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 朝が近づき、ホテルの外に出てからずっと空を覆っていた漆黒のカーテンが徐々に薄らい

でいく。遠くの空に白い光が見え、黒一色だった空に様々な色が付き始めていた。あと一時

間もすれば、夜の空で圧倒的な存在感を持っていた星々と月も太陽の光にかき消されて、

だんだん見えなくなっていくのだろう。

 

 明日のこの時間、自分は今のように薄らいでいく星と月を眺めることができるのだろうか?

今の自分の命は、風に吹かれてゆらゆらと揺れている蝋燭の炎のように儚い。

 

 いつ消えてしまうのか。いつ無くなってしまうのか。

 

 そんなことを考えるのはもっと、ずっと先のことだと思っていた。

 誰にでも平等に訪れる命の終着点。それがいつ、どこでどのように現れるのか。それは

誰にも分からない。だからこそ人間は、死という概念について漠然とした恐怖感しか抱けず

にいる。

 

 しかしそれがはっきりと――いつ、どのあたりで終わりが訪れるのか知ってしまったとき、

死に対して抱く恐怖感は知らないときの比ではない。

 あと一日か、半日か、もしかしたら一分後か。いつ命を落としてもおかしくないプログラム

という環境の中、桐島潤(男子6番)は森の中を慎重な足取りで歩いていた。

 

 ホテルを出発してからほとんど休みなしで歩いていたため、彼が着ている白いワイシャツ

は土や埃による汚れがいくつか付いている。太陽が沈んだ真夜中とはいえ、七月の気温は

決して涼しいものではなかった。ほとんど夜通し歩き回っていたため、顎の下くらいまである

彼の髪は汗を吸って頬にくっついていた。女子の制服を着せれば女子生徒に間違われる

中性的な顔には、いつも潤が浮かべている優しい微笑ではなく、不安と疑念からくる恐怖が

浮かんでいる。

 

 森の中にたくさん生えている木の中から幹の太いものを選び、それに背を預けて腰を下ろ

した。デイパックの中からペットボトルに入ったミネラルウォーターを取り出し、二口ほど飲ん

で喉の渇きを癒す。左手に巻かれた腕時計の長針は八を、短針は四を指していた。

 ペットボトルのキャップを閉めて、ふう、とため息をついた。プログラムが始まってからもう

すぐ六時間が経とうとしている。体力の低い自分がよくもあれほど動き回れたなと、自分の

ことながら感心してしまった。

 

 ――みんな、何をしているんだろう。さっきから何度か銃声が聞こえてきたけど……やっ

ぱり殺し合いをしているのかな。

 

 潤は両膝を強く抱え込んだ。よく見ると、小動物のように丸まっている彼の身体が、ガク

ガクと小刻みに震えているのが分かる。

 震えが止まらなかった。身体を動かしているときは意識が他のことに向けられているので

震えがくることはないが、身体を休めるとすぐに全身が震え始める。

 

 

 

 潤は最初、いくらプログラムに選ばれたといってもクラスのみんながそう簡単に誰かを殺

したりはしないだろうと思っていた。殺し合いなんてしたくないというのがみんなの本音だろう

と信じて疑わなかったし、スタート地点のホテルで待って、鏑木大吾(男子5番)琴乃宮涼

音(女子4番)黛真理(女子13番)村崎薫(女子15番)など、仲の良い人間同士で集ま

ってこれからの対策を立てるつもりだった。

 

 しかし、大悟と合流した直後――逆瀬川明菜(女子7番)に襲われた時から、自分の考え

はとてつもなく甘いものなんだということを痛感させられた。

 明菜は自分と大悟に向けて銃を撃ってきた。理由は分からないが、自分たちを殺すつもり

で撃ってきたことは明白だった。大悟は自分を逃がすために囮となり、結局彼とは別れる

ことになってしまった。

 

