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 薫は大きく目を見開き、口を半開きにして宙を見つめていた。完全に呆然としている、

いわゆる放心状態というやつだ。

 対する(という言い方も変だが)真冬も自分の正体を明かしてから言葉を出さず、二人

はお互いに黙り込んでしまった。

 真冬はともかく、薫が言葉を失ってしまった理由は充分頷ける。

 

 幽霊――死者の魂。死者が成仏できず、生前の姿で現れ出たもの。

 

 からかわれているのだろうか、と疑いを抱いても何の不思議もない話だ。

 それを口にした真冬本人も、きっと疑われるんだろうという半信半疑の気持で薫に正体

を明かした。七年前に死んでから今日まで、自分と口を利ける人間はおろかこの姿を見

てくれる人間すら現れなかった。誰とも口を利かず、誰とも接することなく孤独な歳月を

過ごしてきた真冬は、自分の声が聞こえる人間が現れた喜びと薫の人柄に惹かれて

幽霊だということを明かしたが――。

 

 ――やっぱり、信じてくれってほうが無理な話か。

 

 悲鳴を上げて逃げ出すことも、嘘だ、と否定の声を受けることは予想していたし、覚悟

もしていた。

 そんな真冬の思いは、自分を一篇たりとも疑っていない薫の澄んだ眼差しと、彼女が

続いて口にした言葉で打ち消された。

 

「ふーん……やっぱり幽霊だったんだ」

『やっぱり、って、お前――』

「うん、なんとなーく想像は付いてた。私の頭で思いつけるのってそれしかなかったけど、

まさか本当に当たってるとはねぇ。嬉しさ半分、驚き半分ってとこ」

 実に自然な感じで、薫が声をかけてきた。

「ねえ、幽霊ってことは姿もあるんでしょ?」

『まあ、生前の姿でいることはできるけど……』

 

 まだ薫にはいっていなかったが、真冬は自分の姿を自由に出現させることが出来る。

それはTVや映画でよく見る、一般的な幽霊の姿だ。姿を出すことができると言っても、

実体化させることはできないので直接物を触ったりすることはできない。

 

 真冬が姿を現さずに声だけ出していたのは、薫に与える恐怖を少しでも少なくしようと

考えていたからだ。見ず知らずの人間がいきなり自分の前に現れ、いろいろと喋ってい

たら不審がられるに決まっている。そう考えた真冬はとりあえず声だけで彼女と接触を

取り、必要とあらば続いて姿を現すつもりだった。

 

 彼にとって予想外だったのは、村崎薫という少女が自分のことを全然怖がっていない

というところだった。相手が女性ということで悲鳴の一つや二つでも上げられるだろう、

と思っていたのだが、悲鳴どころか若干興奮気味になっている。度胸が広いというか、

呑気というか――とにかく、真冬は目の前にいる小柄な少女に脱帽していた。

 

『姿を出していた方がいいか?』

「うん。そっちの方が話しやすいし」

『そうか。怖がるかと思って姿を消していたんだがな』

「あははは。真夜中のトイレでいきなり出てきたら怖かったかもしれないけど、今だったら

全然怖くないから大丈夫。っていうか私、そんなに怖がりじゃないもん」

 プログラムに選ばれたというのに比較的落ち着きを保っているあたり、確かに薫は精

神力が強そうに見えた。

 

 ――ただ、問題はそれがどこまで続くかだけど……。

 二十四時間後に薫が生きていて、今と同じ状態でいられるという保証はどこにもない。

プログラムという悪魔は、自分が思っている以上に心と身体を削り取っていく。一日を

過ごすだけでも多大な疲労を背負うことになるのだ。

 だがとりあえず、今しなければいけないことはお互いを知ることだ。真冬は考えていた

ことを切り替え、とりあえず薫の要望に応えることにした。

 

『お前がそう言うんなら姿を出すけど、驚いて悲鳴を上げたりするなよ』

 自分が変なことを言っていると知りながらも、真冬は確認せずにいられなかった。幽霊

となってからの七年間、真冬は外界から隔絶された世界で生きてきた。孤独に耐えかね

僅かな望みを抱きながらホテルの宿泊客に声をかけたこともあるが、その時に相手が

反応してくれたことは一度もない。一度だけ、霊感の高い人間が何かを感じ取り、気味

悪がりながら周囲を見渡したことはあったが。

 

 幽霊を見る、ということがどれほど怖いものなのか、幽霊とはいえもとは生きていた真

冬はその気持ちを充分に理解している。自分が逆の立場だったら、恐怖に基づいた反

応しか返せないだろう。

 しかし薫は、自分からその恐怖に足を踏み入れようとしている。味わったことのない怖

さを体験しようとしている。好奇心の成せる業なのか、本当に怖がっていないのか。どち

らかは分からないが、自分から怖い目に遭おうとしている人物に『驚くなよ』なんてことは

言うべきではないだろう。

 

「大丈夫大丈夫。悲鳴を上げるんだったら最初に思いっきり叫んでいるわよ」

 薫がそれほど恐怖心を抱いていないことを確認すると、真冬は『分かった』と言い、目

を閉じて神経を研ぎ澄ますようなイメージを浮かべる。こんなことをしなくても姿を現すこ

とはできるのかもしれないけど、一応そういう”形”のようなものがあったほうがやりやす

い、と真冬は思っている。

 

