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 須川原ホテルは民家もまばらな山の中にあるため、市街地とは違って大きな音がすると昼間

でも遠くまで響いていく。それが夜であればなおさらだ。

 

 その音は、木々に囲まれた茂みの中に身を隠している村崎薫(女子15番)の耳にもはっきり

と届いていた。薫は顔を上げ、音の聞こえてきた方向に視線を向ける。すぐに先程と同じ音が

聞こえてきて、それから何度も何度もその音が聞こえてきた。最後の方はパン、パン、と単発

の破裂音が一定の間隔で六回くらい聞こえてきた。

 その音はそれきり聞こえなくなり、木の葉が風に揺られるそよそよという音と、フクロウの鳴

き声だけが聞こえてくるようになった。

 

「ねえ、さっきの音ってやっぱり……」

『ああ、銃声だ』

 薫の呟きに合わせ、どこからともなく人間の声が聞こえてきた。まだ幼さの残る少年の声で、

耳に届くというよりは頭の中に直接響いてくる不思議な声だった。

 

 スタート地点のホテルを出る前に聞こえてきたこの声のおかげで、薫は入り口で待ち伏せを

していた真神野威(男子15番)のことを事前に知ることができ、彼の襲撃から無傷で逃れる

ことができた。姿が見えないのに声だけが聞こえてくるというのは不気味なものだが、もともと

好奇心が旺盛で、大抵のことは簡単に受け入れてしまう薫にとって、そんなことは大した問題

にはならないようだ。

 

 ホテルから離れた薫は、何とかしてここから逃げることが出来ないかと思い、会場の果てを

目指してひたすら南下した結果、このI−06エリアに行き着いた。

 今、薫のすぐ後ろには有刺鉄線で出来た壁が立ちはだかっている。試しに石を投げてみたら

バチン! という音と共に電流が走り、青白い閃光が夜の闇を切り裂いた。どうやらこの有刺

鉄線は高圧電流が流れているらしく、生徒たちの脱出を防ぐように会場をぐるっと囲っている

ようだった。高圧電流が流れている上に結構な高さ(恐らく二メートル程度だろう)があるし、

鉄線の向こうには軍の車両の灯りをいくつか確認することが出来た。

 

 この有刺鉄線も外の車両も、自分たちをここから逃がさないようにするための処置なのだろ

う。プログラムの歴史は長いが、脱走者が出たプログラムは一つもないらしい。まさに難攻不

落、鉄壁の要塞だ。

 脱走者が誰一人としていないというのも、この徹底した防御網を見たら頷ける。会場を囲う

高圧電流が流れる鉄線。その周囲に配置されている、銃を持った見張りの兵士たち。そして

自分の首に付けられている、この首輪。

 

 殺し合いをするつもりなど微塵も無い薫はどうにかしてここから脱出しようと頭を悩ませてい

たが、先程挙げた要素を打開する術が思いつかず、どうしたらいいのか分からない手詰まりの

状態になっていた。見張りの兵士や有刺鉄線はともかく、首輪を解除するための知識と道具

がどうにもならなかった。下手にいじれば爆発するとも言われているので、一か八かの賭けに

出るわけにもいかない。

 

 薫は時折、注意深く辺りを窺うが、周囲に自分以外の誰かがいる気配はなかった。先程聞

こえてきた銃声がまるで嘘のような、しんと静まり返った空気がこの場に満ちている。森の中

は暗闇に支配されており、誰かの接近を察知するためには梢越しに差してくる月の光だけが

頼りだった。

 

 始めは琴乃宮涼音(女子4番)黛真理(女子13番)などの、仲の良い友達を探そうと考え

ていたが、それを実行しようとした際に『夜の間は無闇に動かない方がいい』という忠告を受

けてしまい、今はドラム缶くらいの直径を持つ木の幹に背を預けていた。言わずもがな、その

忠告をしてきた相手とは先程から聞こえてくる謎の声だ。

 

 そうして休んでいる間にこれからのことをいろいろと考えていたのだが、”仲の良い友達と合

流する”という行動目的以外に大したことは思いつかなかった。

 ただ、そうすることによって生じる不安もある。仲間を集めて殺し合いを拒絶した場合、二十

四時間誰も死ななかったら全員の首輪が爆破、というルールが想像以上の重圧を掛けてくる

ことが予想できたからだ。

 

