隠したが、時は既に

遅い。茂みの向こうにいる博史は「そこに誰かいるのか!?」と、動揺と警戒に満ちた声を

出している。

 

「誰だ? 隠れていないで姿を現せ!」

 ――デカイ声出してんじゃないわよ、馬鹿。

 心中で舌打ちをすると共に、真理は自分の運のなさを呪った。なぜならば、真理は彼の

ことがとてつもなく苦手だったからだ。二階堂平哉(男子12番)矢井田千尋(女子16番)

ように犬猿の仲というわけではなく、真理が一方的な苦手意識を抱いて、できるだけ関わら

ないようにしているだけなので、博史が自分のことをどう思っているのかは分からない。もし

かしたら友好的に思ってくれているかもしれないが、そんな可能性とは無関係に、博史は

このプログラムにおいて”会いたくない奴リスト”に名前が記されている一人だった。

 

 

 

「そこにいるのは分かっている! 出てこないのならこちらからいくぞ!」

 真理は今度は心中ではなく、音に出してハッキリと舌打ちをした。

「だからデカイ声出さないで、て言ってるでしょ」

 博史に聞こえるか聞こえないかといった音量で呟きながら、真理は両手を上げて木の幹

から姿を現した。観念した――というより、これ以上彼に大声を出されるのがたまらなかった

からだ。この付近に誰かがいれば、彼の声を聞き付けてやってくる恐れがある。そして、その

誰かがやる気になっているという可能性も。

 

「お前……黛か。お前一人か?」

「…………」

 黙っていると、茂みを掻き分けて近付いてきた博史が右腕をひゅん、と振り下ろした。それ

と同時に博史の右腕から銀色に光る物が飛び出してきて、あっという間に棒の形になった。

それは警察官などが持っている警棒と同じもので、どうやらこれが博史の武器であるようだ

った。

 

「俺の質問に答えろ。ここにいるのはお前一人か?」

 警棒を突きつけて優位を築いた博史は、徐々に語気が荒くなっていた。自分の質問に対

して何も答えようとしない真理に苛立ちを感じているようだ。

「一人よ。先に言っておくけどあなたを殺すつもりはないし、このゲームに乗っているわけで

もないわ」

 その剣幕に押されてはいたが、真理は相手の勢いに屈したような素振りは見せなかった。

「このゲームに乗っていないだと?」

「ええ、そうよ。そんなの当たり前じゃない」

 それを聞いた途端、博史の表情が一気に険悪なものになった。

 

「……お前、正気か? なぜプログラムをこなそうとしない? 俺たちは年に五十クラスしか

選出されないあのプログラムに選ばれたんだぞ? いわば選ばれた戦士だ、光栄なことじゃ

ないか。それなのに国のために貢献しないなんてどうかしている」

 眉根を寄せ、真理は「ああ、やっぱり」と思いながら下唇を噛んだ。彼女が博史を苦手と

しているのも、極力関わらないようにしているのも、全ては彼の持つ”愛国心”が原因だった。

 

 真理たちの学年では周知の事実となっていることだが、博史は二言目には「国のために」

という言葉が出るほどの愛国主義者だった。博史の親戚は代々軍人を多く輩出している家

系となっており、その影響を受けて博史の家でも国を尊んでいる者が多い。

 

 そんな家族の中で生まれ育ったため、物心付く頃には博史の愛国心はしっかりと形になっ

ていた。彼は自分の生まれ育った大東亜共和国という国が好きだったし、その国に仕えて

いる両親のことを誇りに思っていた。祖国のために汗を流して働いている両親の姿を見て、

博史は何度も「自分も早くああなりたい」と思った。そんな彼が総統に崇敬の念を抱くのは

当たり前のことだったし、大東亜という国の体制に何の疑問も抱かず、それを正しいことだと

信じきってしまうのもまた当たり前のことだった。

 

 それ故に、真理は博史のことが、博史の国に対するその極端な姿勢が苦手だった。なぜ

ならば真理の家もまた愛国主義者の家系で、彼女も幼い頃から大東亜共和国がいかに崇

高で素晴らしい国なのかを嫌というほど聞かされてきたからだ。――本当に、嫌というほど。

 

 

 

 とは言っても、真理は別にこの国のことが嫌いではなかった。何しろ自分の生まれた国だ

し、友人もたくさんいる。プログラムなどに代表される政府や軍のやり方には賛同できない

ものが多かったが、それでも真理はこの国が決して嫌いではなかった。なくなってしまえば

いい、何て思ったことは一度もない。

 