 

 

『――もういいぞ。横を向いてみろ』

 それまでと変わらぬ真冬の声が聞こえてきた。薫は言われたとおり横を向き、

「…………」

 再び、言葉を失った。

 

 彼女の前に立っていた――いや、正確に言えば”浮かび上がって”いたのは、薫と同

年齢くらいの少年だった。優男のようにも見えるが端整な顔立ちをしており、眉目秀麗と

いう言葉がぴったりと当てはまる。切れ長の目は無愛想な表情と相成り、周りに人を寄

せ付けない刺々しい雰囲気をかもし出している。灰色のズボンに濃紺のブレザーという

服装は、彼が死んだときの服装――すなわち真冬の中学校の制服だということが見て

とれた。

 

 その容姿は人間以外の何者でもないが、百人が真冬を見れば百人が百人とも、彼を

人間ではないと答えるだろう。

 彼の身体は薄く透けており、その足は地に付いていなかった。地面から三十センチくら

いのところにふわふわと浮かび上がっている。真冬の身体越しに見える向こう側の景色

が、彼の肉体に実体がないんだということを証明していた。

 

「――ねえ、ちょっと触ってみてもいいかな?」

『別にいいけど』

 真冬には実体がないから実際に触ることは出来ないのだが、薫はあえて”触る”という

表現を使った。薫が自分のことを生きている人間と同じように接してくれることが嬉しく、

ついつい返答がぶっきらぼうになってしまう。

 

 差し出された薫の手がゆっくりと進んでいき、真冬の身体に触れ――そのまま何事も

なく進んでいった。人間の身体を人間の手が通過しているという、日常では到底お目に

かかれないような光景だった。

 薫の顔に一瞬だけ恐怖が浮かんだが、彼女はそれを露骨に表に出すことはなく心中

に呑み込み、幽霊と話をしている、という今更な事実に驚喜した。

 

「凄い……本当に幽霊だったんだ」

『信じていなかったのか? それにさっき、想像は付いていたって言っていたと思ったが』

「そりゃそうなんだど、やっぱり実際にこの目で見てみると実感の度合いが違うのよ。

改めて驚いたって言うか、打ちのめされたって言うか……でも、とにかく凄いよ、これ。

幽霊って本当にいたんだね。こりゃ自慢できるかもっ」

 

 屈託のない笑顔で嬉しそうに話すと、薫は子供のように無邪気な目を真冬に向けた。

 そんな眼差しを向けられて、真冬は本当にどうすればいいのか分からなくなった。人と

話すことが、それ以前に自分を前にして怖がらない人間がいるということが、真冬にとっ

ては思いもよらないことだったからだ。

 

 ――でも。

 それは決して、悪い感じのするものではなかった。

 誰かと話し、触れ合い、笑う。

 生きているときには特別に意識することなんてなかったそれらのことが、魂だけの存在

となった今ではとても大切な――とても羨ましいことに思えた。

 

 ずっと誰かと話をしたかった。

 自分の姿が見える人が現れないかと思っていた。

 

 そんな真冬にとって、薫と話をすることは不愉快なことではなく、むしろ正反対の感情

が生まれてくることだった。薫は子供っぽいし、後先考えずに行動しそうだし、無邪気と

いうか破天荒な感じがするけど、彼女に対して悪い印象は浮かんでこなかった。

 

 

 

『お互いの紹介も済んだし、そろそろ今後のことについて考えないか?』

「えー? まだ真冬くんに聞きたいことがあるのにー」

『悪いけれどそれは俺の話が終わってからにしてくれ。プログラムでは行き当たりばった

りに行動していてもダメなんだ。ある程度は行動方針を決めておいたほうが良い』

「そう、そこなのよ。私が聞きたいことって」

 薫はぴしっ、と人差し指を立て、真冬の鼻先に持ってくる。

「私と真冬くんは今まで面識もなければ生まれ育った場所だって違うわ。知り合ったのは

ついさっきだし、ここに来るまで真冬くんの名前も知らなかった。それなのに何で私の」

 

 全てを言い終える前に、薫は突然喋るのを中断した。顔は左側に向けられ、その右手

は素早くベレッタを握り締めている。

 

『聞こえたか?』

「……うん、聞こえた」

 薫と同じ方向を凝視する真冬の顔はより一層鋭さが増しており、この場に張り詰めて

いる緊張感がひしひしと伝わってきた。

 

『悲鳴――だったな。男か女かは分からないが、誰かが悲鳴を上げていた』

「ってことは、誰かが殺されそうになっている、っていうことよね」

『そうなるな。だけど俺たちには関係ないことだ。このままやり過ごして――』

 その時にはもう、薫は悲鳴の上がった方向に向けて走り出していた。

 

『なっ――おい、薫!』

 すぐ横で真冬が声を上げたが、薫はそれに耳を貸さずにひたすら足を動かす。プログ

ラムでは自分の命を最優先するべきだとは分かっている。戦闘にいちいち首を突っ込

んでいたら命が幾つあっても足りないし、誰かを助けるということはつまり”敵”を助ける

ということでもあった。

 

 けれど、あの悲鳴を上げたのが琴乃宮涼音(女子4番)とか、黛真理(女子13番)らの

仲の良い友人たちだったとしたら? 戦う術を持っておらず、殺し合いをする気なんて

なかったとしたら?