 潤を疑心暗鬼へ陥れることになった決定打は、涼音が自分との同行を拒否したということ

だった。友人に上下関係をつけるわけではないが、涼音だけは他の誰よりも優先して守っ

てあげたいと思っていたし、彼女も自分のことを信じてくれていると思っていた。

 しかし彼女は、潤の受け入れを拒否した。ごめんなさい。ただ一言、それだけを口にして、

文字通り逃げ出すように自分の前から去っていった。

 

 

 

 潤と涼音が交際を始めたのは去年の十一月からで、それほど長い間付き合っているとい

うわけではない。けれど潤の中にある想い出は、二人が過ごしてきた時間よりもずっと長く

て大切なものだった。形には残らないけど、自分と涼音の間で残るかけがえの無いもの。

 彼女の双子の姉である赤音ほどではないにしろ、潤は涼音がどんな人間で、こういう時に

どんなことを考えているのかを予想することが出来る。素っ気無い態度とクールな佇まいか

ら冷たい人間だと誤解されがちだが、涼音は相手を労わる気持ち、他人を気遣う優しさを

持っている。彼女はそれを表現するのが下手なだけで、決して冷たい人間などではない。

 

 だからこそ、涼音が何の理由も告げずに自分の前から去っていったという事が未だに信

じられない。潤が知っている涼音ならば何かしらの理由を告げていくはずだ。涼音が事態を

うやむやにしたたま逃げ出すなんて考えられないことである。

 

 潤はここで一つの可能性を考えた。あの時の涼音には、自分と合流することが出来ない

理由――それも、自分にも言い出せないような理由があったのではないか。とても他人に

は言えない理由だからこそ、ああいう形をとるしかなかった、と。

 

 だとすれば、その理由はいったい何なんだろう? 一番そうだと思われるのは、積極的に

殺し合いに参加しようと思っているから同行を拒んだというものだが、あの涼音がそんな事

をするとは思えない。しかし、どこかで身を震わせながらじっとしているとも思えない。彼女

のことだから何らかの考えがあり、それを実行しようとしているのではないか、と潤は思って

いる。それが何なのかは、さすがに分からないけれど。

 

 

 

 潤は至急武器などと一緒にデイパックに入っていた、プログラム会場の地図を地面に広

げた。D−06、F−04、B−05の三つが既に禁止エリアになっているが、今潤がいるE−

09エリアとは関係が無い場所だった。あと三十分もすればH−03が禁止エリアになるが、

これも特に問題にしなくていいだろう。潤はペンを取り出し、H−03エリアの場所にバツ印

を付ける。

 

 とにかく、一刻も早く涼音と再会しなければいけなかった。なぜあの時あんな行動をとった

のか。その真意を尋ねたいという気持ちもあるが、自分の知らない場所で涼音が命を落と

し、もう会えなくなってしまったら――という思いのほうが大きい。自分はもちろん、涼音が

しばらく生きていられるという保証はどこにも無い。また会えるかもしれないが、もう会えない

かもしれない。だからこそもう一度、彼女に会う必要があった。

 

 

 

「涼音……どこにいるんだよ」

 自然と言葉が漏れる。

 会いたい。涼音に会いたい。

 涼音の声を聞きたい。

 涼音の暖かさを感じたい。

 

 今まで当たり前のように見てきたものが、今は見えなくなっている。

 当たり前だということが失われるのが、こんなに辛いなんて。

 胸が痛む。今にも引き裂かれそうで、どうにかなりそうだった。

 

 死ぬのが怖い。誰かが死ぬのを見るのも、自分が傷つくのも、潤にとっては耐えられない

ほどに恐ろしいものだった。

 

 だがそれ以上に、涼音との再会を果たせず死んでしまうことが怖かった。

 

 ――神様、お願いします。

 一度だけ、もう一度だけでいいんです。俺を、涼音に会わせてください。

 俺は涼音に会いたい。会わなくちゃいけないんです。

 だから、お願いします。俺を涼音に会わせてください。

 

 

 