 無事に涼音たちと合流して殺し合いを止めさせることができたとしても、そのルールがある

以上、時間切れの恐怖にかられて仲間を襲う人物が現れるだろう。そうなってしまえば、仲間

を集めるということが何の意味も成さなくなってしまう。束の間の幸せを味わいたい、というの

なばらそうすることが最善の策かもしれないが。

 

 首輪をどうにかすれば時間切れの恐怖もなくなるが、その首輪解除がどうすることもできな

い。仲間と助かる方法を考えれば考えるほど、最後の一人になる以外に生き残る術は無い

ことを思い知らされてしまう。

 

 薫は右手の中にある自動拳銃、ベレッタM8000クーガーに目を落とした。有名なベレッタ

M92Fよりも一回り小さい、より携帯性に優れた拳銃だ。もちろん、そんなことを薫が知るわけ

もなかったが。

 もしも薫がこの銃を積極的に使用する道を選び、プログラムから生きて帰ることが出来たと

しても、両親や周りの人たちはそれを喜んでくれるだろうか。クラスメイトを殺し、両手を血で

染め、一生をかけても償い事の出来ない十字架を背負う自分のことを。

 

 そんなことは絶対にやるもんか、と心に決めていたが、今となってはその決意も揺らいでし

まう。プログラムという、強大すぎる敵の前に立っている今では。

 

 ――私は、みんなを殺したりなんかしない。政府の奴らなんかに負けるもんか。

 

 揺れ動く心を叱咤するように、自分自身に言い聞かせる。誰かの命を奪ってまで生きなけれ

ばならないほど偉い人間でもないし、そもそもクラスメイトを殺すなんて真似、できるはずがな

かった。

 

 

 

 ――って言っても、どうすればいいのか分かんないのよね……。

 考えれば考えるほど何をすれば良いのか分からなくなる。とにかく今は生き抜くことが最優先

なので、ここでじっとしていて様子を見ながら、夜が明けるのを待つしかないだろう。

 

 思わず溜息をついたら、そんな薫を心配してか、再びあの声が聞こえてきた。

 

『だいぶ参っているみたいだな』

「そりゃそうよ。だってプログラムに参加させられるなんて思っていなかったし、自分が死ぬか

もしれない、ってんだから落ち込まないほうがどうかしているわ」

『へえ。落ち込むって感じのキャラじゃないと思ってたんだけど』

「失礼しちゃうわね。私だって落ち込んだりするときもあるわよ」

 相変わらず声だけしか聞こえてこないが、薫はもうこの状況に慣れてしまったようで、何の違

和感も見せずにその声と会話をしていた。

 

 とはいえ、この声に関しての疑問がまだ解決されたわけではない。この声に聞きたいことは

山ほどあった。

 あなたは一体何者なのか。何で声だけしか聞こえてこないのか。何で私に話しかけてきたの

か。何で私を助けてくれたのか。挙げだせばキリがない。

 

 太陽が昇り出すまで、まだ時間はある。だったら聞いておこう、と薫は思った。それを聞いて

も何かが変わるというわけではないだろうが、大きな疑問を未消化のままにしておくほど気持

ちの悪いことは無い。自分の心が『知りたい』と思ったのだから、我慢せずに聞けばいい。

 

「そういえば、私って自己紹介したっけ?」

『村崎薫だろ?』

「ありゃ、もうご存知だったんだ」

『出発するときに名前を呼ばれていたからな。それを聞いていたから知っているさ』

 その時は話しかけられなかったから分からなかったが、彼は自分たちがホテルの体育館に

集められたときからいたようだ。

 

「じゃあ、次はそっちの番ね」

『――――?』

「自己紹介よ、自己紹介。あなたは私の名前を知ってるんでしょ? でも私はあなたの名前知

らないもん。名前が分からないと会話しづらいし、教えてくれたら薫ちゃんとっても助かるんだけ

どなー。あ、名前がなかったらなんて呼べばいいかだけ言ってね」

 呆気に取られているのか、それとも戸惑っているのか。しばらくの間、声は薫の耳に届いて

こなかった。

 やがて、申し訳なさそうな――やや躊躇いがちにも聞こえる声が、薫の頭に響いてきた。

 