 ただ、真理は祖国への献身を声高に言ってくる両親の姿を見るたびに、『好きなものは誰

かに強制されて得るものではない』と思ってしまうのだ。

 何であろうと、好きなものはそれを通じ、体験していくうちにおのずと心の中に生まれてくる

ものだ。それは部活であろうと遊びであろうと、祖国愛であろうと変わらない。誰かに強制さ

れて生まれた感情は、本当に自分自身が望んで得たものだと言えるのだろうか。

 

 どんな物事に対しても堂々と、真っ直ぐにぶつかっていく真理だからこそ、本当に好きなも

の、大切なものに対しての気持ちは偽りたくなかった。間違っていると思っているときはそれ

を口にし、進む道を正してやってこそ、本当にそれを”好き”だと言える気持ちなのではない

か。好きなものに執着しすぎて是非の判断がぼやけてしまっては、本当にそのことを想って

いる、好きでいることとは違うような気がする。

 

 博史の家同様、真理の両親も絵に描いたような軍人気質だった。そのため小学校高学年

に上がる時くらいから、真理は両親の考えに嫌気が差すようになっていた。表向きには聞き

分けの良い子を演じていたが、内心では両親の考えを受け入れられなかった。

 その要因としては、真理とは違いはっきりと「俺は父さんたちとは違う」と言い放ち、両親

から侮蔑の目で見られている二つ上の兄の存在が大きかった。

 

 理由はどうあれ、実の息子に対し酷い口をきく親を好きになれるわけがない。父さんたちの

その気持ちは間違っていると言いたかったが、「お前まで酷い思いすることないよ」と優しく

それを制してくれた兄の手前もあり、今までずっと口には出せずにいた。

 真理が博史に対して抱いている苦手意識の根底はそこだった。まるで自分の両親を見て

いるかのような、言いようのない不快感。一度関わってしまっては自分の感情が爆発してし

まうのは明らかだったから、あえて彼とは接しないようにしてきた。

 

 それがよりにもよって、こんなときに遭遇してしまうなんて。

 

 真理は穏便に事が過ぎることを願っていたが、どうも博史はそれを願ってはいないらしい。

警棒を握り直すと、一旦それを胸元まで引いて、一気に左から右へ振り薙いできた。何の予

告もない突然の動作だったが、真理は博史の手の動き、足に掛かる重心の具合などを見て

バックステップで博史の攻撃を見事にかわした。剣道部で培った洞察力、反射神経が役に

立った瞬間だった。

 

「プログラムに乗る気がないということは、貴様は総統閣下のご意思に逆らうということだな」

「何でいきなりそういうことになるわけ? 私はただ単に人殺しがしたくないだけ。総統の意思

なんかは関係ないわ」

「お前――」

 博史の顔が一気に朱に染まった。真理が発した『総統の意思”なんか”』という言葉が、彼

のNGワードに触れたのだろう。

 

 博史は右手に警棒を握り締め、やや前傾姿勢で身体ごと真理にぶつかっていく。大きく振り

かぶられた警棒は目標とされた真理の頭部めがけて振り下ろされた。博史は全力で戦いに

きているつもりなのだろうが、真理にしてみれば稚拙とすら言えない、よけるのも面倒くさい

ような攻撃だった。

 

 ――軌道が丸見えだし、モーションが大きすぎる。せめてもっとコンパクトに振りなさいよ。

 博史の攻撃の欠点を指摘しつつ、真理は肩から提げていたデイパックを頭上にかざして

警棒を防いだ。さすがに衝撃は伝わってきたが、真理の腕にはかすり傷一つついていない。

 カウンター気味に真理が放った蹴りは、見事に博史の脇腹に命中した。その痛みと衝撃で

博史は目を回したが、さらに真理は容赦なく追撃を繰り出す。矢のような勢いで突き出された

拳は博史の顔面を強打し、彼の鼻からは血が細い流れとなって噴き出した。

 

 

 

「どう、まだ痛い目に遭いたい? それが嫌だったらさっさと私の前から消えてちょうだい」

「ぐうっ……! お、お前……非国民の分際でよくも……!」

 博史はまだ戦いを続けるつもりのようだが、この勝負、真理の方に分があるのは誰の目か

ら見ても明らかだった。それほ運動が得意ではない――むしろ苦手としている博史と、剣道

部屈指の実力者として知られている真理とでは、基本的な能力に差がありすぎた。それは

警棒を持っただけでは埋められないほど大きな差なのだが、博史はその事実に気が付いて

いない。彼の意識は”総統閣下を侮辱した非国民を処刑する”ということに向けられている

ため、状況を客観的に把握することができていなかった。

 