 

 真冬の言っていることは分かるし、間違っているとも思えない。プログラムにおいて自

分の命を優先するのは当然だし、誰だって危険な目には遭いたくないのだから。

 しかし薫にも自分で正しいと思っているもの、譲れないものがある。それに基づいて

生まれる感情は真冬の説得では曲げられないほどに強固なものだった。

 

 自分の感情そのままに行動するという分かりやすいスタイルを貫いているため、薫に

備わっている行動力はクラスの誰よりも高い。そのため、何かに夢中になったときの薫

は滅多なことでは意見を曲げない頑固者になるのである。

 

『やめろ! 向こうで誰が殺し合っていようと俺たちには関係ないだろう!』

 追走する形で宙を進む真冬は何度も制止を試みたが、薫は「嫌!」の一点張りでまと

もに話すら聞こうとしない。この思わぬ展開に焦りを感じた真冬は小さく舌打ちをしてし

まう。

 薫と知り合ったばかりで、まだ彼女の性格の全てを把握していない真冬に彼女を止め

ることなどできるわけがなかった。

 

 

 

 五十メートルほど進むと、薫がいる場所から数メートル先が緩やかな下り坂になって

いた。周囲には相変わらず背の高い木が立ち並んでおり、傾斜の向こう側がどうなって

いるのかここからでは分からなかった。

 下り坂ということで足元を照らしながら進もうと考えた薫はデイパックを開け、中から

懐中電灯を取り出した。

 

『――お前、本当に助けに向うつもりなのか?』

「当然よ。涼音ちゃんや真理ちゃんが殺されようとしているかもしれないのに、放ってお

くなんてできないもん」

『その涼音や真理って奴がやる気になっていたらどうする』

「……どういうこと、それって」

『どういうことも何もない。そういう可能性もあるってことさ、これは』

 

 真冬に悪気はないのだろうけれど、今の発言は薫を本気で怒らせた。常日頃見せて

いる元気な姿とは対照的に、心の底から怒りを感じたときの彼女は口数が少なくなって

いく。今の薫の状態はまさにそれだった。まるで噴火寸前の火山のように、不気味な静

寂が二人の間に広がっていく。

 

「涼音ちゃんも、真理ちゃんも――私の友達はみんな、誰かを傷つけるような人なんか

じゃない」

 友人を疑われたことで感情のタガが外れたのか、その愛くるしい顔の奥から憤怒に

染まった声が吹き出す。

『俺が言っているのはそういう可能性も考えて行動しろってことだ。もしそうなっていたと

したら、お前はそいつらを撃つことができるのか? できなかったら殺されるのはお前

かもしれないんだぞ。俺たちが今いるのはそういう世界なんだ。あらゆる現実と向き合う

覚悟がなかったら中途半端な正義感で行動するな』

 

「…………」

 薫は押し黙り、しばらく何も言わなかった。真冬の言っていることは分かるが、納得は

いかなかった。どんな理由があっても、目の前で殺されようとしている誰かを見捨てて

いい理由なんかないはずだ。

 考えた後、薫は深く深呼吸をして怒りを押さえ込み、右手の中のベレッタを強く握り締

めた。

 

「真冬くんの言っていることは分かるわ。でも私は、誰かが殺されようとしているのにそれ

を放っておくなんて事、できない」

『……お前が見たくないものを見ることになるかもしれないぞ。それでもいいのか?』

 迷いも躊躇も見せず、薫ははっきりと頷いて見せた。

『お前には負けたよ。あまり納得はいかないけどな』

「真冬くん、それじゃあ――」

『だけどこれだけは約束してくれ。――何があっても死ぬな。殺されそうになったら躊躇

うことなく銃を撃て。自分の命を最優先するんだ』

 

 真冬の眼差しと声には心に響く重みがあった。プログラムを体験したものだからこそ

知っているプログラムの辛さ、悲しみ。

 もしかしたら真冬は、生前に選ばれたプログラムで薫と似たような行動を取って、辛い

現実を目の当たりにしたのかもしれなかった。自分と同じ辛さを薫に味合わせたくない

から、ここまで真摯に彼女の身を案じているのだろう。

 真冬の想いに応えるよう、薫もまた確固たる決意を胸に宿して頷いた。

 

「分かったわ。何かあったら真冬くんの言う通りにする」

 途端、下り坂の向こうから銃声が聞こえてきた。続けて一発、再びもう一発。暗闇の中、

発射の際に生じるマズルフラッシュがはっきりと確認できた。

 ここを下りた先で行われているものは紛れもない殺し合いだ。自分はそれを止めようと

している。馬鹿なことをしていると思われるかもしれないが、薫には関係なかった。

 重要なのは、殺されようとしている誰かを救うことなのだから。

 

【残り33人】

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