 そう考えてからしばらく後、潤は「違う。そうじゃないだろ」と自分に言い聞かせるように呟

いた。

 どうせ願うんだったら、”プログラムが中止になって、みんな生きて帰れますように”などだ。

それなのに何で自分は涼音のことばかり考えているんだろう。彼女がよければ他のみんな

がどうなってもいいと思っているわけではないのに。

 それなのに、頭に浮かぶのは涼音のことばかりだった。

 

 潤は自分の中で涼音がとても大きな存在になっているということは自覚していた。けれど

これは、潤が自覚している以上の症状だった。

 自分の中で彼女がどういう存在なのか、潤はそれを改めて理解する。

 

 

 

 と、潤の耳にがさがさっ、という草をかき分ける音が聞こえてきた。体が強張り、心なしか

体温が二度ほど下がったような気がした。潤は急いで地図を片付けデイパックを手に持つ。

こちらは殺し合いに参加する気など毛頭無いが、向こうはそうとは限らない。数時間前に

出会った逆瀬川明菜がそうであったように。

 

 この辺りは木に囲まれている場所だが、少し進めばホテルへと続く車道が通っている場所

へ出ることもできる。しかし車道に下りるためには急な傾斜を飛び降りなければいけないし、

こちらの姿が相手に丸見えという欠点もある。多少進みづらいが、逃げるとしたら遮蔽物が

ある森の中のほうが有利だろうか?

 

 がさっという音が大きくなり、茂みの中から自分と同じ、白いワイシャツ姿の人間が顔を

覗かせた。ヘアワックスでツンツンに立てた短い黒髪、理知的でシャープな顔立ちは、彼が

持つ冷静さをそのまま表しているようだった。

 細いフレームの眼鏡の奥、潤を見つけた萩原淳志(男子13番)の目がわずかに見開か

れた。

 

 何も考えず、ほとんど反射的な動きで潤はこの場から逃げ出した。説得だとか、やる気に

なっているかどうかなんて考えられなかった。なにせ相手はあの真神野威(男子15番)

グループの一人である淳志だし、それに彼の手には銀色の拳銃が握られていた。

 すぐに背後から銃声が聞こえてきて、潤の近くの地面から土煙が舞い上がった。続けざま

に銃声が聞こえてくるが、幸いなことに銃弾は一発も当たらなかった。

 

 ――くそっ、やっぱりみんなやる気になっているのか!?

 簡単に人を殺そうとするクラスメイトへのショック、そして自分と友人たちに訪れるかもしれ

ない”死”に対して恐怖を抱きながらも、潤は淳志から逃げるため一心不乱に走り続けた。

 

 

 

 

 

 萩原淳志はしばらくの間、桐島潤が逃げていった方向にS&W M629の銃口を向けて

いたが、自分の撃った弾がどれも外れていて、潤を追撃不可能であると悟るとゆっくりと銃

を下ろした。

「誰かいたのか?」

 彼の背後から、マチェットを腰に差した真神野威が声をかけてくる。

「桐島がいた。どうやら先に気づかれたみたいだな。もう逃げられたよ」

「今からでも間に合うんじゃね? 追っていってぶっ殺しちまおうぜ」

 淳志や威と同行している麻生竜也(男子1番)が意気揚々と口にする。しかし威は、竜也

のその提案に首を振った。

 

「弾の無駄だ、放っておけ。それと淳志、今度から誰か見つけたら単独で攻撃しないで俺た

ちにも伝えろ。敵は確実に排除する。今はいいが、これが渡良瀬だったら大問題だぞ」

「……ああ、すまん。俺のミスだ。以後気をつける」

 淳志は平坦な口調で反省の意を示す。本当に申し訳なく思っているのか疑問に思えるが、

彼と付き合いの長い威たちは特に反応を見せなかった。

 威は時計に目を落とし、現在の時刻を確認した。あと一時間ほどで二回目の放送の時間

になる。

 

 プログラム最初の夜が、静かに明けようとしていた。

 

【残り32人】

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