 それとは対照的に、真理は平静を保ちつつ自分がとるべき最善の行動を選択している。

ただこの場合、彼女にとって一番大変なのは博史の攻撃をよけることではなく、平静を維持

するということだった。

 博史に退く気はないと悟った真理は、彼との間隔を取って再び説得を試みることにした。

 

「ねえ中山くん、もうこんなことやめにしない? 私はクラスの誰かが死ぬとこなんてこれ以上

見たくないし、あんただって痛い目に遭うのは嫌でしょ?」

「黙れ、お前こそプログラムを何だと思っている! 総統閣下からの命を全うしてこそ、真の

国民だろうが! 俺たちには栄えある任務を達成する義務がある! お前も大東亜の国民

なら、国のために、総統閣下のために尽くしてみようという気は起きないのか!」

 

 鬼気迫る勢いで、博史は己の思想を語る。彼の顔は真顔そのもので、それこそが博史を

プログラム遂行へと駆り立てる原動力だった。

 博史の想いを、彼の心の中にある”自分の国が好きだ”という想いを否定する気はない。

 

「だからって人を殺してもいいっていうの!? 国のためなら、総統が望めば誰が死んでも

平気だって言うの!?」

 

 だが、今の彼のやっていることは否定せずにはいられなかった。

 

「そうだ! この国が、総統閣下がいるからこそ今の俺たちがある! ならば忠義を尽くすの

は当然だ!」

「違う! 国のために国民がいるんじゃない、私たち国民がいるから国があるんだ!」

「……戯言を!」

 博史は警棒を顔の高さにまで上げ、雄叫びと共にそれを斜めに振り下ろしてきた。気迫も

力もこもった一撃だが、それでも真理の目からすれば遅すぎる。

 

 真理は正面を向けていた身体をすっ、と動かし、左半身を相手から隠すような体勢にした。

それだけで本来当たるべきはずだった警棒は空しく空を切り、たたらを踏む。真理は警棒が

握られた博史の手を思い切り蹴飛ばし、彼の手からこぼれ落ちた警棒を素早く拾い上げた。

その動作から繋げて、博史の頭めがけ警棒を振りかぶる。それを目にした博史は咄嗟に頭

をガードするが、真理の狙いはそこにあった。

 

 真理は振りかぶった警棒を下ろすことなく一旦停止させ、ガードが頭に集中してガラ空きに

なった博史のボディに逆の手で渾身のパンチをお見舞いした。予想外の箇所へ攻撃を受け

た博史は喉から呻き声を漏らす。

 頭部を守っていたガードが解けたことを確認すると、真理は今度こそ手にした警棒を振り

抜いた。

 

 打撃音が一度だけ響き、博史の身体は独楽のように回転しながら、顔面から地面に叩き

つけられる。割れた額と再び噴き出した鼻からの血が、朝の森の中に赤の飛沫を描いた。

 倒れたときの衝撃で、博史の身体が仰向けになる。彼の顔は血まみれで、すでに気絶して

いた。

 

 

 

「やば……ちょっとやりすぎちゃったか」

 真理は少し焦り気味で、足元にいる博史を見下ろした。本気で襲ってきたからついフルスイ

ングしてしまったが、死んではいないはずだ。

 結果としてこんな形になってしまったが、どうにか博史を止めることはできた。本当は説得

できれば一番良かったのだが、今さらそれを悔やんでも仕方がない。

 

 博史には、これに懲りたらプログラムに乗るという考えを改めてほしいのだが、そう上手く

いくだろうか。彼の考えはかなりのものだし、目を覚ましても他の誰かを襲おうとするかもし

れない。そうすれば真理の友人たちに危機が及ぶ可能性もある。

 博史を行動不能にしようかという思いが、ほんの一瞬だけ真理の頭をよぎった。だが真理

はすぐにそれを打ち消し、博史が持っていた警棒を自分のデイパックに入れると足早にこの

場所を後にした。

 

「次の放送で禁止エリアにならなきゃいいけど……」

 博史をそのまま放っておいたことが気になったが、今は自分自身の安全、そして友人たち

を探すことに全力を尽くすことにした。

 

【残り32人】

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