『……真冬』

「えっ?」

深山真冬(みやま まふゆ)。俺の名前だよ。これでいいか?』

 今度は薫がきょとんとする番だった。しかしすぐにいつものペースを取り戻し、ニコニコと笑い

ながら「へぇー」と何か意味ありげな声を漏らしていた。

 

「真冬かぁ。可愛い名前だねっ!」

『下の名前で呼ぶな』

「へ? 何で?」

『いや、それは――その……』

「照れちゃってるんだ」

『照れてない』

「またまたー、嘘ばっかり言っちゃって! 私の前じゃそんなの通用しませんよー」

『…………』

 声が聞こえなくなった。どうやら言葉に詰まったらしい。もし彼が目の前にいたら、顔を真っ赤

にして俯いていることだろう。声の感じから、そう簡単には動じない冷静な人物像を思い描いて

いたが、こういう冗談は苦手なようだ。

 

 

 

 ――うーん……やっぱりそうなのかなぁ?

 どうやらふてくされてしまったらしい真冬に「ごめんね」と謝っている最中、薫は内心で別のこと

を考えていた。

 この場所に腰を落ち着けてから自分なりに、声の――真冬の正体にいくつかの候補を挙げて

いたのだが、今行った自己紹介のやりとりで、その候補の一つが当たっているのではないか、

という確信にも似た強い考えが生まれていた。

 

 普通に考えれば非現実的で到底信じられない憶測だが、いろいろと考慮してみると”それ”が

一番強い可能性を持っている。

 そもそも、自分が一番聞きたいことは『この声の正体』だった。姿が見えず、声だけが聞こえて

くるという不可思議な現象。体育館の中での様子を思い出す限り、クラスの中で真冬の声が聞

こえていたのは自分だけのようだった。

 

 自分だけに聞こえてくる、姿無き声。

 どういう説明をすればこれが解決するのか。

 どういう結論ならば自分は納得するのか。

 有り得る有り得ないの問題ではなく、薫はただ純粋に真冬の正体を知りたかった。

 

「名前もそうだけどさ、私、もう一つ知りたいことがあるの」

『…………』

 まだ機嫌を損ねているのか、声は返ってこない。しかし薫は話を続ける。

「真冬くんって声は聞こえるけど、姿は見えない。何でなの?」

 科学の力だとか、政府の手が加わっているとかではないことは確実だ。一つのクラスを対象

として行われるプログラムに第三者を参加させるはずがない。もし仮に第三者の参加が決定

していたら、ルール説明の際に一言も告げられないというのはどう考えてもおかしかった。

 

 だから薫は、納得のいく答えを真冬に求めた。嘘か本当かはともかく、今は彼の口から答え

を聞きたかった。

 

『……言っても信じてくれないだろう』

「あまりに現実離れしすぎているから?」

『ああ、そうだ』

「だったら声だけが聞こえてくるって状況もかなり現実離れしていると思うけど」

 真冬は薫の言葉に反論する術を持っていなかった。彼女の指摘は何よりも的確に的を得て

いる。それに、このまま沈黙を守っていてもいずれ再び質問されてしまうだろう。自分が答えな

かったら、答えてくれるまでとことん聞いてくる。真冬は出会ったばかりの薫にそんな印象を受

けていた。

 

 ――こいつにだったら、打ち明けても大丈夫かもしれない。

 真冬は軽く咳払いをして、声をいつもと同じクールな調子に戻した。

 

『しつこいようだけど、絶対に信じられないようなことなんだぞ』

「それは聞いてから私が判断する」

『……分かった』

 変わった奴だな、と真冬は思った。

 

 今まで出会い、目にしてきた人間と少し違うような気がする。何だろう。何が違うというのだろ

う。似たような性格の奴には会ったこともあるし、特筆すべきほど美人というわけでもないのに。

 なのになんで、彼女を見ているとこんなに安心するんだろう。

 目に見えない魅力を持っていて、自分がそれに惹かれているのか。

 自然と人を引き寄せるような、生来の魅力が。

 

『七年前、俺は県内にある本宮中学校ってとこの三年生だった。そしてプログラムに選ばれて、

ここで死んだ』

「…………え?」

 それを聞いた薫は完全に言葉を失っていた。

 ここで死んだ。それは、つまり――。

 

 

 

『幽霊なんだよ、俺は』

 

 

 

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